私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

100円ショップの包丁

2014-02-27 17:34:51 | 日記
February 27, 2014

2月26日(水)
突然欠け落ちてしまった歯の修理で歯科医に予約していた日がやっとやってきた。何しろ欠けてのは先月末なので、1ヵ月近く下の前歯が欠けたままで過ごしたことになる。型を取ってもらって3月7日に新しい歯を入れてもらうことになった。新しい歯、すなわち入れ歯である。隣の椅子で治療している男性が、インプラントを入れる件について、予算は300万円あるのですが・・・みたいなことを話していた。人の話を引用するのはあまりお行儀のいいことではないが、我が経済を考えて、私は、世の中のお金の基準外で暮らしているのだなと思ったりした。歩いて3分ほどの所にある歯科医の向かい側に100円ショップがある。徒歩で10分以内で大抵のことは済ませられる環境をありがたいと思う。さて100円ショップへは、包丁を買いに立ち寄った。100円の包丁は、歯止めがしていないので最初はものすごく切れがいい。もちろん危険なので要注意だが、毎年マーマレード作りに、この包丁を使う。夏ミカンの皮を細く切るのに包丁の切れ味ひとつで、めんどうな過程が半減する。今日は甘夏5個でマーマレードを作った。砂糖はちょうど1キロ使った。この量を考えると毎朝パンにぬるのも控えてしまうが、トーストにクリームチーズとマーマレードを塗って食べる朝食は、なかなかである。豚肉料理にジャムを使うこともある。

2月27日(木)
昨年暮れから引きずっていた理数点訳の預かっていた分が完成した。あとは点字印刷すれば終わりだ。校正してもらったり、ほかの人の分を校正したりしているこの1ヵ月ほどの間、あまり愉快な日々ではなかった。しかし、不思議なもので、やっと少しではあるが、大所高所から判断出来るようになった感じがする。そうは言っても、私はそう老い先は長くはないので、亀の歩みをしていたのでは間に合わない。もう少し楽しい人間関係を求めているのだが、無理かな。この理数の会のほかに、もうひとつ『医学大辞典』の点訳の会にも属している。こちらもやっと軌道に乗り出した。こちらは辞書なので、5校正まであり、5年がかりだという。しかし自分の分担のものは5年分わたされているので、これからは、こちらの方に専念したい。専門用語が多くてなかなか手ごわいが、皆が同時スタートで、という趣旨には賛同できる。

ここ数日暖かったが、また寒くなるという予報だ。友人のブログを覗くと、その読書量に驚く。こういう方を読書家というのだろう。ひるがえってわが身はというと、寄り道が多くてだめだ。集中力の点でも叶わないなと思いつつ、いくつかメモさせていただいて、図書館に予約した。来週はぜひ映画を1本見たいと思っている。

画像は、「椿山荘」の庭にある池の鯉、ここでは何もかもがゴージャスに見える。

全粒粉

2014-02-25 20:58:04 | 日記
February 25, 2014

最近パウンドケーキをよく作る。子育てをされてきた方たちは、昔はせっせと作ったけれど、もう面倒で作る気がしないとおっしゃる。まあ私も暇だからということもあるが、お菓子作りは料理の延長で、楽しい。以前まだ大きいオーブンがあった時は、「ク-グロフ」を作ったりしたが、今の小さい電子レンジ兼用のものでは、大したお菓子はできない。パウンドケーキも、お店で売っているようなしまった内容には仕上がらないが、まあいいか。

私がパウンドケーキを作るようになったのは、マーマレードを入れて作る「マンダリンケーキ」というのを本で見つけてからだ。マーマレードは毎年、店頭に甘夏が並び始めると、いても立ってももいられなくなって、ジャム作りに励みだす。こうして作った手作りジャムを入れてできるパウンドケーキも、意外に評判がいい。独り暮らし、お世話になることが多い日々だが、小型のパウンドケーキを1度に2本ずつ焼いて冷凍保存しておくと、ちょっとしたお礼に役立つ。余裕があれば、もう少し性能のいいオーブンをそろえたいが、こうしてパウンドケーキを作れるだけでもありがたいと思わなければいけない老後の生活である。できる範囲で楽しく暮らそう、と思っている。

