私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

ウォーキング

2015-07-31 10:00:30 | 日記

July 30, 2015

先日、NHKノ教育テレビに、歌手の雪村いずみさんが出ていた。同年齢なので、懐かしい気分で見入ってしまった。歌を歌い続けていく体力を養うために、ウォーキングを欠かさないとか。都心から埠頭の方まで歩いて行き、バスを2つ乗り継いで帰宅したこともあると話されていた。歩けるところまで歩いてバスで帰るというのは、いいヒントになった。蒸し暑さは大変なものではあるが、夕方リュックを背負い、ウォーキングの恰好で家を出た。あまり調子は良くなかったのに、歩きだしたら体が軽くなってきた。たまには身体を動かす方がいい。頭の中にバス通りを描きながら、駅から下の方に下っていくと、立ち並ぶ高層マンションの下あたりに出た。このあたりは以前は林だった所なので、そんな場所もまだ残っている。下りなので気をよくして、花の写真を撮ったり、独り歩きを楽しんでいるうちに、バス通りが分らなくなってしまった。だいぶ谷底のようなところに入ってきてしまったようだ。このあたりの住人は車を利用しているのだろう。人影はまったくない。遠くで車の音が聞こえるので、多分道を上っていけばバス通りに行きつくだろうと、さらに歩き続けたが、さすがに少し疲れてきた。また不安にもなってきた。マンションの住人だろうか、たまたま子供の手を引いた若いお父さんが通りかかったので、多分この近くにあると思う有名な洋菓子屋さんの名前を出して尋ねてみると、さらに道を登ったところが大きな通りで、そこから右に2百メートルほど行ったところにありますよ、ということだった。帽子をかぶっているので白髪は見えないけれども、背を丸めた姿は、おばあさんだということがすぐわかる。心配されたのか、送りましょうと言ってくださったが、だいたい様子が分ってきたので、大丈夫ですからと言って別れた。

バス通りまで出て、バスで帰宅した。今日の反省。どこでも飲みものは買えるからと用意していかなかったこと。住宅街に入ってしまうと、なかなか売り場が見当たらない。駅前の商店街のあたりをうろついていると、最低限必要なことも怠ってしまうようになる。また、あまり人通りのないところを歩かない方がいいのかもしれない。こんなに歩いたのに、帰宅して万歩計をみると、5千歩余しか歩いていない。毎日1万歩歩くという人は、よほどの健脚なのだろう。しかしこの日は夜中に目覚めることもなく、ぐっすり眠れた。週に3回ぐらいは、さらに遠出してみよう。

画像は、友人のメールから、「ルコウソウ」。赤い色が鮮やかです。
下の画像は、歩きながら、上を仰いで撮った。遠くに、白い百日紅の花が見える。ちょっとさびしいところで、一人歩きは危険かもしれない。


数学

2015-07-26 08:08:48 | 日記

July 26, 2015

日曜日の朝日新聞に掲載される本の紹介のコーナーを、以前は今よりも興味深く読んでいたような気がする。私の読書量が減ったのかもしれない。さて今日は、この欄の巻頭の「ニュースの本棚」で、数学者たちを取り上げている。特に数学に興味があったわけではないが、理数関係の点訳技術の講習を受けて以来、その方面の点訳も経験した。現在、眼の故障もあって、この点訳の会を離れたが、最終的な校正は理数関係を専門に勉強した方に任せるということで、ここは私の居場所ではないとも考えた。それはそれとして、この間に『ガロアの理論』の一部を点訳した。新聞の記事では、登場する天才数学者たちのひとりとして、ガロアについて、「20歳で決闘して逝った」とあった。わけが分らない記号が並ぶ数式を、懐かしく思い出した。

ノーベル経済学賞を受けた米国の数学者で、5月に事故で亡くなった数学者、ジョン・ナッシュの記事も面白かった。「ノーベル賞以上にその名を広めたのは映画「ビューテフル・マインンド」(2001年)かもしれない。統合失調症のどん底から抜け出て栄誉を得るに至った「天才」のドラマチックな半生を描き、アカデミー作品賞に輝いた。シルヴィア・ナサーの同名の原作(新潮文庫・1296円)には、より陰影の深い人間ナッシュが息づいている。」(朝日新聞・2015年7月26日)とある。この本を図書館に予約した。

