私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

今年も・・・

2013-12-28 08:47:49 | 日記
December 28, 2013

年々1年が過ぎるのが早く感じられる。いつのまにか、2013年ももう数えるほどの日々しか残っていない。まず、今年は途中でサイトが代わりご迷惑をおかけしたが、 いつもつたないブログを覗いてくださっている方々に、お礼を申し上げる。人間は面白いもので、誰かに何かを語りかけたいものだ。益々少なくなってくるコミュニケーションの中で、ともあれどなたかに自分の日常の出来事の一部を披歴できることは、「IT」のおかげだとしみじみ思う。

昨日は今年最後の理数点訳の勉強会があり、駆け込みで引き受けた中学生の数学の参考書について、質問させてもらった。4月にこの会に入会させていただいた頃を振り返ると、ずいぶんいろいろなことがあった。このブログにも不満ばかりを書きつらねてきたようで少し恥ずかしいが、何よりもこうして続けてこれたのは、70過ぎてから始めた点訳というものへの自分の中にある思い入れのようなものだ。当面自分には何の役にも立たない活字でも、それを点訳したものでしか読むことが出来ない方々がいるということは、深夜でもパソコンに向かうエネルギーになっている。自分の生活の出来る範囲の中で、これからもぼちぼちと進んで行こう。

年の瀬になってから特に寒い日が続いている。風邪をひかないようにと気をつけながら、今日は最後の図書館詣でと買い物をしてこよう。毎年友人のところへ、黒豆を煮てとどけている。妹の娘が嫁いでいる牧場でできた上等の黒豆が届いているが、これはせっかくなので自分用に使うことにして、市販のものも別に煮てみよう。土井勝『日本のおかず』の中の正月料理を見て作る。白いんげんも金時豆も少しずつ買ってあるので、これも煮るつもりだ。年末は豆類でガスがふさがり、部屋の中に豆のにおいが立ち込める。

画像は、23日に訪れた浅草仲見世通りから撮ったもの。師走の様子が、人びとの姿にあらわれている。

アメディアフェア

2013-12-24 11:02:58 | 日記
December 24, 2013

昨日、友人と、浅草橋で開かれている「アメディアフェア」という、眼の見えない人たちのアイテムを展示してある催しに出かけた。駅には白杖を持つ方々を会場まで案内する人たちがいた。点訳をやっていても、眼の見えない方たちが毎日の生活でどのように暮らしていられるかはなかなか見えてこない。『医学大辞典』点訳の会で案内の紙をいただいたので、この機会にぜひと思って、点訳をしている友人と訪れてみた。音声読書機、音声パソコン、拡大読書器、点字プリンターなど、盲目の人たちに役立つ情報機器が並べられ、多くの眼の見えない方々が熱心に見学し、説明を受けていた。テレビが聞けるラジオが4500円で売っていた。普通のラジオでもテレビの音声が入るようになっているが、雑音が多くてなかなか聞きとれない。これは私たちのような健常者にも役立つように思った。プリンター類は、当然のことながら高価なもので、ここでもお金が優先するのだと、考えさせられた。電子辞書のコーナーでは、私も新たに参加させてただいた「辞書パソコン点訳会」がこれまでに点訳された、たくさんの辞書が展示されていた。国語辞典(岩波書店)、新撰古語辞典(小学館)、新英和中辞典(研究社)をはじめ、ドイツ語、フランス語など様々な辞書が点訳されていた。多くの健常者の方々が、ボランテイアで障害のある方に協力されてきているのだと、改めて、点訳の世界の幅広い活動を覗いた思いだった。

せっかく浅草まで来たのだからと、地下鉄で浅草まで出て仲見世通りを歩いた。年末なのでお正月の飾りが特別な風情をかもしだしていて、江戸情緒というか、変わらぬ日本があった。ふっと横をみると「スカイツリー」が望まれた。アジア系の観光客が多く、さかんに写真を撮っていた。小さな洋食屋で食べた「えびピラフ」がおいしかった。いつものように忌憚のない友人とのおしゃべりを楽しんで帰宅した。

