私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

読書会

2015-04-27 12:33:09 | 日記

April 29, 2015

4月28日(火)
今年最初の読書会だ。それぞれに健康の面でいろいろなことがあっても、こうして集えるのはうれしい。本は、辺見庸『反逆する風景』(鉄筆文庫)。この作家の本は、『もの食う人びと』、『水の透視画法』に次いで3冊目だ。年代的には、この2冊のあいだに入る。文庫本化にあたって書き加えられた最後の数編のものを除いて、1994年、19995年に書かれたものだ。しかし最近の筆といってもいいほど、現在の日本の憂うべき状況を言い当てている。ジャーナリストとしての鋭い視点と文学者としての感性が、文章を深みのあるものにしている。2011年に詩文集『生首』で中原中也賞、2012年に詩文集『眼の海』で高見順賞を受賞している才人だ。眼が回復したら一気に新しい作品を読んでみたい。

ベトナムのハノイのホテルについて記した「ホテル・トンニャットの変身―一九九〇年)」の中に、林芙美子の『浮雲』について触れていた文があり、次回の読書会の本をこれに決めさせてもらった。こういう文を読むと、アジアのいたる所に日本の支配が及んでいたことを知り、慄然とする。次にその箇所を引用させてもらう。

 一九三〇年、香港でベトナム共産党成立(一九九〇年二月、ハノイで結党六〇周年を盛大に祝いました)。ホテルの名が後にトンニャットになる遠因です。えいやっと歴史を十年はしょって一九四〇年。日本軍が北部ベトナムに進駐します。
 『浮雲』(林芙美子)の幸田ゆき子が日本軍の車で「海防」から「河内」に着いたのは、それから3年後のこと。ゆき子がメトロポールを目にしたかどうかは残念ながら記されていません。ですが、ハノイからダラトに行く途中で泊ったビンのグランド・ホテルの印象を「これはまるでお伽話の世界である」と書いています。(中略)
 一九四五年の三月に日本軍が突然フランス植民地を武装解除し、総督府を乗っ取ってしまいます。将校たちは回転扉に軍刀をがちゃがちゃぶつけてホテルにも押し入ってきたでしょう。 (辺見庸『反逆する風景』鉄筆文庫)

4月29日(水)
今日が休日なことを忘れていた。送る予定にしていた郵便物があったので、本局まで出しに行った。いつも出かけている駅から郵便局まで、往復で5000歩ほどだった。先日の姉妹旅行の際、姉と私はどうしても皆から遅れがちになったので、少し早歩きの癖をつけないといけない。ついでに図書館で、届いていた本、トマス・H・クック『サンドリーヌ裁判』(早川書房)を受け取った。トマス・クックの『緋色の記憶』は、私が大切にしている本の中の1冊だ。それにしてもこの著者の作品を読むのは久しぶりだ。帰りのバスの中で少し目を通していたら、バス停をひとつ先まで乗り過ごしてしまった。最初よければ終わりよし。続きを読むのが楽しみだ。

画像は、友人のメールから。花は、「ナニワイバラ(浪花茨)」、ばらの原種だそうだ。大阪など近畿地方から植栽が始まったのが、名の由来だとか。


はなみずき

2015-04-24 14:38:32 | 日記

April 26, 2015

4月23日(木)
『英和辞典』点訳の例会に出かける。西武線の「練馬駅」を降りてから10分ほど歩く場所だが、途中が大きな公園になっていて、はなみずきやつつじが真っ盛りだった。例会を終えて駅までの道、皆でお花見をしながら帰った。お天気が定まらなかった4月、やっと遅い春の訪れである。この頃運動不足を痛感するので、出かけたときは出来るだけ寄り道をして帰りたい。夜、中部地方に住む、高校生のころからの友人から電話をもらった。心置きなく話し合える友との会話は、楽しかった。そのおりストレスのことが話題になった。若い頃には気付かなかったことでも、ストレスが原因だったことがある。いま私は眼の調子が悪くて、これがかなりの負担になっているが、あまりそのことばかりに心を向けないようにしたい。ストレスを乗り越える力も、加齢とともに弱くなてきている。

