私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

パンを作る

2015-09-26 18:06:14 | 日記

September 26, 2015

9月23日(水)、24日(木)
妹から電話でレシピを教わり、パンを作ってみた。パン作りは初めてだ。若いとき、子供たちのためにパン作りに励んだ方が多いようだが、私は今ごろになって、たまたま強力粉が手元にあったので、挑戦してみた。栗原はるみさんの本を参考にしているようだ。これはこねないで作るものなので、室温で寝かせている時間が長い。結局焼きあがったのは、夜の9時を過ぎてしまった。パン作りに夢中になる人たちの気持ちが分った。本当に売ってるのと同じような、直径15センチほどの丸いパンが、こんがりとした色で出来上がってきた。まるで生まれたばかりの赤ちゃんのようだ。歯を磨いてしまっていたが、早速端を切って食べて見ると、またまたおいしいこと。私は実家にいる時も、家を出てからも、朝はパンと決めている。最近は6枚切りの食パンを半分にして食べるだけだが、1杯のコーヒーと半切れのパン、新聞をゆっくり読む朝のひとときは、私には至福の時だ。で、出来上がったパンを1・5センチほどに切り、一枚ずつ冷凍した。すぐに食べるのが一番いいのだろうが、独り暮らし、それは無理だ。

翌朝これをトースターでこんがりと焼き、クリームチーズに手製のレモンカードを塗って食した。一時でもこんな幸せを味わえるのはうれしい。ちょうどお彼岸時、母の写真におはぎを供えたが、晩年の母とこんな時を過ごせなかったことに、心がチクリと傷んだ。

9月26日(土)
駅前の有隣堂で栗原さんの料理の本を開くと、ありました。私が作ったのと同じパンが載っていた。他のレシピもいろいろとあり、手元に置きたいとも思ったが、せっかく妹が電話で教えてくれたのだし、まずはこのパンを毎週作ることが先決だ。スーパーで強力粉を買って帰った。昨日は、読書会をご一緒していて、7月はじめに脊柱管狭窄症の手術をされた友人からお電話をいただいた。私も右目が不自由で、何となく気のはれない日々が続くが、友人も、手術をしても若い頃のようにはならないようだ。同年齢、気持ちが通じることが多い。まあこれからは、身体的な障害は仕方がないこととして、気持が滅入らないようにしていきたいと思う。友人は、短歌の会に属して、うたを詠んでいる。私は食いしん坊なのと料理が好きなことが、大いに役立っている。お勝手に立てる間は、いろいろなことに挑戦してみたい。

画像は、友人のメールから、「イワシャジン」。岩場などに根を張る山野草とのこと。


ミッドタウン

2015-09-22 09:45:25 | 日記

September 22, 2015

しばらくぶりで、東京に住む友人とランチを共にした。場所は六本木のミッドタウン、別の友人のブログに、結構リーゾナブルな食事も出来るとあったので、ここに決めた。わが家からは小田急線から千代田線直通で、1本で行ける。同じ駅で降りる新国立美術館には何度も行っているが、ミッドタウンは若者の街というイメージが強く、足を伸ばすことがなかった。しかし友人の案内もあってだが、広い庭があり、休日ということもあり、家族ずれがシートを引いて芝生でくつろいだりしていて、アットホ―ムな光景があった。何でも足を運んでみないと分らないことだ。

ミッドタウンの中にある「富士フィルム スクエア」で開かれていた「昭和のこども」という写真展も覗くことが出来た。どこに入るのも無料である。私は昭和12年生まれなので、まさに「昭和の子ども」に該当する。自分の姿を追いかけているような思いだった。私より少し年上の友人は、より一層感慨深いものがあったのだろう。貧しくて弁当を持ってこれない子供の写真には涙が出たと話してられた。この写真展を見れたことは収穫だった。いまも書棚のどこかに押し込まれている写真集、土門拳『筑豊のこどもたち』からの写真もあった。写真機に凝ったりする趣味はないけれども、写真を撮るのは好きだ。画廊の2階に展示されている古くから現代までの数々の写真機を見ることも出来、これも面白かった。紅葉の頃の公園も訪れてみたい。

