私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

去りゆく年 に

2015-12-30 10:00:00 | 日記

December 30, 2015

毎年かわらずに新しい年を迎えられることができればそれにこしたことはないが、年をとるとそうもいかない。私は、右目が使えなくなるというアクシデントに見舞われた。しかも治る見込みはないことも分り、しばらくは気落ちした。しかし、長年酷使してきた身体が生まれたときのままであるはずはない。こんなことを考えているとき、突然、全体像は全く覚えていないが、無実の罪で裁かれている主人公が、「まだ最高裁がある」と叫ぶ映画の1シーンが頭をよぎり、唐突なようだが、「まだ左目がある」という私の心の叫びと重なった。言い訳をせずに、さらなる進歩のある日常を目指したい。

私のブログを覗いてくださっている若い友人からメールをいただいた。思い起こすと、私のブログ歴も10年に近づいている。サイトはごく近しい方にだけしか知らせていない。この友人は、点訳関係でサイトをお伝えしているお二人のうちの一人だ。携わっている点訳の会が違うのでお会いすることはほとんどないが、何かの節目に、「ブログ」の内容にに関連してメールをくださる。うれしい便りである。突然10日以上更新ができないこともある怠け者のブログだが、独り身の私、どこかでどなたかとつながっているという安心感がある。さらに言えば、人は日常の出来事を誰かに伝えたいという気持があるものだ。家族がいれば、また多様な人間関係の中で暮らしてている人ならば、たわいないおしゃべりの中で充足していく日々であろう。こんな気持ちを埋めてくれるのが、私のブログの役割なのだ。

さて、今年も明日で終わりだ。一夜寝ただけで何かが変わることはないのだが、新しい年をまあまあ元気で迎えられるであろうことを良しとしよう。読む本が目の前に積み重なっている。まずは、今年読もうと思っていながら読めなかった古典や話題の図書など、図書館をフル活用させてもらって読んでいきたい。読書会での新しい本との出会いも楽しみだ。つたないブログを覗いてくださった方々に感謝し、皆さまが新しい年を元気に迎えられることを祈ります。

画像は、何気なくテレビをつけたら目に入ってきた、有馬記念競馬の画面。出場した馬の姿があまりに美しかったので、思わずデジカメで撮った。この馬は一番人気だったので何回も画面に姿を見せていた。競馬に興味はないが、この美しい姿には魅せられた。


若返った1日

2015-12-26 09:33:22 | 日記

DEcember 25, 2015

今年はもう東京まで出かけることはないと思っていたのだが、思いがけず友人から電話があり、今夜6時からの音楽会のチケットがあるので行きませんかというお誘いだった。ライブは久しぶりだし、また、おっくうがっていると家に閉じこもりになるので、できるだけこういったお誘いには参加させてもらうことにしている。というわけで、まだ用事が残っているという友人とは携帯で連絡し合うことにして、昼食後すぐに家を出た。デパートの洋服売り場を見るのは本当に久しぶりのことだ。もちろん買う予定はないが、たまには目の保養にと思って見て回った。驚くことにほとんど人がいない。通路を歩いているだけで、ブランド店の店員さんが声をかけてくる。こんな状態で採算が取れるのだろうかといらぬ心配をしつつ、あまり面白くないので、10階の書店に行く。

夏ごろに一度人と待ち合わせに書店の隣のカフェでコーヒーを飲んだことがあった。その時はあわただしかったので、ここにある三省堂が少し様変わりしたものだと思ったままだったが、今回ゆっくり探索して驚いた。今年2月に三省堂は閉店し、有隣堂と楽天がジョイントしている、書籍・雑貨・カフェの複合型店舗になっていたのだ。カフェに店の本を持ち込んで読むことも可能だといった案内がある。しかし本はあってもいわゆる本屋ではない。つまり書籍がコーナーに分かれて並べてあり、ゆっくり見て回るという以前の本屋さんのイメージはない。確かに私も最近、本は図書館かアマゾンを利用していて、書店は、駅構内の本屋を覗くくらいだ。ニーズに合わせて書店が様変わりするのは当然だろうが、あの三省堂がなくなったのは淋しい。

