私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

春まぢか

2017-02-28 08:46:34 | 日記

March 1, 2017

2月は逃げ、3月は去るという言葉がある。昨年10月中旬に患った胸椎圧迫骨折の後遺症が思いのほかいろいろあって、悩んでいる間に私の2月は駆け足で過ぎて行った。今日は3月1日、何となく春を感じる。数日前の朝日新聞の天声人語で、批評家や編集者などプロの読み手たちも、本が読めなくなるときがあるといったことが書いてあった。そんな時、こういう人たちは野球のデータ集や列車の時間表で気分転換を図るそうだ。もちろん次元の違う話ではあるが、私も目を患ったり身体の調子が今一つはかばかしくないこの頃、読まなければならない本はたくさんあるのに手に取れない。昨日散歩のついでに寄った本屋で、三上延『ビブリア古書店の事件手帖』〈7〉(KADOKAWA・メディアワークス文庫)が出ていたので購入し、眠れぬままに読んだ。これで少しはずみがついて読書会の本にも集中できそうだ。『ビブリア…』は〈1〉からすべて読んできている。他愛ないストーリーの本だが、北鎌倉駅の近くにあるという設定のこの書店は、私の中では現実に近いものになっている。暖かくなったら鎌倉あたりへ出かけてみよう。

例年のように、母が作った小さな雛人形を飾った。今年は母の7回忌だ。私はこういったことには無頓着な方だが、東京近郊に住む妹たちとお墓参りをしようと話し合っていた。そんな矢先に、妹のひとりがウォーキングをしているときに自転車に接触され右腕を骨折したという知らせが入った。幸い、妹二人は近くに住んでいるので、こういう時は安心だ。私も、今かかわっている整形の医師から転ばないようにと何度も念を押されている。しかし、気をつけていても思いがけない状況で事故は起こる。かといって家に引き込もていては、別の老化現象が心配になる。その年齢にならないと分らない、ということを実感させられる日々である。

画像は、皮下注射を受けに通っている病院のロビーで撮った。少しピンボケです。


ネコの日、麩の日

2017-02-22 17:07:43 | 日記

February 22, 2017

朝日新聞の「天声人語」に、今日はネコの日だと書いてあった。連載されている夏目漱石『吾輩は猫である』をはじめ、ネコの日でなくてもネコの話題に事欠かないこの頃だ。私も20年共に暮らした愛猫のメリーのことがふと頭をよぎり、写真たての中の彼女の顔に目をやった。

午後、風は強かったがウォーキングを兼ねて出かけた。どうも背中の疼きが無くならない。骨折前の体にはもう戻れないのかと少し気落ちするが、仕方がない。本屋に立ち寄り、春夏号の編み物の本に目を通す。夏のTシャツに羽織る薄い上着を編もうかと思ったが、本を買って毛糸をそろえてと考えると、何だか突然先が見えない気分になり、眼の保養で止めておいた。小さなやる気は起こってもその先が続かない。困ったことだ。いつも立ち寄る豆腐を扱った惣菜を売っている店を覗くと、今日は麩の日なので麩まんじゅうはいかがですかと声をかけられた。ネコの日だけではないのかと、少し可笑しかった。おやつにと、三つ入りの麩まんじゅうを買った。

帰宅して郵便受けを覗くと、校正をお願いした方から、盲人用の無料で送付できる郵便物を入れる郵袋が、お手紙付き(別便)で戻ってきていた。この方は、いつもすぐに校正して下さり、しかも私が足元にも及ばない実力がある方だが、今回一緒に暮らしてお世話してられるお孫さんのことで少し遅れますということだった。この英和辞典は、9人で携わっている。年齢が私と少し前後する方たちだ。今回の私の骨折もあるが、それぞれいろいろな事情を抱えてられるので、なかなか点訳に専念できない。もちろんボランティアなのだしそれでいいのだが、もうこの世界に新しく入る方を望むことができないのも現実だ。特に5年前の東北大地震以来、ボランティアの形も様変わりしている。自治体やカルチャーの教室も閉鎖されているところが多いようだ。点訳そのものが今の形を変えていくことになるとしても、現在の学生さんたちのためにはまだ必要な世界である。牛の歩みでも止まらないで進みたい。

画像は、友人のメールから、雪を冠る椿。これは春の雪でしょうか。


読書会('17/2/14)

2017-02-15 06:24:30 | 日記

February 15, 2017

2月14日(火)
友人宅で開かれた読書会のために東京まで出かけた。本は、村上春樹・編訳『恋しくて』(中公文庫)。本書は、村上春樹が、「ニューヨーカー」誌掲載の短編恋愛小説9篇を選び、それぞれの作品の最後に村上春樹による「恋愛甘苦度」をそえ、村上自身の短編を最後に1篇載せてあるというものだ。私はつねづね、短編小説を読みこなせるのはかなりの読書家でないと出来ないと思っている。短編は、ストーリー性よりも人の内面を描くことに重点を置くので、さっと読み流すことができなかったりする。今回セレクトされている短編は、内容の濃いものもあるが、そうでないものもあった。短編の名手、アリス・マンローの作品も含まれていた。眼を患ってから読書量が減り、というか新聞を丹念に読むことでいっぱいいっぱいの状況の上に骨折が重なって、370ページほどの文庫本をやっと読み終えた。皆で1冊の本について語り合うなかで、私の少し途絶えていた本を読む習慣もよみがえってきた。次回は、梯久美子編・島尾敏夫『妻への祈り』(中公文庫)に決まった。アルテリア・シネマで、「死の棘」を上映していて、結局見逃してはしまったが、以前読書会で読んだ島尾敏夫『死の棘』(新潮社)を読み直してみようかと思っていたところだった。楽しみだ。
 
