私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画「25年目の弦楽四重奏」

2013-10-30 18:15:54 | 日記
October 30, 2013

素晴らしい映画だった。いつものように大まかなあらすじは、パンフレットから引用させてもらう。「全7楽章を途切れることなく演奏するベートーヴェンの名曲『弦楽四重奏曲14番』をモチーフに、チェリストの突然の引退宣言により危機を迎えた弦楽四重奏団を描く」。チェリストがパーキンソン病の告知を受けたことから、均衡を保ってきた団員に亀裂が生じる。怒り、嫉妬、ライバル意識、家庭内不和、不倫、25年目を迎えた団員それぞれに訪れる問題を描きながら、最後にこの「四重奏曲」の演奏で幕が閉じる、映画ならではの迫力だ。「アカデミー賞俳優たちによる最高級の演技合戦」という言葉も、パンフレットにあった。クラシックの名曲と名優の演技が合いまって生まれた最高の音楽映画といっていいだろう。2時半からの時間帯だったので、帰宅が5時過ぎてしまったが、映画の余韻でとても夕食を作る気持になれないし、お腹もすかない。こうしてブログを書いている今も、「弦楽四重奏曲」が頭に残っている。映画とはいえ生演奏を聴いたような感覚である。今日のブログはここまで。

画像は、第1ヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者とのツーショット、パンフからデジカメで撮った。

郊外へ

2013-10-27 09:06:00 | 日記
October 27, 2013

友人が国立駅前のギャラリーで開かれている展覧会に作品を出されているので、別の友人とそれを覗きがてら秋の国立通りを散策した。台風一過、またとないような秋晴れの日で、空に高く伸びた大木に囲まれた通りでは、空気がきれいなのだろう。このところパソコンのやり過ぎで目がしょぼしょぼしていたのがすっかり治ったのには驚いている。点訳を始めてから都心に出かけることが多いが、なかなか東京の郊外にまで足を延ばすということがない。戦争末期に疎開するまで、私も国立よりはもう少し都心に近い杉並区で生まれ過ごした。今は名前を変えているであろう杉並第2小学校の入学式で、新入生におむすびが一ずつ配られ、私は身体が大きかったので、一つで足りるかなと、手渡してくださった校長先生に声をかけられたことを記憶している。色々なことが過去の思い出につながるのは、年齢のなせることか。

帰宅してから新聞をゆっくり読んだ。読書欄と広告の中に、いくつか興味深い本があった。大蔵暢『「老年症候群」の診察室』(朝日選書)、評者の田中優子さんは、「近代医学は人間の同質性を前提に部位を分け、分析することで発達した。しかし高齢化社会を迎えることでようやく、かつてのような人間の全体をみる医療をとりもどせるのではないか。その可能性を感じることのできる本だ。」と書いている。超高齢に向かう自分自身の問題として、一読してみたい。角田光代『わたしたちには物語がある』(小学館文庫)、広告の中から、三沢陽一『致死量未満の殺人』(早川書房)。特に角田さんの文庫は、明日駅前の本屋によって買い、都心に出かける電車の中で読もう。

