私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画「セッション」

2015-06-28 18:56:51 | 日記

June 28, 2015

図書館に本を返却しに行ったついでに、この日予定していなかったことだったが、アルテリア・シネマで「セッション」を見た。アカデミー賞など、多くの賞を受け、今年評判の映画だ。一般性はないので、アルテリア・シネマのような小さな劇場で上映されている。日曜日ということもあったが、この映画館には珍しく満杯だった。たまたま、お二人の白杖をついた方が隣に座られた。もちろん付き添いの方が誘導されてきて、帰りにもお迎えに上がりますからと言っていた。ところが映画が始まるとすぐに私の隣の人が大きないびきをかいて寝こまれた。映画が終わるまでまで、この状態は続いた。もちろん健常者でそういう方はいる。しかし多くのボランティアの方が手助けして映画を見に来られたのだから、もう少し真剣な態度を取られてはどうかと思ったりもした。これは、私が点訳のボランティアをしていても感じることだ。こういった感情が自分のうちに起こると、私はいつも、障害のある人々はさまざまなハンディを負って暮らされているのだからと、自分の気持を抑えることにしている。しかし私の関係する障害者の方も、こうして映画を見に来ている方々も、貧困につながる障害者ではない。障害プラス貧困も、今静かに進行している社会問題であろう。映画とは無関係なことに、言葉を費やしてしまった。

映画に戻ろう。いつものようにパンフの紹介を引用させてもらう。「名門音楽大学に入ったドラマ―志望の若者が、大学トップのビッグバンドの一員となるが、待っていたのは鬼教師の徹底的なしごきだった。28歳の監督の映画が、アカデミー賞3部門を獲得した話題作。若者と教師の遺恨を締めくくるラストの演奏が壮絶。」とある。音楽に限らず、専門家を育成する大学の厳しい環境は、映像などで接するたびに、すごいなと思う。しかし、そうであっても、この映画のような状況は、一頃スポーツの世界で話題になったように、日本では起こりえないことだろう。映画でも、学生の中に犠牲者が出たりして公聴会などが開かれたり、この教師への歯止めは描かれている。私もこの教師の完璧を期するとはいえ、生徒に、罵詈雑言を浴びせたり、物を投げつけたりする狂気がかった態度には抵抗を感じたが、若者がこの教師を乗り越えてやり遂げるラスト9分19秒の演奏のすばらしさに打たれた。同時に、この若者をここまで追いつめた(成長させた)ものは、あの教師にあったのかとも思ったりした。ジャズの響きがいつまでも耳に残る映画だった。

画像は、映画のパンフから。


読書会

2015-06-25 16:30:55 | 日記

June 25, 2015

私の眼の問題があったりして、久しぶりの読書会だった。本は、山崎豊子『暖簾』(新潮文庫)と、林芙美子『浮雲』(新潮文庫)、2作品とも少し古い本だが、どちらも読みごたえがあった。『暖簾』は、山崎豊子の処女作で、舞台となる大阪船場の商人の世界を丁寧に描いた作品だ。その後のこの作家の社会問題を扱った数々の本を彷彿させるものがある。今回、私は『浮雲』に重点を置いた。どういうわけか、『浮雲』という小説に、心から魅了されてしまった。レポーターを担当したので、作家の生い立ちや年譜などを調べ、記念館を訪れたりもした。しかし『浮雲』はいつまでも心にひっかかっていて、アトランダムにページを開き読みはじめると、どんどん小説の世界に入り込んで行く、ということを繰り返した。

『浮雲』のあらすじについては、新潮文庫裏表紙の解説を引用させていただく。「第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会う。一見冷酷な富岡は女を引き付ける男だった。本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味であった。そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ぼろ布のように疲れ果てた男と女は、ついに南の屋久島に行き着く。」とある。 男と女の物語であるが、背景にある戦後の日本の情景は、私はもう少し後の時代だが、同時代を生きた人々には、深くうなずけるものとして映るだろう。私が心惹かれたのは、林芙美子の小説家としての筆の確かさ、またこの作家が持つ哲学だ。これだけの知的水準の高い文学を作り出した作家は、なかなかいないのではないか。作品に流れる虚無感は、『浮雲』完成の2年後に47歳の若さで亡くなるこの作家の運命を予告しているようにも思えた。作品の中のどの場面も、その筆力に魅せられてしまうのだが、次に、少し記させてもらおう。