今日もどんどん気温が上がってくるだろう。涼しい間に点訳をして、午後はだらだら過ごそう。画像は、ベランダの「ブットレア」。紫の花色の木のひこばえから、白い花が咲いた。ベランダ中に甘い香りを放っている。今夏はベランダに蜂を見かけるなと思っていたが、この花の蜜をすいに来るようだ。


猛暑に中で

2015-07-22 15:47:44 | 日記

july 22, 2015

7月22日(水)
梅雨が明けた後の猛暑は、例年のことながら厳しい。といっても家に1日じっとしていれない性分なので、朝食用のパンが切れていたのを口実に駅前まで出かけた。銀行や郵便局でちょっとした用事を済ませ、携帯していた本、南木佳士『陽子の一日』(文春文庫)を、あちこちの待ち時間に読み終えた。この作家は、長野県佐久市の総合病院に内科医として勤務しながら小説も書いてきた人だ。自伝的な内容の作品が多いうえに、ほとんどの作品を読む間に知った作家の履歴などから、知り合いが書いた本を読んでいる気分だった。南木氏は、必ず死につながる肺がん患者を多数見取っていく過程で、心の病に罹ったことも、小説の中で語っている。その頃に書かれた『海へ』は、私が一番好きな作品だ。医師も小説家も定年のない職業だが、老いは誰にでもやってくる。2004年に文庫化されたものを読んでからこの本までに10年余ある。この作品には、『海へ』に描かれたような、まだ見ぬ未来への余韻がない。それは残念だが、仕方がないことでもあるだろう。本書の中に登場していた、カフカの『田舎医者』が含まれている『カフカ短篇集』(岩波書店)と『大草原の小さな家』(英文)を読んでみようと思い、アマゾンに注文した。

7月23日(木)
今日は、『英和辞典』点訳の1ヵ月1回の勉強会だった。台風の影響からか、朝から雨模様でむし暑い。練馬に10:00までに行かなければならない。ちょうど通勤ラッシュと重なる時間なので、余裕をとって8時前に出かけたが、結局ローカルでも座れそうもないと分り、新宿までは満員の急行に乗っていった。分厚い辞書をリュックに背負って、迷惑がられつつ、何とか行き着いた。たまには刺激も必要ですか。2400ページ程の辞典の小さい文字を200倍に拡大して原稿にし、10ページずつ手分けして点訳していく。図あり、表ありで、新しい問題が出てくるたびに、勉強会でコンセンサスをとる。10人足らずの人数で、いったいいつゴールに達することやら。私は後から参加したので、規則を覚えるだけで精いっぱいだったが、何とか軌道に乗せてもらうことができた。頭がついて行かなくなったところでエンドだが、楽しい老化防止だと思ってはいる。

画像は、友人のメールから、「睡蓮」。美しいです。

 


月見草

2015-07-17 20:48:06 | 日記

July 17, 2015

台風の余波、朝から湿度が高く、いやいや手元にある点訳を片づけていたが、我慢できなくなり、4時に、文鳥のケージに毛布をかけて眠らせ、ウォーキングの恰好で駅前まで出かけた。本屋を覗くと、南木佳士『陽子の一日』(文春文庫)があったので購入した。この作家の作品は、何年か前までは夢中で読んでいた。ブログにも何度か取り上げた記憶がある。点訳を始めてから読書量が減ったと思う。眼のこともあって、締め切りのある点訳はやめて、英和辞典一本に絞ったので、また楽しみをとりもどしたい。次回の読書会の本、小川洋子『最果てアーケード』(講談社)と小野正嗣『残された者たち』(集英社文庫)も、読みはじめている。私には、精神衛生上も、読書が必要のようだ。

今日は、画像をタイトルにした。部屋のすぐ前にあるのは分っていても、夜咲いているので、なかなか写せなかった。これも暗くなってからだったが、今のデジカメは性能がいい。さらに画像をいじることもできる。毎日何気なく通っている道端に咲く花も、こうして少し工夫して撮ってみると、物語を感じさせてくれる。

 


では、どうしたらいいか?