画像は友人の絵。具象画も出品されていたが、抽象画の方が彼女に相応しい。コラージュの手法を使っている。無断借用だが、お許しいただこう。

ヨーロッパの香り

2013-10-21 13:52:37 | 日記
October 23, 2013

10月21日(月)
図書館に本を返して届いている本を取ってこようと出かけたら、今日は休館だった。返却ポストに本を落とし、隣の区役所で、27日の市長選の期日前投票を済ませる。ちょうどお昼近かったので、同じ階にある区役所の食堂で、みそ汁とおしんこ付きの焼き鳥ドンブリ(500円)を、国会中継のテレビを見ながら食べる。たまにはこういったオヤジ的な時の過ごし方も楽しい。帰宅して、アリス・マンローの『林檎の木の下で』を再読した。いくつかの短編が1部と2部に分かれて収められている。一族の歴史が軸となったこの短篇集を読んでいると、何か懐かしい気持ちになる。スコットランドからカナダに移民してきたモンローの3代に渡る物語が、日本人である私の生活とは無縁のようではあるが、そうではない。 私の家族にも歴史があり、日本が江戸から明治、大正、昭和、平成へと移り変わる間には、掘り起こしてみればひとつの物語が出来そうなエピソードにあふれているだろう。私には今何かを追い求めるエネルギーはないが、モンローの本を読んでいて感じる懐かしさは、そういった何代にもわたる人の歩みの中で紡がれていく物語が呼びかけているものなのだろう。

10月22日(火)
朝、友人からプレゼントが届いた。スペイン旅行に出かけられていたとのことだったが、スペインのオリーブオイルとサフラン、前回行かれたラトヴィアの石鹸、どれも貴重なものだ。石鹸は、オレンジとアプリコットの香りが立ち込めているので、しばらく浴室の窓辺に飾って、この香りを楽しみたいと思っている。たぶん肌にはやさしいものだろう。30年以上前に訪れたソ連で購入したイコン像のもう汚くなってしまった画集を差し上げたことへのお礼とのことだが、あんな昔のとっくに忘れ去られていたものに現代のヨーロッパの品々を頂けるなんて、まさに「海老鯛」である。サフランを使ったパエリアを作って近くの友人と会食しよう。

10月23日(水)
昨日の午後からに引き続き、連日、理数点訳の会の勉強会に出かける。今は、David A.Cox『Galois Theory』の一部の点訳を引き受けている。出来るだけ英文のものを点訳したいと思っているが、数学の本なので、数式の決まりをを間違えないようにしないといけない。数学・物理の専門である、この会を主宰されている先生のお知恵を拝借しながらの点訳である。私には、内容はちんぷんかんぷんだが、数字の美しさには魅了される。急に寒くなったので、裏付きのコートを羽織って出かけている。「秋の日はつるべ落とし」、帰りに同じグループの方とお茶を飲んだりしていると、最寄りの駅に着く頃には夕闇の中である。

画像は、いただいたラトヴィアの石鹸、写真からでも、あの独特な香りが漂ってくるようだ。




「アリス・マンロー」

2013-10-17 08:42:47 | 日記
October 17, 2013

今年のノーベル文学賞に、カナダの短編作家アリス・マンローが決まった。文学の世界におけるノーベル賞というものの価値はよく分らないが、ちまたで騒がれている村上春樹ではなかった、いま書棚からアリス・マンローの『林檎の木の下で』(新潮社)を取り出してきて、読み始めた。私の好きな詩人・小説家の小池昌代さんが帯に、<あらゆる「私」を、「いまここ」に運び、やがて彼方へと押しやる力。私たちの血のうちに、深く沈められた感情が、一つ一つ目覚めていく。なんてデリケートで野性的な物語。>と、推薦の言葉を書いている。2007年の発刊当時に買ったものだ。たしか友人に勧められて図書館で借りて読み、りんごの実と花が描かれている表紙の装丁が気にいって、手元に置きたいと思ったと記憶している。内容はあまり覚えていないが、スコットランドからカナダに入植して生きた著者の三代にわたる血族の物語だ。たぶん今の方が心に響くように思う。というのは、2007年から6年ほどしか経っていないのに、あの頃と比べて、ずいぶん自分の気持ちが変化したように思うからだ。これは自分の本なので、他の本と併読しながらゆっくり読もう。読後またこのブログで何か書いてみたい。

午後から美容院に出かけた。実は上に書いたアリス・マンローさんの新聞に紹介されている写真を見て、わが身のだらしない白髪を反省した。まさかこんな髪型にして下さいとは言えないけれども、自分で似たようにカットして、美容師さんには、そのままゆるくパーマをかけてくださいと頼んだ。おしゃれには無縁な人生を過ごしてきたつもりではあるが、映画を見て外国の女優さんの髪形をまねしてみようと思うこともあるからおかしい。大いに笑ってください。

