January 29, 2016
朝日新聞朝刊に連載されている「折々のことば」、何か心を打つ言葉に出会いたいという読み手(私)の勝手な気持から、少し物足りなかった。もうずいぶん前のことになるが、同じように朝刊に連載されていた、大岡信さんの『折々のうた』は、毎日新聞を開くのが楽しみだったし、その後何冊かに分けて新書版になったものも買い求め、今でも目を通したりしている。そんなことからも、『折々のことば』に対する期待感があったのだろう。もちろん、毎日必ず目を通している。面白いもので、日を重ねている間に、筆者・鷲田清一さんの言葉を選ぶ方向性のようなものに慣れてきて、最近は、新聞を開いてまず飛び込んでくる「ことば」を楽しみに待つようになった。
さて今日は、新聞の「文化・文芸」欄に、「論壇時評」を書いてられる高橋源一郎氏と鷲田清一氏が都内で対談されたものの一部が掲載されていた。その中で、鷲田さんは、「納得し、理解できる言葉ばかりでなく、理解できないところへ連れてってくれる言葉が大事だと思います。」と語っている。高橋氏は、この言葉に答えて、中2の冬に友人が朗読した吉本隆明の詩集をあげて、理解できなくても感じることはできたと話している。長く愛読している吉本隆明の詩集や、数年前に私がレポーターで読書会で取り上げた保坂和志『小説の自由』が頭に浮かんだ。自分ではなかなか理解できないのに読み続けたり選んでしまう本、これからも活字を読んでいく上で、鷲田氏の言葉はずいぶん励みになると思った。
画像は、妹のメールから、「シンビジューム・モンロウ」。毎年送ってもらい載せているが、年ごとに花数が増えていて見事だ。短いブログを豪華なランで補ってもらった。