今日は朝から延び延びになっていた年賀状を一気に書いた。点訳にしてもこういった日常のことにしても、やらなければならないことをさっさと済ますエネルギーがなくなってきている。パソコンのゲームをしたり、新聞の「数独」をやったりして、無駄な時間つぶしをしている。だらだらした毎日を反省して、これから当面の点訳に取りかかろう。

画像は、仲見世通りの正月飾り。友人に足を止めていただいて人ごみの中で撮ったが、あまりいい写真ではなかった。こういった状況の中でいい写真を撮るのが「腕」なのだろう。

新聞を読んで

2013-12-21 12:51:05 | 日記
December 21, 2013

朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」というコーナーを毎日楽しみにしている。様々な分野で活躍され、現在も現役の方々が、5回に分けて、質問に答える形で、それぞれの人生を語っている。今回は、版画家・彫刻家の浜田致命(95)氏だ。「人生観も芸術への態度も、戦争体験と切り離して考えることはできなくなった」と語る濱田氏は、本来は自由であるべき人間が阻害されていく理不尽な社会へ警鏡を鳴らしている。毎回語られている言葉が心に響き、ぜひ画集をゆっくり拝見したい。そのお言葉を、少し引用させていただく。

 最近の日本は戦前を想起させる空気に急速に傾いています。権力を握った政治家は思い通りに国を作ろうとする。本来は、まず国民があって国づくりすべきなのに、今は国ありきで、そこに国民をはめこもうとしている。非常に危ない感じがします。(朝日新聞、2013年12月20日)

年末になって寒い日が続いている。それでも1日1度は外に出かけるようにしている。昨日は郵便局まで270円と120円の切手を2枚買いに行ってきた。点訳データを校正に出す際に、返信用の封筒と390円分の切手を同封することになっている。歩数にすれば1000歩そこそこの歩きではあるが、冷たい空気に触れることは風邪の予防になると信じている。今日は図書館に本を返却して新しく届いてある本を取りに行ってきた。本は、沼野充義『世界は文学でできている』(光文社)と鶴見俊輔『文章心得帖』(潮文庫)、後者の方は古い本だが、「ちくま学芸文庫」から新しく発刊されたので、新聞に紹介されていた。私はこういった文章読本を読むのが好きだ。こういう本を書かれる方は、どなたもそれぞれ努力をされている。バスの中で覗いただけだが、本書の著者も、子供の頃からうまい文章だと思うものをノートに書きぬいてきたという。 私はどうも研鑽を積むというのが苦手で、読み流しているだけだ。それでも何かの役に立っていてくれればいいのだが。

帰りのバスに合わせて本屋に立ち寄り、第40回大佛次郎賞を受賞された、乙川優三郎『脊梁山脈』(新潮社)を買おうかと思ったが、すでに売り切れだった。この作家については、朝日新聞に『麗しき果実』という作品が連載された時からファンになって、何冊か読んだ。時代小説が多いので、私にはちょっと苦手なのだが、今回は現代小説に取り組まれたのだという。ぜひ読んでみたいと思っている。帰宅してから、暮れになって引き受けた中学生の数学問題集の点訳に取りかかった。ぶつぶついながらも、パソコンに向かうと夢中になってしまう自分がいる。

画像は、先日田園調布の近くの街なみで目にした「サザンカ」、歩きながら携帯で撮っているのでいい写真ではないが、建物の白い壁にサザンカの花の色がマッチして美しかった。

