私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

あの頃

2016-12-27 08:20:38 | 日記

December 27, 201

最近、40代、50代の頃の出来事が夢に出てくる。現実の中では、あの頃の懐かしい人物の訃報を聞くことが多い。私と同年代の人もいれば少し若い人もいるが、私と時代を共にした人たちだ。今日の朝刊に報じられている、ワム・ジョージ・マイケルさんもそうだ。『やさしく歌える英語のうた』(NHK出版)という本についていたCDの中にあった「ケアレス・ウィスパー」という曲に魅せられて、この人が歌っている「WHAM! MAKE IT BIG」というCDを求め、ずいぶん聴いたものだった。今は、本を読んでも歌を聴いても、あの頃の情熱はない。

先週の土曜日(24日)で今年の病院通いは終わった。来年は7日からなので、一息ついている。病院内の風景にも慣れたが、来年からまた土曜日ごとにこの場所に足を運ばなければならない。ここで見かける多くの人たちは、いろいろな症状・事情を抱えた患者やその家族だ。休み休みしか行動できないわが身を嘆いているが、恵まれた方だ。軽々に何かを言ってはならないと思いつつ、病院の持つ独特の空気が重くのしかかる。 間もなく訪れる新しい年からは、夢の中の過去は振り切って前を向いていこう。

昨日は市役所に用事があって出かけ、同じ敷地内にある図書館によって、予約してあった本、カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を借りてきた。この著者の本は読書会でも取り上げたことがあり、個人的にも何冊か読んできた。本書は友人のブログで紹介されていて、読んでみたいと思った。先日借りて未読のユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q 檻の中の女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)と2冊を年末の暇つぶしに読もう。目が悪くなってから集中して本が読めないことがつらいが、何かに追いかけられるように本を読むことを隠れ蓑のようにしてきた頃のことを振り返るとき、様々な形で人生に割り当てられた時を大切にしていかなければとも思う。

まだ背中に重い石を抱えているようで、パソコンも休み休み打っている。そんなこともあって、書いたブログを公開する段になって読み返してみると、統一が取れていなくて恥かしい。今年のブログも今日が最後かもしれない。よいお年をお迎えください。

画像は、「ゼラニューム」。虫に食われた葉が紅葉しているのが面白い。


お豆の話

2016-12-21 16:47:51 | 日記

December 21, 2016

友人から「くらかけまめ」というお豆をたくさんいただいた。一晩水に浸して、塩ひとつまみを入れた熱湯で20分ほど茹でて出来上がり。説明書き通り、冷水で冷やすと、豆の青みがきれいに出た。枝豆のような感じだが、噛んでいると深い味がする。醤油、めんつゆ、ポン酢などでお召し上がり下さいとのことたが、そのまま食べるのもおいしい。癖になりそうだ。

私は豆を煮るのが好きだ。妹からも例年のように大豆と黒豆が送られてきている。大豆は水煮して小分けして冷凍し、いろいろな料理に使う。大豆を使った料理では、「甘みそ五目豆」というのが気に入っている。たくさん作って常備菜にしている。よく利用する料理本、栗原はるみ『ごちそうさまが、ききたくて。』(文化出版局)の中で、栗原さんは、煮豆について、「私の母が煮豆の名人で、母のようにしっかり豆が煮れないと、一人前じゃないような気がしたのも、煮豆に凝り始めた理由です。」と書かれている。たしかに花豆やうずら豆を甘く煮るのは難しい。もちろん栗原女史のような料理の達人のレベルとは別の話だが、最近ちょっとした発見をした。毎週通っている病院に入っている売店で黒いお多福豆の甘納豆を買った。おやつのつもりだったが、帰宅してそれに少量のはちみつとやはり少量のの水をを加えて弱火で少し煮ると、柔らかいおいしい煮豆が出来上がった。すでに甘味はついているので砂糖類は入れない。白いお多福豆の甘納豆も同様においしい煮豆が出来上がった。今私はこれに凝っている。黒豆は、正月用に年末に煮る。

さて今日は冬至とか。いつも朝のシャワーで済ませているが、早めに風呂に湯を張り、いただいたユズを使ってゆず湯に入ろう。私の胸椎の骨折はなかなか完治しない。お湯につかって温まると楽になるが、日によって、またほかのところが折れたのではないかと思うくらい背中がうずいたり、全然痛みを感じなかったりする。痛くなったら飲むようにと鎮痛剤を処方されているということは、こんなことなのだろう。ただ運動、日光浴、食事という宿題が出ているので、軽いウォーキングは毎日欠かさないことにしている。自分の健康体に自信があったつもりだが、今は同年齢の健康な人たちがうらやましい。

