私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

高価な本、安価な本

2014-08-31 08:15:39 | 日記
August 31, 2014

月末になって点訳の校正が次々に郵便受けに届き、忙しくしている。しかし視力が衰えてきていることもあり、歳相応のボランティアを考えていきたいと思っている。今日もまずは新聞の読書欄から、2冊の本が目についた。藤原重雄『史料としての猫絵』(山川出版社)と、吉岡幸雄『日本の色の一二カ月』(紫紅社)、前書は864円、後書は2484円だ。私は、1000円以内の本は、手元に置きたいと思う場合は買うこともあるが、それ以上は、たとえ欲しいなと思っても図書館に予約する。年齢的にいっても、手元に置きたいということそのものが可笑しいことではあるが。ここで『日本の色…』を図書館に予約しようとしたが、なかった。作家・三浦しをんさんの書評が素晴らしくて、ぜひ読んでみたいと思ったので残念だった。ついでに著者の吉川幸雄氏について少し分った。肩書は染織史家、著書もたくさんある。図書館の本の中から、『色の歳時記』(清流出版)を予約した。1枚のTシャツを選ぶにしても、色が気になる。本書が、自然の中にある様々な色を楽しむ助けになると思う。『史料としての猫絵』は、書店で見て、よかったらアマゾンから注文しようと思う。評者、東大教授・本郷和人氏の「コンパクトでありながら、図版を駆使していて、知的な冒険へのすてきな招待状に仕上がっている・・・」(朝日新聞、2014年8月31日)という言葉も、興味をそそる。猫の絵をじっくり見てみたい。

昼食後、散歩がてら駅前まで出かける。月最後の日曜日にしては人が少ない。子供たちは宿題に追われ、大人は消費を控えているというところだろうか。くだらない政争をやっている政治の世界と違って、現実はもっとシビアである、ということが分る政治家が出てくればあっぱれであるが、特に日本の場合、あり得ないことだ。帰宅してから、点訳の校正をしているが、ベテランの方の場合、間違いがほとんどない、しかし必ずある。他人の間違いを見つけて小さな快感を覚えるのは、脳の刺激になるのでしょうか、それとも性格をゆがめることになるのでしょうか。

画像は、校正のデータが入っていたファイルの写真。盲導犬を傷つけたというニュースが最近あったが、このつぶらな瞳に心を動かされない人の存在がこわい。

友人

2014-08-27 09:42:39 | 日記
August 26, 2014

私の知の先導者である友人のブログがしばらく更新されないので少し心配していたら、盲腸炎で入院されていたということが更新されたブログで分った。この友人とは若い頃からの知り合いだが、直接お会いしなくなってから数十年になる。数年前からブログをはじめられ、近況が具体的に分り、楽しませていただいている。友人は、お腹が痛いのをだいぶ我慢さえたのち、限界を感じて救急車で病院に送られ、手術をされたとか。盲腸炎だと侮るなかれ、腹膜炎で命を落とすこともある。私は姉妹が盲腸炎にかかっているので、何となくこの病気はいつか自分にも来るのではないかという思いが強い。友人のブログで、改めて学ばせてもらった。大人になると、まして私のように何でも医者にかからずに自己流で治してしまいたがるものには、救急車という言葉が、新たにインプットされた。どんな病気がいつ襲ってくるか分らない。「そうだったらそれでもいいわ」などとうそぶいている自分を反省した次第でもある。

友人に短いお見舞いのメールを書き、午後から雨だという予報があったので、朝一番(9:30)で、まず図書館に出かけ、いつものように読み終わった本を返却し、届いている本を受け取る。本は、奥泉光『東京自叙伝』(集英社)と、クッツェ―『少年時代』(みすず書房)。前書は、だいぶ前に予約した本で、まったく記憶がない。たぶん新聞の書評を読んで頼んだのだと思う。かなり厚いハードカバーだが、返却日までに読み終えたい。今日は少したくさん買い物をしたいと、リュックを背負っていった。それでも両手に大きな荷物を下げることになってしまった。10年ほど前、「骨そしょう症」と診断されたときに、「重いものは絶対に持たないように」と医者から言われたことが頭をよぎった。しかしあの日以来医者にかかっていないし、もちろんなんの薬も飲んでいない。西洋医学は数値がものをいう世界だ。たぶん骨量を測れば恐ろしい値が出てくるのだろうが、私の中では、この病は、寛解、いや全治したと思っている。数行前に書いた反省の言葉と矛盾しますね。