4月24日(金)
先ごろ読み終えた本、辺見庸『反逆する風景』の中で、これは核兵器に関してのことだが、「地球の命を代償に」という言葉が使われていた。なし崩しに進んで行くように思える、現政権の安全保障体制、国民のためにというが、国民の命を代償に戦われたあの戦争の悲劇を忘れてはならないと思う。なぜ突然こういうことを書いているのかというと、10万人もの命が失われたという東京大空襲のテレビ番組を見て、改めて思ったことだ。知らなかったことだが、戦争末期のあの時期、勝利のためには命を犠牲にしても戦えという条例のようなものが次々と出されていて、火の海の中を逃れずに、火消しあたtって命を落としたという人も大勢いたという。疎開先から戻らないと配給も停止するといったものもあったそうだ。いつかは失われる命であっても、無為な代償にされる命であってはならない。

4月26日(日)
新聞の読書欄に何か面白い本を取り上げていたらと思って今日までブログをペンディンクしておいたが、読みたい本はなかった。そのかわり、次の次の読書会のレポーターになっているので、予定していた本、林芙美子『浮雲』と山崎豊子『暖簾』を、アマゾンに注文した。中古本はやめて、活字が大きくなっている新しい本にした。2冊で千円余、まあいいでしょう。こんな古い本と思いつつも、最近の女流作家の本はつまらなすぎる、どちらも再読になるが、たぶん文章のすばらしさだけでも堪能できるのではないだろうか。゛

画像は、練馬区の公園の花々。東京も、都心を離れると、空気もきれいな感じです。

 


マリネ

2015-04-21 13:43:59 | 日記

April 21, 2015

最近は、遅くても11時には床に就くので、朝が早い。湯船につかるということはほとんどないが、朝のシャワーは、どんなに寒くても欠かさない。私の日常の中で、一番取り上げられたら困るものはこれかもしれない。まあそんなこんなで午前中の時間が長い。相変わらず目がすっきりしないので、まずパウンドケーキを2本焼き、テレビで放映されていたマリネを作ることにした。料理は、特に目を酷使するわけでもないので、時間つぶしには最適である。しかしレシピ本通りなものを作っていたのでは経済が持たない。テレビの映像に刺激されて、パソコンで検索してみる。マリネ液にもいろいろあるようだ。自分の味に一番合いそうなものを自己流にアレンジして用意し、手持ち野菜を、これもいろいろあるが、スティック状に切ってみる。野菜は、新玉ねぎ、人参、きゅうり、カラーピーマン、少量のキャベツだ。1時間ほどで食すことが出来るとのことだが、夕食まで待とう。しかしさっきちょっと味見してみたら、おいしかった。生ハムやエビなどの蛋白質を加えれば、メインのおかずになるだろう。 昼食はいつも麺類にしている。今日はそばにしたが、あまりおいしくない。長野に旅したときに食べたおいしい信州そばの味が関係しているのか。恐るべき人間の味覚。

友人に比べて特に読書好きというわけではないが、存分に読書が出来ないのは淋しい。それでも点眼鏡を使いながら、少し残っていた、次回読書会の本、辺見庸『反逆する風景』(鉄筆文庫)を読み終えた。通常ならば電車の往復でとっくに読み終えているはずなのに、意外に時間がかかってしまった。しかしなかなか読み応えのある本でもあった。読書会が楽しみだ。辺見庸は、ジャーナリストの目で見、記憶にとどめた風景を、文学者の筆で描いている。ところで私は、久しぶりにいつも暮らしている風景から離れて、短い旅を経験した。若いころに住んでいた場所ということもあるが、思い出の地は、共に過ごした姉妹の記憶とも重なって、とても温かいものだった。あの頃、家族で可愛がって飼っていた犬「ポチ」のことも、私たち姉妹の思い出に色を添えてくれた。『反逆する風景』の世界に共感しながらも、今の自分を支えているものは、温かい気持ちで振り返る風景かもしれないと思う。