2015-07-13 10:05:51 | 日記

July 15, 2015

今週は梅雨が明けて、真夏日がやってくるだろう。今日にも安保法案の強行採決が行われそうだ。いや多分なされるだろう。絶対に阻止しなくてはならないと、いつも掛け声は勇ましいが、結局なすすべもなく終わってしまう。しかしこんなに重要な法案が、国民の過半数の支持も得ていない政党の独断で決まっていいのか、そしてそれをさせないために何ができるのか。空しい気持ちを抱きながら日常に追われている、いや、もっと罪深いのかもしれない。ウインブルトンのテニスの決勝戦を夜遅くまでテレビ観戦したり、野球の巨人対DeNaの試合で連夜のDeNAの勝利を喜んだりしている。さらに、今日はこれからアルテリアシネマへ映画「サンドラの週末」を見に出かける。戦前、東京での何不自由のない生活の中で、4歳の時に聞いたラジオの太平洋戦争突入のニュースに、家の人びとが驚きの声をあげながらも日常が続いていったこと、その後のわが家だけでなく日本中の人々の苦難の生活を考えるとき、「歴史は繰り返される」という言葉が思い浮かぶ。ここでブログを中断。

10:00から、前評判の高かった「サンドラの週末」を見た。映画のパンフからあらすじを紹介しよう。「病も癒え、復職間近のサンドラは突然解雇を告げられる。くつがえす方法は、同僚16人の半数以上がボーナスを諦めること。同僚を説得して回る長い週末が始まる。2度のカンヌ・パルムドールに輝くダルデンヌ兄弟が、マリオン・コティヤール主演で描く秀作」とある。私は、上に書いた安保法案阻止にしても、何か余分に人生を生きているような気分になるこの頃、なかなか映画の中の女性と気持をひとつに出来ないもどかしさはあったが、たとえ結果はどうであれ(8対8でサンドラは破れる。半数の同僚を味方にしたサンドラにたいして、社長は、臨時雇いの人が2ヵ月後に期限が切れるときにサンドラを再雇用し、社員のボーナスも叶えるという。しかし、サンドラは誰かとの引き換えに自分の職を得ることはできないと断る)、何かをやり遂げたすがすがしい気持ちを抱きながら、支えてくれた夫や子供たちが待つ家路を急ぐ主人公に、短略的に何かを諦めない姿勢を学ばせてもらった。

帰宅してテレビをつけると、ちょうど、「安保法案」が衆議院で可決されたというニュースをやっていた。今日見た映画は、前から予定していたものだが、見終わった後、先に感じていた空しい気持ちが少し変化した。そう、未だ参議院もあるし、国民の反対運動もある。サンドラは、16人の同僚の説得に週末の2日間を過ごすが、身の回りの小さいことの積み重ねが大きな問題につながるということを、映画は語っている。駅前で政党が行っている反対の署名に参加してもいいだろう。デモ行進の末端に加わるのもいいだろう。自分の日常のささやかな幸せを信じながら。またこの映画は、世界中に広がる格差社会と、その中で懸命に生きる人々を描いているという点で、地味ではあるが人々の心に訴える力を持った作品だった。今日はこれから、「安保法案」強行採決にニュースが続くだろうが、眼をそらさずに見ていきたいと思う。

映画館の近くにある図書館で、友人のブログを見て予約してあった、ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(文藝春秋)という本が届いているという連絡を受けていたので、借りてきた。世界はめまぐるしく進んで行く。あんなにメディアで取り上げられていたイスラム国について、あまり聞かれなくなった。もちろん恐ろしい状態はますます激しく続いているのだろうが。アメリカもヨーロッパも、次々と大きな問題を抱えている。それにしても、オバマアメリカ大統領の最近の動きは眼を見張るものがある。任期内にレガシーを作ろうとしていると言われはするが、キューバを受け入れ、イランとの核協議の最終合意にこぎつけた。ホルムズ海峡の脅威を声高に叫び、集団的自衛権行使の可能性の重要性ばかりをしゃくし定規に訴え、国民の反対の声にも耳を貸さず安保法案を通そうとする安倍首相との違いを感じさせられるが、いかんともしがたい。 私の安直な政治論議はこのくらいにしておこう。