夜、中部地方に住む、高校生のころからの友人から電話があった。私の図書館での出来事を記したブログに反応してくださった。私と比べると遥かに恵まれた大学生活、その後の結婚生活を送られて、何不自由のない老後を送ってられる方だが、老人を弱者としてひとくくりにする今の日本の風潮について、静かに怒ってられた。そう、誰もが迎える老年を、余計者のように疎んじる社会に対して、電話を通して大いに怒りをぶちまけあった。私が加わると、すべてが少し上品ではなくなるが、まあいいか。12月に用事で上京されるという。10年以上の単位でしか会えない友人だ。先のことではあるが、私には明日のことのようにうれしい。少し下がり気味だったエネルギーが復活してきた。今日も明日もがんばろう。

画像は、クッツェ―『少年時代』。装幀が素敵だった。

わが愛する図書館なのに

2014-08-24 09:15:43 | 日記
August 24, 2014

昨日、今日、湿度が下がり、やっと秋の気配が感じられる。点訳も一段落し、日曜日、朝日新聞の「読書」欄を覗くと、今回は私にもなじみの本が並び、ちょっと嬉しい。まず乙川優三郎『トワイライト・シャッフル』(新潮社)を、三浦しをんさんが評している。本書と、このところ私のブログで何度も取り上げている、北村薫『8月の6日間』の2冊は、文庫本を読むことが多くなった最近、珍しくハードカバーで読んだ。両作家は、今旬な作家であるが、私は乙川氏が、文才の点で優っているように思った。私は本を評する立場にはない。単なる自分の感だけを頼りに読んでいるのだが、今日の三浦さんの書評を読んで、自分の読書を後押しをされたように思った。書評の一部を次に引用させていただく。

 その土地を舞台に、訪れる人、去る人、どこへもいけない人、様々な人生の瞬間を切り取った13編が収められた短編集。いずれも高密度・高水準で、素晴らしいとしか言いようがない。(中略)
 読書とは、本を媒介に自分の心の奥底を知り、登場人物とともに生き、語らいあうことなのだ。改めてそう感じる、至福の時間を味わった。(朝日新聞、2014年8月24日)

つぎに、J・M・クッツェ―『サマータイム、青年時代、少年時代』について、友人のはがきに、クッツェ―が面白いという記述があった。クッツェ―は、2003年にノーベル賞を受賞した作家だ。その時の受賞作『恥辱』は、その頃傾倒していた斎藤兆史『英語達人塾』の中の原書で読む本に推奨されていたので、原書で読んだ記憶があるが、10年ぐらい前のことだ。何で今ごろと思っていたら、今回の「読書」欄に登場した。本書は4320円もする。図書館にはこの本はなかったが、「少年時代」があったので、予約した。さらに、帚木蓬生『天に星、地に花』(集英社)、この作家の本は、初期のミステリがかった、フランスを舞台にしたいくつかの小説を夢中で読んだ。その後時代小説が多くなり、遠ざかっていた。これも図書館に予約した。

私にとって、図書館の存在は大きい。今日の朝日新聞にも、「進化する図書館」という表題で、最近の図書館事情を取り上げている。図書館に行くと、児童図書を利用する若いお母さんや子供たちと、勉強室に使う若者と、私のような老人が目立つ。自分のことをふり返っても、中年の頃には図書館を利用することはほとんどなかった。しかし図書館がいつもオアシスというわけではない。まず冷暖房の効いた環境の中で、老人が多いことだ。私はこれはいいことだと思うが、わが利用する図書館は、こういった老人を排除しようと必死になっているようだ。以前はよくあった新聞・雑誌コーナーの椅子が、数えるほどに減らされている。館内の椅子もそうである。そして、私は、最近とても不愉快な経験をしたので、館長を呼んでもらい苦情を言った。この図書館は公とこの辺の大きな書店が共同で管理するようになった。何気なく見ていると、その頃から、本を借りようとする子供への図書館員の上から目線的な態度が目立つようになり、あまり快くは思わなかった。この風が、社会人枠の勉強室を利用しようとした時に、私にも及んだ。図書館員には、白髪の80歳近い老人が勉強するということが理解できないのか、おばあさんが席を独占しているような態度をされたので、久しぶりに、私のもの言う精神が頭をもたげた。30分近く、私の思いのたけを話したつもりだったが、その後、あちこちの椅子が取り除かれている様子をみると、おばあさんの小言として聞き流された感もある。立場上いろいろと言い分もあるだろうが、言葉を使わずに老人を排除する環境を強化しようとする図書館、私は今でも怒っている。まあそうは言うものの、図書館は私にとっては、わが家についで重要な場所である。