さて今日もパウンドケーキを作ろうと、材料を量り始めた。材料は、すべて「富沢商店」のものを使う。業務用のバターなど、近くのお店にはない。ところが、残っていた薄力粉が少し足りなくなったので、新しい袋を開けてみて、少し色が黒っぽいのに気付いた。もしかしてと思ったらやはりそうだった。全粒粉の薄力粉を間違えて買ってきてしまった。健康にはいいのだが、以前作った時にパサついて失敗だった。少し多めに量って、ふるった時に粒だけ残した。全粒粉はパンケーキに焼いて、朝食に食べればいい。全粒粉でなくても、普通の薄力粉でパンケーキをたくさん(10枚以上)焼いて冷凍しておくと、パンがなくなった時に役に立つし、小腹がすいたときのおやつにもなる、ジャムでもハチミツでも挟んで食べると、なかなかおいしい。食いしん坊の私のブログである。

画像は、先日訪れた「椿山荘」のお庭で撮った。

目白通り

2014-02-22 20:16:00 | 日記
February 22, 2014

さわやかな青空が広がり、気温はそんなに高くなくても、春の到来を予感させる日だった。友人のお誘いを受けて、目白にある「講談社野間記念館」で開催されている「十二ヶ月図の世界展」を見に出かけた。これは、講談社が発行していた雑誌の表紙の原画を集めたもので、近代のそうそうたる日本画家たちによる、色紙に月ごとの風趣を描いたもののコレクションだ。改めて日本の四季の豊かさを知らされた思いだったが、こういった趣のある自然が日本になくなりつつあることは残念だ。

目白の駅から目白通りに沿って学習院大学、日本女子大学、東京カテドラル大聖堂、さらに椿山荘ホテルがある。この記念館の隣にある、農場直送の有機野菜を扱っている「野菜俱楽部 otono ha cafe」でカレーライスを食べた。この頃自分で作ったカレーが胸にもたれるなと思っていたが、今日のカレーはあっさりしていておいしかった。ひと頃カレーに色々なものを入れて複雑な味を出すのがはやり、私もリンゴをすっていれたり、コーヒーを混ぜたりしていたが、次回からこういったあっさりしたカレーにしてみよう。

さらに隣のホテル椿山荘がまた素敵だった。今は時期的にお花は見れなかったが、庭を見おろす長い通路にはひじ掛けのソファーが置いてあり、ゆっくりとくつろげる。ここの「アフタヌーンティ―」で、りんごのパイとコーヒーをいただいた。友人がご馳走してくださった。大安で、しかも土曜日ということもあって、何組も結婚式が行われていて、正装した若い人たちにたくさん出会った。昔も今も変わらない平和な風景だ。目白に住んでられる友人のお誘いがあってのことだが、くつろげたひとときだった。

画像は、記念館の入場券。

春よ来い

2014-02-16 08:37:42 | 日記
February 16, 2014

2月13,14日(金、土)
先週の土曜日に降った雪がまだ残っているところえ、朝から粉雪が降り始めた。今日は『医学辞典』の例会がある日だったが、昨日のうちに欠席の連絡をした。友人の話では、天候を考慮してか、15分で終わりになったという。私だけでなく東京近郊から参加しているメンバーもたくさんいる。電車賃を使い出席してくる人たちのことも考えて、早めに中止という選択もあったのではないか。見方を変えれば、雨の日も風の日もという気持で長年携わってきた方々の頑張りがあってこその現在の活動だとも思うのだが。

雪日の翌日は、特に外出は控えたい。しかし、家にこもって椅子に座ってばかりいると、かえって身体の節々が痛くなる。思い切って部屋の模様替えをすることにした。体力が衰えているので、家具の移動は机ぐらいしかできなかったが、本や点訳関係の資料の整理をして、収納場所を増やしたりした。たとえ一人であっても、人間が暮らしていく日々には、ごみ類がなんと多く出ることか。夕方までかかってしまった。こうしてこまごまと身体を動かすことは、健康にはいいのではないか。

