June 28, 2015
図書館に本を返却しに行ったついでに、この日予定していなかったことだったが、アルテリア・シネマで「セッション」を見た。アカデミー賞など、多くの賞を受け、今年評判の映画だ。一般性はないので、アルテリア・シネマのような小さな劇場で上映されている。日曜日ということもあったが、この映画館には珍しく満杯だった。たまたま、お二人の白杖をついた方が隣に座られた。もちろん付き添いの方が誘導されてきて、帰りにもお迎えに上がりますからと言っていた。ところが映画が始まるとすぐに私の隣の人が大きないびきをかいて寝こまれた。映画が終わるまでまで、この状態は続いた。もちろん健常者でそういう方はいる。しかし多くのボランティアの方が手助けして映画を見に来られたのだから、もう少し真剣な態度を取られてはどうかと思ったりもした。これは、私が点訳のボランティアをしていても感じることだ。こういった感情が自分のうちに起こると、私はいつも、障害のある人々はさまざまなハンディを負って暮らされているのだからと、自分の気持を抑えることにしている。しかし私の関係する障害者の方も、こうして映画を見に来ている方々も、貧困につながる障害者ではない。障害プラス貧困も、今静かに進行している社会問題であろう。映画とは無関係なことに、言葉を費やしてしまった。
映画に戻ろう。いつものようにパンフの紹介を引用させてもらう。「名門音楽大学に入ったドラマ―志望の若者が、大学トップのビッグバンドの一員となるが、待っていたのは鬼教師の徹底的なしごきだった。28歳の監督の映画が、アカデミー賞3部門を獲得した話題作。若者と教師の遺恨を締めくくるラストの演奏が壮絶。」とある。音楽に限らず、専門家を育成する大学の厳しい環境は、映像などで接するたびに、すごいなと思う。しかし、そうであっても、この映画のような状況は、一頃スポーツの世界で話題になったように、日本では起こりえないことだろう。映画でも、学生の中に犠牲者が出たりして公聴会などが開かれたり、この教師への歯止めは描かれている。私もこの教師の完璧を期するとはいえ、生徒に、罵詈雑言を浴びせたり、物を投げつけたりする狂気がかった態度には抵抗を感じたが、若者がこの教師を乗り越えてやり遂げるラスト9分19秒の演奏のすばらしさに打たれた。同時に、この若者をここまで追いつめた(成長させた)ものは、あの教師にあったのかとも思ったりした。ジャズの響きがいつまでも耳に残る映画だった。
画像は、映画のパンフから。