画像は、旅先の長野のホテルの窓から撮った。暮れなずむ信州の山々を、この日最後の西日が照らしていた。


トルーマン・カポーティ

2015-04-19 08:31:37 | 日記

April 19, 2015

日曜日、朝日新聞の「読書」欄、文庫本コーナーに、トルーマン・カポーテイ『真夏の航海』が紹介されていた。最近記憶が定かでなくなり、この本を読んだことがあるように思えるのだが、今年3月に発刊された本なので、記憶違いなのだろう。早速読んでみたい。カポーテイは、子供の頃に両親が離婚し、アメリカ南部の各地の親戚の家に預けられながら育った。この頃のことを描いた作品が、読書会でも取り上げられた、『誕生日の子どもたち』(文春文庫)だ。ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強し、長編小説『遠い声、遠い部屋』を刊行、早熟な天才と呼ばれたという。この作品も読んでみよう。
 
今回の姉妹旅行の時に、大根の葉を湯がいてごまあえにするとおいしいという話が出ていた。ベランダ栽培をしているのは私だけなので、大根を鉢植えするのは大変だが、葉だけを利用するのであれば、鉢植えでも可能だろう。早速種を買いに行き、今の時期でも植え付けが可能な「辛み大根」の種子と、ついでに「ミニトマト」の種も買った。ベランダの前に大きなマンションがあり、1階の私の住まいは日照時間が限られてしまう。これからの時期、いちばん陽のあたる時間が長い場所に鉢を並べて、種子をまいた。果たして収穫はできるか、 楽しみにして待とう。右目が完治しないようなことになっても、人生の楽しみ方はいろいろあると思いたい。

画像は、「カタクリの花」、旅先で撮った。


長野へ

2015-04-17 10:08:58 | 日記

April 17, 2015

私の5人姉妹が、全員70代に入ったところで、父の転勤で住んだことがある長野へ、一泊旅行をした。長姉が県立西高等学校に通っている時、一番末の妹は小学2年生だった。70代になった今、年の差は、体力知力の衰えを除けば、大した違いはないが、子供の頃のこの年齢の差は、思い出がそれぞれ違って面白かった。一番の収穫は、その頃(62年前)住んでいた善光寺のすぐそばにあった住まいが、建て替えもされずに、住まいとして存在していたことだった。皆で写真を撮ったり、大騒ぎをしていたので、住人の方は、2階の窓からそっと覗いて、いったい何事がおこったのかと驚いてられたかもしれない。

全く偶然のことだったが、今年は善光寺で7年に1度開かれる御開帳とのことで、人々で賑わっていた。変わりやすいお天気の中では、ちょうど春らしい陽気に恵まれ、またこうして5人姉妹が何とか元気でこの地を訪れることが出来たことは、両親が守ってくれたのかもしれないなどと皆で話し合った。2日目は、「小布施」まで足を伸ばした。その観光用のパンフレットに出ていた「栗と北斎と花のまち」の言葉通りの場所だった。この場所も、善光寺のあたりも、東京では葉桜になっている桜が満開で、また小布施ではどこに行っても花が出迎えてくれて、心がいやされた。おいしいものを食べ、思う存分おしゃべりが出来たこと、独り暮らしの私には、本当に楽しい2日間だった。またこんな旅が5人で出来るか、出来ないか、神のみぞ知ることですね。

相変わらず右目の調子が悪い。2日ほどパソコンからも読書からも遠ざかっていたけれど、それはあまり関係がないようだ。目薬の点眼を守って、気長に治していくほか仕方がないだろう。更新が遅れてしまったこのブログは、日常の小さな話題でも見逃さないようにして記していきたい。

画像は、善光寺付近で撮った景色。


花冷え

2015-04-09 09:37:25 | 日記

April 9, 2015

4月に1度ぐらい寒い日が訪れるのは例年のことだが、ここ2,3日の寒さはこたえた。火曜日には理数点訳会の例会があり、出かけた。そろそろこの会は退会したいと思っているが、なかなか上手に辞めるのは難しい。今日は一応今期分の会費を払った。今点訳を求めている人は多い。微力ながらもお役に立ちたいという気持ちはあるのだが、自分の眼の調子が悪く、こちらの治療を優先させなければならない。しかし見回してみると、点訳に携わっている人は高齢の方が多い。ハイテクが進む世の中、個人の力ではなく、もっと別な形で点訳が出来るようになる日が訪れることを願いたい。