上の画像は、ミッドタウンの庭園内の池を望む風景。下の画像は、富士フィルム スクェアでの「昭和のこども」展のパンフから。そこにある言葉も次に引用させていただく。

戦後70年である今年は、昭和90年にあたります。戦争、敗戦からの復興、高度成長と、「昭和」は、まさに激動の時代。こどもたちを取り巻く生活環境も劇的な変化を遂げました。本展は、木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩、林忠彦、田村武能、熊切圭介、斎藤康一ら日本を代表する写真家と、各地方で記録を残した写真家たち合わせて19人が、昭和11年から51年に撮影した作品を展示します。決して豊かではなかったけれど、たくましく生きるこどもたちの笑顔は、時代や地域、世代を超えて見る人の幼い頃の記憶を呼び覚まします。私たちに力と希望を与えてくれる展覧会です。

 

 


『遠い声 遠い部屋』

2015-09-20 17:02:19 | 日記

September 20, 2015

トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』を読んだ。村上春樹訳の『真夏の航海』を読んだ時に同時に買ってあったのだが、読みたいと思いながら、図書館からの本を優先してしまうので、遅くなってしまった。1948年に、ランダムハウスから出版されるとすぐ、読書界に大きな波紋を投げかけたという。大作家になってからの『テイファニーで朝食を』も好きな作品だが、読書会でも読んだ『誕生日の子どもたち』など、1940年代の作品は、どれも、天才の感性にひきつけられる。登場する少年も少女も、ハチャメチャにその時代を生きているようでありながら、悲しみが漂う。成長するにつれて、大人になるにつれて失われてしまうであろう無垢なもの、老年になって、それでも自分の奥深くに眠るそんな感情を懐かしく追い求める自分の姿があったりする。本を読む楽しみは、私にはそんなところにある。文庫とはいえ、かなり読みでのある本だった。いたるところに引き付けられる言葉がちりばめられているが、その中の一節を次に引用させていただく。訳者は、河野一郎氏、素晴らしい訳だった。

 生まれる前。そうだ、それはどんな時だったのだろう? それは今のような時だったのだ、そしてわれわれが死んでも、なお今のままの時がつづくだろう―これらの木や、あの大地、あのどんぐりの実、太陽や風は、変わることがない、ただ土にかえる心を持つわれわれのみが変わるのだ。今ジョエルは十三という歳で、将来のどの時期におけるよりも死を理解していた―彼の内部では一輪の花が開きつつあった、やがて堅くむすんだ花弁がすっかりひろがり、青春の正午がひときわ赤々と燃えさかるとき、彼もまた他の者たちのようにふり返り、ほかの扉の出口を捜し求めるのであろう。・・・(トルーマン・カポーティ『遠い声 遠い部屋』新潮文庫)

午後から、CDの棚を整理していたら、点訳で知り合った若い友人から作ってもらった、ピアニスト・辻井伸行のCD、「神様のカルテ~辻井伸行自作集」と「Mozart Albam」が目に付いたので、何回も聞いて楽しんだ。数日前の新聞にあった、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演の紹介記事の中でも、辻井伸行さんの独奏の日の分は完売と出ていた。相変わらず人気があるのだと思った。よく分らないが、聴く人誰の心の中にもすっと入ってくる演奏だからなのだろう。厳しい音楽の世界だとは思うが、邪念のない一筋の道を歩むこのピアニストの姿が、演奏に出ているのだろうか。

画像は、妹のメールから、「女郎花としじみ蝶」。


まだ9月なのに

2015-09-17 10:44:49 | 日記

September 17, 2015

猛暑の後は一気に冬ですか、とはいかないだろうが、気候の異変は続く。そのうち、日本にも四季が無くなるかもしれない。とはいえ、このくらいの陽気は、点訳が進む。英和辞典の点訳、私は遅れての参加だったが、新しい版が出たので、新たに出発するというところだった。この仕事を主催している「辞書パソコン点訳会」は、すでに別の英和辞典、独和辞典など、様々な辞書を完成させている。今のメンバーの方々が手掛けた「古語辞典」は、15年かかって完成させたとのこと、気の遠くなるような仕事だ。さて、この辞書に携わっているのは9人だけ、しかもほぼ私と同年齢の方々だ。私は目に故障を抱えてしまったが、皆さん何か不具合がある。2500余ページのうちの300ページを今年中に完成させたいとのことで、あまりのんびりしてはいられない。「頭のしっかりしている間に」というのが合言葉になっている。