2月16日(日)
朝日新聞の「読書」欄。いくつか読みたい本があった。「売れてる本」コーナーでは、山本ゆり『syunkon カフェごはん』(宝島社)、シリーズの3作目だ。本屋で覗いてみたい。角田光代『私のなかの彼女』(新潮社)、最近この作家の本をいくつか読んで、興味を持っている。小説家の世界では中堅なのだろうが、私から見ると若い作家だ。その若い作家の中では、読んでいて共感できるものがある。図書館に予約した。「文庫」のコーナーでは、平田オリザ・井上ひさし『話し言葉の日本語』(新潮文庫)、内容は分らないが、私はブログを書くときに話し言葉を念頭に置いているので、読んでみたい。

先日のブログで触れた、小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』を読んでいる。本書を紹介した沼野充義氏の、「マヤコフスキーと言う名前を聞いて、いま胸を躍らせる読者はどれほどいるだろうか。」という言葉の通り、マヤコフスキーというロシアの詩人の名を知る人は少ない。本書の目的は、マヤコフスキーの恋人であった女優のボロンスカヤの回想を軸に、当時の官憲による「強いられた死」とも考えられる、詩人の自殺の謎を解明していくというのだが、そういったことは別にして、良質なミステリを読んでいる気分になる。社会主義国ソ連の時代背景も、今のロシアの繁栄をみるとき、そんな時代があったのかとだれもが思うであろう。マヤコフスキーの死後、いわゆるスターリンの粛正が続くのだが、色々な弾圧の中でも芸術が脈脈と生き続けているロシアという国の姿を垣間見た思いもある。

予報ではまた大雪が降るとのことだ。春が待ち遠しい。画像は、友人宅のお庭の「椿」。椿、サザンカ、大好きな花だ。

本にまつわる連想

2014-02-12 17:44:02 | 日記
February 12, 2014

先日、NHKの深夜便を聞いていたら、江戸文化研究家の田中優子さんが、お父上は貧しくて小学校しか出られなかったが、本が好きで、本が読めると思って本屋に就職したら、まわりに本はあっても、それらの本を読む暇はなかったそうだ、といったことを話されていた。この時ふと思い浮かんだのは、中学生のころに読んだ島木謙作の本だ。教科書に載っていた『赤蛙』から、何に惹かれたのか、島木健作の本を次々と読んだ。その中に、本の題名は覚えていないのだが、主人公が丁稚として本屋で働くうちに、本の知識を体得していく過程が描かれていたような内容だったと、かすかな記憶の中にある。たしかこの本も、労働者として本屋で働く者の姿がえがかれていたと思う。私の思想の原点がここにあったように思えるので、田中優子さんの言葉は、とても印象深かった。

私は、若い頃は、今のように暇があれば本を読みたいというようなことはなかった。ただ父が読書家だったために、戦後のいろいろな事情の中で、どんどん小さな家に移っていっても、本だけはいつも身の回りにあった。あの頃家にあった世界文学全集や日本文学全集で読んだ知識は、後々ずいぶん役に立ったように思う。「本」について少し書いてみたいと思ったのは、ここ2,3日で読んだ、三上延『ビブリア古書店の事件手帖』と斎藤孝『古典力』のせいかもしれない。前書は、本屋大賞を取った、いわゆる若者向けの売れ筋の文庫本で、今回5卷目が出された。まあ内容は軽いものではあるが、本の名前がいろいろ出てきて、面白い。あまりポピュラーでないものもあるので、読んでみたいといった気持にもなる。『古典力』の方は、題名通りの古典への入門書のようなものだ。私はあまりこういった教科書的な本は好きではない。実際この本もそれほど魅力がある本だとは思わないが、トータル的な知識に欠けている私の、今生最後の勉強の意味で、さっと目を通した。