今週は一度も東京へ行く用事がなかったので、少しゆっくりと読書をしたり、料理をしたり、片付けをしたり出来た。しかし以前はちゃっちゃっとできたことに倍以上の時間がかかる。そんなわけで1日が長いようで短い。今日も予定していたことが出来なかった、明日こそはとりかかろうと思っているうちに日々が過ぎていき、いつも宿題を抱えているような気分がして、何か落ち着かない。これが老後の生活というものだろうか。これから夕方まで、たまっている点訳を、クラシック音楽を聞きながら済ませてしまおう。とここまで書いたところで、アマゾンに注文してあった佐藤優『人に強くなる極意』(青春出版社」が届いた。テレビの「半沢直樹」同様、この本もビジネスマンに人気があるようだ。で、私にとっての有用性は疑問だが、「頭を使って〝図太い人”になりどんな相手にもビビらない」という新聞上の本書紹介のキャプションに惹かれた。まずこれを読もう。こんな道草をしているので、肝心のやらなければならないことがすすんでいかない。

画像は、アリス・マンロー『林檎の木の下で』(新潮クレストブックス)の表紙。

コスモス

2013-10-15 13:49:19 | 日記
October 15,2013

昨日は体育の日で休日、この頃連休が多い。それにしても2日続けて夕刊が休刊で、さらに今日の朝刊も休みとなると、ちょっと腹立たしくなる。若い人が新聞を購読しなくなるのも納得できる。 外国の事情は分らないが、高い新聞代をとっているのだから、従業員は交代で休んでも新聞は何があっても毎日届けるということはできないのか、なんて。やつあたりはやめよう。体育の日というわけでもないが、いつもより遠回りして図書館に本を返しに行く。入り口に新購入本が並べてあったので、フィリップ・フォレスト『夢、ゆきかひて』(白水社)を手にとってページをめくってみると、日本の芸術や文学についてのフランス人のエッセイだったので、借りることにした。受付に行くと、予約してあった本、永井するみ『隣人』(双葉社)が今整ったばかりだという。ハードカバーを2冊借りることになリ、予定外の荷物が出来た。 さらに隣のいつも立ち寄る農協の店で、きゅうり、ピーマン、ナスと、たぶん農家の庭に咲いていたのであろうコスモスが花束にして200円であったので、これも一緒に買った。1時間に2本しかないバスの時間が迫っていたので、少し走ってあたふたと乗り込む。

今日は朝からいやいややっていた、預かっていた点訳データの校正を終わらせた。点字を見ながらの校正、しかも英語になると短縮された語などもあり、打つ時はソフトを使っても、校正となると面倒だ。何よりも目が疲れるのがこたえる。午後から、借りてきたばかりの『隣人』を読み始めた。この本を図書館に予約した経緯が、いつものように思い出せないのだが、たぶん新聞の書評を読んでのことだろう。著者の略歴をみると、東京芸大音楽部を中退、1996年『隣人』で第18回小説推理新人賞を受賞されている。本書はほかに5点の短編が入っている。3篇まで読んだ。3時のおやつ代わりに頭を切り替えるのにはいいかもしれない。ちょっと調べていたら、2010年9月に亡くなられていた(享年49歳)。死因がはっきりせずミステリアスだ、私にはこちらの方がショックだった。

