私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

歴史認識

2014-11-27 12:40:00 | 日記
November 27, 2014

朝日新聞朝刊に毎月最終木曜日に掲載される「論壇時評」は、最近のこの新聞では唯一と言っていいほど、私が思い描いてきた朝日新聞に相応しいページだ。特に高橋源一郎氏が、最近の雑誌や単行本を取り上げて論評するトップの記事は、私が現在社会に対して抱くもやもやを解消してくれる鋭い指摘があり、楽しみにしている。さて今日は、慰安婦問題を含む、歴史認識について書いている。取り上げた本は、朴裕河『帝国の慰安婦』、木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』、テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』だ。私たちの世代は日本の昭和史を全く教えられずにきている。戦中戦後にいったい何がアジアの諸国で起こっていたのか、日本の戦争責任は何か、つまり歴史認識を持つ土台がないままに、たとえば私は自分のイデオロギーの問題として歴史認識を語っているにすぎない。したがって慰安婦問題も、少しわずらわしいこととして遠ざけてきた。今日、高橋氏の論評を読んで、だいぶ勉強させてもらった。〆の文を引用させてもらう。

 遥か昔に、植民地支配と戦争は終わった。だが、それは、ほんとうに、遠い「過去」の話だろうか。違う。戦争を招いた、偏見や頑迷さが、今もわたしたちの中で生きているのなら、その「過去」もまた生きているのである。(朝日新聞、2014年11月27日)

昨日の寒さがウソのような暖かな冬日、図書館に出かけ、本を返却し、届いている4冊の本を受け取る。ごたごたしていた点訳も、英語辞書の点訳の会に参加することが出来、ゆっくり本を読める環境も整った。すべて新潮社のクレスト・ブックスなので、装丁がすばらしい。松家仁之編の『美しい子ども』から読み始めた。フランク・オコナー国際短編賞受賞作3作を含む12編の短編集だ。まだ読み始めたばかりだが、アメリカ、ドイツ、ロシアなど、作家の出身国はさまざまであり、また移民の地である場合もあるので、国際色豊かな物語が展開している。

画像は、友人のメールから、「トルコキキョウ」。紫がかったピンクの色が何ともいえず美しい。

短編集

2014-11-24 19:48:00 | 日記
November 24, 2014

休日だということをすっかり忘れて銀行に寄ろうと出かけ、途中で気が付いた。この頃こんなことばかりしている。図書館に予約してある本が4冊届いているという連絡があったが、今日はなんだか気乗りがしない。いくつか買い物をして帰宅し、気になっていた金魚鉢の掃除をした。だいぶ汚れていたので、きれいな水槽の中で、金魚も喜んでいるように、私には見えた。そのあと、木内昇『茗荷谷の猫』を読み始めた。表題を含む9編の物語からなる短編集、幕末から昭和の東京を舞台に、市井の人たちの日常の生活をエピソードを交えて描いたものだ。

私は短編にはなかなかなじめなかった。外国の、特にロシア文学作品が読書歴の入り口にあったせいか、ストーリーの面白さが、読みたい気持ちを増幅させてきた。短編はどちらかというと文章のうまさを味わうという面が強い。ところが、これはなかなか難しい。まあそんなこんなで、短編を読むのは苦手だったが、歳をとってからは、短編が好きになった。しかも以前だったらとても手にしなかったような日本の作家の短編集を読むことが増えてきている。この作品は、読書会の本をアマゾンで買う時に、同じ著者のこの本が1円だったので買ったものだ。題名に惹かれたこともある。たしかに、9編の中では、この作品が一番良かった。しかし、他の作品も面白かった。朝日新聞に連載している夏目漱石の『三四郎』をゆっくりと日替わりで読んでいるせいかもしれないが、作品の背後に漱石のにおいがする。この作家は漱石の作品をよほど読みこなしているようだ。読書会の本命の『櫛引道守』も楽しみだ。

