私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

右目は何とか…

2014-09-27 16:09:43 | 日記
September 27, 2014

白内障の右目の手術は、25日に無事に終わり、1泊入院して、昨日帰宅した。近視が強いので、手術した目との差があり、がちゃ目の状態だが、眼鏡なしで生活している。鏡にうつる眼鏡をかけていない自分の姿を眺めて、不思議な気がしている。白内障の手術をすると世の中が明るく見えるということは聞いていたが、パソコンの文字なども、眼鏡を通して見ているものとは違ってみえる。眼鏡を始めてかけて世界をみた中学3年生の秋を思い出した。10日ほど後に左目も手術する予定になっている。長い間ぼんやりと見てきた世界を、こんな年になってはっきりと見えるようになるのはうれしい。妹の存在も大いに力になった。もちろん、天涯孤独といえばケースワーカーをつけてくれるシステムはあるらしいが、ひとり暮らしの老人が増える世の中、私は幸せだ。

退院の時に渡された「白内障手術後安静度表」を見ると、デスクワークは翌日から可能だが、入浴は7日目からだ。また、歯科受診は14日目からとあり、たまたま6ヶ月検診が10月20日にあたっていたので、11月に伸ばしてもらった。なにはともあれ、1週間は静かにしていたほうがいいようだ。読書は翌日から可能だが、このがちゃ目では無理だ。CDを聞いたりして過ごしている。右目を手術するまでの日々は、久しぶりの私の休日だ。1日4回と2回点眼しなければならない目薬が3種類あるので、これが少し大変である。

画像は、妹のメールから、「アンスリューム」。私はこの花が好きで、以前油絵を習っていたとき、1度描きたいと思っていたが、高価な花なので実現しなかった。「花の美術館」を訪れた際に撮ったものだという。

100円ショップで

2014-09-22 18:07:24 | 日記
September 22, 2014

誰もが老齢になれば受けることになるであろう白内障の手術、大騒ぎしているようで少し恥ずかしいが、病気と名のつくようなものはほとんど経験がないので、突然、1泊とはいえ入院となると、そろえなければならないものがいくつかある。又しばらく買い物にも出かけられないと思うので、買い置きしておかなければならないと、リュックを背負って出かけた。今日はまず100円ショップに立ち寄った。改めて思ったことではあるが、100円ショップの品揃えのすごいこと、病院から滑り止めのついたスリッパを用意するようにと指示があったので、スリッパを買ってから、店員さんに尋ねてみると、スリッパ専用というのはないが、敷物の滑り止めならあるとのこと。テープになっていて、切って使えるすぐれものを買うことが出来た。100円ですよ。これはほかのものにも役に立つ。何しろ室内でも滑ると恐いので。コップ付きの歯ブラシなどもそろえた。今日から、朝、昼、晩、寝る前と、1日4回点眼しなくてはならない。忘れないようにしないと。

これは100円ショップではないが、いつも気になていた折たたみの出来る小さいコップを買うことが出来た。妹に聞いていたが、なかなか手に入らなかった。外出したときに外でお茶の小さいボトルを買って、ビンの口から飲むことに少し抵抗があった。 これで一安心。買いだめの食料品は、カートをひいて買っているので気にならなかったが、かなり重くなった。いつものようにバスで帰宅した。老齢になっても車を手放せない人が多いと聞く。近くでも、あちこち用事で歩きまわったり、重い荷物があるときには、たしかに車はありがたい。私は65歳でやめたので、今は特に何とも感じないが、地方都市に住む姉や妹がなかなか車を手離なせないでいる気持ちもわかる。

話かわって、点訳ではプリンターが必需品だ。私は、英語教室をやっていた時に用意してあったコピー機が大いに役立っていたが、そろそろ寿命のようだ。今は手送りで紙を入れなくてはならない、100枚以上印刷することもしょっちゅうなので手間がかかる。さらに最近、変な雑音が入ってきはじめた。そんな折に友人が、家の中の機器類を無線ランにするのを機に新しいプリンターを買ったので、もし使うならと声をかけてくださった。いまはこういった機器類も、私の場合はヤマト運輸さんを利用したが、梱包から全部引き受けてくれる。まあこれは友人がすべて手配してくださったことなのだが。新しい機械をパソコンに取り込んだりするのに1日がかりだったので、印刷されたものがプリンターから出てきたときは、少し感動した。これからは手送りせずにどんどん印刷できる。うれしい。友人に感謝している。

