私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

梅雨の晴れ間

2018-06-24 14:22:36 | 日記

June 24, 2018

毎年の梅雨がこんなだったのか。台風込みの日を除けば、梅雨らしい日が少ないような気がする。ここ数日、東京へ出かけることが多かった。昨日は田園都市線の二子玉川園駅で点訳で知り合った方と落ち合い、ランチをご一緒した。少しあたりを散策して、コーヒーでも飲みながらおしゃべりをしましょうと思い、駅の近くのスターバックスに入りたかったが空き席がなく、あちこち探して結局30分ほど待つことになってしまった。平日なのにと思う一方、平日だからこそ混んでいるのかもしれない。というのは、若い学生がパソコンを持ち込んで何やら仕事をしているので、店の回転が遅い。何かよくわからないが、これが現代の東京近郊の若者が集まる区域の風景なのだろう。

今日は、朝からいろいろな方から電話があった。一人暮らし、コミュニケーションはもっぱら電話だ。関西地方に住む友人からの電話は、久しぶりに近況を話したりして長電話になった。私は使っていないが、この頃携帯電話のかけ放題で電話してくださる方が多い。それに甘えて心置きなくおしゃべりさせてもらう。同級生とは、80歳になって心も体も急に衰えた来たことなど、共通の話題に事欠かない。こんな楽しい時間をいつまでも持てることを願いながら受話器を置いた。手持ちの点訳の校正もほぼ終えたので、今日夜半の日本対セネガルのサッカーの試合観戦のために、少し昼寝をしておこう。気ままな日常ですね。

画像は、道端で撮った。野菜の花だったと思うが、名前がわからない。 


紫陽花

2018-06-16 07:57:31 | 日記

June, 16, 2018

6月14日(木)
読書会の友人たちと、東京文京区にある白山神社のあじさいを見てきた。ちょうどあじさい祭りの最中で、平日でもにぎわっていた。様々な種類があり、あじさいを満喫できた。さらに隣にある小石川植物園も散策した。植物園を一周するのにはかなり時間がかかり、疲れた。こんな時、わが身の老いを実感する。身延山の桜、今回の紫陽花と、花を愛でるのは楽しいが、日ごろ鍛えていない80歳を超えた身には、なかなか厳しいものがある。帰宅途中の住まいの近くで、以前自営していた英語教室に来てくださっていたお嬢さんに声をかけられた。お嬢さんと言っても立派な奥様、2人目のお子様が生まれるとかで、少し大きくなったお腹をされていた。ほんの2,3言お話ししてお大事にと言って別れたが、なぜかうれしい気分になり、すっかり疲れが吹き飛んでしまった。帰宅して郵便受けを覗くと、点訳の校正のファイルが二つ届いていた。何もかも明日にしようと、入浴して早く就寝した。

6月15日(金)
年金が入る日ということもあって、駅前の銀行に出かけ、ついでに点訳原稿のコピーをし、あじさい見物の時に、友人に教わった「だし」の材料を買ったりして帰宅した。「だし」についてネットで検索してみる。「だし」は山形県の郷土料理とのこと。ナス、キュウリ、オクラなどの夏野菜を5ミリほどの粗みじんに刻み、同じく細かく刻んだミョウガやネギ、ショウガなどの香味野菜を加え醤油で味付けし、一晩ほどねかす。私はフリーザーバッグを利用した。温かいご飯にかけたり、冷ややっこに乗せて食べる。そばつゆに入れてもよい。最近の私の食卓にぴったりのレシピで、毎日でも食したい。最近話題の認知症に関するテレビの画面では、一人暮らしは認知症にかかる確率が高いと言っているが、私は気ままな生活を楽しく過ごしている。老いに逆らうことはできない。何事もあるがままを受け入れていこう。

画像は、やはりあじさいにした。白山神社で撮った。「てまりてまり」という品種のようだ。


六月の花

2018-06-10 13:29:35 | 日記

June, 13, 2018

友人から沢山花の写真が届いたので、妹からの写真と併せて掲載しよう。花の名前を調べようと6月の花を検索すると、たくさん美しい画像が出てきたが、私のブログの花は、なお一層私の6月の花だと思った。名前は、わからないものもあるので省略する。

  

  

    

 

 