2月16日(木)、17日(金)
今日は点訳の例会が武蔵境である日。1:00開始だが、少し早目に出かける。小田急線に乗っているときに、吉祥寺で人身事故があり、中央線が上下線で不通というニュースが入った。いつもは新宿まで行くところを下北沢で乗り換えて、まずは吉祥寺まで行った。昼間の時間帯なので混雑はしていなかったが、京王線やバスへの乗り換えの放送が盛んに流されていた。歳をとると臨機応変にことに対処することができない。急ぐ旅ではないのでホームのベンチで本を読みながら待っていると、1時間ほどして電車が開通し、何とか会場にたどり着けた。1ヵ月に1度の例会でもいろいろなことに直面する。地震でも起きたらどうなることやら、でもこういうときは見ずしらぬ人でも共通意識で助け合う精神が働くのだろうとも思った。問題点を出しあったりして有意義な時を過ごし、散会してから数人で近くのコーヒーショップでおしゃべりをし、6時過ぎに帰宅した。
 
翌日、知り合いから庭に実った夏ミカンを下さるという連絡が入り、カートをひいて駅前まで出かけた。完全無農薬なミカンはありがたい。気温は高かったが南風がすごい。春1番だそうだ。確実に春はやってくる。そしてマーマレードを作る季節も訪れたのだと、骨折以来内向きになっていた心に火がついた。今週は2日も東京まで出かけたりして、少し疲れた。今年いっぱいは無理は禁物なので、1歩前進2歩後退で行こうと思う。 
 
画像は、読書会で読んだ本のカバー。竹下夢二「黒船屋」をデザインしたもの。素敵です。

ウォーキング

2017-02-06 10:51:07 | 日記

February 5, 2016

2月5日(日)
テレビで別府マラソンを見ていて、何となく歩きたくなり、用意をして出かけた。骨折以来初めてのウォーキングだ。日光にあたりながら10分でもいいので歩いてください、と医師から言われているが、最近の疲れやすい体調を考えると、歩いている途中で座りたくなっても適当な場所がないと恐いといったこともあってなかなか始められなかった。帰宅するときに利用しているバス通りを反対に歩いて、疲れたらバスに乗ることにして出発した。曇り日だったが寒くはなく、足も思いのほか軽快に進む。結局バスの時間が合わなくて、バスの始発のいつもの駅前まで歩いてしまった。6000歩を超えた。少し無理をしたかなと思い、マックでコーヒーを飲み、一休みしてバスで帰った。今日が2017年の歩きはじめとして、ノートに記録しよう。

帰宅すると姉から電話があった。結婚してからクリスチャンになり、「いのちの電話」や「要約筆記」などに携わり、私と違い1本筋を通して生きてきた人だが、このところ、同じ内容の言葉が繰り返されたりして心配だ。2歳違いなので私も追いかけていると思えば致し方のないことなのだろう。歳をとることは悲しいことだ。5人姉妹が元気なうちに、小旅行にでも出かけたいなどと考えている。

2月7日(火)
映画を見てきた。いつもの「アルテリア・シネマ」ではなく、ショッピングセンターの6階にある映画館だ。映画は、テレビで見かけたことがある松坂桃季と菅田将暉主演の日本映画、グリーンの名曲の誕生にまつわる実話という新聞の記事に惹かれてみてきた。医者である厳しい父親のもとで音楽の道を志す兄弟の姿を描いている。ストーリーが単純で、さわやかな青春物語に終わっているのが少し物足りなかったが、音楽がよかった。点訳漬けだった日々へのご褒美としてはまあまあだろう。背中のことが気になってしばらく映画から遠ざかっていたが、「アルテリア・シネマ」でも見たい映画を上映している。また映画館に足を運びたい。

画像は、妹のメールから、「クリスマス・ローズ」。


立春

2017-02-03 12:49:18 | 日記

Febrary 3, 2017

続けて2枚のカードを紛失したこともあって、少し落ち込んでしまい、ブログの更新も遅れてしまった。気が付けば明日は立春、あんなに待ち焦がれていた春もすぐ近くまで来ている。気分を新たにして、何か映画でも見ようかと駅前まで出かけた。コピーをとったり銀行に立ち寄ったりしているうちに、突然背中に痛みが走ったので驚いて、帰りのバスの時間に合わせて、ついぞ買ったこともない恵方巻と豆まき用の豆を買って帰宅した。わが家に帰ればなんていうこともない、背中の痛みもおさまり、恵方巻とお豆でランチを済ませた。

今回は、先月の点訳の例会で校正のファイルをいくつかいただいてきた上に、欠席された方からも2ファイル届き、明けても暮れても校正という日が続いて、いささかうんざりしている。校正は勉強になるので嫌いではないが、自分の点訳をやる時間がないので困る。今私が点訳しなければならないページよりははやいページの校正なので、まあこれを先にやらbねばなるまい。それでもやっと残り1ファイルまでこぎつけたので、今日は映画でもと思ったが、そんなわけで、今日は午後からのんびりしよう。

お電話があり、毎年はちみつを届けてくださる方が、今年も届けてくださった。1200グラム入りの瓶、こんなに重いものを運んでくださるご親切に感謝するばかりである。毎朝手製のヨーグルトにスプーン1杯のはちみつを欠かさない。特に「アルプスからのおくりもの」とラベルにある小松養蜂園のこのはちみつは、貴重なものだ。気ままに暮らしてきて、今いろいろな方に助けられて、曲がりなりにも老後がおくれていることをしみじみありがたいと思う。明日は皮下注射を受けに行く日、気分がよかったら映画館に寄ってみよう。

画像は、妹のメールから、「ジュリアン」。