画像は、農協のお店で買ったコスモス、この花を載せたくて、面白くないブログを書いた。

『路上の人』など

2013-10-12 13:49:22 | 日記
October 13, 2013

10月12日(土)
異端審問についての本はこれまでにも読んできているが、本格的な文学作品は、今回読了した堀田善衛『路上の人』が初めてだ。13世紀前半のヨーロッパ、キリスト教なしでは語れない時代(この時代とは限らないが)だ。フランスの王権、法王庁、この時代の権力と、その矛盾を追及して異端者として迫害され、眼を覆うばかりの残虐な形で殺されていったカタリナ派の信者たち。ヨーロッパの文明形成の中でキリスト教が果たした役割と、この宗教が犯してきた残忍な歴史、小説の素材としてはこれほど興味深いものはないであろう。本書は、堀田善衛が、最後にはピレネーに近いカタルーニアに居を定めて書き終えたものだという。それだけにこのテーマが物語として厚みを帯びて読者の心に訴えてくる。人間の姿の根本のところに何があるのか、ヨーロッパとアジアの違いとはなど、いろいろなことを考えさせられた。ずっと以前に読書会で、何回にも分けて読み進めた堀田善衛『ゴヤ』を、再読して見ようという気持になった。堀田善衛『定家明月記抄』を図書館に予約した。

10月13日(日)
昨日の夜から今日の朝にかけて、池上彰『世界を変えた10人の女性』(文芸春秋)を読んでいる。まだ少し残っているが、飽きてきたので、途中でこれを書き始めた。いつも、自分ではとても読まないような本を貸して下さる友人からお借りしたものだ。彼女は本当の優等生で、何事も頭の中にすーっと受け入れてそれを血となり肉となりされている方だ。私はというと、本にしろ何にしろまずにおいをかいで、好き嫌いを決めてしまう。学ぶ姿勢に一番必要な素直な心とはかけ離れたところで生きてきたように思うが、この友人と長く接して、いろいろとそれこそ本当に学ばせていただいている。たまに、たまプラーザでお食事をして、このブログで触れさせていただく方だ。

さてこの本であるが、今ジャ―ナリズムの世界で引っ張りだこの池上彰氏が、お茶の水女子大学の学生への授業として講義したものをまとめたものだ。巻末には、学生によるレポートをもとにした座談も載っている。取り上げられているのは、アウンサンスーチー、アニータ・ロディック、マザー・テレサ、べテイ・フリーダン、マーガレット・サッチャー、フローレンス・ナイチンゲール、マリー・キュリー、緒方貞子、ワンガリ・マータイ、ベアテ・シロタ・ゴードン、の10人の女性だ。私のこれら女性に関する知識は、高校の英語の教科書に出ていたものや新聞から得るぐらいのものだが、そういった知識を超えるような踏み込んだ内容ではなかったように思う。ただ、偉大な業績に隠された、あまり公になっていない個人の資質に触れていた。またそれぞれの女性が生きた時代について詳しく語られていて、これが勉強になった。こういった授業を受けて、ご自分たちの将来の指針の参考にしたいと思われる学生はいるだろう。いつの時代にあっても、道を切り開く人たちの生きざまはすごいものがある。

画像は、暑い夏を乗り越えてベランダの片隅で花開いた小さな花。名前が分らない。

パソコンで聞くクラシック

2013-10-10 14:38:07 | 日記
October 10, 2013

インターネットラジオのクラシック音楽専門のラジオ局「OTTAVA」について、若い友人に以前から紹介されていた。なかなか実行に移せなかったが、今回取り入れてみてとても気に入っている。単調な点訳も、これを聞きながら打っていると2,3時間が瞬く間に過ぎていく。もちろんこのブログも裏に「OTTAVA」をながしながら書いている。ラジオというとおしゃべりが付きまとってうるさいが、これはほとんど解説がなく、音楽が次々に流れてくる。 これがいい。 特に『医学辞典』の点訳は本当に無味乾燥で面白くないのだが、これでだいぶ楽しくなった。

ここまで書いて、近くの友人から、おいしいケーキがあるのでお茶に来ませんかというお誘いがあり、よろこんで出かけた。実は今日は朝早く、すき昆布と野菜を煮込んだものを山ほど作って、いつものように保存袋に小分けしながら、こんな時どなたかいらしたらいいのにと思っていたところだった。早速タッパーに入れてお持ちした。2時間ほどおしゃべりして、お嬢さんから送られてきた体重計を、自分の所にあるからもしお使いになるのならどうぞ、ということだったので、少し重かったがいただいて帰宅した。体脂肪率も測れる。私の体重計はずっと前に壊れたままで、それ以来体重も体脂肪も計ったことがない。体重が増えていないといいのだが。