 ああ、もう、あの景色のすべては、暗い過去へ消えていってしまったのだ・・・。もう一度、呼び戻すことの出来ない、過去の冥府の底へかき消えてしまったのだ。貧弱な生活しか知らない日本人の自分にとっては、あの背景の豪華さは、何んとも素晴らしいものであったのだ。ゆき子は、そうした背景の前で演じられた、富岡と、自分との恋のトラブルをなつかしくしびれるような思いで夢見ている。悠々とした景色のなかに、戦争という大芝居も含まれていた。その風景のなかにレースのような淡さで、仏蘭西人はひそかにのんびりと暮していたし、安南人は、夜になると、坂の街を、ボンソアと呼びあっていたものだ。ボンソアの声が耳から離れない。自然と人間がたわむれない筈はないのだ。湖水、教会堂、凄艶な緋寒桜、爆竹の音、むせるような高原の匂い、ゆき子は瞼に仏印の景観を浮かべ、郷愁にかられてゆくと、くっくっとせりあげるように涙を流していた。・・・ (林芙美子『浮雲』新潮社)

今回の読書会では、メンバーの方が、脊柱管狭窄症の手術を受けられることになったので、欠席された。無理をしないというのが読書会のモットーなので、いつもならばその方が回復されるのを待つのだが、今回は押せ押せになってしまっていたので、残りのもので済ませた。したがって次回は9月になる。友人の手術が無事に済むことを祈りたい。

画像は、やっと食べごろになったベランダ栽培のミニトマト。みずみずしくて、おいしかった。


贅沢な1日(6月21日)

2015-06-20 09:50:03 | 日記

June 21, 2015

6月19日(金)
たまたま電車で2駅の所に住む、辞書点訳のキャップをされている方が来られた。先にお渡ししたフロッピーが見当たらなくなったので、新しく入れてくださいとのことだった。後で、間違ったファイルを入れたことに気づき、急いで新しいフロッピーを作り直してお送りした。この時、メモを同封したのだが、その数行の文字に誤った言葉を使ってしまった。私は言葉の使い方の間違いが多く、このブログでも後で気づいて直すことがあるが、誤ったままになっているものも多々あると思う。さてどういった言葉を間違ったかというと、先日のこのブログでも使い、あとで訂正した言葉「すいません」だ。とうぜん「すみません」が正しい。こうしたはなし言葉を不用意に書いてしまう誤りは、小学生レベルの過ちであり、気をつけたいと思いつつ、最近、加齢とともに気配りがなくなり、ますます増えていくようで怖い。岩波の国語辞典で見てみると、「目上の人には使わない」とあった。お相手はキャップをされていて、しかも年上の方だったので、失礼だったかなと思ったりもしている。

6月21日(日)
友人と、「林芙美子記念館」を訪れた。47歳の若さで亡くなった芙美子が、最後の10年間を過ごした家だ。ボランテイアの方が来られている日で、解説をして下さった。これがとてもよかった。芙美子は新居の建築のため 、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別だった(記念館の案内パンより)という。厠を水洗トイレにするなど、この時代(建設しはじめた1940年ごろ)に、よくこれほどのぜいをこらした家が建てられたものだと驚いた。「創作活動と同様に生活を大切にした芙美子の思いを随所に見ることができる」(同じくパンフより)という言葉が、その作品からもうかがえる林芙美子の人物像を語っているように思える。また、NHKで収録した生前の芙美子の生の声や映像を見ることができたのは、記念館を訪れた1番の収穫だった。

 芙美子の記念館がある落ち合い近辺は、「落合記念館散策マップ」というものができていて、「佐伯祐三アトリエ記念館」や「中村彜アトリエ記念館」を通って目白駅につながる散策コースがある。今日は「佐伯祐三アトリエ記念館」まで足を伸ばした。山手通りからわき道に入ると家がぎっしりと立て込んでいて、とてもマップだけでは分らず、ひとに尋ねながら目的地に着いた。祐三は、大正10年に、この地にアトリエ付き住宅を新築した。しかし、大正12年にフランスに向かい、1度帰国して、ふたたびフランスに渡り、30歳で亡くなっているので、この地で創作活動をしたのは4年余りにすぎない。その後、夫人がこの地に住み画家として活動したという。新宿区がここを佐伯祐三の記念館として整備・公開したのはまだ最近のことのようだ。アトリエ内には、フランスから一時帰国してこの下落合近辺を描いた絵が、パネルで展示されてある。パネルではあるが、独特の色彩で描かれた絵の雰囲気に浸ることができる。また紹介映像も見ることができる。

さらに友人が入場券をいただいていた、目黒の「久米美術館」で開催されている、「ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギ―」という画家の展覧会を覗いた。この人物は、明治初期に日本からオーストリアの伯爵家に嫁いだ青山光子の孫に当たる方だ。ウイーン幻想派の画風を継承しつつ独自の表現を確立し、2002年から日本に在住、製作を続けているという。水彩による細密描写は、独特な雰囲気がある絵だった。