寂しい気持ちを抱きながら

2013-12-18 08:41:26 | 日記
December 17, 2013

長く続いた「読書会」は終了したが、メンバーの方たちと忘年会も兼ねて集まった。場所は東急田園都市線の「多摩川」駅近くのイタリアンレストラン[La Briller Tokyo」。新しく出来たお店ということだったが、素敵な場所で、お料理もおいしく、久しぶりに皆さんとお会いして気持ちの良い時を過ごすことが出来た。食事がすんだあとは、近くのメンバーだった友人の家に移動させていただいて、また楽しいおしゃべりが続いた。39年間分の読書会で読んだ本をパソコンに打ち出してまとめてくださってあったので、読んだ本の話題でも盛り上がった。これから年に何回か集まりましょうと言ってお別れした。

こうして久しぶりに皆さんと集まって忌憚のないお話をしていると、この長い年月の間にそれぞれ生活にいろいろと変化はあったとしても、「読書会」という糸で結ばれていたものがもうなくなってしまったのかと、寂しい気持ちを抱きながら帰宅した。多分こんな思いをしながらの別れ、終わりがこれからは増えていくばかりだとも思う。これが人の世のめぐりなのだと、結論づけた。

帰宅して郵便受けを覗くと、理数点訳の会から、次の点訳のデータが送られてきていた。今年はもう終わったと思っていたが、数日前に依頼があり、引き受けたものだ。心の中に、点訳に対してのくすぶる小さな火種を抱えながら、でも気持ちを切り替えて、ここは楽しく点訳をしなければとパソコンに向かった。

画像は、イタリアンレストランの正面、携帯で撮ったあまり良い写真ではないですが。

一人暮らし

2013-12-12 09:42:59 | 日記
December 12, 2013

平田俊子『スバらしきバス』(幻戯書房)を読み終えた。偏った読書をしているので、新聞の紹介記事で目をつけなければ知らなかった作家だ。詩人、小説家、劇作家と紹介記事にある。日常の生活で利用するバス、あるいは衝動的に乗って終点まで行ってしまうバス、そんなバスに乗ってのエッセイ集だ。私も最近はバスを利用する。歩けば10分で帰れるのに、25分かけてバスに乗る。買い物の荷物が重くなったというだけではなく、家までの帰りの上り坂がきつくなってきた。1時間に2本しか出ないほど昼間の乗客が少ないので、2人がけの椅子をたいてい独り占めできる。荷物を隣に置いて、ゆっくりと窓外をみていると、毎度見慣れた景色でも飽きない。さらにバスの中でちょっとした事件(?)がおきたりすると、色々と連想が浮かんだりする。

以前会社勤めをしていたとき、駅までの間に誰かが間違えて降車ベルを押したりすると、間違いだとわかっていてもいつまでもドアを開けていじわるするような運転手さんがいた。1分でも早く駅に着きたいのにとみな思っていてもだれも口をきかない、バスの中にはいやな空気が立ち込める。しかしそれは何年も前のこと、今はほとんどの運転手さんが親切で、老人が座るまで発車を待ってくれる。そんな中でこんなことがあった。最近のバスは「バスが止まってから席をお立ちください」というアナウンスがしきりに流されれ。誰か中年の男性がバスが止まる前に降車しようとして席を立った、すると運転手が席に戻るようにと執拗に男性を叱責した。その人は席に戻ったが、降りる際に「これでいいんだろ!」と怒鳴って降りていった。ここで私の連想が始まる。こういったことってどこにでもあることだと思う。余裕のない感情を人にぶつけて不愉快な気分を作り、そのことへの反省がない。バスの運転手さんは疲れているのだろうが、人のちょっとした間違いを執拗に攻めてたてる、こういう人はあまり周りにいてほしくないと思う。

さて平田俊子さんの本に戻ろう。軽い文章だがやはり詩人だ、言葉の選び方が上手だと感心する。私もこういう文をブログに書けるといいなと思った。「あとがき」で書かれている数行の言葉が心に響いたので、次に引用させてもらう。この方の今の年齢は、59歳か60歳というところのようだ、たぶん私もその年齢の時、同じような気持ちだった。