友人からの連絡を待つ間、そのカフェで、持参した本・加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』(岩波新書)を読む。本を読む目的で設定されている店なので時間は気にしなくて済む。すっかり本にのめり込んで2時間ほど過ごしたら友人から電話があり、チケットの関係があったりしたので、音楽会はやめて友人宅に押し掛けさせてもらうことにした。若いときには感じなかったことだが、たとえコーヒーを飲んでいても街の中では気分が休まらず、少し疲れてきた。新宿から目黒に出て、目黒線で友人宅のある田園調布まで行き、友人宅に着いてやっとくつろげた。結局チケットの手はずはついたのだが、遅くなってしまったので、友人のお手料理の夕食をいただいて、8時過ぎにお暇した。チケットを工面してくださった友人の知り合いの方には申し訳なかった。またプログラムにあったチャイコフスキーの「くるみ割り人形」や「ヴァイオリン協奏曲」」が聞けなかったのは残念だったが、こんな日があってもいい。12月末とは思えないような暖かい夜で、わが家に帰ったのは9時を過ぎていた。どういうわけか気分が爽快で、若がえったように感じる。ストレス解消とはこういうことなのか。

画像は、今年最後の紅葉。近くに公園で撮った。あまりいい写真がない。

 

 


電子辞書

2015-12-24 10:17:24 | 日記

December 24, 2015

辞書を引くことが多い。英語は『小学館プログレッシブ英和中辞典』を、日本語は『岩波国語辞典』と『広辞苑』を使っている。字が小さいのでルーペが必要なうえに、、重い『広辞苑』を取り扱うのも一苦労だ。そんなことを、点訳の勉強会で訴えたところ、皆さんから一斉に電子辞書を使っているという返事が返ってきた。電子辞書が世に出回り始めた頃、私は自営の英語教室を開いていて、特に英語の場合、辞書で用例を見ることの大切さを感じていたので、この機器が好きになれなかった。その偏見はずっと続いていた。しかし現在携わっている「辞書パソコン点訳会」では、電子辞書が義務づけられているとのこと、私は遅れて入会したので知らなかった。というわけで、「電子辞書」を買うことにした。ところが世の中の進歩は速い。今やいろいろな端末装置が出そろっていて、電機店では、電子辞書は片隅に追いやられている状態だった。今電子辞書を買うことが最適なのか少し躊躇した。また、どうせ買うならビジネス用の最新のものをと考えると、結構な値段がする。

で、いろいろ考えた末、パソコン同様、機器に含まれているコンテンツを使いこなすことは不可能だと思い、まずは辞書としての機能だけを考えて、高校生用で型式が少し古く、40パーセント近く値引きしているものを、アマゾンで購入した。早速使ってみると、これが素晴らしい。まず画面が明るいので裸眼で十分見える。たまに原書で小説を読むとき単語帳を作っているが、これも電子辞書の中に作って保存できる。いろいろ見ていたらラジオ体操があったので、なかなか継続できない体操も、楽しく出来そうだ。眼に自信がなくなってきている時、音声はとても助かる。すっかりご無沙汰しているロシア語も、日常会話程度ならば音声で聞くことができる。その予定はないが、ロシア語の辞書も追加コンテンツの中に入っている。牛の歩みのような日常ではあるが、この小さな機器を使って生活を楽しめるような気がしてきた。もちろん点訳にはとても役立っている。

画像は、図書館構内にある花壇で撮った。


『ロゴスの市』

2015-12-20 08:07:03 | 日記

December 20, 2015

ラヒリのイタリア語習得に関するエッセイを読んだ後に、それと交換のように図書館で借りてきた本、乙川優三郎『ロゴスの市』(徳間書店)が、題名の示すように言葉を扱っている偶然が不思議だ。しかし、ラヒリと乙川の結びつきは偶然ではない。ラヒリが『停電の夜に』で作家デビューしたとき、乙川もそれを追うように短編集『トワイライト・シャッフル』を出している。残念ながらこれはラヒリの短編集には及ばない作だったが、乙川がラヒリの登場を意識していたことはわかる。本書でも、日本語に翻訳する対象となる作品として、ラヒリの名が登場している。

