私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画「夜明けの祈り」

2017-09-27 10:25:24 | 日記

September 27, 2017

夕方5時から始まる映画「夜明けの祈り」を見るために、アルテリオ・シネマに出かけた。風邪は治ったが、なんとなく気分がすぐれない。家にばかりこもっていたからかもしれない。帰りは7時過ぎてしまうが、この機会を逃すともう見れない映画だと思い、日暮れ近くなってから家を出た。セザール賞など数々の映画賞を受けた作品だ。あまり宗教色の濃い映画は避けたいと思っているが、久しぶりに映画を見たという実感がした。簡単に内容を紹介しよう。1945年12月のポーランド。赤十字の施設で負傷兵への医療活動を行う若いフランス人医師マチルドのもとに、悲痛な面持ちのシスターが助けを求めてやってくる。修道院でマチルドが目にしたのは、侵攻してきたソ連兵の蛮行によって身ごもり、信仰と現実のはざまで苦悩する修道女たちだった。

これは、実在したフランスの医師の物語だという。戦争というものが持つ犯罪、悲劇が、宗教というベールの中で癒されていく。若いころ見たならば疑問を感じたであろう映像が、ポーランドの雪で覆われた深い森、修道女たちの歌う祈りの声の中で、なぜか荘厳な気持ちに代わっていき、些細なことに不寛容な自分の日常を振り変えさせられた。人の生を支えているものは何なのだろうかということを深く考えさせられもした。暮れてしまった街を帰宅する道すがら、修道女たちが歌う祈りの声がいつまでも耳に残った。

画像は、住まいのある団地の庭で撮った。


季節感の乏しい日常

2017-09-20 08:14:55 | 日記

September 23, 2017

9月もそろそろ終わりに近い。振り返ると、今年の夏はいつの間にか過ぎていった感がする。何かに追われているようにあちこち整理をしたり、処分しようと思い玄関先に積み上げた本の類がそのままになっていたり、結局何もしなかったのと同じ状態にある。風邪も治りかけてきたし、明日は久しぶりの点訳の例会で武蔵境まで出かける予定がある。ゴロゴロ寝たり起きたりしていたので体がシャキッとしないが、元気を出していこう。

9月21日(木)
午後1時から始まる例会の前に、武蔵境駅前にある上島珈琲店でサンドイッチとコーヒーでランチをすます。外で食べるものは何でもおいしい。8月がお休みだったので、皆さんと会うのは久しぶりだ。こういった会に所属できなくなる日が近いような気もするが、コミュニケーションは大事だ。疑問点を出し合ったりしていると元気が出てくる。風邪を引きずっての出席だったが、楽しかった。北朝鮮の問題など、世界は動き始めている。まったく意味のない総選挙など、今の政権の思いのままの政治もしっかり見つめていきたいが、頭がはっきりしない。まず健康を回復しなくては。同じような言葉の繰り返しのブログは、自分でもいや気がさしている。図書館に予約してあった本が届いたようなので、新し言葉が見つかるかもしれない。

画像を探す余裕がないので、今回は無しにします。


風邪でダウン

2017-09-19 08:16:45 | 日記

September 19, 2017

長い旅から帰ってきたような気分でパソコンに向かている。9月12日にタマプラーザで友人と会って借りていた本を返し、新たに、井上ユリ『姉・米原万里』(文芸春秋)を借りて、少しおしゃべりをして帰宅した。自分で買って読むようなことがない本だが、こうしてお声をかけていただいて新刊のハードカバーの本を読めることはうれしい。住まいからバスで30分ぐらいのところではあるがここは横浜市、私の住む川崎市とは違う空気が流れたいたのか、この日を境に重篤な風邪にやられてしまい、本当に苦しい日々だった。何とか自力で治そうと売薬の風邪薬を飲んで耐えていたが、咳がひどくなり血痰のようなものも出たりしたので、とうとういつもの病院で診察を受け、痰の切れをよくする薬とのどの炎症と出血を抑える薬を出してもらった。肺炎の心配はないということだった。まだ咳は残ってはいるが、救急車を呼ぼうと思ったほどの苦しい日々から脱出できた。

長年風邪などひいたことがなく、軽い鼻かぜぐらいに思っていたのが良くなかった。こんなとき一人暮らしはつらい。しかし何とか乗り越えられた。また学ぶことも多かった。今日の新聞では、年寄りの一人世帯でゴミ出しの問題が話題になっていた。もちろんこれも直近の問題だが、生活していくうえで自分で済ませていた事柄を人頼みにすると考えたらとても無理な話だ。いっそ入院したい気分だがこれも許されない。私の抱えている問題は長寿化しつつある日本の現実でもあるだろう。しかし、80歳になって突然こういう状況が訪れたわけではない。これまでに蓄えてきた知恵を働かせて、なんとかできるところまで自力で行くよりほか仕方がない。周りを見回せば、頭が床につくほど腰の曲がった老人が一人で買い物をしている姿が目につく昨今だ。弱音をはいてはいられない。生きていることの意義を求めながら、なんとか頑張っていきたい。

画像は、友人のメールから「窓辺のゼラニューム」。


パソコンやスマホに操られて

2017-09-06 13:53:16 | 日記

September 7, 2017

いつの間にか9月に入っていた。まだ残暑はあるだろうが、ここ数日いやに寒い日が続いている。秋の訪れは物悲しい。まして私たちの年齢になるとなおさらだ。忙しいわけではないが、暇でもない。何しろひとつひとつに行動が遅いので、1日が過ぎるのが早く感じられる。ここ数日はスマホの故障やら、新しく買い替えたパソコンの使い勝手などで、メーカーとの長電話が続いた。

今まで使っていたパソコンは、インターネットを使わずに点訳だけのワープロ使用で使うことにした。人が聞いたら何でもないことのようでも、これがなかなかうまくいかない。同じ部屋ではあるが机を別にしたことでやっと問題が解決した。今日は、次回の読書会の本、小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)のレポーターになっているので、少し腰を落ち着けてまとめにかかった。午後中かかってほぼ目星がついてほっとしたが、レポート用紙に鉛筆で文字を書いていると、キーボードが恋しくなる。車をやめたとき、道を歩きながら、スケータでもいいから自分の体を助けてくれるものが欲しいと思った感覚に似ている。

次回の読書会は、なかなか日にちの調節がうまくいかず、10月10日まで伸びてしまった。たった4人でも、それぞれ抱えていることがあるので、みんながそろって1日空けるとなると難しい。まあこうやって無理をせずにそれぞれの生活を優先させてきたことが、この読書会を長続きさせた要因だと思っている。古いパソコンを買い替えたのは、ブログをスムーずに書きたいということもあった。英字と日本語の文字がうまく反応しなかったり、すぐに動かなくなったりの連続だった。それなのに新しいパソコンになったとたんにブログを書く意欲が低下してしまった。日常があまりにもマンネリ化しているからかもしれないが、昨日と今日、今日と明日、やはり何か違いがあるだろう。そんなものを探しながら、覗いてくださる方には代り映えのしないもので申し訳ないが、もう少し続けていこう。

画像は、図書館の庭で撮った