秋は虫が出まわる季節とか、昨日ベランダを覗くと、大切に育てていたスミレの元気がない。一昨年小さな苗を買ったのが種子でどんどん増えて、暑かった夏も乗り越え、平鉢にこんもりと茂っている。近ずいてみると小さい黒くお腹が赤い気持ちの悪い毛虫がたくさんついて、葉っぱを食い荒らしている。それもここ1両日のことである。びっくりして退治して、さあもう大丈夫だと水をやって家に入った。夕方覗くとあんなに退治した毛虫がまだ残っていてさらに葉を食い荒らしてしまった。それらをやっつけて又しばらくしてみるとまだ2匹残っている。これは土の中にいるのだと分り、あまり薬は使いたくないのだが、ベランダの隅で土に薬をじゅうぶんにしみ込ませた。これでやっとスミレの元気が戻ってきた。狭い生活領域の中で、植物、文鳥、金魚が私の友だが、彼らも人の手を借りないと滅びてしまうのだと思うと、わたしの生きている証でもある。

画像は、妹のメールから、「レンゲショウマ」。絶滅危惧種で、高尾山にあることで知られているそうだ。

一息入れて

2013-10-06 15:42:08 | 日記
October 5, 2013

10月5日(土)
日本は昭和20年に敗戦国となり、昭和22年ー27年の5年間、「Made in Occupied japan」の刻印が義務付けられて民間貿易が許可された。今回大学女性協会の主催で、その間に輸出された陶器をアメリカで買い求められた方の品々の展示会があリ、当会に関係してられる友人から招待状をいただき、千駄ヶ谷の津田塾大学同窓会ホールまで出かけた。短いギャラリートークでは、すっかり忘れていた、あるいは知らなかった事実を教えられた。こういった民間貿易が、戦後の日本の経済の一翼となったというお話だった。陶器の人形だとぜいたく品としての関税がかかるので、人形の頭に穴をあけて胡椒入れにしたりして関税を抑えたといったことも話されていた。陶器の数々は素朴でかわいいものばかりだった。どこに行っても様々な品物にあふれている現代ではなかなか想像のつきにくいことながら、まぎれもない事実を目の前に突き付けられた思いだった。

この日は1日中秋につきものの小雨が降っていた。帰宅して一休みした後、図書館に届いていると連絡があった堀田善衛『路上の人』(新潮社)を取りに行った。友人に紹介されて読み、感動した山形孝夫『砂漠の修道院』の中に参考文献として出ていて、ぜひ読みたいと思いながらなかなか図書館に予約が出来ず、やっと手に入った。友人にそのむねメールすると、早速関連図書の紹介があった。本当にこの方の読書量には、改めて感嘆する。

10月6日(日)
午前中、ネットで注文してあった「はごろもフーズ」のパックになったご飯24食分が届いた。1食を半分に分けることが出来、実際に半分ぐらいが1食として丁度いいので、私には48食分になる。生協をやめた話をしたら、友人がご自分がとても重宝にしていると推薦してくださった。これでお米の問題は解決できたようだ。そして午後、やっと見たいと思っていた映画、「クロワッサンで朝食を」を「アルテリア・シネマ」で見ることが出来た。友人がブログに長い、思いを入れた感想を書かれていた。都心で上映されて大入りになるような映画はこの映画館には回ってこないので、この機会を逃したくないと思いつつ、時間が限られているのでなかなか余裕がなく、今日の最終回にやっと間に合った。監督はエストニアの新鋭イルマ・ラ―グ、ちょっとした筋立てをいつものようにパンフから引用させてもらうと「初めてパリにやってきた家政婦アンヌと、裕福だが孤独な老婦人フリーダ。住む世界の違う2人が出逢い、再び人生が微笑み始める―。心の奥に温かな灯をそっと点す感動の実話。」とある。実話というのは、監督の母上の話が基になっていることのようだ。バルト三国のひとつエストニアは、パリへのあこがれが強いのだろう、エストニア出身でありながら自国を蔑視するフリーダ、今回が初めてのパリではあるが、若いころからパリに憧れていたアンヌ、パリを囲む国々に生きる人々の人間模様もテーマのひとつになっているのだろう。富豪の老婦人を演じる85歳のジャンヌ・モロー、この映画はこの人なしでは成り立たなかったであろうと思わせるようなすばらしい演技だ。難しい問題を提供しているわけではなく、人間の心の奥に潜む優しさのようなものが心に迫ってきて、ああ見てよかったと思える映画だった。又アンヌがさまようパリの風景も美しい。