画像は、妹のメールから、「シュウカイドウ」。

三菱一号館美術館

2014-09-19 08:53:26 | 日記
September 20, 2014

9月19日(木)
日比谷にある三菱一号館武術館で開催されている「ヴァロットン展」を、友人と見てきた。あまり日本人にはなじみのない画家だと思う。NHKテレビの「日曜美術館」で取り上げられていて、珍しさもあって出かけた。油彩のほかに、版画作品もたくさんあった。私は、版画の方が印象深かった。ヴァロットン(Ⅰ865-1925)は、同時代のピエール・ボナール、モーリス・ドニらの画家と親交があり、「5人の画家」という作品に描いている。若い頃何げなく覗いた東京高島屋で開催されていた「ボナール展」で、展示されている作品から離れがたいほどの印象を受けたことを思い出した。ヴァロットンの絵にはそういった強烈に人を惹きつけるものはなかったが、黒白の木版画から物語の展開を感じさせるものがあった。この展覧会に足を運んで良かった。

展覧会もよかったが、初めて訪れた三菱一号館美術館の素敵だったこと、さわやかな初秋の日に、ぜいたくな気分を味わえた。帰りには、いつものように、友人宅にお邪魔させていただき、「ユーチューブ」からテレビの画面に映し出された、山田和樹指揮の「第9」を楽しんだ。立派なスピーカーを通すので臨場感がある。友人は「東京芸術劇場」で、この指揮者によるスイス・ロマンドオーケストラの演奏を楽しまれたという。本当は生の演奏が一番だが、我が経済を考えるとなかなか難しい。スピーカーさえよければ、私は映像でも十分楽しめると思っている。そんなことをして楽しんでいる間に炊いてくださった「むかご飯」と日よけに植えてあるゴーヤから切り取った実をお土産にていただいて帰宅した。この頃、かけがえのない1日を大切に過ごそうと心掛けているが、今日はそんな私の願いがすべてかなえられた1日だった。

9月19日(金)
白内障の手術についての説明を受けるために、病院に出かけた。目の大きさの測定などの検査を受けたあと、執刀医から、白内障やその手術についてのもろもろのレクチャーを受けた。実際には、この日は親族の誰かが出席しなければならなかったのだが、独り暮らしだからと言って、1人で説明を受けた。しかし手術当日は、いつもブログに載せる写真を送ってくれる一番下の妹が、前日からわが家に泊って、付き添ってくれることになている。すぐ下の妹も、いろいろと応援してくれている。独りではない。白内障は、老齢になれば大抵の人に起こるものだと、医師の説明にあった。今回の体験は、何かの役に立つかもしれない。

画像は、ヴァロットン展のチケット。

祝日

2014-09-15 13:31:58 | 日記
September 16. 2014

9月15日(月)
毎日が日曜日のような日々になってから久しい。まして休日、たいていは連休も関係ない。さて、今日は「敬老の日」である。この頃の世相をみていると、また老人の身としては、「敬老」というネーミングが皮肉に聞こえる。十数年前に、もし病気で入院することがあった時のためにと、私にしては少し上等なパジャマを2枚用意しておいた。ところが必要がないままにどこかにしまいこんで、それを探すのに大汗をかいてしまった。ついでにと、衣替えを含めて、いらなくなった衣類をどんどん捨てることにする。何年か前に大整理をしたときに、まあこれは使うかもしれないと思っていた衣類その他に、その後目も触れなかったことに気づいて、これらを大々的に始末する。今日はは敬老ではなく、片づけの日である。1日かかってしまった。

9月16日(火)
白内障の手術を控えて、大したことではないと思いつつも、19日の説明会までは落ち着かない。午前中は、借りていた本を図書館に返却した。この頃料理をさぼっているので、グラタンでも作ろうかと、グラタン用のミックスチーズを買って帰る。今預かっている期限のある点訳は、すでに打ち終えている。明日の勉強会で疑問点が解決すれば校正者に送れるので、全く支障はない。それでも、もう一度見直したりして午後を過ごした。いつもすぐにパソコンの検索で調べているのに、白内障に関しては、全く知識がない。予備知識がない方がいいかなと思っているが、ちょっと覗いてみると、術後3日目から軽い事務仕事はできるとある。校正者から戻ってきたものを訂正して次の方に送るぐらいはできるだろう。それでも10月いっぱいは、新しいものは引き受けないことにしてある。70過ぎてからの経験からすると、パソコンよりは本を読むほうがずっと目に負担がかかるようだ。いろいろと読みたい本もたまっているので、新しい目を期待している。余分なことだが、「期待する」の前に付ける助詞が「に」なのか「を」なのか調べようと思って、岩波国語辞典を開いたら、助詞については例文がなかったが、〈「-する。」と言い切って済む文末を、「-したい。」と言うことが1995年ごろから好まれだした。〉と書いてあった。言葉の使い方の変遷について、もっと調べてみると、面白いことが分るかもしれない。

