私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

墓参

2018-09-26 15:15:47 | 日記

September 24, 25, 2018

高円寺にある両親が眠る墓に、姉妹と姪と連れ立って墓参りをしてきた。そのあと私を含めて新宿のホテルに一泊し、食事をしたり買い物をしたりして、楽しい時を過ごした。翌日は新しくなった東京駅近辺を散策した。こんなときいつも5人姉妹を生んでくれてありがとうと、亡き母に感謝の言葉をかける。思い返すとなんだかこの2日間は、ずいぶんいろいろと食べ歩きをした。千葉や名古屋方面に帰る姉妹たちと別れて帰宅したのは、7時近かった。私は、死後の世界などに全く興味はないとはいえ、墓参という形で姉妹が集うことができたこと、また、若い姪が参加してくれたこともうれしかった。数年前の腰椎圧迫骨折で背中は少し曲がってしまったが、歩くことに何の支障もないことはありがたい。もっと違う人生を描いた頃もあったが、今は健康で自分の身を処することができることに感謝したい。

スマホのラインに、姪が今回の墓参のアルバムを作って入れてくれた。さてその写真をパソコンに移す段階でつまずいてしまった。何とか一枚ずつ送ったが、アルバム全体を1度に送る方法があるはずだと思いつつ、朝からパソコンと向き合っている。だいぶ歩いたので、数日後に疲れが出るかもしれない。点訳の校正のファイルをふたつ預かったままなので、まずこれをかたずけよう。この2日間の往復の車内で、次回の読書会の本・角田光代『ツリーハウス』(文春文庫)を読み始めている。面白い。年度の切り替えの10月が近い。住まいの公団の更新手続きに必要な書類もそろえなければならない。何かまとまりがないことを羅列しているが、心もとなくなっている頭脳に拍車をかけて頑張ろう。

画像は、東京駅の地下道にある花屋さんで撮った。


久しぶりのブログ

2018-09-19 15:15:09 | 日記

September 19, 2018

だいぶブログをさぼってしまった。少しさかのぼって書こう。

9月13日(木)
点訳の例会で武蔵境まで出かけた。夏休みだったので、皆さんと会うのは久しぶりだ。質問や近況をお話ししているうちに、会場を借りている時間があっという間に過ぎた。近くのレストランで食事をし散会した。いつものように校正のファイルをいくつか預った。点訳が好きなのか、パソコンが好きなのかわからないが、私は校正も点訳もあまり苦にならない。電子辞書を活用しながら、どちらかというと楽しんでやっている。この年齢になるまで間違った読み方をしてきた言葉にぶつかったりして、ずいぶん長い間恥をかいてきたのだと内心赤面する。点訳の会で話題になったことだが、今の若い人たちはこんな面倒なこと(点訳)をすすんでやらないとか。手打ちのころから比べればパソコンを使うようになってかなり楽にはなっているが、それも私たちの時代で終わるのだろう。AIの時代、当然のことだ。

9月15日(土)
友人と、東京都美術館で開かれている「藤田嗣治展」に出かけた。都美術館で開催される展覧会はシニア料金(1,000円)で見れるのはありがたい。没後50年、日仏で活躍した画家の史上最大規模の展覧会とかで、何しろ作品が多く、休みながらの鑑賞だった。東京美術学校時代に培ったデッサン力が作品の底に流れていて、ピカソの作品にも通じる天才と努力の画家を感じることができた。私にはあまりなじみのない画家だったが、心に残る作品群だった。

9月19日(水)
今日は、住まいのある団地で、水道工事のために昼間ずっと断水だった。日本列島、地震や台風で断水というニュースを耳にすることが多いが、ほんの短い間でも水が使えないことはこんなにも不便なのかと実感した。近々姉妹で墓参りを兼ねて東京で一泊して集う計画があるようだ。いつでも会えると思っていても、年をとるとそれが難しくなってくる。猛暑を過ぎてお天気も落ち着いてきた。顔を合わせておしゃべりできる日が待ち遠しい。

画像は、藤田嗣治の「自画像]。新聞からスマホで撮った。たくさんある中で好きな1枚だ。


読書会

2018-09-11 08:50:39 | 日記

September 10, 2018

蒸し暑さは続くとはいえ、日本列島はひところの猛暑からやっと抜け出したようだ。久しぶりの読書会だった。今の4人のメンバーになってからも長いが、この読書会が始まってからを振り返ると40年以上になる。今私には大切な行事だ。本は、何度もこのブログで触れてきた、辻邦生『嵯峨野明月記』(中公文庫)、レポーターは私が担当した。順送りで回ってくるレポータ―になる人が本を決めるというシステムは、いろいろな本が読めてうれしい。

