私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

読書会 友川カズキ『一人盆踊り』 (ちくま文庫)

2019-09-25 18:12:31 | 日記

September 26, 2019

9月24日(火)
まだまだ残暑は厳しいが、久しぶりの読書会だった。一人暮らしの私は、さすがに人恋しくなってきた。そんな中での読書会で、心が潤った。本は、友川カズキ『一人盆踊り』。いつも書いているが、なかなか私一人では選べない本だ。著者 友川カズキは、バスケットで有名な能代工業高校を卒業し、集団就職で上京、歌手、画家、詩人、競輪愛好家、俳優、コメンテイターと八面六臂の活動を続けている人物だ。なかなかの自由人のようだが、1950年生まれというから、70歳に近い年齢だ。本書は、短文と詩で構成されている。名文家だが、私は、とくに詩に惹かれた。

著者は、農家の男ばかり四人兄弟の二男で、弟の覚は、列車に飛び込み31年の生涯を閉じた。彼は、詩を書きながら、何かを果たせずに旅立っている。その弟に、著者は本書で書いている。

なあ、覚。
お前が裡なる寒さに凍えながら歯をくいしばりながら死ぬ気で産みおとしたお前の詩篇らは今オレの腕の中にしっかりとあるぞ。
安心せい。
安心して、眠れ。(『一人盆踊り』)

さらに、詩篇の中から、「空を飛ぶー弟覚の七回忌に」 の一部(前後に詩の続きがある)を次に載せる。

サトルは
たしかに悩ましい時節では
あったかも知れぬ
唇の痛い朝を
経験していたかも知れぬ
しかしそれは
サトルのどこぞから出た
失い方であり
居続けることのひとつの
決着のつけ方でしかない
サトルの口ぐせは
「オレは年喰い虫だや」
であった
それからすると
死、とは腹いっぱいの眠りである
ゆるやかな帰結である
死体とてサトル自身のものである(『一人盆踊り』)

いろいろと引用させてもらったが、私の読後感である。東北人の細やかな家族のありように触れた思いだった。次回の読書会は私が担当になっている。モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)を取り上げようと思う。

画像は、妹のメールから。

 


 

 


酷暑の後に

2019-09-16 09:47:56 | 日記

September 16, 2019

8月末にブログを中断して以来ずいぶん時が過ぎた。残暑も厳しかったが、何よりもブログを書く意欲がなかった。急に涼しくなったり、暑さがぶり返したりという日常に、老齢の身はついていけない。年齢など意識せずに過ごしてきた日々が、突然変わってしまったようだった。机の上には点訳しなければならないデータが積み重なり、読みたい、読むべき本はたくさんあるのに、頭が活字に向かていかない。新聞を読むのが精いっぱいの日常だった。さらに、買い物に出かけた途中で足の裏が硬直し、しばらく一歩も進まなくなったりと、これは何か体の中に異常をきたしていりゅのではないかとも考えた。何しろ医者にかかるのは最後の最後にしたいと思っているので、自己流にいろいろ診断してみる。今年の猛暑と、そのあとに訪れた気温の低下などに、老体がついていけなかったというところだろう。

それでもやっと気力が出てきた。パソコンに向かう意欲も出てきたし、何よりも、街に出かけて秋の味覚の材料を買うことができた。今日は、大鍋いっぱいの煮物の準備をしたり、衣替えをした。何でもないことが、人の気持ちを変えたりする。前向きな気持ちになったきっかけは、昨日のテレビで見ていたマラソン中継かもしれない。スポーツには、頭のどこかに偏見があって、若いころはなかなかなじんなかったが、テレビで一番面白いのはスポーツ観戦だと、この頃思う。特にマラソンは、選手のすごさに圧倒されて、最後まで見入ってしまう。世界や日本で上位に位置する選手は、私から見れば神の領域だ。だからこそ人々を魅了し感動させるのだろう。今月末には、読書会や点訳の会が始まる。秋は人恋しい季節だ。皆さんと顔を合わせておしゃべりをしたい。

予約してあった本を取りに図書館に寄った。なんかこの場所も久しぶりな感じがする。本は、レティシア コロンバニ『三つ編み』(早川書房)。だいぶ前に予約してあったので、どういういきさつで読みたいと思ったのか思い出せないが、読むのが楽しみだ。花屋によって、コスモスの花束を買おうとしたら、すでに売り切れていた。仕方がなく、今年初入荷のものであろう、ミニシクラメンのビニールバチを買って帰り、画像に取り入れた。画像がぼやけて、また少し大きすぎました。