少し個人的なことに触れてしまったが、点訳だけが日常ではない。昨夜は、安保法案が参院を通過してしまうのではないかと、ニュースに聞き入った。政治がらみのアンケートにしても、NHKと民放とでは大きな違いがある。「国策」という言葉が頭に浮かぶ。雨の中を国会周辺で反対の声をあげている方々に、自宅からエールを送る。涼しくなって、友人とランチを共にしたりする機会も増えた。贅沢は出来ないが、こんなことも必要だろう。そんな時、意見を共にする方たちとの交流が大切だと、改めて思う。秋の花が友人から届いたので、今日のブログは、画像を愛でてください。

画像は、友人のメールから、「秋明菊」と「彼岸花」。今年は例年よりは早く開花したそうだ。しかもいつもは後で咲く彼岸花の白が先だったとか。自然はいろいろなことを教えてくれる。

 


金魚

2015-09-13 10:54:05 | 日記

September 13, 2015

  一匹の金魚の生きていることがうれしくて子は作文を書く  (仙台市)小室 寿子

朝日新聞、歌壇・俳壇のコーナーの中で見つけた1首だ。文学的な優劣は分らないが、子供の気持をよく描写している歌だ。 長くブログを書いていて思うことは、こんな短文でも、うれしさであれ悲しさであれ、何かの感情移入があってはじめて文が書ける。この歌の背後にある状況は分らないが、私は、子供の頃、課題を出されて書く作文が書けなくて苦労したことを思い出した。さてわが家の金魚は、もう10年以上生きている。頭の上にこぶが出来たりして、それなりに苦しい老後を送っているのだろうが、1日一回与えられるえさを喜び、あとはゆらゆらと水の中を浮遊し、夜は寝ているようだ。 

私の朝の日課は、まずやはり10年以上生き続けている文鳥の、青梗菜とえさを新しいのに入れ替え、鳥かごから少し離れたところにいる金魚にえさをやる。分っているのか何なのか、私が金魚にえさをやるときには、文鳥が必ず変わった声でさえずる。金魚に何か話しかけているのかいないのか。アンデルセン童話の『ひなぎく』が頭をよぎる。これは残酷なお話だが、手厚く扱われているとはいえ、彼らもそれぞれ「籠の鳥」だ。何か訴えたいこともあるだろう。「私は勝手に行動していますが、あなた方のことは大切な同居人だといつも思っていますよ。」

ここで、いつも「たまプラーザ」でランチをご一緒する友人から電話があり、明日いつもの所でお会いすることになった。家にいるとどうしてもパソコンに向かってしまうので、こういうお誘いはありがたい。お会いいするのは久しぶりだ。お借りしていた本、マイヤ・プリセツカヤ『闘う白鳥』(文藝春秋)はとっくに読み終えてあったが、ブログでは触れなかったので、少し書いてみる。1996年に刊行された本で、20世紀最高のバレリーナと言われるマイヤ・プリセツカヤの自伝である。3500円もする大分な本で、こんな機会がなければ読めないものだ。バレーを観賞するような余裕がない生活だったが、日本人にはおなじみの方であることは知っていた。しかし、この本を読んで驚いた。バレーとは離れても、この方のすばらしい人間性を堪能させてもらった。半生を過ごしたソヴィエト社会の裏側について、ボリショイ・バレーを守るための、権力者たちとの闘い、さらに、私がソ連の解放者だと信じていたゴルバチョフ、またその夫人ライサの芸術家への圧力に敢然と立ち向かう姿など、世界一流の芸術家に触れた思いだった。 忘れかけていた本にさっと目を通せたので、明日は本についての話も楽しみだ。 

画像は、通いなれた図書館の庭で撮った。「禅師丸柿」という立て札がある。私の住まいと同じ区内の「柿生」という場所の山中で、鎌倉時代に発見されたものだという。小ぶりで甘く種が大きいのが特徴だそうだ。


