January 22, 2019
今年最初の読書会。本は、三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫)。杉並区の古い洋館に、事情は違うが自立し生きる4人の女性が暮らしている。自立してというと何か大げさに聞こえるが、そうではなく、自分の生活を男性に頼らずに生きるすべを何とか確保している女性たちだ。私自身と被るように思えるところもあり、一気に読了した。カラスや河童の亡霊のようなものが擬人化されて登場したり、小説として新たな工夫をしているようだが、あまり感心できなかった。解説には、谷崎潤一郎の『細雪』が下敷きになっているというよう言葉があったが、そうであれば余計に、今の小説の不毛状態がわかるような気がする。私の世代にとっては宝物のような谷崎文学のにおいが全く感じられなくても、現代においては、そこそこ優れた文体を持つ作家として評価されるということへの疑問である。それは私が現代を生きていない過去の人であることによるのかもしれない。三浦しをんや角田光代の本は、これからも機会を求めて読んでいきたいとは思っている。私もひとところに立ち止まっていたいとは思はない。
さて2019年、今年は新しい年号に代わる年であり、どうもその日が予定されている5月1日までは、余分な日々を生きているようなメディアなどの取り上げ方が気になる。2020年に東京で開かれるオリンピックまでの日々についても、日本中がスポーツ一色に塗りつぶされるようで、同じような違和感を感じる。ここで元号の持つ保守性について論じるつもりはないが、若い人たちは、元号についてどう考えているのだろうか。何でもお仕着せのものを疑問を感じずに取り入れていく現代の若者たちと話しても、あまり接点はないようにも思えるが。元号論は別として、新しい年号のもとで日常が展開されていく人たちにとって、私たちの世代はまさに化石世代ということになるのだろう。本質に触れずに書いているので奥歯にものの挟まったようになってしまった。何はともあれ、私はこれからも可能な限り西暦で通して暮らしていくつもりだ。
画像は、友人のメールから。