私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

社会のニュース

2018-05-24 08:02:22 | 日記

May 23, 2018

今週は、珍しく昼間にテレビのニュースを見続けてきた。日大アメフト部の悪質タックルの問題だ。関係した選手が実名で登場し会見した画像は引き付けられた。20歳になったばかりの青年のすがすがしい姿には、だれもが心を奪われたのではないだろうか。多分心優しい子供なのだろう。それゆえにこそ悪質な大人の標的にされたのだ。ある識者が、いじめとかパワハラといった言葉を使ってられたが、まさにその通りだと思う。スポーツを超えたところにある、つまりどこにでも存在する清濁併せ持つ人間の赤裸々な姿を具現した事件だと思う。人間は一人では生きていけない以上、何らかの形で人と交わっていかなければならない。その過程の中で、上手にその波を超えていく人、利用されてしまう人など様々であるが、80年を超えるまで生きてきた人生を振り返ったとき、この青年の言葉は、胸を打つものがあった。

今日の朝日新聞の片隅に、日本記者クラブ賞の特別賞に毎日新聞の「点字毎日」が決まったという記事があった。「点字毎日」については、点字に携わることになってから聞いてはいた。ほぼボランティアで支えられている点訳という地味な仕事に光が当てられたことをうれしく思った。点訳は、私にとっては老後の時間つぶしでもあるが、なかなか奥の深い世界だ。最近心もとなくなった脳の働きを叱咤しながら、もう少し頑張ってみたいと思っている。

画像は、友人のメールから、「シラーベルビアナ」という花だそうだ。


エアコンを新しくしたり

2018-05-20 16:14:26 | 日記

May 20, 2018

30年近く使っていたエアコンを新しいものと取り換えた。冷房の時だけ使っていたものだが、とうとう動かなくなってしまった。省エネのことなどを考えるともっと早く買い替えてもよかったが、できるだけ冷房は使わないようにしようと思うようになってから、この器具に対する興味も薄れていた。とはいっても冷房装置がないわけにはいかない。思い切って新しいものを購入したが、仕様などを見ると、なるほど最新のものはすごいと思うと同時に、この機器を果たして上手に使いこなせるのかとも思ってしまう。くすんでいた古い装置が取り払われて真っ白い新品なものが壁にかけられると、部屋の雰囲気が一新する。それにしても、洗濯機とか冷蔵庫とかが次々と故障してきて新しいものを購入しなければならないとなると、老後の貧乏生活、なかなか苦しいものがある。

精力的に点訳に取り組んだおかげで、少し時間に余裕が出てきた。もちろんボランティアなので催促されるような仕事ではないが、せっかちな性分なので、回ってきた校正ファイルを手元にとどめておけず、時間を忘れてとりかかってしまう。今日は読み続けている『背教者ユリアヌス』の2巻を読み終えた。次回の読書会は、私の分担で、本は辻邦生『嵯峨野明月記』(中公文庫)を選んだ。『ユリアヌス』のほうは楽しみながら読んでいるのであまり早く読み終えたくない。こちらの本を先に読むことにする。辻邦生の本は読書会では今までに2冊読んでいると記憶する。何か今どきの本にしようかと思いつつ、今私の頭の中をしめている作家は辻邦生だけなので、これに決めさせてもらった。6月の中旬には、読書会の方たちと日帰りの小旅行を計画していて、これも楽しみだ。老齢になりとあまり負担の多い行動はできないが、こうして日帰りの旅行をご一緒できる友がいることはうれしい。

一人暮らしの1日は長い。点訳をしたり読書をしたりしてもまだ時間はたくさんある。おやつに、新聞の「料理メモ」に出ていた「バナナブルーベリーマフィン」を、ブルーベリーの代わりに冷蔵庫の隅にあったレーズンを使って作ってみた。素朴なパウンドケーキができた。また夕食には、「高野豆腐と鶏肉のトマト煮」作ってみよう。