             「甘みそ五目豆」のレシピ

材料: 鶏挽肉・・・80g、 大豆缶(ドライパック)・・・1缶(140g)、 干しシイタケ・・・3個、 人参・・・2分の1本、ショウガの千切り・・・大1かけ(15g)、 A[砂糖・・・大さじ1と2分の1、みりん・・・大さじ1、醤油・・・大さじ2分の1、みそ・・・大さじ2、水・・・1カップ]、サラダ油・・・大さじ2分の1。

作り方: 
1 シイタケは2cm角にちぎる。人参は1cm角に切る。
2  フライパンにサラダ油を熱してショウガをさっと炒め、ひき肉を加えてボロボロになるまで炒める。
3 シイタケ、人参、大豆を加えて全体に油が回るまで炒め、Aを加えて混ぜる。落としぶたをして弱火にし、15分ほど煮る。ふたをとり、強火にして汁けを飛ばす。(『作りおきそうざい』主婦の友社)

画像は、ベランダのパンジー。栄養を与えていると、春まで咲き続ける。


点訳の例会

2016-12-16 16:45:44 | 日記

December 15, 2016

12月15日(木)
寒波が押し寄せているという予報だったので、武蔵境で開かれる点訳の例会は欠席すると伝えてあった。しかしベランダに出て朝の澄んだ空気を吸うと、東京まで出かけてみたいという気持になった。前回お休みしたので、皆さんとお会いするのは久しぶりだ。いろいろと勉強になり、また楽しいひとときでもあった。無理をしてまで参加するところではないかもしれないが、安全をとって家に引き込もっているのは、精神衛生上良くない。もう少し続けられそうだ、続けたい。校正のファイルをいくつか引き受けて帰宅した。

テレビで、プーチン大統領と安倍首相の会談を観た。大国の大統領と自国の首相の差を見せつけられるような感じがした。それは仕方がないとしても、たくさんの国費を使ってほとんどの国民が泊ったこともない宿や、また食べたこともない料理といった豪華なもてなしをこれでもかこれでもかと見せつけられると、いったいこの国は・・・という思いを抱かせられた。安倍首相のパフォーマンスに国民が付きあわされて、しかも結果オーライではないとしたら、何なの。

12月17日(土)
いつものように、病院に皮下注射を受けに出かける。おととい東京まで出かけたのがひびいたのか、今日はあまり調子がよくない。それでなくても軽い副作用がある注射なので、帰宅は大事をとってタクシーを利用した。元気なときにはタクシーのことなど頭に浮かばないが、体が弱るとはこういうことなのだと実感する。何はともあれ、まず骨量を増やすことを考えて、残り少ない今年と来年1年間を過ごそうと思う。

画像は、「オリズルラン」。友人宅からひと房いただいてきて大きく育てた。室内に緑があると、心が和む。

 


読書会

2016-12-12 13:32:51 | 日記

December 13, 2016

私の骨折騒動で前回の読書会からだいぶ日が経ち、メンバーの皆さんにもご迷惑をおかけしたが、何とか今年最後の読書会を開くことができた。本は、金時鐘『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)。2015年の大佛次郎賞を受賞した作品だ。「済州島から猪飼野へ」という副題がついている。本書の概要については、表紙裏の解説を引用させていただく。「日本統治下の済州島で育った著者(1925~)は、天皇を崇拝する典型的な皇国少年だった。1945年の「解放」を機に朝鮮人として目覚め、自主独立運動に飛びこむ。単独選挙に反対しておこった武装蜂起(4・3事件)の体験、来日後の猪飼野での生活など波乱万丈の半生を語る詩人の自伝的回想。」(岩波新書)とある。

私はこの詩人については、著名な詩人であるのに、朝日新聞(2016・8・31)で初めて知った。紙面の「南北統一の希望 日本で抱く」という題でご本人が語られる言葉に強く印象付けられて、本書を手に取った。韓国と北朝鮮を含む朝鮮半島の戦後の混乱期についてはまったく無知であり、本書を読んでいろいろと教えられることばかりだった。しかし、何よりも本書を貫いているのは、詩人金時鐘の波乱の人生の中で持ち続けてきた詩人としての感性である。さまざまな事件にかかわり、友人の多くが命を落としているなかで、87歳の今日まで生き延びてこれたのは、著者が語る言葉の中にある両親の愛や病弱だったことからくる幸運など、いくつかあるだろうが、言葉を操る才能を備えていたことも関係しているのではないかと思う。

本書は日本語で書かれている。先の紹介記事の引用文にあるように、著者は、日本統治下で朝鮮語より日本語を先に学んでいて、『藤村詩集』や北原白秋の抒情詩集・歌集が、詩作の原点にあった。解放後朝鮮人として目覚めた後、自分の内なる日本語から逃れるために四角張った日本語を使うように努めたと書いている。したがって本書も少し読みずらいところがある。著者はまた、21歳頃に古本屋で手にした小野十三郎の『詩論』によって、その後の詩作を決定づけたと書いている。数奇な運命を生き、異国に住み異国の言葉で詩作せざるを得なかった著者の語るすべてを理解できたとは言い難いが、詩人の回想記として本書を読んできた者として、次の一節を引用させていただいて、読書会の総括としたい。