眼のことを考えてうつうつしていたので、近くの映画館・アルテリアシネマで11:30から上映中の「トレヴィの泉で二度めの恋を」を見に出かけた。筋はいつものようにパンフから、「ローマのトレヴィの泉に行くことを夢見てきたエルザの隣室に、妻を亡くしてふさぎこんでいるフレッドが越してくる。楽天家のエルザは、何事にも悲観的で家族さえ遠ざけようとするフレッドを社会復帰させようと画策するが・・・。2大スター共演の心温まる物語。」とある。2大スターは、シャーリー・マクレーンとクリストファー・プラマー、映画ではフレッドが80歳、エルザが75歳になっているが、お二人とも近い年齢だ。しかしアカデミー賞受賞俳優は、たとえ物語がなくても、画面に登場するだけで映画が出来てしまうだろう。心にずしりと響く映画もいいが、こんな楽しい映画もいい。特に今の私の気持ちにはぴったりの映画だった。元気が出たので、スーパーでイワシを買って帰った。このところメインの魚や肉料理を出来上がったもので済ませてきた。昨日料理本でみかけた、特に珍しいレシピではないが、「イワシのカレ風味ーソテー」を作ろう。エリンギと新玉ねぎを炒めて付け合わせる。

画像は、映画のパンフから。


花の季節

2015-04-01 09:08:33 | 日記

April 1, 2015

ぼんやりしていたら4月に入ってしまった。眼が不自由だとブログを書くのもおっくうになる。こんなことではいけない。机に向かうとどうしても活字やパソコンに向かってしまうので、眼を守るために出来るだけ外へ出かけることにしている。幸い季節は春、どこを歩いていても花に出会う。特に今は満開の桜が迎えてくれる。また、見上げる梢に大振りの白い花をつけている木蓮やこぶしも美しい。花の命は短い、今週末には、はらはらと散り始めることだろう。

4月は学校だけでなく、新聞も新しい欄が増える。眼の回復が長期戦になると思い、先月、NHKラジオの「まいにちスペイン語」と「まいにちロシア語」のテキストを用意しておいた。1日15分ずつ、三日坊主にならないように続けたい。だいぶ前になるが、NHKラジオ深夜便で、日本最初の女医・荻原吟子の生涯を描いた渡辺淳一作の『花埋み』を、俳優の山本陽子さんが朗読されているのを聞いた。何週にもわたっているうえに深夜なので、すべて聞けたわけではないが、印象深いことばがあり、原作を読んでみたいと思っていところ、友人が書棚の中から古い本を見つけて、届けてくださった。

 私が読んだのは1973年発行の20版(1970年初版)だった。彫刻家・佐藤忠良の装丁で、なかなか美しい本だ。一気に読んだ。朗読はひとつの芸術であり、朗読用に脚色したものは小説を読んで感じた印象とは少し違っていた。しかし、小説ではその場所にはなかったが、朗読では最終章として語られた、私の心を強く捉えた言葉は、活字で読んでも意味深いもののように思えた。次に引用させていただく。東京で女医として、社会的地位を得ていた吟子が、キリスト教に帰依し、14歳年下の志方と結婚、北海道の地に渡り数々の試練を経験、さらに志方が、鉱山事業にかかわろうとして、吟子に話をする場面である。

「それほど行きたいのですか」
「今一度、思うとおりやらせて欲しい。・・・頼む」
言うなり志方は両手をつき頭を下げた。吟子は七年前、志方が自分に求婚したときのことを思い出した。志方の姿はその時と寸分違わなかった。
(私に求婚したことも)
 と吟子は思った。すべて志方のその向こうみずな性格から出てきている。志方を知るすべての人が反対した理由が今になってはっきり分ってきた。たしかに他人からみれば無理もない当然の忠告であった。しかし今、吟子は別に悔いてはいなかった。あの時はあの時で幸せであった。そして志方が必要であった。それに誤りはない。そして今も志方は必要である。志方も吟子が必要である。知らぬ間に男と女が年輪をへて離れがたくなってきていることを吟子は理屈でなく感覚で知っていた。(渡辺淳一『花埋み』河出書房新社)

画像は、妹のメールから。