自然の力

2015-09-12 10:11:25 | 日記

September 12, 2015

そろそろ起きようかなと思っていたときに、少し強い地震があった。ラジオでは、震源地が東京湾で、地震の強さは5弱とか。ここ数日続く台風の余波による関東から東北地方にわたる大雨による被害は、テレビの画面から目をそらすことが出来ないほどひどいものだ。やはり頭に浮かぶのは原発のことだ。放射能を含む土が流されたりしているというニュースを聞くと、ますます原発再稼働に反対していかなければと思う。外らの脅威から国民を守るなどという詭弁で強引に成立させようとしている安保法案より以前に、温暖化により起こる今後の自然の脅威からの対策の方が大切だろう。政権の「あほ」どもは、この騒動の中で安保法案を通してしまおうともくろんでいるかもしれないが。

10日には、久しぶりに辞書点訳の例会があり、雨の中を出かけた。しかし、最近の私の体力の衰えはひどい。分厚い英和辞典のほかに資料や参考書を携帯してちょうど通勤にかかる時間に1時間半以上かかって目的地まで出かけることがいつまで可能かという考えが、頭をかすめる。勉強会ではそれなりの意見の交換があったりして、今の私には必要なことなのでプラス思考でいこうとは思うが、40年以上点訳にかかわってこられた、一番高齢の85歳の方がお休みされている。眼に障害のある方々も点字離れの傾向が強いと聞く。アメリカなども音声中心になりつつあるという。時代はどんどん変わっていくという現実を実感させられる。とはいいつつ、今日も午後からは、少したまってきている点訳に従事するつもりでいる。

話変わって、朝からいつものように料理を作った。非常に庶民的な話で恐縮だが、例会後にいつも何人かと練馬駅近くにある「大戸屋」というチェーン店の食堂でランチを食べる。私は「鶏肉と野菜の黒酢あんかけ」と決めている。リーゾナブルでとてもおいしい。さて今回レジのところで売っていた「黒酢あんの素」というのを買ってきたので、それを作ってみた。鶏肉の代わりに、材料があった肉団子を使い、レンコンやニンジンなどの野菜を素揚げして、最後にあんを絡めた。温かいうちに食べるといいのだろうが、これを夕食にする。お味はどうだろうか。久しぶりに書いたブログが相変わらずまとまりがなくてごめんなさい。

画像は、9月の雲。台風一過、青空に浮かぶ雲を見ていると、気持ちが安らぐ。これも自然の力だ。


『低地』

2015-09-04 13:50:53 | 日記

September 4, 2015

ジュンパ・ラヒリ『低地』(新潮社)を読み終えた。この作家の短篇集『停電の夜に』(新潮文庫)を読んだ後、すぐに図書館に予約して手元に届いたのだが、数ページ読んだところで目の問題がおこり、そのまま図書館に返却せざるを得なかった。再び予約して、今回やっと読むことができた。著者のラヒリは、両親がカルカッタ出身で、自身は、ロンドン生まれ、幼少時に渡米し、アメリカで大学・大学院を経て、小説家の道を歩み出したようだ。『停電の夜に』にもインドが登場する。本書は、フィクションではあるが、著者の家族を連想させる物語だ。

カルカッタ郊外の低地で育った年子の兄弟、おとなしい兄とやんちゃな弟、2人は仲むつまじく育ち、優秀な成績で分野は違うが大学に進む。卒業後、兄はアメリカに学位を取るために留学し、弟は高校教師になり、革命運動に身を投じ、身重の妻を残して、26歳の若さで官憲に射殺される。私はインドの歴史には疎いが、この時期、こういった形で死を迎えたり、獄死した若者が多かったようだ。兄は、両親と折り合いの良くなかった弟の妻をアメリカに連れ出し結婚、結局破たんを迎える。このあたりから物語は深まっていく。

登場人物のそれぞれが、インドのカルカッタと、アメリカのロードアイランで、壊れそうで壊れない人生を生きていく。宿命の糸に導かれたとはいえ、主人公のスパシュ(兄)が強い意志を持って歩んで行く姿は、なぜか日本人の生き方に共通するものがあるようにも感じられた。 字も小さく、かなり大分な小説ではあるが、読み始めたら、食事も忘れるほどに引き付けられた。最近長編を読む機会が多い。片目で読んでいるので疲れはするが、暇を存分に潰すことができてうれしい。

画像は、友人のメールから、「布袋葵」。本書の舞台となっている低地に、この花が繁茂している様子が書かれている。表紙にもある。偶然なことだったが、こんな結びつきに驚いている。