本書は、翻訳家として働く男性と、同時通訳として働く女性の恋愛小説である。私は、凡庸な結末で終わる恋愛の話よりも、多分小説家になる以前の著者の体験から来ているのだろうが、翻訳家が二つの言葉を文学という制約の中であやつることの難しさが伝わってきて、興味深かった。昨夜夜更けまで読み、今日も午前中に読み続けて読了した。右目がほぼ失明状態の中でこれだけ集中して本が読めるエネルギーがあったことに自信がついた。

私が乙川優三郎の作品を知ったのは、朝日新聞の連載小説『美しき花実』が最初だった。時代小説には全く興味がなかったので、乙川の名前すら知らなかった。素敵な挿絵とともにこの小説を読んだ日々は、今でも鮮明に覚えている。それほど印象に残った作品だった。その後乙川作品を読み続け、大佛次郎賞を受賞した、この作家の最初の現代小説、『脊梁山脈』も当然読んだ。しばらく乙川の作品から離れていたが、私が感動した、『美しき花実』の最後で、女流画家の主人公がさらなる飛躍を求めて江戸に旅立っていくシーンのような迫力が、今の乙川の作品にはないと感じた。ジュンパ・ラヒリはこれから書いていく人、乙川は、何か大きな転機がない限り作品が枯渇していくのではないか。本書を読んでの私の生意気な感想である。

画像は、たまプラーザのショッピングセンター内で撮った。


ひと、人、他人。

2015-12-19 13:49:05 | 日記

December 19, 2015

東京まで出かける用事が重なったりして、出入りの激しい月はじめだった。私のようにひとりで生活している人間は、自分から率先して人と交わる方法を考えないと、どんどん孤立していってしまうが、人との関係も少しうっとうしくなることもある。人の言葉に傷ついたり、他人にざらついた言葉を発したりする自分の姿が悲しい。老いてから品性を保つことの難しさを実感する。しかし、面倒だと思う人間関係も、思いがけない人との巡り合いもある。今続けている辞書点訳の会の方たちは気持のよう方ばかりだが、とくに、こんな方もいるんだなと思う人がいる。年齢(私と同年齢)は別にして、まず容姿が美しい、それに言葉遣いがきれいで、何事にも謙虚だ。私のつたない点訳ファイルの初校をほとんど引き受けてくださっている。ミスの多い私の点訳について誤ると、ほとんどミスのないご自分の点訳を、「私もミスが多くて…」とおっしゃる。今日もウォーキングの途中でメールが入り、私のお願いした校正が遅くなって、今日発送したので月曜になるとのこと、こんなご連絡を下さる方はいない。別の方からではあるが、私がお預かりしている校正はまだ手元で未完成のままなのに。いろいろと見ならうことが多い。

さて、膝の違和感があったりしてしばらく休んでいたウォーキングに出かけた。少し遠出をしたかったけれども、北風が冷たいのでいつものコースを歩くことにした。景色はもう本格的な冬である。駅をひとまわりして図書館に立ち寄り、読み終わったジュンパ・ラヒリの本を返し、届いていた本、乙川優三郎『ロゴスの市』(徳間書店)を借りる。ラヒリの『べつの言葉で』は、エッセイなので、読み物としては特別なものではないが、イタリア語習得の過程や言葉に対する考え方を読んで、勇気づけられることが多かった。手元に置いておきたい本だ。その語を使って小説家として成功している母国語と言ってもいい英語を捨ててまで、アイデンティティ―を求めてイタリア語にのめり込んで行く姿は、すごいなという一言しかない。いずれにしても、「私は何者なのか」という問いは、言葉とは別のところでも存在する人間の永遠のテーマであると思う。ラヒリの本についてしつこく書いてしまったが、乙川の本を読むのは久しぶりだ。盆も正月もない身なので、何冊か本を読めるのがうれしい。友人からお借りした、カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)もある。分厚い本なので、丁寧に読もう。

画像は、図書館前の庭で撮った。


言葉

2015-12-16 13:37:26 | 日記

December 16, 2015

50代の初めごろ首の後ろにあった脂肪の塊のようなものを手術で取り除いて以来、肩こりからは完全に解放されていた。今回右眼が役に立たなくなってから、眼が原因であろう肩こりがひどくなった。首筋も肩も背中全体にまで及んでいる。今年も残り少なくなった。この問題の解決は来年に持ち越すことになるだろうが、眼の回復が望めない以上、肩こり解消と本格的に取り組まなければなるまい。