話が前後するが、昨日は、このところブログで触れている『医学大辞典』の点訳を辞めることに決め、そのメール連絡などで、あわただしく1日を過ごした。原本を買い整えたり、医学関係の辞書もそろえたりしたので未練がないわけではなかったが、同じ点訳の会で始まる英語の辞書の点訳に、できれば参加させてもらいたいという気持があった。不案内な化学や物理に関係のあるものにかかわるよりは、自分に近いものにエネルギーを使いたい。トップがお辞めになるということで、再編成し直すこの機会を利用させてもらった。ボランティアというものはこんなものなのだろう。私も老化防止や時間つぶしが根底にあってのことなのだから、あまり理想論のようなことを口にしてはいけない。

画像は、見たままのものです。

音楽会

2014-11-22 08:49:52 | 日記
November 22, 2014

音大を出た同じ歳の知人が、同級生と喜寿を記念して開いた音楽会が杉並公会堂であり、行ってきた。東京の杉並区で生まれた私は、今でも本籍が杉並にある。懐かしい場所だ。何人かの人を除いては、音楽教室の発表会を思わせるようなものだったが、いつまでも楽器を操れる人たちがうらやましいと思った。こういった音楽会にいつも顔をあわせる方々と挨拶を交わしたりして、会場を後にした。たまたま住まいの近い方とご一緒できたので、ローカルでゆっくり坐って帰った。この方は今緑内障の点眼治療をされているという。目のふちが黒ずむという目薬の副作用を気にされていたが、特に目立ったことは感じられなかった。近くでお顔を拝見していて、まつ毛の長い方だなと、うらやましく思っていたら、まつ毛が長くなるのも副作用にひとつで、眼鏡が汚れて困るとおっしゃっていた。同年代、こんなことを話しながら最寄りの駅に着いたときには、すっかり暗くなっていた。冬の到来を感じた。

この日は、トップが突然辞任した『医学辞典』の点訳についての説明があるという例会もあり、出席された友人が、会の経過について電話で伝えてくださった。今後のことは何も決まらず、出席したトップの女性からは何の謝罪もなく、相変わらずのおしゃべりで終始したようだ。ダメだなあと思う。幹事の方からの説明の資料をいただいた後で、この会をこれを機会に辞めるかどうか判断したいと改めて思った。

友人のブログには、次々と読書の感想が述べられている。私は、本は読んでいるのだが、なかなかブログに書きたいような本に恵まれない。松家仁之『沈むフランシス』(新潮社)もつまらなかった。著者は長くクレスト・ブックスの編纂にかかわってきた方だそうだが、本の編集、プロジュースと小説を書くこととはだいぶ違うようだ。本書の最後に載っていた広告の中から、クレスト・ブックスの本、ジュンパ・ラヒリ『美しい子ども』、『見知らぬ場所』、エリザベス・ギルバート『巡礼者たち』と、友人のブログにあった、佐々木健一『辞書になった男』(文芸春秋)を図書館に予約した。次回の読書会は、12月末に、忘年会を兼ねて友人宅で開くことになっている。悲しいことに、この頃あまり早く読んでしまうと内容がかすんでしまうのでぐずぐずしていたが、テーマの本、木内昇『櫛引道守』(集英社)と、アマゾンで1円だったので購入した同じ著者の『茗荷谷の猫』(平凡社)も、そろそろ読み始めよう。

画像は、いつ撮ったのか記憶が定かでない写真、したがって花の名前を分らない。

日常に風穴を・・・

2014-11-17 14:02:50 | 日記
November 17, 2014

最近の閉塞的な社会の流れの中で、誰もが内向きになりがちだ。そんな中で、今回の沖縄知事選の結果は、久しぶりにうれしいニュースだった。昨夜は遅くまで民放BSテレビの特番を見ていたが、こんな時こそNHKが人集めをして世論の動向を聞く番組を流すべきではないかと、御用メディアとは承知しながらも、そんな感想を持った。いま茶番劇のような総選挙で話が持ちきりだが、沖縄知事選の投票率の高さをみても、直接体験している人々の苦しみが、ぬるま湯のような私たちの日常に風穴を開けてくれた。