帰宅して万歩計を見ると、1万400余歩歩いていた。東京も、いつも行く場所は限られているので、たまにこうして知らない場所を歩くのは楽しい。最後に目黒駅前で飲んだコーヒーのおいしかったこと、身体を動かすことの大切さも味わった。

画像は、「林芙美子記念館」の案内パンフの表紙から。


映画「エレファント・ソング」

2015-06-13 17:48:18 | 日記

June 13, 2015

「アルテリア・シネマ」で、6月は、岩波映画から降りてきた「パプーシャの黒い瞳」と「セッション」を見る予定にしていた。しかし昨日の朝日新聞夕刊の「プレミアムシート」の欄で、「エレファント・ソング」を取り上げていて、解説に興味をひかれたので、まずこの映画を見に出かけた。いい映画だった。また重い映画でもあった。パンフの紹介記事を書こう。「オペラ歌手を母に持つマイケルは、精神病院きっての問題児だ。ある時彼の主治医が失踪し、最後に接触したマイケルを院長が査問する。しかし次第に主客は転倒し、彼は院長を追いつめていく。底知れぬ孤独の中で、愛を渇望する主人公をドラン(グザヴィエル・ドラン)は見事に演じ切る。」これは簡単なあらすじだが、院長とマイケルとの会話の中で様々なことが明らかになり、これがこの映画のストーリーを構成している。物語の展開が速く、息をもつかせないほどの緊張感で見終わった。新聞の評は、「この映画のすべてはラストシーンにある。決して派手ではないし、幸福な結末を迎えるわけでもないが、人は許しあわなければともに生きてゆけないのだというおおきな意味が、そこに隠されている。」(朝日新聞、2015年6月12日)という言葉で結んである。人はさまざまな問題を抱えながら、生きている、また生きていかなければならない。今という時代に、人間が直面している内心の問題を扱っていて、深く心に響いた作品だった。

映画は3時15分に始まったのだが、1時15分と勘違いして家を出たので、時間が余ってしまった。だいぶ前に図書館に予約していて、やっと届いたという連絡を受けていた本、群ようこ『ゆるい生活』(毎日新聞出版)を図書館で受け取り、ここで持参した本を読みながら時間をつぶした。本はトルーマン・カポーティ『真夏の航海』(講談社文庫)、ずいぶん前にブログで紹介した本だ。「訳者あとがき」によると、カポーテイが心に引っかかるものがあって破棄したいわくつきの小説だそうだが、この作家のみずみずしい感性がほとばしるような作品だと思う。眼のことがあったりして、手元にある本は後回しになてしまったが、点訳の方も1本に絞れたので、これからは少しずつ読んで行きたい。

画像は、「夏椿」、「沙羅の木」ともいう。住まいのある団地の玄関先にあるものを撮った。好きな花だ。

 


原作と映画

2015-06-08 16:58:24 | 日記

June 9, 2015

『リスボンへの夜行列車』を読み終えた。休み休みなのでだいぶ時間がかかった。この本を映画化した「リスボンに誘われて」という映画はいい映画だったが、いわゆる難しいものではなかった。原作は軽い気持ちでは読めない内容だ。「57歳の古典文献学の教師である主人公グレゴリウスは、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語に精通し、同僚からも生徒からも畏敬されていて、人生に不満はない。そんな彼が、学校への出勤途中、なぞの女性に会う。」(本の裏表紙の言葉をほぼ引用) 彼女がポルトガル人だったことから、古書店でポルトガル語で書かれた1冊の本を手にし、本の内容に興味をひかれたグレゴリウスは、突然教師という生活を捨ててリスボンに向かう。習得したばかりのポルトガル語で本を翻訳しながら、本の著者アマデウ・プラドの人生をたどるリスボンへの旅が始まる。

グレゴリウスが、古書店で出会った本の著者、医師・プラドの人生をリスボンでたどる旅は、グレゴリウス自身の人生を見つめ直す旅でもある。人間の心の中に潜む様々な姿を、哲学的に考察した小説だともいえる。物語を構成している、プラドに関係のある人々のエピソードの中に織り込まれた言葉の数々は、今の私には記憶にとどめておくことが難しいが、すべてが人の「生」のありようについて、深く考えさせてくれる。また、壮年を過ぎて、今までの人生をすべて捨てて、1冊の本に導かれて旅に出る、人々の心の中にある願望の実現、この本が世界中で受け入れられた理由でもある。