画像は、「はぎ」。花が終わりに近かったのであまりいい写真ではないが、住まいの団地の庭で撮った。


お盆が過ぎて思うこと

2014-08-23 08:10:03 | 日記
August 23, 2014

連日残暑が続いている。一番暑い盛りのお昼時に、早昼を済ませ、図書館に本の返却と届いた本、北村薫『鷺と雪』を取りにいってきた。最初文庫本で予約したら6人待ち人がいたので、もしやと単行本で予約しなおしたら、届いたという連絡がすぐあった。なるほど、と思った次第だ。帰宅して、ほぼ読み終えた。北村薫は、あと2冊ほどアマゾンで1円のものを注文してあるが、そろそろいいかなという感じ。暑い夏の読み物としては面白かったが、やはりずしんと来るものがない。これがいったいどういうものなのか説明できないが、作者と目指している人生が違うのだろう。もちろんだいぶ楽しませてもらった。

さて今日は土曜日、朝からエアコンのお世話になって、ゆっくり新聞を読む。「be」欄に、夏の数独特集が出ていた。数独は最近は新聞のものしかやらないが、凝り性なのか、ひと頃は『激辛数独』などという小冊子まで買って試みた。その段階ではあるが、絶対に出来ないものはないとわかったので、三ツ星以上をやることにしている。おかしなもので、いつもてこずるのは三ツ星だ。こんなささやかなことでも、勝負の世界なのか、易しいと思う心のゆるみが、どこかで間違えにつながるらしい。3回ぐらいやり直す羽目になることもあるのは、いつも三ツ星だ。90歳過ぎても数独を好んでいた母の姿が思い浮かぶ。

今年のお盆には、母の写真に「おはぎ」を供えるのを忘れて、16日に近くの和菓子屋さんに立ち寄ったら、「おはぎ」は15日までですと言われて、代わりに「麩まんじゅう」を買った。いまの時代にはいくらでもあることではあるが、家族単位に動く日本の社会、少し外れた人生を選んでしまった私は、母にはずいぶん心配をかけ、その心配を解消しないままに別れてしまったことを、淋しく、また悲しく思う。でもそこでたたずむことはできない。なんとか前に進みたいと自分を叱咤激励するが、だんだん心もとなくなってくるのも事実である。いけないいけない、元気を出して数独をやろう。

画像は、「月見草」。団地の庭にひっそりと咲いていた。

残暑

2014-08-21 08:49:55 | 日記
August 21, 2014

立秋を過ぎたという思いが頭のどこかにあるのか、ここ数日の残暑にはまいっている。広島地方の災害などのニュースをみると、のんきに暑い暑いと言ってはいられない気持にもなるが。だいぶブログの更新が遅れてしまった。その間何もしなかったわけではない。暑いさなか、点訳の事務所に出かけたり、新しい点訳を引き受けてきたり、とにかく何かをやってはいる。誰かが老後の暇をつぶすのが大変だと言っていたが、たしかに、読書三昧というわけにもいかない。点訳を始めて8年目に入った。いいこともあれば悪いこともある。暇をつぶしていることが、どこかに、誰かにつながっていればいいのではないかとも思っている。

今まで全く読んだことがなかった北村薫の最新作『8月の6日間』を、私がレポーターになっている次回の読書会の本に選んだ。その関連で、中編をいくつか読んでいる。男性の作家が書く女性が主人公の昨品というのも面白いなと思う。膨大な作品があるので、10冊ぐらいは読みたいと思っているが、友人のブログにある外国のミステリも読みたい。視力がひどく衰えていているので、眼科にも行かなければならない。それよりも、この日本の四季をこれから何度乗り越えられるのかと、心細くなるが、その歳になって初めてわかることばかりだ。

涼しくなったら図書館に本を返却に行こうかと思っていたが、一向に暑さが衰えない。そのうち夕刊が届いた。朝日新聞の東京版の夕刊に、「人生の贈りもの」という、いつも楽しみにしているコーなーがある。名のしれた方々がこれまでの人生を、5,6回に分けて質問に答える形で語っている。60歳以上の方たちなので、それなりに学ぶことも多い。今回は文筆家の平川克美氏、私は知らなかった方だが、、今日は、介護をされた父上のことが話題になっていた。「ご自分の中で変わったものがあるわけですね」という聞き手への言葉が胸にずしんときた。人の生には限りがあるということを、こういう形で実感された平川氏の言葉が、貴いものに思えた。次に紹介させてもらって、今日の本当につたないブログを終わりにしよう。