 わたしは気ままな一人暮らしだ。といって満たされているわけではない。からっぽのこころを抱え、自分をごまかしながら一日一日やり過ごしている。バスに乗ったからといってからっぽが満たされるわけではない。誰もいなかった車内に人が集まり、賑わい、また減っていき、最後に誰もいなくなる。何て寂しく、同時に安らぐ光景だろう。からっぽだった場所が再びからっぽに戻るのを見たくて、 わたしは何度でもバスに乗るのかもしれない。(平田俊子『スバらしきバス』幻戯書房)

帰宅途中のバスの中から、見慣れた銀杏並木ではあるが、今が一番美しい。

「大統領の料理人」

2013-12-11 18:19:34 | 日記
December 11, 2013

今年も残り少なくなってきた。まだ校正が残っている点訳がある。年賀状も書かなくてはならない。印刷は例年のように、私のプリンターよりも精度が高い妹のもので頼んである。微調整もしてくれるので、妹のセンスにすべて任せている。しかし宛名と、一筆だけは頼むわけにいかない。人並みに掃除もしなくてはならない、というわけでちょっと余裕があるうちに、今年予定していた映画「大統領の料理人」を見てきた。フランス映画、「ミッテラン大統領のプライベート・キッチンを任された女性シェフが、大統領官邸(エリゼ宮)の堅苦しいしきたりと、官邸料理人たちの嫉妬の中で活躍する。官邸初の女性料理人の実話を映画化した」ものだという。

魔法のように次々と作りだされる料理の数々、その美味しそうなこと、これだけ見ていても飽きない。大統領は素材の味を大切にしたシンプルな料理を好み、たぶんこの頃頂点に達していたであろう手の込んだフランス料理に一矢を報いた映画でもあるようだ。実話である女性は、フォアグラやトリュフと言った美食素材の名産地として知られるベルゴーに地方で育ち、衰退しつつあったフォアグラを自宅農園で供し、成功を収めた。郷土料理を教える料理学校を設立してもいる。

映画の中での彼女の、そういった経歴からくる自信に満ちた態度が、それまで官邸の料理に携わってきたシェフたちには我慢がならない。大統領には喜ばれても周りのものからはいろいろと邪魔される、結局ドクターストップという形でフォアグラ料理の中止を告げられ、官邸を去る。その後、これも実話ということだが、フランスの南極基地で、 料理人として、 基地で働く人々を喜ばせる。映画の中で供される料理と比べることはできないが、料理好きな私には引き込まれるような映画だった。大統領が、料理本を読むのが子供のころから好きだったというセリフがあるが、そうだそうだとうなずいてしまった。私も、実際に作らなくても、料理本をみているだけで楽しい。

「大統領の料理人」のパンフから、この女優の知的な笑顔が素敵だった。

絶対反対

2013-12-08 10:04:47 | 日記
December 8, 2013

「特定秘密保護法」が成立してしまった。国会外の反対運動をみていると、学生時代の安保反対闘争が頭をよぎる、しかしあの頃は学生が中心だった、というよりも学生から発した反対運動が全国的な規模で市民の間に広がっていった。いま若者たちはいったい何を考えているのかと若い人たちへの不信の念が湧くが、考えてみれば今の人口の割合をみると、この反対闘争を支えている人たちに壮年以上の年齢層が多いことも納得できる。私もデモに参加したいという意欲はあるが、年齢的にわが身の無力さも感ぜざるを得ない。人頼みはせずに個人で反対できる道を探っていきたい。