画像は、妹のメールから、「オルラヤ」。


読書会など

2018-05-10 18:00:45 | 日記

May 10, 2018

5月8日(火)
久方ぶりの読書会だった。本は、向田邦子『阿修羅のごとく』と『あ・うん』。著者は脚本家として出発し、たくさんの作品がテレビで放映された。向田作品がテレビ化されている頃私は英語教室を自営していて、夕方5時から深夜までテレビを見る時間がなかった。放送作家としての作品は時代を代弁するものであり、後世に残るものではない。しかし、今回2作品を読んで、才能のある方だったので、航空機事故で急逝されるという不運に見舞われなければ、いくつか文学作品を残しただろうと思う。

5月10日(木)
妹と、東京都美術館で開催されている「プーシキン美術館展」を見てきた。最近美術館に足を運ぶことがなくなった。実際この美術館の作品展も何回か日本に来ていて、以前見に行ったことがあると記憶する。もっと昔にさかのぼれば、40年近く前にロシア(その頃のソ連)を旅した時にモスクワで駆け足でこの美術館を覗いている。しかしすべて忘却の彼方である。久しぶりに生の名画に触れて、疲れたが有意義な時間を過ごすことができた。この展覧会の目玉であるモネの「草上の昼食」はあまり印象に残らなかった。それよりは、モネの「白い睡蓮」の美しさに魅せられた。数作品ではあったが、セザンヌ、ゴーガン、ルソーの作品が見れたこともうれしかった。とりわけルソーの「馬を襲うジャガー」は、日常のもやもやを吹き飛ばすような力があった。妹と顔を合わせておしゃべりできたことも楽しかった。

上野は、相変わらず、修学旅行の生徒や動物園を訪れる幼稚園児の集団でごった返していた。最近は、六本木の国立新美術館で開かれる展覧会も多いが、ここは何か懐かしい思いを引き出してくれる場所だ。老人用のキャリーバックをひいていたので乗り換えを少なくし、山手線の外周りで新宿まで出て、小田急線で帰宅した。

画像は、友人のメールから、「しゃくやく」。


誕生日が過ぎて

2018-05-01 07:22:51 | 日記

May 1, 218

昨日は誕生日だった。幼いころ、天皇誕生日に男の子が生まれると喜んでいたら1日遅れで女の子だったと祖母が語るのを耳にして、わけもわからず悲しかったことを思い出す。来年のこの日は年号が変わることになっている。エポックになる日だと思おう。お祝いのメールを送ってくださった方に感謝したい。特に何ということもない日々の続きであっても、80歳を過ぎてからの1年は、様々な点で、心もとない気持ちや、何をやるにも億劫だという思いが強くなり始めている。少し気合を入れ直して頑張ろう。まず、面白くて読み続けてはいるが、なかなかはかどらない『背教者ユリアヌス』を読了しよう。私の能力の限界なのだと思うが、本を読んだり点訳したり家事をやったりといったことの切り替えがスムーズにいかない。日常がのろのろと進んでいくのは仕方がないのか。まあ老人の繰り言はほどほどにしないといけませんね。数日前に作った「なすのカレー」がとてもおいしかったので、レシピを紹介しよう。

なすを4分の1ぐらいの大きさに切る。少し多めのサラダ油でしんなりするまで炒める。これを取り出し、油を少し足して玉ねぎの薄切りをよく炒める。さらに細く切ったっピーマンとトマトを加えて炒め、メナスを戻す。そこへひたひたになるぐらいの鶏ガラスープ(水プラス粒状鶏ガラ)とカレー粉(ナス6個に大匙1杯)と塩少々を加え、なすが柔らかくなるまで弱火で煮込む(12分以上)。ナツメグなどのカレー用香辛料を好みで入れる。肉類が入っていないのでさっぱりしていて老人向きである。半日ほどおいて味をなじませると一層おいしい。(参考、丸本俊淑生『新・家庭料理』)

毎年めぐってくる連休には、バス発着所で帰宅するバスを待っていると、羽田や成田へ行くバスを待つ家族連れが目につく。いろいろあっても現政権が続いているのは、こんな風景の先にある現実なのかとも思う。私は、終活の第1歩として、本の整理をしよう。お天気もいいし、無縁とはいいながら、連休という期間を私なりに活用してみよう。

画像は、友人のメールから、「あやめ」。