私は、個人的に、別の点でも興味深かった。グレゴリウスが強度の近眼だということ。かかりつけの眼科医は、グレゴリウスにとっては、眼だけではなく人生の指南者であり、この物語の中で重要な役割を果たしている。おかしな話だが、こんな眼科医が私にもついていてくれたらどんなに心強いことだろう。 もうひとつは語学のことだ。私は全く語学の才能はないが、何となく外国語をいじるのが好きだ。いまはスペイン語入門のCDを聞いている。これは物語だが、主人公グレゴリウスがポルトガル語の語学講座のレコードを聴いてたちまちに習得していく様子が、ああ語学の天才はこうして新しいことばを習得していくのだと思ったりした。古典文献学の教師という設定が、ポルトガル語で書かれた本やリスボンへの旅の基底に置かれていることが面白い。友人は手元に置きたいと、ご自分で購入されたとのこと、確かに図書館に返してしまうのが惜しい気もする。行き当たりばったりにページを開いても、リスボンでのグレゴリウスの旅を導く、古書店で買った本の中の、人生について気付かせてくれる言葉に出会える。返却日は18日なので、もう少し手元に置いて楽しみたい。 本書の中の言葉から、一節を次に記す。

 失望は悪だとされている。だがそれは無思慮な偏見だ。失望がなければ、我々は何を期待し、望んでいたかをどうやって知ることができよう? そして、自己認識とは、それを知ること以外のなんだというのだろう? つまり失望なしで人はどうやって自分自身についてはっきりと明確に知ることができるというのだろう? (パスカル・メルシェ『リスボンへの夜行列車』早川書房)

映画を見てから原作を読んだわけだが、それぞれが深い感動を与えてくれた。ここで、トルーマン・カポーテイ『テイファニーで朝食を』のことが頭に浮かんだ。あの作品も映画と小説は全く別なものだったが、どちらも面白かった。ここでも原作は少し難解で、映画のように簡単に終わりにはならなかったと記憶するが、原作と映画という点で、「リスボン・・・」と似たところがあるように思えた。

画像は、「あじさい」。住まいである団地の庭で撮った。今の時期、どこでも目にする花だが、美しい。                                                              


『リスボンへの夜行列車』

2015-06-04 13:28:39 | 日記

June 4, 2015

図書館に予約してあった本が届いたので取りに行った。本は2冊、1冊は、『林芙美子 女ひとり旅』(新潮社)。次回読書会の本『浮雲』の関連で借りた。角田光代と橋本由起子が解説している。これは、薄い小冊子(トンボの本)で、バスを待つ間、バスの中、帰宅してからと、一気に読み終えた。林芙美子の『放浪記』は森光子主演の舞台でずいぶん話題になった。あまりそういう人口に膾炙したものは好きではないので、若い頃に多分、日本文学全集で2,3冊は1度は読んではいるとは思うが、遠いところにいる作家だった。前回の読書会で取り上げられていた、辺見庸『反逆する風景』の中に、『浮雲』について触れてある個所があり、次回の私のレポーターの際の本に選ばせてもらった。このことについては先にブログで書いているので、ひつっこいようですみません。いろいろなことは読書会の日を待つことにして、今私は林芙美子に心酔している。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき―林芙美子」 48歳で亡くなる前の10年間、生涯で一番安らかに過ごした新宿区落合の家、今は記念館になっている場所を、読書会の前にぜひ訪れたいと思っている。

さて2冊目は、パスカル・メルシエ『リスボンへの夜行列車』(早川書房)である。本書は、映画「リスボンに誘われて」の原作で、映画を見たときから読んでみたいと思っていた本だ。映画を見たのはしばらく前になるが、最近の友人のブログを覗くと、本書について、誰にも書けないような書評を書かれていて、刺激を受けた。こういった機会を逃すと、思いはあっても忘却の彼方に・・・ということになりがちな日々なので、早速図書館に予約したら、すぐに届いた。あきらめて、もう腹を据えて行こうとは思っていることだが、右目がほとんど役立たなくなってしまった。点訳も一つだけにして、残った左目を大切に使って行きたいが、本を読む楽しみだけは譲れない。明日あたりから関東地方も梅雨入りするとか、パソコンから目をあげて、ベランダから外の緑に目を移すと、新緑が優しく目をとらえてくれる。生れたときから光とは無縁の生活の中にいる方々を思うとき、これで十分だ、十分すぎると、心から思う。

 画像は、妹のメールから、「君子蘭」。朝日新聞に再連載されている、夏目漱石『それから』の昨日の欄に、この花のことが載っていた。「代助の買った大きな鉢植えの君子蘭はとうとう縁側で散ってしまった。その代わり脇差ほども幅のある緑の葉が、茎を押し分けて長く伸びて来た。・・・」とある。たしかに、花も素晴らしいが、葉が立派だ。