日曜日、新聞の読書欄をゆっくり見た。忙しくなると、私の情報を得る唯一のメディアである新聞を読むのが雑になってしまう。新聞に書いてありましたよ、などと友人に指摘されてうろたえたりする。これではいけない。さて今日の本であるが、「ニュースの本棚」のコーナーで、先日ノーベル文学賞を受賞した「アリス・マンロー」を特集していたのがうれしい。マンローについての紹介文を書いてられる、松家仁之氏の文章が良かった。その一部を引用させていただく。「カナダの田舎町に生まれ、大学へ進学するが経済的に続かず中退、同級生と結婚し、四人の子どもを生み、一人をなくし離婚と再婚を経験しながら、マンローは短編小説をこつこつと書き続けた。普通の人びとのどうすることもできない境遇や、偶発的な出来事によって左右される人生をモチーフに選ぶのは、マンロー自身がそのような日々を送ってきたからではないか。」(朝日新聞、2013年12月8日)

「著者に会いたい」のコーナーに宇沢弘文さんが取り上げられていた。経済学の本はあまり読んでいないが、水俣病や成田闘争の時にいくつか論文を読んだ記憶がある。宇沢氏が、その著書『経済学と人間の心』の主題である「社会的共通資本」という理念で、「市場原理にゆだねてはいけないものがある、大気や水道、教育、報道などがそれで、地域文化を維持するには一つとして欠かせないと説く。」 と紹介されている。「アベノミクス」とか言って、カネ、カネ、カネの市場原理主義の今の日本の腹立たしい世論の中で、10年前に刊行されたという本書を読む価値があるだろう。私も図書館に予約した。

漫画はこれまで一度も読んだことがない。何か読むきっかけが欲しいと思っていた。今回「コミック」欄に紹介されている、大今良時『聲の形』①(講談社)の「耳が聞こえない転校生と俺」という副題に興味を覚えた。②が出たあたりで読んでみよう。さらに、沼野充義『やっぱり世界は文学でできている』(光文社)、これは高価な本なので、図書館に予約した。予約してある本が、年内にどれだけ手元に来るかだが、どうだろうか。

ここで友人のブログを覗いてみた。「横浜こども植物園」を散策された様子が書かれていた。ご自宅から歩いて行かれる場所のようだ。横浜は私の子どものころからのあこがれの街だが、終の棲家の場所には出来なかった。さて友人のブログで紹介されている木々をはじめとする植物の写真の美しいこと、紅葉をこんなに楽しめる場所が近くにあることがうらやましい。こんなにすばらしい植物には出会えないとしても、近辺に紅葉ウォーキングに行ってこよう。

図書館で

2013-12-06 16:40:29 | 日記
December 6. 2013

12月4日(水)
理数点訳の会の忘年会が、原宿の「南国酒家」という中華料理店であった。私たちは1000円だけ出して、あとは会が持ってくださったようだ。お料理はおいしかった。久しぶりで大勢の人の中、しかも点訳について日ごろ実行していることを話すという順番のマイクが回ってきて、よけい疲れた。私は新人なので何も話すことはないが、校正に出す段階で完璧な形で出すようにという指摘を受けたことがあったので、そのことが心に響いたということを話した。しかし現実にはそんなことはあり得ない、だから校正というシステムがあるのだと思っている。こういったところが、いかにもボランティアのいやらしさだ。技術を習得した人が校正の中で人を育てていくのではなくて、自分たちが習得した力を固持して理想論を口にする、これでは人は育っていかないですよね。

12月5日(木)
点訳したデータを点字印刷機で打ちだすために、午後から代々木八幡経由で理数点訳の会の事務所(実際はこの会を主宰されている方のご自宅の一部)に出かける。友人のご主人様が書かれた本をいただいたので、出版のお祝いに、駅前の花屋で紅白のシャコサボテンの鉢を届けてもらうことにした。ご夫妻とも音楽家なので何事にも派手で、私とは生活のレベルが違う。気持ちだけということにしていただいた。点字印刷に時間がかかり、帰宅したのは5時を過ぎてしまった。

