私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

世の中は、今

2017-07-25 08:36:49 | 日記

July 25, 2017

国民はバカではないと、最近の政治の姿を見ていると感じる。また、少しほっとする。私のように、直接世間と深くかかわっていない高齢者にとって、新聞とテレビぐらいしか情報は入ってこない。独り、政治の劣化を嘆いているばかりだったが、そうばかりではないようだ。まず「損托」という言葉から明らかになるいろいろな事実は、利益に群がる醜い人の姿と、眼をつぶることができない良心を持つ人の姿をあぶり出している。抱える問題は複雑で、単純には割り切れないとしても、あの平家物語の最初の一節、「驕れるもの久しからず」が頭に浮かぶ。ついぞ見たこともなかったテレビの国会中継が面白い。

夏のベランダの花は「ベコニア」ぐらいで淋しい。手入れをする体力がなくなってきているので、駅前まで出かけ、切り花の黄色い薔薇を買ってきた。花は小さくても薔薇は薔薇。殺風景な部屋が少し変化してみえる。帰宅して少しすると、昨日アマゾンで注文した体重計が届いた。壊れたまま久しい体重計だったが、体重は健康のバロメータである。特に最近のように水分をやたらとっていると、これが体重に何か影響があるのか調べてみたい気もしてきた。さて、体裁がピンクでかわいかったから決めた体重計は中国製らしく、説明書の日本語がまったく理解しがたい。いろいろいじっているうちに疲れてきたので、体脂肪や筋肉の指数などどうでもいい、体重だけはかれればということにして、あちこちいじるのはやめた。値段も体重測定だけで十分なものだ。若ければ手で下げて持って帰れるような重量のものでも、最近のわが身には無理だ。したがってアマゾンショップを利用するのだが、少々の不満は残るが仕方がないだろう。

画像は、買ってきた薔薇。

 


映画「光」

2017-07-19 15:46:19 | 日記

July 19, 2017

相変わらず暑いが、今日は風がある分過ごしやすい。連日冷房の中でパソコンに向き合う生活は、精神衛生上よくない。「アルテリア・シネマ」で映画を観てきた。カンヌ国際映画祭で、「エキュメニカル審査員賞」を受賞した、川瀬直美監督の最新作・「光」だ。あらすじをパンフから紹介すると、「視覚障害者が映画を楽しむための音声ガイドの製作に従事する美佐子は、視力を失いつつあるカメラマン雅哉と出会う。彼女のつくったガイドをぶっきらぼうにけなす雅哉に反発する美佐子だが、かつて彼の取った夕日の写真に心を奪われる。」とある。生きることに悩みを抱える女性と、光を失いつつある天才カメラマンとのラブ・ストーリーであるが、美しい映像を背景にくりひろげられる物語は、なかなか複雑で、重いものだった。美佐子を演じている女優、水崎綾女の表情が印象に残った。

私が点訳のボランテイアをはじめてから10年ほどになる。その過程で、私自身が白内障の手術の失敗などがあり、右目がほとんど使いものにならなくなっている。それでも日常生活に不便はないので、点訳は続けている。点訳を始めた頃には考えもしなかったことだが、視覚障害者という言葉が少し身近に感じてはいる。そんな私の抱えている小さな悩みも含めてぜひみたいと思っていた映画だった。現代は、視覚障害者のための新しい機器がどんどん改革されている。あまり深入りしたくなかったので、今まで、盲学校の見学とか点字図書館への出入りなどは避けてきたが、映画を通して知らなかったことを学ぶこともできた。最終的に、この映画で監督が描こうとしたものが何なのかをつかみ取ることはできなかったが、 目が見えるとか見えないとかではない、心の中に光を持ち続けて行くことが生きることなのだと思った。

「アルテリオ・シネマ」では、作品によっては、目の不自由な方のための音声ガイドを、FMラジオレンタルを予約して聞くことができる。これまでもこういった案内はされていたが、映画「光」によって、改めて意識することができた。