集団的自衛権、秘密保護法、原発再稼働など、国民の世論調査では反対が上回っている事柄が次々と閣議決定されて、私たちはなすすべがない。この状況を打開する緒に、この選挙結果がなってくれることを祈りたい。多分政府の沖縄への「ムチ」は厳しくなるだろう。メディアが、このムチに同調して沖縄をたたくようなことだけは避けてもらいたい。私も、無力とは言いながらも、もし選挙になったら、我が1票を大切に使いたい。

午後図書館に本の返却と、予約してあった本を取りに出かけたが、あいにく今日は休館日だった。ポストに返却し、店には寄らず少し遠回りをして歩いて帰宅した。ブログには書かないできたが、だいぶ前から、キーボードをピアノ代わりにして、基礎から練習している。お隣の部屋は、会社の社宅に使っているらしい。私の住まいよりはかなり広い。ここに来て13年目だが、すでに3家族目だ。いつも若夫婦と子供という組み合わせだ。今回は男の子が2人、女の子が1人の3人の子どもがいる家族だ。どの家族も言葉遣いが丁寧で、何のトラブルもない。ベランダ越しに声は聞こえていても、顔を合わすことはほとんどない、それでも何か長い知り合いのような気持になる。

さて、今のご家族の小学1年生ぐらいの坊やがピアノを熱心に練習するのを聞いているのが楽しい。ほんとうによく練習する、したがって上達もする。というわけで、私も小さな刺激を受けてピアノの練習を始めた。今のキーボードは、グランドピアノというボタンを押すと、ピアノの音を出すことが出来る。以前見た「ローザ・ルクセンブルク」という映画は、社会革命をめざしていたローザと、同じく社会主義者のリープクネヒトが、右翼の軍人に射殺されて、運河に投げ込まれるシーンで終わるのだが、その前夜、隠れ家でリープクネヒトが弾くベートーヴェンの「月光の曲」が、衝撃的な結末を芸術作品に押し上げる役割を果たしていて、印象深かった。いまの目標は、「月光」だが、そこまで行きつくか。歳をとってから始める趣味は焦る気持ちが先だつ。お隣の少年の練習を聞いていると、同じ曲を1ヵ月くらい弾いている。なるほどと思った。自己流の練習ではあるが、3日坊主にならないためには、自分のペースを決めて焦らずに1歩、1歩進むことが大切のようだ。

画像は、「ヴィオラ」。花径が5cm以上をパンジー、4cm以下をヴィオラとするようだ。

歯科医院へ出かけたり…

2014-11-10 18:23:09 | 日記
November 11, 2014

11月10日(月)
午前中、定期検診で予約してある近くの歯科医院へでかけた。6ヵ月ぶりなのだが、その間に虫歯が2本もできてしまった。以前虫歯の治療の際の麻酔で唇がはれたので、今日は、少々痛いですよといながら、麻酔なしで治療してくださった。我慢できないほどではなかった。器械を使って掃除してもらうと気持ちがいい。私も歯磨きにもっと精を出さなければいけないが、生来の怠け心がいつも頭をもたげる。虫歯だらけにはさすがに気が引ける。1夜で虫歯になったと言ったら、笑われてしまった。次は来年の5月になる。予約を取ってもらい帰宅し、昼食を食べる。

午後は、どうしても駅前まで行かなければならない用事がある。すがすがしい秋の日だ。こんなとき、古い人間の私は、上田敏訳、ヴェルレーヌの「秋の日の ヴィオロンの ためいきの・・・」という詩が思い浮かぶ。この頃は出かける前に紙に用事や買うものなどを書きつけることにしている。まず先日作ったスド―シの色付きUVカットの眼鏡が出来たという連絡を受けたので、それを取りに行く。遠くが見えないのは変わりはないが、眼鏡をかけて少し安心する。次に、友人に教えてもらった3年日記を買いに、有隣堂に立ち寄る。友人はもうずいぶん長く3年日記をつけていて、とても重宝していると言っていた。実は、私はこの頃物忘れがひどくて、こういった日常を記録しておくと、もしこの症状が認知症につながるのならば、何かの役に立つかもしてないと、1日の行動を書き記そうとしたところだった。しかし今頃今年から始まる3年日記はない。店先には2015年から2017年までのものが並んでいる。というわけで、今年いっぱいはノートに書いて、来年から3年日記をスタートさせることにした。まあ準備期間も必要でしょう。3日坊主にならないためにも。