12月10日に今年最後の点訳の勉強会があり、何とか今年の目標である400ぺ―ジまでは完成できることになったとキャップから報告があった。点訳も大変だが、そのあとの三校までの校正が日にちを要することを改めた実感した。英和辞典の点訳に、2年遅れで参加してちょうど1年経った。やっと皆さんに追いついた感じでいる。何度もこのブログで書いてきたことだが、何事も全体像をつかむことが大切だ。細部に疑問点があっても、それはその都度覚えていけばいい。まあそんな状態である。

一段落したところで、図書館から借りてきた、ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(新潮社)を読みはじめた。ラヒリの本は、いくつか読んできた。特に『低地』は、ブログにも書いたが、今年読んだ本の中で印象に残ったものだった。ラヒリは両親ともカルカッタ出身のベンガル人で、幼少期に渡米し、大学、大学院を経て小説家になった女性だ。家庭内ではベンガル語、家を出ると英語という環境から逃れるようにイタリア語を習得し、家族(夫と息子2人)でローマへ移住するまでに至る。本書は、イタリア語で書かれていて、イタリア語を習得するまでのプロせスについてのエッセイと、イタリア語で書いた短編が収められている。まだ読み終えていないが、外国語の習得について、何か突き動かしてくれるものがあった。私は長く英語を勉強してきたつもりだが、まったく中途半端である。しかし、ラヒリのイタリア語習得の奮闘記を読んでいると、もう一度バイリンガルに挑戦してみようかという気持になる。本書の題名のように、別の言葉が身体中にあふれたとき、人はどのように変われるのか、あるいは変わらないのか、そんなことを考えながら続きを読んでいる。エッセイの中のひとつにある、言葉について書かれた文章にまったく同感したので、次に引用させてもらう。

 もうかなり上手にイタリア語がしゃべれるようになってはいるが、話し言葉は助けにならない。会話は一種の共同作業を伴うものなので、多くの場合、そこには許しの行為が含まれる。話すとき、わたしはまちがえるかもしれないが、何とか相手に自分の考えを伝えることができる。ページの上ではわたしは一人ぼっちだ。より厳格で、捉えることが難しい独自の論理を持つ書き言葉に比べれば、話し言葉は控えの間のようなものだ。(ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』新潮社)

画像は、散歩の途中通る公園で。


読書会

2015-12-08 19:41:28 | 日記

December 8, 2015

友人宅での読書会と忘年会、有意義で楽しい1日だった。本は、村上春樹『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)。サラリーマンだった主人公ハジメは、結婚した女性の父親から資金援助を受けて2店のジャズバーを順調に経営し、2人の娘にも恵まれ何不自由のない生活を送っている。しかし、心に満たされない欠落を抱え、その欠落を埋めるものとして、中学生の時に仲の良かった女性との再会があった。村上作品に出てくる異界が、今回はこの女性である。今の生活を捨てて死の世界へ女性と旅立つ決意をしたところで、女性が去っていき、主人公はもとの生活に戻っていく。本書の概略である。

もちろん本書は私小説ではないが、村上春樹は、自分が異界を卒業したことをこの作品に込めたのではないだろうか。そして、その後の作品は、心に何らかの欠落を抱えてさまよう人たちのために書いているのではないだろうか。私は、これまでに村上春樹の作品を何冊も読んできたが、今スタートに立った気持ちで読み続けていきたいと思っている。この作品は、分りづらかった村上作品を解読する道を開いてくれたようだ。読書会のメンバーの皆さんの言葉も大いに力になった。次に、少し長くなるが、本書の最後のページに近い部分を引用させていただく。

 自分の中にこれから先ずっと有紀子や子供たちを守っていくだけの力があるのかどうか、僕にはまだわからなかった。幻想はもう僕を助けてはくれなかった。それはもう僕のために夢を紡ぎだしてはくれなかった。空白はどこまいでいっても空白のままだった。僕はその空白の中に長いあいだ身を浸していた。その空白に自分の体を馴染ませようとした。これが結局僕のたどりついた場所なのだ、と思った。僕はそれに馴れなくてはならないのだ。そしておそらく今度は、僕が誰かのために幻想を紡ぎだしていかなければならないのだろう。それが僕に求められていることなのだ。そんな幻想がいったいどれほどの力を持つことになるのか、わからなかった。でも今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう―たぶん。(村上春樹『国境の南、太陽の西』講談社文庫)