画像は、妹のメールから、庭でとれたほうずきを加工したものだという。


猛暑の中で

2017-07-15 20:49:46 | 日記

July 15, 2017

7月13日(木)
点訳の例会の日。武蔵境まで出かける。1ヵ月に1度ではあるが、この日が待ち遠しい。辞書の点訳なので、新しいことに直面することが多い。そういったものをペンディングしておいて、例会の日に質問し、皆さんに教えてもらったり、疑問点を討論して統一見解を作り出したりする。最終的にはキャップの判断にゆだねるとはいえ、その過程の話し合いが面白い。私の年齢は、認知症という心配がある。しかしこの話し合いに何とかついていければ、日常の物忘れは大目に見るとして、まだ正常の範囲内にあると思っている。

最近の暑さにはまいってしまう。自分でも気づかない間に熱中症にかかるということもあるようなので気をつけたい。8月は例会はお休みになる。わが家の冷房の中で、預かった校正と、たまっている点訳を片付けたい。たまには図書館の勉強室を利用してもいいだろう。

7月15日(土)
病院に、骨量を増やすという皮下注射を受けに出かける。最近骨粗鬆症の薬について、新聞などで問題視されている。私もいろいろと考えることがあって、先週は注射を受けなかった。もう止めようかと思ったりもした。しかしまた思い直して、今日は病院まで出かけた。骨粗鬆症というのは、女性の平均寿命が延びたことと関係があるだろう。さらに情報も発達し、出来れば死ぬまで自分の足で歩いていたいという思いが強くなっている。そういったことから骨量を増やすというたぐいの薬が製薬会社から次々に発売され始めた。当然副作用も問題視されてきている。メディアに取り上げられる回数も多い。私も、さまざまな情報と、皮下注射を受けてからの体調の悪さを勘案して、果たしてこの注射を続けることがいいことなのかと考えるようになり、いったんは止めることにしたのだが、やはり続けようと考え直した。この変化の根拠はあまり理論的なものではない。ただ72回という限度がある注射だということと、現に、胸椎圧迫骨折に罹り、骨が弱くなっているという事実はあるのだから、少々の副作用はあっても、骨を強くするというこの処方に身を任せてみようかと思ったことだ。

医師の意見がまったく無視されているような書きようで心苦しいが、誰もが名医と出会えるわけではない。大病院の整形外科で、たまたま担当になった医師がどれだけ骨粗鬆症について勉強しているかは分からない。自分で自分の身は守る、骨粗鬆症に限らず、現代とはこういう時代なのだと思う。

画像は、友人のメールから。なんか涼しげで、朝顔は夏には欠かせない花だ。


たなばた

2017-07-07 14:10:18 | 日記

July 7, 2017

七夕などついぞ気にとめたことがなかったのに、今年はなんだか気になる。短冊に当面の願い事を書きたくなったということは、気持が弱くなったことかもしれない。一つだけ願いを書くとしたら、なかなか回復しない背中の圧迫骨折のことだろう。今日の昼のテレビ番組・「徹子の部屋」に、新劇女優の奈良岡朋子さんが、体験された、骨粗鬆症から来た背骨の圧迫骨折についた語っていた。痛みを押しても舞台をつとめなければなかったと話されていたが、私のように背中が曲がってはいない。先日の医師との面談では、本当ならば手術をして鉄骨を入れ矯正するのだけれども年齢的に無理だというようなことを言われていた。もちろん私も手術は望まないが、背中が曲がったことによる胸のうずきが気になる。何とか乗り越えたいと思っている。

さて、先のブログでも触れた、『漱石の思い出』という本を読書会で読んだ後、図書館から借りてきた、森まゆみ『子規の音』(新潮社)を読みはじめている。明治の文学の天才二人についての記述を読んでいると、まったく文学的な感性とは無縁の私でも、いつの間にかその世界に引き込まれ、このふたりの人物の頭の中にさまよいこんだような気分になる。預かっていた点訳の校正が一段落したし、80歳を記念して何か創作まがいのことをはじめてみようかと思いつつ、もう一人の自分の声は、まずは健康を取り戻してからと言っている。次に子規の句を2句載せる。

