私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

読書会(三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』)

2019-01-22 18:40:34 | 日記

January 22, 2019

今年最初の読書会。本は、三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫)。杉並区の古い洋館に、事情は違うが自立し生きる4人の女性が暮らしている。自立してというと何か大げさに聞こえるが、そうではなく、自分の生活を男性に頼らずに生きるすべを何とか確保している女性たちだ。私自身と被るように思えるところもあり、一気に読了した。カラスや河童の亡霊のようなものが擬人化されて登場したり、小説として新たな工夫をしているようだが、あまり感心できなかった。解説には、谷崎潤一郎の『細雪』が下敷きになっているというよう言葉があったが、そうであれば余計に、今の小説の不毛状態がわかるような気がする。私の世代にとっては宝物のような谷崎文学のにおいが全く感じられなくても、現代においては、そこそこ優れた文体を持つ作家として評価されるということへの疑問である。それは私が現代を生きていない過去の人であることによるのかもしれない。三浦しをんや角田光代の本は、これからも機会を求めて読んでいきたいとは思っている。私もひとところに立ち止まっていたいとは思はない。

さて2019年、今年は新しい年号に代わる年であり、どうもその日が予定されている5月1日までは、余分な日々を生きているようなメディアなどの取り上げ方が気になる。2020年に東京で開かれるオリンピックまでの日々についても、日本中がスポーツ一色に塗りつぶされるようで、同じような違和感を感じる。ここで元号の持つ保守性について論じるつもりはないが、若い人たちは、元号についてどう考えているのだろうか。何でもお仕着せのものを疑問を感じずに取り入れていく現代の若者たちと話しても、あまり接点はないようにも思えるが。元号論は別として、新しい年号のもとで日常が展開されていく人たちにとって、私たちの世代はまさに化石世代ということになるのだろう。本質に触れずに書いているので奥歯にものの挟まったようになってしまった。何はともあれ、私はこれからも可能な限り西暦で通して暮らしていくつもりだ。

画像は、友人のメールから。


住まいの改装

2019-01-12 14:01:45 | 日記

 

January 12, 2019

新鮮な気持ちでブログの画面に向かい合っている。新しい年はもう半ばに迫っているのに、ブログのことをすっかり忘れていた、というか忘れかかっていた。そうそうブログを書かなければと思いながら、1日が過ぎていくといった具合だ。今年に入って、具体的には1月8日以後、あれよあれよという間に日が過ぎていった。今私が住まいにしているのは、住宅公団の大団地の中の1室だ。この団地が今大改装を始めている。私が住む19号棟は最後に当たるのだが、とうとう現実になり、まずベランダに置いてある荷物をすべて撤去するようにという伝達がきた。もちろん高齢者の場合は手伝ってくれるのだが、粗大ごみの分別など、毎日誰かが訪れる。さらに建物に足場が組まれているので、カーテン越しとはいえ、絶えずひとが足場を行き来し、ついにはベランダにまで侵入したりしてくる。もちろんあらかじめ通達はもらっているのだが、落ち着かない毎日だ。一番大変だったのは、ベランダの荷物の片づけだった。大小の植木鉢の廃棄だけでも、何度部屋とごみ置き場を往復したことか。

これからベランダの大改装が始まるようだ。古い公団の1室から新しくなった今の場所に移ってお喜びしたのはつい数年前のように思えるが、すでに15年近く経ってしまったのだ。きれいになるのはありがたいが、なかなかつらいものもある。やっと粗大ごみの処理もでき、9日という期限に間に合った。さっそく昨日は網戸が外から外されて、壁面に何か施したようだ。全部公団がやってくれること、これが賃貸の良いところだろう。いろいろと勉強になった。ベランダでの花の栽培はやめよう。また余分なものは絶対に購入しない。これを機に、室内にあるものも順次整理して、身辺を簡素化しよう。今年の課題ができた。

話題変わって、新年の点訳の例会は17日と決まっていたが、キャップをされている方が、けがをされてしばらく安静にしなければならないとのことで、中止になった。少しお休みすれば元に戻られるだろう。私も腰椎の圧迫骨折で苦しんだので、無理をされないよう、完治を祈りたい。点訳は一休みして、図書館の本を優先して読みかけのままになっている本を読もう。読書会もそろそろ始まる。新しい年はなお一層健康に留意していきたい。

画像は、昨年姉妹で東京を散策したときに、ホテルの窓から撮った月の画像。写真を整理していて見つかったので載せてみた。最近空気が乾燥しているので、夜空を仰ぐと月がきれいだ。これはネオンに邪魔されながらも輝く都会の月。


新年に

2019-01-01 17:59:42 | 日記

January 1, 2019

一人で迎える正月は、もう何年続いているだろうか。特に感慨はないが、昔家族で囲んだお雑煮が思い出されたりする。年賀状に返事を書いたり、いただいた電話でおしゃべりしたりしているうちに1日は暮れていく。午後所在ないので点訳を始めていたら、同年代の点訳仲間の方から電話があり、点訳関係のものは、三が日は目の見えないところに隠しておきなさいと言われてしまった。その通りですね。この方は点訳の会では珍しく独身で、話も合うのでたまに外でお食事をしたりする。今の住まいが契約改定の時期になったので、有料の老人ホームを探しているとのこと。食事の心配もなく、またいろいろな不安も解消されるのでいいことだと思う。私は気持ちはあっても余裕がないので今の状況で頑張るしかないが、ちょっとうらやましい。

さて新しい年を迎えて、今年はぜひマスターしたいと思っていることがある。ブログには、結果が出たら触れよう。年々心身ともに衰えていく一方であるが、細い糸でも好奇心を絶やさないようにしていきたい。能天気なのか何なのか、今まであまり自分の置かれた環境に不満や心配を感じたことがない。しかしこれからはそうもいかないことが訪れるだろう。「その時が正念場だ」と、何かが起こったことに対して母が言っていた言葉が頭に浮かんだ。その時のことを頭の片隅に置いて、まあゆっくり行きましょう。蛇足だが、私の誕生日は4月30日なので、今年は年号が改まる日だ。昭和、平成と生きてきて、新しい年号を何年経験できるだろうか。

画像は、玄関に置いた正月の花。ささやかだが、帰宅して玄関を開けると水仙の香りが迎えてくれる。