梅雨入り

2018-06-09 11:14:28 | 日記

June 9, 2018

いつの間にか梅雨の季節に入った。「いつの間にか」というフレイズが最近頭をよぎることが多い。それだけ時がたつのが早いと感じるのか、それともぼんやりと日々を過ごしているのか。このところ自分の経済について考えなくてはならないことがあり、ブログが遠くに行っていた。やっといろいろなことが落ち着いた。しかし自分の生活を自分だけで支えていくことをいつまで続けていけるだろうかと、不安にもなる。まああまり深く考えないことにしよう。月並みな解決法だが、人生はなるようにしかならないと。さて、外に目をやると、アジサイをはじめ、花々が目につく。初夏のすがすがしい季節を満喫しなければ。

友人や妹から、花の写真が届く。実物を見るのが一番だろうが、パソコンを通して写真を見るのも楽しい。私も、スマホを持参して、住まいのある団地の庭を回っていくつか写真を撮った。この団地に越してきたときは、普通の団地の2倍ほどの広さのベランダで、かなり大きな鉢花の栽培を楽しんだものだが、背中を圧迫骨折して以来、こまごまとした園芸作業が苦痛になってきている。人間が暮らしていくには、なんて様々なこととのかかわりあいがあるのかと、つくづく思う日々である。

画像は、妹のメールから、「カラー」。

 


衣替え

2018-06-01 07:39:11 | 日記

June 1, 2018

今日は衣替えの日だという。少ない衣服を着まわしているのでことさら衣替えをするほどではないが、ベッド回りを少し見直したり洗濯したりしよう。さて、昨日は点訳の勉強会のために武蔵境まで出かけた。家の中で階段を降りるときに足を踏み外してけがをされたという方や具合の悪い方など欠席する方がいて、あまり盛り上がらない会だった。私を含め、加齢による様々な支障が生じてくる。もともと個人が家でやる作業なので、それが滞ってくると、勉強会の意味がなくなる。大分な英和辞典はまだ半分位以上残っている。ボランティアといっても、先の見通せないことに労力を傾けるのは意に染まない。この会を仕切ってられるキャップには完成を見据えて計画を立ててもらいたいと、帰宅してから、一緒に点訳している友人と電話で話し合った。

この点訳会は、「辞書パソコン点訳会」という100人余の会員を抱える大きな組織に属している。その会が今年30周年を迎えたという。そもそも点訳にパソコンが取り入れられなければ、辞書の点訳という煩雑な作業は不可能だ。それ以前は、目に障害のある方々はどうやって勉強してきたのだろう。手打ちの紙に打ち出す辞書の場合、一つの辞書が6畳一間分の量だったといったことも聞いた。口で発する言葉がそのまま点字になる機械はすでに存在しているが、多くの障害者に普及するには至っていない。AIとかITとか言われている世の中で、少数者に光が当たるのは一番最後になる。何はともあれ、昨日預かってきた校正のファイルの作業に取り掛かろう。

1週間ほど前の新聞に取り上げられた記事で、ブログで触れようと思いながら記事を切り抜いたままになっていた事柄について、少し書こう。朝日新聞の「私の視点」というコーナーで、高校の英語の教師をされていた方が、英語が全然わからないという生徒に接して、「英語の中身が生徒にわからない最大の理由は、英文法を正しく理解できていないからだと思える」と書かれている。私が依然小さな英語教室を自営していた頃、いつも頭にあったテーマであり懐かしい思いで読んだ。次にその方の語る言葉を引用させてもらおう。久々に目にした、全く同感できる意見である。日本の英語教育にとって、古くて新しい永遠に解決不可能な事柄なのかもしれない。

 ・・・このところ、地道な文法指導を無視した「しゃべりっぱなし」ともいえる授業が、教育現場で展開されている事例も見聞きする。私の30年以上の教職経験で言えば、英文法力、読解力などは年を追うごとに低下していると感じる。
 確かに、滑らかに英語を話す生徒を公教育で養成することは大切かもしれない。しかし冒頭の生徒のように、英文法を軽視した結果、英語自体がお手上げだと感じる子供たちがこれからさらに増えては、元も子もないだろう。
 文法や訳読をうまく包括したバランスのいい英語教育こそ、いま求められている、と考えている。(朝日新聞、2018年5月某日)

画像は、「ナツツバキ」。住まいのある団地の庭で撮った。