          昼中の堂静かなり蓮の花
          朝顔やわれ未だ起きずと思ふらん    (『子規の音』より)

今日のニュースは、九州地方の大雨の被害を伝えている。いつもいつも同じような被害に遭われるこの地方の方々の無事を祈るばかりだ。毎年今の時期、友人や妹から、蓮の花の写真が届く。身軽に蓮を見に行けた頃を思いながら、このささやかなブログの窓を飾らせてもらう。画像は、妹のメールから。千葉市の川村美術館で撮ったという「古代ハス」。


読書会(『漱石の思い出』)

2017-07-05 11:05:33 | 日記

July 4, 2017

7月4日(火)
八王子に住むメンバーの方のお宅での読書会、本は、夏目鏡子・述、松岡譲・筆録『漱石の思い出』(文春文庫)だ。本書を原案にしたテレビ番組「夏目漱石の妻」も観ていたが、それとは関係なく、なかなか読みでのある本だった。さすがに文豪と言われるひとの身辺描写は、どこにでもあるような話のようにみえて、引き込まれていく要素を備えている。漱石の妻・夏目鏡子は、悪妻との評判が高かったソクラテスの妻になぞらえたりして語られることもあるが、漱石の妻として過ごした日々を述べたものを筆録した本書は、この妻にして文豪ありと思わせられる面が随所に垣間見られると同時に、人間・夏目漱石のたぶん最も本当の姿に近い像が読みとれるのではないかと思う。おいしいご馳走をたくさんいただき、忌憚のないおしゃべりをし、楽しい1日だった。私が読書会でレポートを担当した『行人』を執筆していた頃の漱石についての記述が面白かったので、次に引用させてもらう。強度の神経衰弱症状を再発したころだ。

 それから自分でもそうなってくるとしきりに難題を吹っかけるのですが、言いながら自分でも難題と知りつつ、これでもかこれでもかと先へ先へと裏へまわってあられもない、人を苦しめるようなことを考え進めるのです。どうしたって気に入るはずはないのですから、その手には乗りませんよと、それを見て見ぬふりをしてすましていますと、亭主が悪いことをし、無理なことをしていると知りながら黙っているのは何事だ。忠言をして人格をなおさせるのがおまえの本分じゃないかと、自分が百も承知でいじめておきながら、いうことがなくなるとこんな難癖をつけるのです。
 それでもちゃんちゃんと小説は書いておりましたが、しまいには胃と両方を悪くしたので、一時執筆を中止いたしました。それは「行人」でしたが、こんな頭で書いたものか、この小説はずいぶん疑り深い変な目で人を見てるところが書いてあるかと思われます。・・・ (『漱石の思い出』文春文庫)

7月5日(水)
近くの知り合いから、トマトをはじめ、沢山夏野菜をいただいた。うれしい。どれもそのままで食べられるものばかりだが、せっかくなので、夏の料理本を見ながら、いろいろと頭を巡らせ楽しんでいる。図書館から本が整っているというメールが届いていたので、レシピで足りない食材を買いがてら、暑いさなかに出かけた。本は、湊かなえ『ユートピア』(集英社)と森まゆみ『子規の音』(新潮社)。2冊ともハードカバーで、リュックに背負ったものの、かなり重かった。帰宅して10分ほど昼寝をした。点訳の校正などとてもやる気がしない。冷たい水をどんどん出して野菜を洗い、オリーブオイルを使った冷たいラタトゥイユを作った。

               ラタトゥイユ

材料: 玉ねぎ、なす、ズッキーニ、セロリ、トマト、赤・黄のピーマン、ニンニク、生シイタケなど。
作り方: オリーブ油ににんにくのみじん切りを入れていため、ナスが十分いたまったら取り出し、オリーブ油を足してトマト以外の野菜を入れ、油が回ったらトマト、塩、こしょう、ローリエを入れてふたをし、弱火で10分ほど煮込み、ナスを加えて味を調える。最近は塩を極力控えている。夏は冷やして食べる。

画像は、友人のメールから、小石川後楽園の池の「白いすいれん」。