私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

101歳の画家

2017-06-29 16:05:39 | 日記

June 28, 2017

湿度が高く、朝から体調が悪い。でもこういう日こそ励まなければと、少々大げさな言い方だが、自分にムチを打つ。預かっている英和辞典の799ページからの10ページの点訳にずいぶん日にちがかかっている。無理をすることはないと高をくくっていたが、さすがに気になりだしてきた。というわけで今日は朝からパソコンに向かい、集中力、集中力と唱えながら、最後のページまでたどり着いた。見直しに時間がかかりそうだが、次回の例会には何とか間に合いそうだ。何しろ3ヵ月近く手元に置いといたのだから、大きなことは言えない。2337ページある辞典、皆で手分けして点訳しているとはいえ、本当に完成の日が来るのだろうか。今週の日曜日のNHKのテレビ番組「日曜美術館」で見た101歳の画家入江一子さんの姿、また作品のすばらしさが頭から離れない。すぐにブログにと思いながら今日にいたってしまった。記憶を頼りに振り返ってみよう。

6月25日(日)
画家・入江一子。背中が曲がり、周りの人の助けはあるものの、100号のカンバスに向かうと、年齢などは消えていく。まず色の美しさ、物語を感じさせる構図、これは、以前旅されたシルクロードが題材になっていた。中国の奥地でやっと出会えた青いケシの花、その時馬に乗って山中を進まれた時のご自分の姿が、画面に投影されている。シルクロードの建物や人々を描いたこれまでの作品もたくさん紹介されていた。ゴッホやセザンヌなどの印象派の画家の展覧会などを追いかけていた若い頃、日本のこんなに素晴らしい画家の展覧会に1度も足を運んだことがなかったことが恥ずかしいと思った。シルクロードの一部が旧ソ連領だったころ、船でナホトカまで行き、土地の小さい飛行機を乗り継いでこの地を旅した日々が、懐かしい思い出として頭をよぎった。ブハラのミナレットも、イスラム教の寺院の空に溶け込むような青いドームも、ピンクや黄色や青色の衣服を着た土地の人びとの姿も、記憶の中にある風景が、映し出される画家の作品の画面に、輝いて存在していた。
 
1917年は、体の不調を嘆いている間に、半分が飛ぶように過ぎ去ってしまった。5人姉妹で集まり、古都・奈良を訪れたこと、大学の頃の友人と久しぶりに出会えたこと。しばらくたって振り返った時、全く記憶の中から消えているか、それとも懐かしく思い出す年になるか。そろそろ次回の読書会が近い。次回の次は私がレポータなので、何か本を決めておきたい。今日の朝日新聞の「論壇時評」を書いている小熊英二氏の作品を何か読んでみてもいいかもしれない。最近の政治の姿を見過ごさないためにも。
 
画像は、毎年登場させている「夏椿」。今年は住まいの団地の玄関先にあるものを携帯で撮った。

空梅雨

2017-06-23 14:04:30 | 日記

June 25, 2017

6月22日(木)
点訳の例会の日、午後1時からなので、ゆっくり家を出てローカルで向かう。新宿という駅はますます通過点の駅になったと実感する。ふたつあるデパート、小田急と京王は、共に閑散としているうえに、デパートそのものが何かを改革しようという気がないようだ。時間の余裕はあったが、そのままJRに乗り換え、目的地の武蔵境まで行った。会場のある「武蔵野パレス」という場所で持参したサンドイッチを食べ、10人足らずのメンバーと勉強会を始めた。ストレスのない形でボランティアをしたいと思いあちこち寄り道をしたが、この会にたどり着けて良かったと思う。皆と一緒にランチを食べたりお茶をしたりという時間がないことが、できるだけビジネスライクにという私には適している。さらに皆さんとても気持ちのいい人ばかりだ。それぞれの歩んできた人生はさまざまだろうが、そんなことは全く抜きにして、いまやっている「英和辞典点訳」ということで意思の疎通ができ、忌憚のない語り合いもできる。80歳を契機として何か新しいことに挑戦したいという気持もあるが、骨折以来体力に自信が無くなっている。まずは点訳中心の生活に喜びを見出して行こう。