さらに、食料品を買いに店に行った。またまた荷物が重くなってしまった。リンゴと大根が原因だ。今朝、NHKのテレビ番組で、リンゴの効用について放映していた。ああそうそうと、思い出したようにリンゴを4個買い、帰宅して、人参とリンゴ1個をミキサーにかけ、ジュースにして飲んだ。毎日続けなければ意味がないのだろう。日記をつけたり、りんごを食べたり、眼薬を点眼したり、規則正しい生活は難しそうだ。

11月11日(火)
久しぶりで、たまプラーザで友人と会って、ランチを食べながらおしゃべりをした。ランチは、以前も食べたことがある韓国料理の店「吾照里」で済ませた。韓国料理は嫌う人もいるが、私は大好きだ。あっさりしていて、野菜が多く、お値段も手ごろだ。友人は、1年ほど前に、難しい眼の病で片方の目を手術している。あまり目に負担がかからないように気を付けているとのことだった。私も見えるようになったからといって、いい気になってはいけない。明日は、先日の例会で引き受けた英語の問題集の点訳の勉強会だ。今年はこれが最後にしよう。

今日ランチを共にした友人は、先日日記を勧めてくださった高校生の時からの友人や、読書会の方たちほどの長いお付き合いではないが、同じ歳で、とても気持ちの良い方だ。忌憚のないお話をして、お互いに健康に気をつけましょうと言って別れた。帰りのバスの時間まで30分ほどあったので、東急百貨店内の店をゆっくり見た。買わない、いや買えないけれども、洋服などが目の保養になった。今年はブラウスにいろいろな上着を組み合わせるのが流行のようだ。しかしどの店も人が入っている気配はない。大抵の人が、ランチやお茶のために訪れているといった感じだ。商売が成り立っていくのだろうかと、余計な心配をしたりする。

画像は、東急百貨店の入口ホールのクリスマスツリー。あまりよく撮れなかったが、もうこんな時期である。

医学健康講座

2014-11-07 18:01:07 | 日記
November 7, 2014

今回白内障の手術を受けた、新しく出来た近くの総合病院では、3年ほど前に開業して以来、隔週で医学健康講座を開いている。講師は当院の医者の時も、他の専門医の時もある。以前ならば振り向きもしなかったこういった講演会に注目するようになったのは、眼科の手術の際の対応など、当病院がとても気に入ったこともあるが、私も歳を取ったということだろう。近くの友人と、「脊柱靭帯骨化症」ー手足のしびれや痛みからーという講演を聞きに出かけた。実は、「脊柱管狭窄症」で苦しんでいる友人がいる。又私も坐骨神経痛になってどうなることかと心配した時期があったので、ぜひこの講座には出席したいと思っていた。

病院のホールが満員になるほどの盛況だった。宣伝もあるのだろうが、無料で内容の濃いお話を聴けたので、大満足だった。講師は、当院の、低侵襲脊椎手術センター・脊椎脊髄末梢神経外科の50歳ぐらいの先生だった。眼科にかかった時も、担当医がずいぶん若いなと思ったが、こちらが自分の歳を忘れているということなのだろう。ご自分のことについても話されていたが、一直線に医者になられたわけではない経歴が、お話に深みを与えていた印象を受けた。スライドを使っての説明は、ときに専門用語になりかけるともとへ戻って解説し直すなど分かりやすく、今日の1時間が、とても有意義に思えた。いつもは西洋医学には辛口なのだが、心から納得できた。

いろいろ気になる点もあったので、早速友人に伝えたいと思い、新しく資料をいただいた。行きは病院まで直通のバスを使ったが、帰りは歩いた。心地よい秋風に吹かれて、毎日のちょとしたストレスも吹き飛んでしまった。駅前の「マクドナルド」でコーヒーを飲んで、帰宅した。