画像は、妹のメールから。花の名前は分らないとのこと。花屋さんの店先にあった「黄花コスモス」に似ているが、違うようだ。

独りではない

2014-09-08 17:38:45 | 日記
Sertember 9, 2014

独り暮らしの場合、朝から寝るまで一言も口をきかずに終わるということも珍しくない。9月に入ってから、メールや電話をいただき、また人との交わりも続いた。精神衛生上はいいことだ。そんな日常を書こう。

9月6日(土)
私が以前自営していた英語教室の最後の生徒さんで、美大を卒業して今年から社会人になったお嬢さんが訪れてくれるということで、私は夕食を用意して待った。卒業旅行で行かれたロンドンの様子や、会社人の感想なども聞きたいと思っていたが、何よりも若い息吹がまぶしかった。映画「イヴ・サンロ―ラン」をみてきて、銀座のサンローランの店で、口紅を買ってきたと言って、見せてくれた。映画はとてもよかったそうだ。私もぜひ見に行こうと思っている。美術大学を出てもなかなか勉強したことを生かせない世の中、すぐに製作部門に立ち会えているようで、よかったと思う。しかし賢いお嬢さんなので、これからいろいろと苦労するのではないかとも思う。がんばってね。お土産に持参してくださった豪華なイチジクのケーキも、クロテッドクリームをつけて食べたイギリスのスコーンも、とびきりおいしかった。ご馳走様でした。スコーンは早速作ってみよう。

9月9日(火)
読書会。急ぎの点訳を頼まれて少し大変だったが、本、北村薫『八月の六日間』については、早くから用意してあったのが良かった。といっても特別なことをするわけではない。レポーターの役目は、本を選ぶことと、作者の経歴などを調べるぐらいで済む。あとは思い思いの感想を述べたりして、お話は政治の世界に飛んで行ったり、忌憚のない会話が楽しい。本書は、朝日新聞の「文化」欄と「読書」欄とに取り上げられたほど、話題になっている本だ。新聞の言葉を借りると、「仕事や私生活での不調を抱えた40代目前の女性編集者が、山登りを通じて自身の欠落と向き合っていく」(朝日新聞、2014年7月22日)という内容の本だ。同じような悩みを抱える、この年代の女性は多いと思う。彼女たちにとって、心強い1冊となっているだろう。山という自然の中で心が解き放たれる、こういった悩みは過去のものになってしまっている我々読書会のメンバーだが、人は何時でも晴れ晴れとした気持ちのままでいられるわけではない。私たち老人にとっても、共感する部分が多い作品だ。又、主人公が女性編集者ということもあって、本の話が、山登りと並行して登場する。本好きな私たちにとっては、これも興味をそそられた。主人公が神保町の古書店でたまたま手にした歌集、西村美佐子『風の風船』を持って登山したときの、客が彼女だけの山小屋での一節を次に引用させていただこう。

 湯豆腐と、牛肉と玉葱の醤油炒め。それにご飯とお味噌汁がつく。小屋番の青年は、お膳を置くと逃げるように厨房へ行ってしまう。
 ――人見知りなんだね。
と、共感する。わたしもそうだ。そうは思われないけれど。
 広い食堂で、一人っきりの夕食をとる。天井にはランプ風の照明。大勢でわいわい騒ぎながら食べられるだけの長椅子に長テーブルだ。そこにただ一人坐り、箸を動かしている。寂しいのを通り越して、現実感がない。異世界を舞台にした映画に出ているような妙な気分だ。
 お膳を下げに行っても、青年とは目が合わない。その器用ではない感じが嫌ではない。むしろ、介入しないでくれている気がして、落ち着く。 
 部屋に戻ると、少しだけ歌集(『風の風船』-ブログ著者注)の続きを読む。こういう歌に出会って、驚いた。

  このままがいいこのままでいいそれぞれに女はうたふいづれかなしき
                           (北村薫『八月の六日間』角川書店)

画像は、妹のメールから、「里芋の葉の上の朝露」。

オリーブの実

2014-09-03 15:57:01 | 日記
September 3, 2014

鉢植えのオリーブの木がわが家のベランダに来たのはいつだったろうか。たしか300円ほどの小さな鉢だったと記憶するので、今の1m以上に伸びた木から判断しても、10年以上は経っている。オリーブは2本ないと実がつかないそうだ。それでも去年あたりからは小さな花をつけるようになった。小さい、面白みのない花で、どうせ実がならないのだからと、ベランダの片隅に置き、水だけやって冷遇していた。ところが今朝ふっと目をやると、小さい実がひとつついているではないか。この時の喜びは、園芸をやっているものにしか分からないだろう。特に私のように、種からゆずやミカンを育てて、10年以上実のなるのを心待ちにしているような、「種子お宅」にとってはなおさらである。オリーブの実をならせたい気持ちがなかったわけではないが、出来上がった木を買ってきて横に置いたのではつまらない。こちらも種子でと、何度か試みたが、オリーブの実から芽が出たことはなかった。何でも「実がなる」というのは縁起がいい。今月末の眼の手術への小さな不安を解消してくれるといいが。それにしてもどうして実がなったのだろう。もしかして、お隣のベランダにもオリーブの木があるのかもしれない。