 日本の近代抒情詩人の多くはそれが当然のことのように、短歌も詠み詩も書いていました。私も早くからそのような形で日本の「短歌的抒情」に慣れ親しんだ者でしたので、俳句や短歌というものと、「詩」との間の区別も違いも持ち合わせていませんでした。そこはかとない情感が流れ出ていて、口の端にのぼりやすく情緒移入ができればそれで”詩”は歌いあげられたものと思っていたのです。そのような私に「短歌的抒情」はこれ又否定されるべきものなどだと重ねて迫られますと、自分の“詩”はもはや無くなってしまったも同然でした。よんどころなく来た日本での暮らしではありましたが、詩を書くことにそれでも執着するとすれば、いやがおうでも恨み多い日本語を“日本”へ向けて生きるしかなく、それはそのまま私という人間の下地を敷きつめた自分の日本語への、私の報復ともならねばならないものでもありました。(金時鐘『朝鮮と日本に生きて』岩波新書)

画像は、本書より。

 


ゆずジャム

2016-12-07 09:11:51 | 日記

December 7, 2016

知人からお見舞いにといただいた荷物の中に、お庭で生ったレモンとゆずがたくさん入っていた。レモンはレモンカードを作ることにし、ゆずはジャムにすることにした。まだ骨折が完治した状態ではないが、何もせずに悶々と過ごす日々の方がつらい。ネットで調べたゆずャムの作り方を参考にした。小粒500グラムを皮と身に分けたり、特に皮を細かく刻むのには骨が折れた。休み休み作業して、やっと小ビン3個分が出来上がった。外皮を湯がくのがレシピでは3回とあったが1回にしたので少し苦みが残ったが、かえってゆずらしい味わいがある。翌日の朝食のパンにつけて食するとまあまあの出来だった。しかし手間を考えると、どうかなと思う。今日はリンゴジャムに挑戦してみるつもりだ。

イチョウなどの街路樹からの落ち葉が風に舞う音を聞きながら、買い物と散歩を兼ねたウォーキングをしていると、冬の到来を強く感じる。関東地方は晴天が続いていてありがたいが、これから1年以上土曜日は注射を受けるために病院に出かけなければならないので、、土曜日の天気が気になる。骨粗鬆症を治療する薬は、1週間に一度の飲み薬や半年に1度の注射とかいろいろあるようだ。かかっている病院が取り扱っている薬によるようで、考えると恐いような気もするが、今の私には逡巡している余裕はない。骨量を平均値まで回復することが先決である。健康が取り柄だった私も、加齢には勝てない。右目が不自由になってから今回の骨折など、年々体が弱っていく。それでも今できる範囲の中で点訳は続けたいと思っている。頭の体操のためにも。新鮮味のないブログでごめんなさい。

画像は、妹のメールから。冬は花に乏しいので、以前のものをトリミングして使いました。

 


やっと・・・

2016-12-02 16:14:30 | 日記

December3, 2016

       

       

ちょうど1週間前、今日と同じく皮下注射を受けるために病院に出かけ、帰りにスーパーで買い物をしている途中で気分が悪くなり、やっとの思いでタクシーで帰宅した。注射の副作用かもしれないが、それからの1週間、何しろ何かをやろうという意欲がわかず、T.H.クックのミステリーや南木佳士の小説を読みながらだらだらと過ごしてしまった。今日は医師の診断も入っていたので、早目に家を出た。

今後1年以上この病院に通うことになると思うと、だんだん親しみがわいてきた。最先端医療機器をとりいれた、この辺りでは新しい総合病院だ。広くて清潔なのはうれしい。とはいえ、一歩踏み込めば、車いすの人、つえをついた人、ひと眼で病人と分るような人であふれた場所だ。ずっと病気知らずで過ぎてきて、80歳を目の前にして知らなかった世界を覗いている。特に私と同じように脊椎の圧迫骨折で同じ皮下注射を受けに来ている女性の姿は、自分の姿と重なる。でもあまりマイナスな感情に巻き込まれないようにしよう。人間観察の場と考えると、いろいろと面白い面もある。

さて今日の医師の診断は、背中が少し曲がってしまったことによるうずきのようなものを感じることはあってもほぼ完治しているので、次の診断は来年の2月とのことだった。ここまでの回復に導いてくださったことにお礼を言い、いつもの皮下注射を受けて帰宅した。できるだけ外に出て日光にあたること、軽い運動、規則正しい食事、あまり難しい課題ではないので留意していきたい。今面白い映画がたくさん上映されている。来週は思い切って映画館も訪れてみよう。

画像は、ニュージーランドへ旅行された友人のメールから、「チューリップ」、「忘れな草」。呼び名は同じでも花の感じは日本の花とはだいぶ違いますね。