ちょうど同じ作者の『背教者ユリアヌス』を読んでいて面白かったので、本書を選んだ。なかなか読み応えのある本だった。信長が大阪城を築き、豊臣秀吉、さらには徳川家康へと続く30年間、日本歴史では安土桃山時代に属し、武士が大手をふるう前の数年間に花開いた文化の中で作られた「嵯峨本」がテーマになっている。「嵯峨本」とは、当時の富裕な町衆、本阿弥光悦が書を、俵屋宗達が絵を担当し、当時の豪商角倉了以の息子与一が出版した豪華本を指す。本書では光悦を一の声(私)、宗達を二の声(おれ)、与一を三の声(わたし)が語るかたちで物語を繰り広げている。今年の猛暑の中で本書を読み切りまとめるのは荷が重かったが、もう先が長くはない人生の最後に、本書を囲んで読書会という形で皆さんと語りあえたことは良かったと思う。一の声として光悦が語る本書最後の数行を次に引用させてもらおう。

私はいずれ<死>に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。紙屋川を吹きあがってくる風が音をたてて過ぎてゆくであろう。墓石の文字が見えぬほどに苔むしてゆくであろう。だが、そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、宗達や与一や宗二の誇りや苦悩を織り込みながら、生きつづける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生き続けるのだ……。(辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫)

画像は、本書のカバー。「四季草木花下絵和歌巻」書・本阿弥光悦、下絵・俵屋宗達。

 

 

 


読書会の延期

2018-09-05 11:12:20 | 日記

September 5, 2018

台風一過の晴天というにはさわやかさが足りない。湿度が高く蒸し暑い。結局4日の読書会は10日に延期になった。前日(3日)はテレビの天気予報を見たり、スマホで予報を調べたりと、そんなことで1日を費やした。心の底に、できたら予定日の4日に読書会を済ませたいという気持ちが強く、きっぱり延期にできなかった。今回は私が本の担当でもあるので皆さんにおぜん立てをゆだねられたような形になったが、こんな時自分の性格があらわになるなと感じた。

8月は夏休みということもあって静かだった点訳の校正が、一気に何人かの方から届く。読書会がなくなったので、雨模様の中、家のコピー機ではできない点訳原稿のコピーをとりに駅前まででかけた。駅までの公園の中を通る道は、ぬれ落ち葉で滑りやすくなっていた。気をつけようと思ったとたんにひいていたキャリーバックに足を取られ転倒してしまった。打ち身だけのようで何とか駅前まで行き、濡れティッシュを買ってズボンの汚れを落とし、一息ついた。まあこのくらいのことは仕方がないだろう。今後の警鐘としよう。

話は変わるが、テレビの健康番組で不眠を取り上げていた。今回が初めてではなくNHK をはじめ各局が扱っている。私は50歳ぐらいから不眠に悩んでいて、こういった番組は何となく見るようにしているのだが、なかなかこれという回答にぶつからない。今回は、ラジオを聴きながら寝るというのはどうでしょうかという質問に、それはよくないという医者の回答があった。私はベッドに横になるとラジオをつけるということが習慣になっていて、ラジオがないと眠れないように思ってる。難しそうだが、まずこの習慣を改めよう。睡眠不足は認知症に通じるといったことも言われたりしていて、不眠に対し神経質になりすぎているのかもしれない。身体が疲れていないから寝付けないのは仕方がない。いつかぐっすり眠ることもあるだろう。

画像は、友人のメールから、「タマアジサイ」。旅行先の日光で撮られたとのこと。珍しい花だ。


台風は…

2018-09-01 18:58:51 | 日記

September 1, 2018

猛暑の夏が終わらないままに、9月の声をきいた。ブロがしばらく留守になってしまった。ここ1,2年、今までとは違う自分を自覚するようになった。読書会があったり、点訳を続けたり、生活は変わらないが、身体の芯が揺らいでいるような感じがする。生から死へと収束していく内容の次回読書会の本『嵯峨野明月記』に振り回されて、9月にたどり着いた。例年のごとく、台風が次々と襲ってきているので、4日の読書会はうまく開けるだろうか。何とかこの日を無事に迎えたい。レポーターとしての役目も引き受けているこの面倒な本とのかかわりが早く終わってほしい。

台風や秋雨前線のせいで今日は雨模様、気温は高くはないが日本特有の蒸し暑さは変わらない。なぜか、若いころに訪れた現在のウズベキスタン共和国あたりの気候を思い出した。気温は高いが湿度がないので暑さを全く感じなかった。夕方になると、人々が近くの劇場で催される音楽劇のようなものを家族連れで訪れる姿があった。文化の伝統を感じたが、今あの辺りの人たちはどういった生活を送っているのだろうか。テレビが普及していない頃の懐かしい思い出である。

画像は、種から育ててやっと花をつけるところまでこぎつけた朝顔、もっと大輪の花を期待していたが、この夏の猛暑、炎天下でよく耐えてくれた。毎朝1輪でいいから長く楽しませてほしい。