心も軽く、いつものように図書館に本を取りに出かける。もちろん返す本もある。借りてきた本は、エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿 I』(創元推理文庫)、北村薫『謎のギャラリー』(新潮文庫)、乙川優三郎『喜知次』(講談社)。予約してあった本が次々と届いて、期日までに読めるかしら。でもこの3冊は待ち人がいないので、もし読み終えなければ延長することはできる。しかしたぶん読み切れると思う。何しろ私には暇な時間が沢山ある。その中の1冊を抱えて、近くの格別に安い美容室に出かける。この美容室は、子育てなどで専業の美容師をやめた女性が、時間をシェアしてやっている店で、いわゆる普通の美容室のようなリラクゼーション的な雰囲気は全くない。入り口でカタカナで名前を書いて順番が来て呼ばれるというシステムだ。私には都合がいいが、皆さんに勧められるかというとどうかな。久しぶりに行ってみると、若い男性が一人いたのには驚いた、しかも順番で私にあたった。普通の美容室にいるようなこじゃれた若者ではないし、お上手を言うわけでもない。その上、少し乱暴だ。たぶんそんなことが原因でこの場所に来ることになったのか、たえず「痛くないですか」と尋ねる姿が、何となくこれまでのこの青年の履歴を物語っているように思う。自分の少しデリカシーのない手さばきを、がさつだということで敬遠され、心から教えてくれる人がいなかったのかもしれない。しかし私は腕は確かだとみた。長く人生を生きてきた私には、少しは見えてくるものもある。次にもお願いできるというので、名前を聞いて店を出た。私がつぎに訪れる2ヵ月半後頃まで、頑張っていてくれることを願っている。

画像は、オリーブの木になった実。こんな実がたわわに実る日が来るといいが。

朝日「俳壇・歌壇」

2014-09-01 09:39:57 | 日記
September 1, 2014

朝日新聞の「俳壇・歌壇」の欄を、毎週月曜日、楽しみにしている。俳句も短歌も好きだ。新聞紙上の素人の方の作品でも、どの歌にもみられる文学性に惹かれる。自分でも作ってみたいと思うこともあるが、初めて作った一首がこの欄に選ばれたという話を聞いたりすると、これもやはり才能が支配する世界なのだと思う。私の中にはないものだ。短歌で、時折、「郷 隼人」という人物の作品が載ることがある。選者がいっせいに取り上げているということは、作品の優劣ではなく、この方はまだ元気ですよということをわれわれ読者に伝えてくれているのかもしれない。アメリカの刑務所で終身刑に服している人物だそうだ。たぶん検索すればいろいろと分るだろうが、それはやめておこう。私も特になにがあるわけではないが、何となく気になる存在ではある。さて今日の作品の中では、3人の選者が取り上げていた、
     黙禱を捧げて水を飲むこれは何万人が飲めなかった水    (大阪市)安良田梨湖
                                      (朝日新聞、2014年9月1日)
が良かった。

早朝にここまでのブログを書いて、気になっていた眼科に出かけた。最寄りの駅の近くに最近できたばかりで、割合に評判がいい総合病院の眼科を選んだ。視力が落ちてきているのが気になっていたが、やはり白内障が進んでいるということで、思い切って、9月末に右目を、10月初めに左目を、一泊入院で手術することにした。まさかこんな具合に物事が運ぶとは思いもしなかった。必要なもろもろの検査を受けて、帰宅したのは夕方だった。私の場合は近視が強いので、驚異的に視力が上がることはないということだったが、中学生以来かけている眼鏡が必要なくなるのは少し驚きであり、また楽しみでもある。さらに評判にたがわずとても感じがいい病院だった。診察券が出来たので、総合病院、これからはどの科もここを利用しよう。待合室で読む本を持ってこなかったので、急いで駅構内の書店で、村上春樹訳の、J.D.サリンジャー『フラニーとズ―イ』(新潮文庫)を購入したが、数ページも読まないで、病院中を回ることになってしまった。9月からまた、点訳の例会や勉強会が始まる。続きは、東京までの往復の車中で読もう。

夏はなかなか花に恵まれない。今日は画像はお休みします。秋には、また素敵な花が咲き始めるだろう。