こうした本にまつわる本を読んでいると、自分の本との出会いの数々が、思い出の中のひとこまとして浮かんでくる。最初に触れた島木健作についても、ふっと思い出したことのひとつだ。そんな連想が浮かぶとき、ああもう一度あの本を読んでみたいと思ったりするが、たぶん読んだ当時に感じた感動はないだろう。そんなことを考えながら、図書館を利用すればたいていの本が手元に届く環境に感謝して、あまりより道をせずに、新しい本を読み続けていこうと思う。

まとまりのないブログになってしまい、下書きに入れて、オリンピックのカーリングを見ていたらすっかり忘れて、1日経ってしまった。明日はまた雪日になるらしいとの予報を聞いて、急いで図書館に届いている2冊を取りに行ってきた。図書館の開館が9:30なことは承知しているのに、図書館に8時30分についてしまった。1時間勘違いしたのだが、いよいよ「老兵は消え去のみ」の言葉に従わなければいけないのかと、少しがっかりする。借りた本の1冊、橘木俊詔『「幸せ」の経済学」』(岩波現代全書)を見ながら、ローカルで最寄りに駅に戻った。数ページ覗いただけだが、序章の中に古今東西の碩学たちが「幸せ」をどう考えてきたかに触れている。アリストテレス、カール・ブッセ、メーテルリンクなど、私たちになじみの幸福を説いたた人たちの最後に、イギリス人のバートランド・ラッセルの幸福論が短く語られていた。「ラッセルは、精神的な幸福を論じるよりも、人間の実際の生活に即したことから幸福を見ています。自分の中に閉じこもるだけでなく、外に目を向けて役立つ仕事をすることが、幸福につながるという、実践的な幸福論だと理解していいでしょう。」(『「幸せ」の経済学』岩波現代全書)と、本書の著者橘木俊詔氏は書いている。

ラッセルの考え方は、私にはとても受けいれ易く、幸福についてのこの指摘も納得できる。しかしそれもある年代までのこと、さらに別の思想を探さなければならないのかもしれない。つまり自己の中で完結できる幸福論である。この本を読了したときに、何かヒントが得られるかもしれない。まとまりのないブログを引き延ばしてしまったが、この辺で終わりにしよう。

画像は、妹のメールから、マリリンモンロー(シンビジューム)。咲きほこっている花を見ていると、蘭に魅せられる人たちの気持ちが分る。

東京都知事選

2014-02-09 12:16:50 | 日記
February 9, 2014

2月7日(金)
近くの映画館「アルテリアシネマ」で、話題の映画「ハンナ・アーレント」を上映するというので、友人を誘って出かけることにした。12:25からの開演、わが家で軽い昼食を食べてから出かけた。ところが、ホールにいつもは30人ほどの人が集まっているだけなのに、あふれるほどの人だ。急いで券を購入しようとしたら、もう満席だと言われた。この映画館は、岩波映画などで上映された芸術性の高い映画を上映する映画館なので、1日に同じ映画が続けて上映されない。次は17:20とのこと、あきらめるほかない。わざわざ東京から来てくださった友人には本当に申し訳なかったが、駅前の喫茶室で久しぶりにゆっくりお話が出来たことが、うれしかった。私は友人に恵まれていると、しみじみ思う。前回このブログで書いた「老後の生活」には、心許せる友人の存在も、大きいと思う。

2月8,9日(土、日)
土曜日は朝から集中して、手元にある2ヵ所からの点訳の校正をすべて終わらせた。200枚近いものを校正するのはかなり疲れるものの、やっとこのボランテイアの世界が見えてきて、私も考えがまとまったので、やるべきことは早く片付けたかった。仕上がったものを、メール便で2個口送りたかったが、昨日からの大雪で、5,6分の所にある「ファミリーマート」まででも無理をしたくない。明日送ることにした。今日は「東京都知事選」、私は神奈川県人で投票権はないが、いつも東京をむいて生活しているため、関心はある。風穴があかない1党独裁の「安倍政権」に、強いインパクトを与えるような候補者の当選を願っているが、案外自民党が推す候補者が当選したりして、もっと窮屈になることも恐れている。