6月24日(土)
胸椎圧迫骨折については、毎週土曜日に骨量を増やす注射を受けていて、1ヵ月半に1回ほど医師との面談がある。今日はレントゲンをとると伝えられていた。診察室で、昨年10月に撮ったものと今日のものとが並べられた写真を見たが、特に変化なしという医師の言葉だ。今年に入って胸のあたりにたえず感じる異和感はなんなのだろう。背骨が曲がることによって胸の方に影響が出ているのではないかという私の予測には、はっきりした回答が得られなかった。こころもとない気がするが、しばらく現状維持でいくことにする。このブログを書いている25日の朝日新聞の天声人語の、小林真央さんが、がんで亡くなられたことに触れた文章の中に、「がんに限らず『病と生きる人生』はいつでも訪れる」という言葉があった。健康だったときの自分を取り戻したいという気持ばかりに走ってしまうことへの警鐘だ。現実を受け入れて、今できることを精いっぱいやり続けることが、健やかな自分を取り戻すことにつながるのだと知らされた。

画像は、「あじさい」。散歩の途中で立ち寄った友人の庭に咲いたお花をたくさんいただいてきた。花は束にしてビンに挿すととても豪華だ。葉のついた茎の部分を、いくつか挿し木にしてみた。今年は、梅雨入り後晴天が続き、「空梅雨」という表題にしたが、今日あたりからやっと梅雨らしくなってきた。大雨で被害に遭われている方々の無事を祈りたい。


乙川優三郎『R.S.ヴィラセニョール』

2017-06-18 09:53:10 | 日記

June 18, 2017

予約したのをすっかり忘れていた本、乙川優三郎『R.S.ヴィラセニョール』が届いたという連絡が図書館から入った。ハ―ドカバーの小説を読むのは久しぶりだ。いつもこの作家の本はつれづれに読むのに適していて、楽しく読ませてもらってきたが、眼を患ってからは小説を楽しむ余裕がなくなってきている。なんとか一気に読み終えたが、少し疲れた。ブログで触れようかと思いながら友人のブログを覗くと、本書について書かれていた。この方のホームページ上での海外への旅の旅行記がなかなか重厚で楽しませてもらっている。本書についてのブログも、いつものように深く読みこまれていた。読後の思いは同じようなので2番煎じになりそうだが、私も少し書いてみよう。

「R.S.ヴィラセニョール」は、フィリピン人の父と日本人の母の混血児である主人公の女性とその父親の名前だ。この父娘が主人公ということかもしれない。物語は、染色工房を持ち工芸展に入選して染色家としての道が少しずつ開けて行こうとしている主人公を中心に進む。近くに住むメキシコ人との混血児で、草木染めで糸を染めている若い男性との交友などもあり、混血児として体験するいじめや差別なども織り込まれていく。着地点が必ずあるこの作家の恋愛小説かと思いながら読み進めていくと、主人公(小説ではレイと呼ばれている)の父親の話に切り替わり、マルコス政権下での圧政の犠牲者としての父親の姿が描かれる。あの頃、圧政を逃れて日本へ亡命してきたフィリピンの人も多かったようだ。移民や難民の問題が大きく取り上げられ始めている現代、著者の乙川に何か意図するものがあったのだろう。

一つの問題提起を感じさせられる小説ではあったが、私は前半の染色家としてのレイの描写が、若い頃に少しかじったことがある型染めの世界を思い出させてくれた。この頃点訳ばかりに目が向いて、色の世界から遠ざかってしまってきていることが、なぜか悲しかった。水彩絵の具を出してきて眺めながら、今年80歳になっったのを契機として、水彩画を習ってみようかという気持になった。

画像は、友人のメールから、「ガクアジサイ」。


小説を読むように

2017-06-16 07:28:07 | 日記

June 16, 2017

いつものアルテリア・シネマで映画を見てきた。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、アカデミー賞の主演男優賞と脚本賞を受賞した前評判の高かった映画だ。ボストンで便利屋として働くり―は、兄の急死により、16歳の甥の後見人として故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに帰っきて、思春期の甥と共同生活をはじめる。リーが故郷を捨てた理由など、この一家にまつわる物語が、2時間17分にわたって、小説を読むように映し出されていく。回想場面を使って語られるリーの過去など、観終わってから少し考える余裕が必要だった。