画像は、妹のメールから、名前は分らない。

 


映画「夏をゆく人々」

2015-12-05 15:41:40 | 日記

December 6, 2015

12月5日(土)
「アルテリオ・シネマ」で、岩波ホールから降りてきた映画「夏をゆく人々」」を見た。まずはあらすじをパンフから。「イタリアの若き才能、ロヴァケル監督のカンヌ映画祭グランプリ受賞作! 光と緑あふれるイタリア中部・トスカーナ州周辺の人里離れた土地で、昔ながらの方法で養蜂を営む一家の物語。ジェルソミーナは4人姉妹の長女、自然との共存をめざす父ヴォルフガングの独自の教育と寵愛を受け、今や父よりもミツバチに精通している。家族は自然のリズムの中で生活を営んできたが 、夏、村にテレビ番組「ふしぎの国」のクルーが訪れ、一家がひとりの少年を預かった頃から、日々にさざなみが立ち始める―。」

ジェルソミーナを演じている少女の美しさが際立っていた。トスカーナ地方の美しい景色、大人への階段を上る前の少女のひと夏の情景、いい映画だった。ただ、私のように1ヵ月に1本程度しか映画を見ない者にとっては、少し物足りなかった。今月は、普通の映画館で上映されている「黄金のアデーレ 名画の帰還」 を見たいが、上映期間中に時間が取れるか未定。

12月6日(日)
学生時代の友人と久しぶりに会い、ランチを共にしおしゃべりをして楽しい時を過ごした。先にブログで触れた村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』に、「…真の紳士は自分の健康法について、人前でペラペラしゃべりまくったりはしないだろう。」というくだりがある。私たちはは紳士ではないだけでなく、このくらいの年齢の者が集まると健康を話題にする普通の人である。やはり、年齢と共に背負っているいろいろな身体の症状についての話が中心だった。また、人は変わらないということも実感した。私は最近運命論者なので、自分の人生について悪あがきはしないことにしているが、この運命でさえどこかで自分が支配しているのだと感じる。 変わらないそれぞれの姿の友人たちに自分の姿を写して、そう感じた。

画像は、映画のパンフから。


日々続けていれば、

2015-12-03 16:15:03 | 日記

December 3, 2015

午後、雨がやんだので冬のコートを着て駅前まで出かけた。銀行と郵便局により必要な支払いを済ませ、京王アートマンで、プレゼント用のガトーショコラに必要な直径18センチの紙の焼きがたを買う。5枚入りだ。年内に少なくとも2個は作る予定だ。同じ建物の地階にある100円ショップでケーキボックスを買う。この店はいつもレジに行列が出来ている。私も掃除用品をはじめいろいろなものにこの店の品物を利用している。改めて便利な場所に住んでいることがありがたいと思う。

今日はウォーキングはしなかった。少し右足のひざに違和感があり、年齢的に毎日歩くのは負担があるのかもしれない。マックではなく普通のコーヒーショップでコーヒーを飲みながら、持参した村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)に目を通す。まえがきにこんなことを書いている。

 サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこに何かしらの観照のようなものが生まれるということだろう。僕もモ―ム氏の説に心から賛同したい。だから物書きとして、またランナーとして、走ることについての個人的なささやかな文章を書き、活字にしたとしても、それほど道にはずれた行いとは言えないはずだ。(上記の本より)

モ―ム氏の言葉は私にも大切に思える。ただ日々続けることそのものが難しいから、3日坊主といった言葉も生まれるのだろう。読みはじめたばかりの本書の中で、村上氏がどんな話を展開するのか分らないが、私は年齢を頭に置きんがらウォーキングを習慣づけていこうとは思っている。帰宅して、友人と電話で少し話をした。彼女は「広辞苑」の点訳に携わっている。無理のない程度に、というのが私たちの共通認識である。しかし、辞書を丹念に読むというあまり日常の中にはないことを、私の場合は英和辞典であるが、点訳という宿題があるからこそ続けられるのである。何かに少し後押しされながら、日々何かを続けていく、それをよしとしよう。

画像は、妹のメールから、「ヒメツルソバ」。