私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

コリン・デクスター

2017-03-23 09:20:28 | 日記

March 23, 2017

新聞の死亡欄を見ていたら、コリン・デクスターさんの名があった。40代、50代の頃にその作品を夢中で読んだイギリスのミステリ作家だ。あの頃は、コリン・デクスター以外にも多くのミステリ作家の本が早川書房から翻訳され、心の隙間を埋めてくれた。もちろん今もミステリは翻訳されているのだが、私には、あの頃のような情熱がない。懐かしい名を目にし、自分の行く末がそう長くは残されていないと悟った。

いろいろと話題のなっている森友学園の籠池泰典氏の証人喚問の様子をテレビで見た。問題の善し悪しは別として、自民党のおごりを感じた。首相夫人は私人だと言っておきながら、官房長官が夫人の立場を正当化する、おかしいですよね。韓国の現政治状況を見ると、何か遅れた国の様子を感じるが、我が国だって褒めたものではない。自民1党を許している国民にも責任があるだろう。籠池氏の言葉、「事実は小説より奇なり」も面白かった。

画像は、ベランダのスミレ。


冬を乗り越えて

2017-03-18 13:29:42 | 日記

March 18, 2017

冬を乗り切って春を迎える、当然の季節の移り変わりがこんなに新鮮に感じられるのは1年前にはなかったことだ。これからは年々こういう思いが強くなっていくのだろう。今日は皮下注射の日なので、病院行きのバスに乗るために駅前まで出かける。こぶしや木蓮の花を目にしたり、住宅地の塀の上に覗く木々の新芽を愛でたり、春がいたるところにあふれている。図書館によって借りていた本、末盛千枝子『「私」を受け容れて生きていく』を返却する。この本は、一般の人ならば自費出版するような内容の本で、特に感銘を受けることはなかったが、高橋たか子『ライサという名の妻』(女子パウロ会)が目にとまったので、アマゾンで古本を注文した。ハードカバーの素敵な本で、こんな本が送料含みで500円以内で手に入るのがうれしい。すでに手元に来ているのだが、なかなか集中して読めない。

一昨日は点訳の例会があり、今回も校正のファイルをいくつか預かってきた。校正しているときにチェックを入れたりしたいので、原本を必ずコピーする。B4なので、駅前の店のコピー機を使う。そういった準備に手間をかけたりしているとなかなか本を読む余裕がなくなる。久しぶりに本らしい本に巡り合えたので、ゆっくり読むことにしよう。暦を見ると、今日から世間は3連休のようだ。私は、何か世界の動きとはかけ離れたところで動いているようではあるが、それでもどこかでかかわっていきたい。帰りにショッピによって、キムチと豚肉を買った。最近私の中で流行っている「豆腐のチゲ」を今日も作ろう。

画像は、「沈丁花」。住まいのある団地の庭で撮った。この花の香りが、今の季節を象徴している。


若いお客さん

2017-03-10 09:04:07 | 日記

March 11, 2017

   

以前私の英語教室に来てくれていて、たまに顔を出してくれるお嬢さんが訪れてくれた。皮下注射を受けに行く日なので、午後の3時に約束した。骨折以来台所に長く経つと疲れてしまうこともあり大したご馳走はできないが、友人宅でご馳走になりおいしかった合津料理の小汁をメインにした軽食を用意した。会社勤めをしている若い人とお話をする機会はほとんどない今、楽しかった。転職という言葉も出てきたが、今の環境よりは自分にとってプラスだと思えるところが決まるまでは今のところで頑張ってと、分ったような意見を伝えたりした。まだ25歳とか、3倍以上生きてきた私が苦い後悔を含めて語れることもあるかもしれない。

さて、彼女が飼っているハムスターをスマホで見せてもらった。すごく可愛い。文鳥が旅立って以来生き物は飼わないと固く決めていたが、少し心が動いた。ネコと違って私が買えない価格ではない。夕方になって近くのペットショップまで、まずは見学だけということで出かけたが、あまりの可愛さに飼うことにした。ケージなどを全部そろえてもらい、彼女が家まで持ち帰ってくれてセッティングもしてくれた。会社勤めの貴重な休日を1日付き合ってもらって悪かったが、どこまでも優しい。心のこもったお土産、Afternoon Tea の「7cat's collection」もいただき、骨折以来老いの道に突き進んで行くような気分が吹っ切れた。生ある限り前向きに頑張ろう。

画像は、お持たせのケーキとハムスター。名前はヘンリーにした。

          


一進一退

2017-03-07 08:15:21 | 日記

March 7, 2017

お天気も私の骨折も一進一退だ。今日は朝4時に目が覚めてから、とても眠れそうもないのでいつものように朝シャワーを浴びて、抱えている点訳に取り掛かった。頭の体操も兼ねているとはいえ、以前見たことがあってもすっかり忘れてしまっている書き方を調べているとすぐに時間が過ぎて行く。カーテンを閉めたままでパソコンに向かていて、気が付いたらカーテン越しに朝の光が入ってきている。天気予報では今日は寒空のようだが、午後から借りている本の返却と新しく届いている本をとりに、図書館に出かけた。

借りてきた本は、末盛千枝子『「私」を受け容れて生きる』(新潮社)で、新聞の読書欄か何かで紹介さえrていたように記憶する。予約してからだいぶ長く待たされた。安野光雅のカバーが美しい。著者の父は彫刻家の船越安武、恵まれた環境の中で育った才気あふれる女性、しかし誰にせよ人が生きていく過程にはいろいろなことがある。そんな姿を、言葉を通して垣間見れるだろう。図書館の帰りにアルテリアシネマで上映されているフランス映画「皆さま、ごきげんよう」を見ようかとも思ったが、北風が強くなってきたので帰宅した。骨折以来1冊ぐらいしか借りていない図書館に足を向ける習慣が戻ってきたのがうれしい。

郵便受けを覗くと、郵袋がふたつきていた。郵袋は、盲人用の無料で郵便物を送れる布の袋。点訳物もこれを使用している。70歳で始めた点訳は今年でちょうど10年になる。あっという間に過ぎていった歳月だが、これからはもっと駆け足になるだろう。最近の物忘れを思うと、いつまで続けられるかと不安になる。友人のブログを覗くと、これから海外への旅に出発するということだった。私よりはだいぶ若い方だが、それにしてもうらやましい。たびたび海外に出かけられて、旅行記のホームページも開設されている。人それぞれという言葉が都合よく頭をよぎるが、それぞれと言いきれるだけ内容のある生活を送れずパターン化していく日常がこわい。

今日は少しテンションが落ち気味だ。寝不足のせいかもしれない。画像は、妹のメールから、「福寿草」。