映画では、アメリカの庶民の生活で起こるドラマが、海辺の光景の中で展開されていく。移民問題を抱えるヨーロッパの映画とはまた違った味わい深いものだった。アメリカの5年後は日本などと言われていたが、今はどうなのだろう。自分の不注意から起きた火事で赤ん坊を失くし、妻も怪我をして離婚し故郷を去ったリーの姿は、日本でも、日常のメディアから伝えられる様々な事件・事故の裏で繰り広げられることと共通するものがあるだろう。しかし、死に行く兄が、息子の後見人という形で弟に残した贈りもの、一編の小説にでもなるようなドラマが、短時間の映像という形で描かれる、これが脚本であり、また脚本賞を受賞しただけのものだとわかる。

チケットを買った時についている番号順に入場するという映画館なので、いつも少し早目に出かける。今日も2時間ほど空き時間があり、ロビーで、駅前の本屋で買った、恩田睦『まひるの月を追いかけて』(文春文庫)を読む。この本の隣に同じ作家の『夏の名残りの薔薇』という本があった。初めて読む作家だが、面白い。手軽に買える文庫本だ。いくつか読んでみようと思う。映画館を後にしたとき、午後5時を過ぎていてもまだ陽は高い。駅前でネギなどの野菜を買い帰宅した。家族がいる方が、夕食をうどんやパン食には出来ないと言っていたのをふと思い出した。私は独り暮らし、今日の夕食はうどんにしよう。

画像は、友人のメールから、「芍薬」。


ピーター・ブリューゲル

2017-06-08 17:02:25 | 日記

June 8, 2017

都美術館で開催されているブリューゲル「バベルの塔」展に行ってきた。「バベルの塔」はブリューゲルの最高傑作と言われており、日本で展示されるのは24年ぶりだそうだ。NHKの日曜美術館で取り上げられたこともあってだろう、地味な展覧会にしては混んでいて、平日なのに男性の姿も多かった。

私が若い頃に初めて古本屋で買った美術書の画家が、ピーター・ブリューゲル-だった。講談社アート・ブックスという小さな本で、奥付に昭和30年3月15日第1刷、定価150円とある。私が購入したのは昭和37年ごろのことだ。神田神保町「村上書店」のラベルが貼ってある。遥か昔に手に入れた、もう日焼けしてくすんでしまっている本は、なぜかいつも身近にある。「ベツレヘムの嬰児虐殺」や「冬景色」など、色はあせていても引き込まれる絵だ。

今回の展覧会は、「バベルの塔」がメインであるが、ブリューゲルに大きな影響を与えた先輩の画家、現実には存在しない奇想の世界を描いた、16世紀ネーデルランドの至宝・ボスの油彩画を見れたことはうれしかった。また、「バベルの塔」はさておき、ブリューゲルの画集のページをめくってみる機会が得られたことも収穫だった。この小冊子の解説を書かれている久保貞次郎氏のことばを、少し古いが引用させてもらおう。

ボッシ(ボス)の生きた15-16世紀は動乱の時代であった。民衆は残酷な政治、教会の圧制、えき病、き饉、戦争などにさいなまれ、人々は内心、激しい感情の振幅を持っていた。だからボッシのグロテスクはその頃の現実生活の反映でもあった。ブリューゲルは現実から目をそむけようとしなかったから、ボッシの怪奇が、かえってより現実的であることをみいだした。彼はこのリアリズムの精神をうけついで、初めてフランドルの画家から人類の画家へと発展した。そして、あの怪奇さをもっと正常な題材へとおし進めた。(講談社アート・ブックス(4)ブリューゲル)

どの時代にあっても芸術家は時代を敏感に感じて、それに抗する姿勢を持ち続けている。現代の日本に目を戻すとき、原子力研究開発機構の施設の無防備な体制や政治家の忖度など、政治が抱える欠陥が次々と暴かれているが、世の中は少しも動かないように感じられる。16世紀の画家が描く、支配者に苦しめられるあからさまな農民の姿はないとしても、何かもっと大きな格差の波が押し寄せているような予感がする。画家ならずとも、多くの芸術に携わる人々の姿勢が、後年この時代を象徴するものになるかもしれない。

画像は、妹のメールから「菖蒲」。