私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

図書館へ

2018-12-24 17:28:57 | 日記

December 24, 2018

予約してあった本が整ったというメールが入り、図書館に出かけた。何かひさしぶりな感じがする。本は、平野啓一郎『マチネの終わりに』(毎日新聞出版)。予約してからだいぶ待たされが、ちょうど読んでいた本、角田光代『拳の先』(文春文庫)を読み終えたところだったので、すぐ借りてきた。『拳の先』は文庫本で650ページほどあり、読了するのに少し時間がかかった。その代わり、ずいぶん楽しめたともいえる。同じ登場人物の本が前作にあり、角田さんの本を読み続けている人にとってはなじみの内容の続きといったところのようだ。たまたまボクシングは私の好きなスポーツであるが、この本が扱っているのはスポーツのボクシングではない。だからこそ分厚い本を飽きずに最後まで読み続けることができたのだ。さらに自分が今までもボクシングをスポーツとしては考えていなかったことにも気づかされた。何かに挑戦する、そしてその先にあるもの、私たちが日常に体験していることを描いている。

今日は北風が冷たい日だった。暖かった冬の日が一気に本格的な冬へと変わって、こんな寒さが年末まで続くという予報である。駅前まで出かける。24日、クリスマスイブに祝日が重なって、家族連れで買い物をしている人が多かった。この消費経済の外に追いやられている家族のことを思ったりした。私もそうですね。図書館の隣に店を出している農協でミカンとおもちを買い、バスで帰宅した。読みたいと思っていた本が手に入ったことが、心を温かくしてくれる。今年もあと数えるほどの日しか残っていない。多分今年最後のブログになると思う。つたない、また気まぐれなブログを覗いてくださって感謝しています。皆様よいお年をお迎えください。

画像は、最寄りの駅の構内に飾られたクリスマスツリー。


年末のルーチン

2018-12-17 11:08:19 | 日記

December 17, 2018

13日に、今年最後の点訳の例会に出席するため、武蔵境まで出かける。最近生活に変化がないので、ブログも例会だよりだ。会場の都合で、午前になったり午後になったりする。今日は1:00からだった。少し早めに家を出て軽食を取り、会場の読書室で本を読む。角田光代『拳の先』(文春文庫)。ボクシングの話だ。テレビのボクシングの試合はたいてい見る。格闘技にまつわる雰囲気は好きではないが、1対1の真剣勝負は見ごたえがある。ルーツは、若いころ勤めていた小さな出版社の編集長がボクシング好きで、誘われてよく皆で見に行った。たまたま角田さんの本書が文庫化されていたので購入した。ついでに山積されていたP.G.ウッドハウス『ジーブスの事件簿』(文春文庫)も買う。巷で話題になっている本で少し抵抗があり、新本を買うのも久しぶりだ。これは点訳会場に行く往復の電車の中などで読了した。1度読んだことがあるように思えてきたが、この頃の忘却病では、何もかも定かでない。

今年最後の例会であり、皆さんとゆっくりお話ししたかったが、5時ごろに高校生が英語を教わりに来ることになっていて、急いで帰宅した。しかし、帰宅すると電話があり、今日は体調を崩したのでお休みするという連絡が入った。もう少し早くラインに連絡してくれればと思ったが、こういうことに腹を立てていたのでは身が持たない。挨拶もせずにあわただしく帰ってきてしまったので、点訳の例会を取り仕切っている方に一筆お詫びと今年1年のお礼をしたためた。今年も残り少なくなった。代り映えのしない年ではあったが、何とか健康を維持できたことを喜びたい。

最後になってしまったが、表題のルーチンは、年賀状のこと。毎年写真だけ送って妹に作ってもらう。今年は枚数も少なくし、近しい友人、点訳関係の方数人、親族だけにした。目も悪くなり、年々字を書くのも心もとなくなっている。それでもやはり続けたい。また、いただいた賀状にお返事も書きたい。1年間1度もお会いできなかった方もいるが、数々の大切な思い出を振り返るのはこの時しかない。

画像は、友人のメールから。冬のバラも美しい。

 


英語力

2018-12-07 17:53:17 | 日記

December 7, 2018

1週間があまりに早く過ぎていくので、あのことは何曜日にやったこと、起こったことなのか判然としなくなる。たしか週明けに朝から部屋の片づけをし、不要になった文庫本数冊とCDをいくつか駅前の「ブック・オフ」に持って行った。売れるような品物ではないが、捨てるのも忍びない。それでも840円になったので、そこで100円均一で売っている松本清張などの本を数冊買った。ほかの人とかかわる点訳がすべて完了し、次の例会(12月13日)まで気持ちに余裕がある。翻訳物を読むことが多かったが、日本の作家のものも面白い。次回の読書会の本、三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』(中公文庫)を読んでその思いを強くした。

少し寒くなってきているが、今日も駅前まで出かける。銀行など小さな用事を済ませ、バスで帰宅。バス道路にある銀杏並木の葉が散り、道を黄色に染めていて美しい。夕方、友人のお孫さんが、学校帰りに英語を学びに来る。前回、宿題を出してくれという要望があったので、「DUO 3.6」という単語を覚える本を用意した。基本例文を覚えながら単語を学ぶという本だ。毎週1例文ずつでも、前の文を覚えて蓄積していけばある程度の英語力はつくと思うが、どうだろうか。先日朝日新聞に公立高校の英語の教師の言葉が載っていた。英吾の指導モデルとして推奨されている生徒の積極的な参加を促す「アクテイブ・ラーニン」について、警鐘を鳴らしている。日本の英語教育についての不毛の議論である。若いころ携わっていた英語教室のころと変わらない現状に驚くが、私はいまこういった話に真剣に参加していくエネルギーがない。今通ってきてくれている青年の英語力が少しでも上がってくれることを願うだけだ。それにしても、何もかも他人頼みな世の中、突然英語が話せるようになる薬はないということを自覚させることが先決のように思う。

画像は、妹のメールから。


老いに向かって

2018-12-01 15:47:02 | 日記

December 1, 2018

この前ブログを更新してからずいぶん経ったようにも思えるが、またつい先日だったような気もする。冗談ではなく、自分の記憶がどんどん壊れていくのがわかる。情報を集約すると、まだこの程度では認知症とは言えないようだが、確実に何かが衰えていきつつあることを実感する。このブログも、更新しなければと思いながら、すっかり忘れて何日も過ぎていく。今日は友人から花の写真をたくさん送っていただいたので、元気づけられてこのページを開いている。

私の日常は、朝6時には新聞を読みながら朝食を済ませ、掃除・洗濯などの家事も7時には終わる。それから机に向かって、お昼ごろまで点訳をする。テレビは夕方のニュースまでつけない。午後は特に買い物がなくても徒歩で駅前まで出かけ、商店街を一回りし、唯一残っている書店を覗き、バスで帰宅する。忙しい日常を送っている人には申し訳ないような日々だが、こうしてなんとなく時間をつぶさなければならない状況が訪れるなんて、数年前にさえ思わなかったことだ。人によって少しは違いがあるとはいえ、同じ年の友人と話していると似たようなことばかりだ。老いは平等に誰にでもやってくる。ずっと一人暮らしを続けて、自分の思いのままに暮らしてきたが、これからはそうもいっていられないだろう。絆という言葉はあまり好きではなかったが、自分のできる範囲の中で人との結びつきも大切にしていきたい。

画像は、友人のメールから。「ムラサキシキブ」