画像は、「Made in Occupied Japan」の招待状から。


テレビ

2013-10-03 09:10:40 | 日記
October 3, 2013

どうもわが家の電化製品は寿命が迫っているらしい。テレビがおかしくなったのでラジオを聞くようになったら、こちらもNHK第1に限って雑音が入る。コンクリートの部屋なので、どうしても室内アンテナだけでは無理があるのかもしれない。といったわけで、小さいテレビをアマゾン経由で購入した。何年か前「地デジ騒動」があって誰もが液晶テレビに買い替えた時には、既存のテレビにチューナーをつけて済ませたので、薄型の液晶テレビは初めてだ。 22インチと小さいが、BSも入り、これで十分だ。こんな小さな買い物でも、何か幸せな気分になる、とここまでは良かったのだが、今あるテレビとチューナーの処分で面倒なことばかりが続いた。いつもならもう少し詳細にこの顛末を書くのだが、今日はそんなエネルギーがない。ご想像下さい。

昨日の点訳の会の例会へ行く電車の中で、村上春樹『パン屋再襲来』という文庫本を駅前の書店で買い、読んだ。数日前に子守歌代わりに聞いていたラジオの初級英語か何かの時間に、村上春樹の『象の消滅』がテキストに取り上げられていた。途中で眠ってしまったのでよくは覚えていないが、面白そうだったので、この短編が含まれている本書を選んだ。村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は、短編ながら、これまでの私の人生で衝撃を受けた本の中の数冊のうちの一つにはいる。たしか初読みは病院の眼科の待合室だった記憶がある、その後も何度も読み返した。しかし『海辺のカフカ』あたりから私にはつまらなく思えはじめて、『!Q84』も読みはしたものの失望の連続だった。ブローデイガンの焼き直しのようなところもみえて、少し嫌気さえ感じていたなか、先達てのブログで触れたカポーティの『誕生日の子どもたち』の訳者が村上春樹で、翻訳文体に好感が持てた。そしてこの短編である。この本は表題の短編を含めて6編からなっていて、『象の消滅』は2番目にある。まずこれから読み始めた。文庫本で30ページ余のこの短編を読んで、今までいらいらして近づけなかった村上春樹の世界につま先を入れることが出来た感じがした。あのデビュー作の時と同じ小さな感動を覚えている。短編であり、興味を感じられたら読んでいただければいいことなので、あまり筋立ては書かずに、次に少し引用させていただこう。今この本を読めたことが、私にはとてもうれしいのだ。

 象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持になる。何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果との間に差異を見出すことができなくなってしまうのだ。ときどきまわりの事物がその本来正当なバランスを失ってしまっているように、僕には感じられる。あるいはそれは僕の錯覚かもしれない。象の事件以来僕の内部で何かのバランスが崩れてしまって、それでいろんな外部の事物が僕の目に奇妙に映るのかもしれない。その責任はたぶん僕の方にあるのだろう。  (村上春樹『パン屋再襲撃』文春文庫)

画像は、昨日の例会の帰りに空を見上げると、大きな虹が出ていて、思わず携帯で撮った。代々木公園の木々が美しい。