画像は、妹のメールから、「カサブランカ」。孫の誕生の手伝いに行ったり、庭の花木の手入れに精を出したり、私の一番下の妹とはいえ、今年は70歳に到達している。健康にはくれぐれも留意してもらいたい。


塩分計

2015-07-11 18:17:30 | 日記

July 11, 2015

新聞に挟まってくる広告に、塩分計が載っていた。予定していたわけではないのに、広告につられて何んとなく買ってしまうということがある。これもそんな品物だ。加齢とともに味付けが濃くなるということは聞いている。私も、塩だけでなく、砂糖にしても、独りにしては減る量が多い。どちらも健康的には控えたいものではあるが、なかなかうまくいかない。何しろ味をみるのは自分一人なので、塩梅が分らない。そんな時にテレビの番組で塩分計のことが話題になっていて、それが私の頭の中にインプットされていたのだろう。広告にあった塩分計の実物を見てみたいと、買い物のついでに広告を出しているスーパーに立ち寄ってみたが、すでに売り切れとのこと、それならいいですと帰りかけたのだが、そこは商売、今日は割引になっていているから予約しておいたらどうですかと勧められ、買うことになった次第だ。みそ汁を飲む習慣がないので、もしかしたらあまり役に立たないかもしれない。でも、これを機会に味噌汁を習慣づけるのもいいだろう。

今日は、品物が届いたという連絡を受け、とってきた。  帰宅して、 夕食に作ったカレーを試してみたら、 1.3%と出た。なんだかよく分らないが、「濃い」という分類の一番下の目盛だった。摂取量の換算方法も書いてあったが、まあいいでしょう。みそ汁やスープのような汁ものの塩分が固定されれば、他の味付けも分ってくると思う。

画像は、「ブットレア」。住まいの団地の北側の玄関前に聳えている大木だ。上から大きな房状の花が垂れている様は、見事だ。昨年この木のひこばえを取ってきてベランダの鉢に何げなくさしておいたところ、今年、鉢うえだから丈は低いが、すべての穂先に花がついた。完全に開花する日が楽しみだ。

 


再び眼科へ

2015-07-01 16:25:15 | 日記

July 3, 2015

治療は出来ないと、大学病院で言われはしたものの、眼瞼にかゆみが出てきたりしたので、今後の定期検診をお願いすることもあって、大学病院に紹介状を書いてくださった医師に予約をとった。その待ち時間に、友人から借りた本、篠田桃紅『一〇三歳になってわかったこ』(幻冬舎)を読んだ。簡単に読めるので、待ち時間で読み終えた。今書店で売れ行きナンバーワンの本だそうだ。私は、75歳を過ぎてから、「その歳にならないと分らない」を実感しているので、興味はあった。本書の最後に記されている、書家である著者の作品を収蔵する主な美術館を見ると、大英博物館をはじめとする、世界の名だたる美術館が並んでいる。日本を代表する作家の作品を今までに鑑賞したことがないのは恥ずかしいことではある。だから、今回私は、このエッセイとも備忘録ともいえる文章だけについて、感じたままを書くとすると、あまりに平凡な言葉が羅列してあって、がっかりした。しかし考えを変えると、このお歳だからこういった言葉を本に出来たのだともいえる。いまも第一線で製作されてるとのことだが、前衛書家として世に作品を問い始めた頃は、もっと先鋭的な気持ちを抱かれていたのではないだろうかと思ったりもした。

さて、眼の治療結果はどうだったか。やはり、特別変わったことはなかった。今後は3ヵ月ごとに検査するようにしますということで、10月初めに予約を取ってもらった。検査のために瞳孔を開く薬を点眼されるので、しばらく周りがぼんやりしか見えず、つらいが、眼科のある病院へは、いつも出かけている駅前から送迎バスが出ているのはうれしい。歳をとってからは便利な場所に住んでいて助かることが多い。駅前の買い物をしたスーパーで、「いちじく」が5個ほどなった鉢を売っていた。雨も降っているし、わざわざ今日買わなくてもいいのにと思いつつ、食料品などは宅配に頼んで、これを持ってバスで帰った。完熟してから食べてくださいと書いてあったが、私はこのいちじくよりも、来年またこの苗に実をならす方に興味がある。私のほんの先の未来である。

画像は、いちじくの鉢。小さな木にずいぶん実が付いている。