画像は、住まいの前の庭の紅葉。冬に向かう日々は、なんだか淋しい。

秋も駆け足で過ぎていく。

2014-11-02 08:50:44 | 日記
November 2, 2014

10月31日(金)
9月の末に突然決めた白内障の手術も、両眼が無事に済み、今日久しぶりの受診で、執刀医から終了を告げられた。目薬の点眼はまだまだ続くが、3種類が1種類になった。白内障を手術した人は皆目薬のことを話題にする。医者によって違いはあるようだが、私の場合は2種類を1日4回、1種類を1日2回と、なかなか気が置けない日々だった。近眼のメガネが作れるのは1ヵ月後になるという。この眼鏡が出来るまでのつなぎに、駅前のいつも眼鏡を作ってもらているメガネ店で、薄い色のついたスド―シのメガネをつくてもらった。5日ほどでできるという。長年眼鏡を使ってきているので、眼鏡がないと何か不安だ。小さいゴミや水はねなどが目にあたりはしないかと、またまぶしいのも気になる。

11月1日(土)
久しぶりに、理数点訳の会の事務所に、残っていた点訳の刷り出しに行ってきた。会の主催者の先生に、あまり無理をしないようにと声をかけられた。確かに、点訳だけでなく、眼が見えるようになるとどうしても酷使しがちになる。気をつけよう。渋谷の東急百貨店本店の近くにある事務所までは、小田急線の代々木八幡駅から歩く。雨降りの中、足元に気をつけて歩いた。こんなこともいつまでできるかと、少し弱気になる。

11月3日(日)
3連休(土曜を含む)の中日、私にはあまり関係がないが、朝の駅構内は、待ち合わせをする親子連れで賑わっていた。アルテリア・シネマに出かけ、11月のスケジュール表と上映される映画の中で興味のあるもののパンフをもらってくる。東京に住む友人が、この映画館に降りてくる岩波映画の情報を知らせてほしいと言っていた。小田急線の快速急行に乗れば、新宿から30分かからずに着くので、東京の住人でこの映画館を利用する人も多いと聞く。早速もらってきた予定表などを友人あてに郵送する。

母がよく、お漬けものと白いご飯があれば他に何もなくても食が進むと言っていた。漬けものには一切関心のなかった私は、聞き流していたが、この頃漬物が欠かせなくなった。食事の最後に漬けものを食べると、口がさっぱりする。そういえば白内障の手術で1泊入院したときの病院食にも、漬物は必ず付いてきていた。というわけで、駅前まで出かけたついでに、赤カブを買う。今カブは旬だ。赤カブでなくてもいいのだが、ちょうど目に付いたので、これにした。薄く切って軽く塩を振って1時間ほどしてからすし酢につけた。たぶん明日が食べごろだと思う。

読んでいる本について一言。ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』(新潮文庫)。久しぶりで面白い外国文学に出会った感じ。同じ著者の『低地』は先週の新聞の読書欄で取り上げられていた。ハードカバーなので図書館に予約してある。アガサ・クリスティー『像は忘れない』(ハヤカワ文庫)。再読だが、内容は全く記憶にない。とすると、アガサをもう一度全部読み直して見る楽しみもありそうだ。話の運び方がさすがだと感心する。湊かなえ『Nのために』(双葉文庫)。テレビで放映されているのを見て、次回を楽しみにしているのだが、ブック・オフに出ていたので買って読んでいる。この著者の『往復書簡』も、映画(『北のカナリアたち』)になったものとは違っていたが、小説も映画もとてもよかったと記憶している。今回も映像とは違う部分が多いが、小説と映像は全く別物であると考えればいいのだろう。もちろん次回のテレビも楽しみだ。

画像は、住まいの前の庭で撮った。風に吹かれたツワブキの風情が素敵だったので。

(広告が目障りだと思いますが、有料の更新をしなかったので、我慢してください。)