 自分はずっと生き続けられるという感覚を、多くの人が持っています。介護を通じ、人が生まれて死ぬまでの時間をトータルで考えるようになった。自分もそう遠くない将来に必ず死ぬと自覚しました。人間の生き死にというものが、実感として自分の中に入ってくる。だから最近よく「介護をして一人前だ」と言っています。
 親父が亡くなった後、墓参に行くわけですが、やっぱり去りがたいんだよね。死者との対話は、人を慎み深くさせるし、倫理的にさせる。ものの見方がだいぶ変わるよね。(朝日新聞、2014年8月21日夕刊)

画像は、妹のメールから。

映画『「ひろしま』

2014-08-15 14:42:39 | 日記
August 15, 2014

今日は敗戦の日、近くの映画館『アルテリア・シネマ』で、『ひろしま』という映画を見てきた。照りつける日差しの中、映画館まで歩きながら、あの日もこのような暑い日だったことを思い出した。まず映画について、パンフから紹介する。
「広島で被爆し亡くなった少女らの遺品、ワンピースや靴や人形の写真・・・。写真家・石内都が撮影し続けた作品群だ。その展覧会がカナダ・バンクーバーにあるMOA(人類学博物館)で開かれ反響を読んだ。展覧会の準備、各国から訪れた観客の反応を1年以上追ったドキュメンタリー作品である。」

80分の短いドキュメンタリーであるが、ずしんと心に響く映画だった。映像の中で、石内氏も語っているが、写された品々は写真家の手を離れ、それを見つめる人々それぞれの胸の中に刻まれ、新しい物語を作っていく。たとえばある少女があの日に着ていたワンピースは、その日までの少女の人生を垣間見せてくれる。あの日に閉ざされてしまった人生は悲しいが、それまでの少女の豊かな人生は、残されたワンピースが物語っている。爆心地から家までの遠い道のりを足を引きずって我が家までたどり着き、そこで事切れた少年の姿、ここにもあの日までの少年の歩みを、ボロボロになった靴が語ってくれている。

広島の資料館に大切に保管されている数々の遺品が、写真家・石内氏の手でよみがえり、人々の心にさまざまな思いを抱かせるまでの経緯なども、映画の中で語られている。敗戦の日の今日、これほど強いインパクトを人々に与える映像はないのではないか。敗戦から69年、あの戦争を体験した人々が次第に亡くなり忘れ去られていくという危惧が、最近よく言われているが、この映画を日本の小・中・高校生たちの教室でぜひ見てもらいたいと思った。あの戦争を、あの悲劇を語りつないでいく方法はたくさんあると思うのだが、残念ながら今の日本はそういう国ではない。

画像は、映画のパンフから。

夏風邪

2014-08-08 10:56:11 | 日記
August 9, 2014

今年の猛暑、さすがに連日エアコンのお世話になっている。部屋の中と外との温度差のためか、数日前に先ず「のど」をやられ、今は軽い咳が残っている。できるだけ身体を休めるようにしていたら、ひどくなる前に退治できたようだ。吉永南央『名もなき花』(文春文庫)を読んだ。いわゆるシリーズでよく売れている本のひとつだ。このシリーズを読むのは、『萩を揺らす雨』『その日まで』に続いて3冊目だ。都心から1時間ほどの郊外でコーヒー店を営む70代後半の女性が主人公だ。この頃こういった市井の話を扱った本がよく売れているようだ。私もはまっている一人だ。平凡に過ぎていく日常、しかし少し入り込んでみると、それぞれが何か問題を抱えている。私の近辺にもあるような物語であるが、それを多くの人が買って読む本に仕上げることは、難しい。以前シリーズで読んだ『ビブリア古書堂の事件手帖』という本と同じ系統に属している。アガサクリスティーの日本版と言ったら「そんな」と、クリスティ-ファンからの抗議の声が聞こえそうだが、一時期夢中でクリステイーを読んだ私は、そう思う。

そんなにひどい風邪でなくても、何となく体がだるかったりして嫌なものだ。今日はやっと頭もすっきりしてきたので、午後から図書館に予約した絵あった本を取ってくる。本は、北村薫『朝霧』(創元推理文庫)、読書会関連でいくつか図書館に予約してあった。どうもシリーズのうちの1冊のようだ。これから作者について少し調べるつもりでいるが、北村ファンは沢山いる。私もこの作家のとりこになりそうな予感がする。せっかく駅前まで出かけてきたのだからと、無印良品の店のよって、オーガニックコットンの、カーキグリーンの横縞が入った半袖Tシャツを買う。一時期ユニクロの商品を買っていたが、今は無印良品のものを愛用している。つばの広い夏用の帽子も、下着も、おやつも、そうそう、3年ほど前に買い替えたベッドもここのものだった。このTシャツも、おしゃれな感じで、税込みで1000円なんてとても信じられない。無印さん、これからもよろしく。