12月6日(金)
点訳したデータが刷り出されて送られてきて、それを原稿とすり合わせて校正するのが一番面倒だ。特に英語の場合は略語が入るので1ページ校正するのにも時間がかかる。 ちょうど図書館に届いている本もあったので、図書館に出かけ、社会人枠の勉強室で3時間ほど机に向かった。先日借りてきた小川洋子さんの小説はあまり面白くなく、やっと手元に届いた薬丸岳『有罪』は、何となく読後に気が重くなる本だった。いま車中では河合速雄『心の最終講義』(新潮文庫) を読んでいるが、いかにも車中で読む本だ。今日図書館で借りてきた本、 平田敏子『スバらしきバス』(幻戯書房)は、このところの本への物足りない気持ちを取り去ってくれそうだ。図書館でだいぶ勉強(?)したので、今夜はこの本を読もう。

ブログに書いた3日間の出来事は、あまりにも面白みがなく、書いていて読んでくださる方に申し訳ないと思う。今年最後の月を、何かわくわくするようなことをして過ごしたいが。

画像は、妹のメールから、「ヤマハッカ」。シソ科の花だそうだ。

フランス映画

2013-12-03 15:51:43 | 日記
December 3, 2013

昨夜夜更かしして仕上げた点訳を校正者宛てにメール便で送った。これで理数関係の私の持ち分は全部終わった。何か追われるように過ごしてきた今年の日々も、そろそろ終わりに近づいている。ここでギアを入れ替えて、来年は理数の点訳からは少し距離を置こうと思っている。外に出たついでに、「アルテリア・シネマ」で、映画「タイピスト」を見た。公開された時、新聞でも話題になり、友人からもすすめられていた映画だ。これもフランス映画、選んでいるわけではないが、この国の映画を見る機会が多い。まずパンフからあらすじを引用しよう。「1950年代のフランス。女性たちは自由を求めて社会へ飛び出そうとしていた。そんな彼女たちの憧れ№1の職業は「秘書」。その中でも最も高いステイタスを得られるのは、当時一大競技として人気だった〈タイプライター早打ち大会〉で勝つこと。ドジで不器用なローズは、秘書になるため各国代表と、タイプでオリンピックさながらの闘いに挑むことになるのだが・・・」日本では、フランスより30年ほど遅れて、「秘書」という職業が女性のあこがれになり、タイプを習う女性が多かった。また同じころ日本では短期大学が花盛りで、女性の就職戦線のトップを占めていた。あれから半世紀近く経った現在、IT機器が普及し、女性も4年制大学を卒業して専門職に就く人が増えてきている。しかし、聞いた話ではあるが、最近また社会に進出するより結婚して家に入ることを望む女性が増えているというが。政治の世界を見ても、日本は旧態依然として、という言葉通りの国ですね。

さて映画であるが、やはりフランス映画、競技にしのぎを削る女性の応援には、彼女たちといわく因縁がある男性が付きまとう。また、第二次世界大戦から5年ほどしか経っていないのに、マニキュアの色でタイプのキーボードの位置を決めるなど、やはりフランスだと感心した。主役のローズを演じる女優が、難解な文学書のタイプ、ピアノレッスン、ジョギング、心理戦の訓練と、競技を勝ち取るまでに才能を開花させていく過程を見ていると楽しい。いろいろなことが出来なくてもいい、ひとつだけ何かすぐれたものがあれば…という言葉がこの映画の中でも語られているが、何かひとつのことで人より抜きんでるためには、様々なことへの挑戦も必要であり、それによって人間も成長していく、サクセス・エンターティメントではあるが、そんなことも伝えてくれる映画だった。

あまり俳優の名前は覚えられないが、フランス映画を見る機会が多いので、わき役を演じる俳優に顔なじみの役者が出来るのがうれしい。今日は、「大統領の料理人」というフランス映画が予告作品の中にあった。これも話題になった映画で、今年はこの映画を見おさめとしたい。

画像は「ツワブキ」、 住まいの団地の玄関先で撮った。 いつも見慣れている景色も、写真に撮ると違って見える。