東北大震災の時に原発を逃れて故郷を後にせざるを得なかった人たちが、まだまだたくさんいて、原発そのものも何ら解決していないのに、「東京オリンピック」と騒いでいることが、私はおかしいと思う。しかしこういうことを声高にいうことが憚れるのが世間だ。読み終わった乙川優三郎『武家用心集』では、この短篇集のどの物語も、作者の筆のさえもあるが、説教ではなく、人間社会の真実を語っている。江戸時代でも、現代でも、人の根幹の姿は変わらない。どこかにいるともしれない賢い(?)統治者を頼る前に、自分が賢くなって、身辺のおかしいなと思うことに小さくても声を上げることが大切だとも思う。

画像は、福寿草。適当な写真がなくて、かなり前に撮ったものを使った。

これからの生活

2014-02-02 11:38:39 | 日記
February 2, 2014 

やっとゆっくり新聞の読書欄を読むことが出来た。マリー・チャップマン『失われた名前』(駒草書房)、マーク・プライヤー『古書店主』(ハヤカワ文庫〉、小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』(河出書房新社)の3冊を、図書館に予約した。最後の本は、新聞からではなく、今朝妹からのファックスで知った本だ。妹の娘は、大変な読書家だ。よく新しい本を、妹経由で教えてくれるが、これは、わざわざ私にと知らせてくれた。彼女が住む岐阜の地方紙の読書欄からの紹介だ。マヤコフスキーも小笠原豊樹も懐かしい名前だ。書棚を探して、小笠原豊樹、関根弘訳『マヤコフスキー選集』(飯塚書店)と原書の選集も見つかった。若い頃話題の中心にあった人たちの名前に、今頃お目に書かれるなんて。沼野充義・東大教授のの紹介記事は、こんなことばで始まっている。「マヤコフスキーという名前を聞いて、今胸を躍らせる読者はどれほどいるだろうか。彼はロシア未来派を代表するアバンギャルド詩人として颯爽と登場し、ロシア革命後は「芸術左翼戦線」を率いて芸術の革命を推し進め、名声の頂点に立ちながら、1930年に「自殺」してしまった。・・・」マヤコフスキーの自殺をめぐる研究の総決算だという。図書館の予約は一番だったので、 すぐ手元に届くだろう。 貴重な本を知らせてくれた姪に感謝したい。

今日は、テーマの言葉は「これからの生活」としたが、ありていにいえば、「老後の生活」である。私は一人暮らしだが、70過ぎまで生きてくると、パートナーと死別して、一人暮らしをしている人も多い。私を含めたそのような人々の老後の過ごし方について、少し書いてみたい。私は、70歳で通信教育で点訳を学び、6年余りたって、2つの点訳の会の属して、点訳のボランテイアをしている。まあこのブログで、ぶつぶつ文句ばかり書いているので、読んでくださっている方々は、そんなに文句があるならさっさと辞めてしまえばいいと思われているかもしれない。実際私もそう思っている。しかし6年という年月をかけて頑張ってきた何かを、そう簡単にあきらめることもできない。さらに、私たちのような点訳者が望まれているという事実もある。

しかしこれはちょっとしたいわけであって、晴耕雨読だけでは満たされない、未だ身内にかすかに残っているエネルギーの消化場所が必要なのだ。一人暮らしの老後の生活の難しさは、ここにある。私はたまたま点訳を選んだが、これは現在のところ、どうも「吉」とは出なかったようだ。まず一人ではできないということが問題だ。この頃メディアで話題にっている、80歳で水泳を始め、90歳以上の現在、記録を更新し続けてられる方の姿を拝見したりすると、ひとりで夢中になれることの方がよかったのか、いや独りの生活を避けるために社会生活に飛び込んで行ったのだとか、思いはちぢに乱れる。唯一よかったことは、点訳の場所で、得難い友人に出会えたことだ。点訳の世界は、まだまだ他にもある。もっと点訳を必要とされている方の近くに行けるように、今年は、友人ともども(勝手にきめてしまってごめんなさい)頑張ってみたい。

画像は、選集から撮った、1911年のマヤコフスキー。