病み上がりであまり体力を使いたくないので、バスで帰る予定にしていた。何しろ1時間に2本しかないバス、時間の調節が大変だ。今日は食料品のコーナーで、すき昆布を買う。「すき昆布と野菜の炒め煮」が、私の常備食だ。参考にしている本『太り過ぎを防ぐおかず』(日本放送出版協会)の奥付に昭和63年発行とあった。ずいぶん長く作り続けてきたことになる。昆布にその辺にある野菜を入れて炒めるだけだ。今日は、ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、シイタケ、油揚げ、ちくわを入れた。何でもいいのだけれども、油揚げは必須のようだ。何しろだしのもとである昆布が主成分の料理だから、だれが作ってもおいしい。私はこれを山ほど作って、毎日食べる。パンにはさんでも、ご飯に混ぜてもおいしい。いつもちまちました生活を書いていて少し恥ずかしいが、私の日常です。

画像は、「さるすべり」。夏の日差しをもとともせずに咲き誇っている。図書館のある広場で携帯で撮った。ピンクよりも白い花の方が美しいが、あまり見かけない。

アクシデント

2014-08-01 20:59:05 | 日記
August 4, 2014

8月1日、『医学辞典』点訳の会の例会で、池袋まで出かける。この会に加わってすでに3年が過ぎた。5年がかりで手分けして点訳することになっていた『医学辞典』の最初のファイルもまだ完成していない。何しろマニュアルの変更ばかりで、一向に進んで行かないのだ。心の中では、誰もこれが完成するとは思っていないのではないか、と意地悪な見方をしてしまう。まあこういった愚痴ばかり言っていてはいけない。何事も人頼みはしないで、今年は、個人で点訳が出来る環境を探してみたい。当面の楽しみは、往復のローカルで、冷房のきいた車内で1時間近く読書が出来ることだ。もちろん電車の中での時間は限られているが、どんな本でも最初の導入部が、そのあとの読書に拍車をかける。家に帰ってからも読み続けると、2,3冊は、すぐに読めてしまう。

というわけで、ここ数日で、北村薫『八月の6日間』(角川書店)、近藤史恵『タルト・タタンの夢』(創元推理文庫)、太宰治『晩年』(新潮文庫)の3冊を読んだ。最後の本は再再読だ。北村薫氏の本は読書会で私が担当している本だ。今はなにも書けないが、面白かった。著者について少し調べ、できたらもう1冊ぐらい読もう。何しろ初めて読んだ作家だ。『タルト・タタンの夢』は、朝日新聞で紹介されていた。この頃こんな本を読むのが楽しい。小さなフレンチ・レストランが舞台で、そこに集う人間模様と、フランス料理がテーマになっている。私は質素な生活をしてきて、これからも貧乏なので、フランス料理だとかワインだとかには縁遠い。それでも話が食べ物を軸にしてまわっていると、ついつい引き込まれる。こういった軽い読み物を読みながら太宰の作品を読むと、文学の深みを覗いたような感じがする。太宰はこの本だけではなく、ふっとため息をつきながら、何度も読み返していくだろう。太宰もすでに古典の仲間入りをしている。漱石も芥川も、そして数々の古典の名作を読み切ったはてに、北村薫の『8月の6日間』や乙川雄三郎の作品が出来上がったのだと思う。最近読んだこの2作には、行間に文学の香りがする。

1日の例会でちょっとしたアクシデントがあった。この日の場所は靴を脱いでスリッパに履き替えるところだった。帰宅しようとしたとき、私の靴がなかった。誰でも1足ぐらいは持っているだろう合成革の軽い靴なので、どなたかが間違われたのだろう。残されていた靴をはいて、足を引きずりながら何とか帰宅した。こちらの靴はひも付きの上等な革靴で、なぜ全く違う靴をと、ミステリじみているが、たぶんそのうちみつかるだろう。そのあと会の役員の方が、皆さんにメールを送って下さったりしたので、私はそちらの方が少し心の重荷になっている。おかしいことだが、私は靴を間違われたのは今回で2回目だ。だいぶ前のことで記憶は定かでないが、たしかその時も残った靴を履いて帰宅し、その後靴は戻らなかった。まあこんなこともあるのだ。