私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画「この国の空」

2015-10-23 15:44:17 | 日記

October 23, 2015

「アルテリアシネマ」の映画は、同じ映画を決められた時間に上映するので、うっかりしていると見逃してしまう。「この国の空」は、絶対に見たいと思っていた映画だ。このところ出かける用事が多くて少し疲れていたが、思い切って出かけてよかった。素晴らしい映画だった。まずパンフの言葉を引用させてもらう。「芥川賞作家・高井有一による同名小説は、1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞。終戦間近、当時の東京の庶民の生活をこまやかな感性と格調高い文章で丁寧に描写され、戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細に、そしてリアルかつ大胆に描く物語を、『ヴァイブレータ』『共喰い』など数々の作品で男と女のえぐみとロマンチシズムをみごとに表現した、日本を代表する脚本家・荒井晴彦が18年ぶりに監督に挑んだ渾身の一作。・・・」とある。

私が生まれ幼少期を過ごした杉並区が舞台になっている。わが家は、終戦の前年に家族皆で疎開した。年齢的には10年ほど上の世代の話で、実体験としてはないが、東京に残っていれば、家族が経験したであろう生活が展開されていた。映像でありながら、文学の世界に引き込まれるような気持ちで見終えた。「安保法案」の可決など、何か戦争の匂いのする最近の世の中にあって、この作品は、そういう言葉をどこにも使っていないが、強い反戦映画にもなっていると思った。主人公を演じる二階堂ふみが、映画の最後に朗読する茨木のり子の、「わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争に負けた」に始まる詩が、この映画の叙情性を高め、深い余韻を残している。

帰りに図書館に寄った。借りていた谷崎潤一郎『細雪』上巻は、文字が小さくて、ルーペなしでは読めないので、文字の大きい本を別の機会に借りることにして、これを返却し、予約が届いていた本2冊、若竹七海『さよならの手口』(文春文庫)と知念実希人 『黒猫の小夜曲』(光文社)を借りた。2作品ともすぐ読めて、また今のふさぎがちな気分のときには最適な本のように思えて、楽しみだ。

画像は、たわわに実ったみかん。友人宅の庭で撮った。今年は生り年とか。冬はすぐそばまできている。


横浜へ

2015-10-20 20:35:30 | 日記

Otober 20, 2015

脊柱管狭窄症の手術をされた友人が、久しぶりに参加されての読書会を、食事会を兼ねて横浜で開いた。10年ぶりぐらいに来てみると、桜木町界隈は激変していた。何か、高層ビルが頭の上から押し寄せてくるような風景だった。駅前のあらかじめ予約してあったレストランで昼食を済ませ、周遊バス「あかいくつ」で、「港の見える丘公園」まで足を伸ばし、そこのベンチに坐って、青空読書会をした。本は、小川洋子『最果てアーケード』(講談社文庫)と小野正嗣『残された者たち』(集英社文庫)。小川洋子さんの本について多く話し合った。私は何年か前にこの作家の『ことり』を読んで以来、小川ワールドに引き付けられている。人間のこの世でのはかない生命、そこにかすかに光り輝く記憶・思い出の世界、生きていることは、たとえはかなくても意味があるのだと感じさせてくれる物語だった。小川さんの最新作を読んでみたいと話しあって帰宅すると、今日の朝日新聞の夕刊に、その新作『琥珀のまたたき』が大きく取り上げられていた。ぜひ読んでみよう。最近の作家の中では、群を抜いて才能のある人だと思う。桜木町まで戻って、軽く冷たい飲み物を飲んで散会した。

横浜線で八王子まで帰る友人と、小田急線に乗り継ぐために町田で別れた。今日は、今年初めに買って重宝していたが、うっかり落としてしまいフレームが少しずれてしまった眼鏡を持参してきていた。最寄りの駅から町田に移転した、この眼鏡を買ったメガネショップで、ゆがみを直してもらった。いつもパソコン用に使っている眼鏡なので、修理してもらってほっとした。さらに小田急デパートの中にある「富沢商店」で、業務用の無塩バターを買いたかったが、ここでも品切れだった。せっかくここに立ち寄ったので、パン作りのための強力粉を買った。特別なものではないが、こういった専門店では、新鮮なものが手に入る。小田急線の最寄りのローカル駅に降りると、あたりは暗く、時計を見ると7時だった。最近、暮れてから外出することがほとんどない。信号待ちをしながらふと空を見上げると、三日月が、温かく地上を照らしていた。充実した1日だった。

画像は、「港の見える丘公園」からベイブリッジを望む。秋の雲が美しい。

 


紅葉

2015-10-17 13:08:52 | 日記

October 17, 2015

10月15日(木)
1ヵ月に1度の英語辞典点訳の例会、重い荷物を持って練馬まで行くのが大変だったが、やっと最寄りの駅の次の急行停車駅で始発のローカルがあることが分った。家を出るのは8時前と少し早いけれども、完全に坐っていけるので安心した。当然のことながら、点訳されるなどということはまったく考えてはいない煩雑な辞書を点訳するのは骨が折れる。3時間ほどの例会は、各自が出す質問についての討論で終わる。この会は皆が平等の立場で話し合い、納得して進めていく方式なので、ありがたい。2年ほど遅れてこの会に参加させてもらったのだが、やっと皆さんと歩調を合わせることが出来るようになった。70歳で講習を受けてから8年ほどたった。いろいろとなじめないことばかりだったが、結局、仕事をする環境が一番大切などだとわかった。自分にあった点訳の会を探し続けたことは間違っていなかったのだと思う。

10月17日(土)
昨日出がけに急いでズボンをはきかえたとき、靴下が引っ掛かったところえスリッパが滑って勢いよく転倒して、大たい骨付近を強打した。どうしても出かけなければならなかったので、足を引きずりながら駅前まで出かけたが、今日になって、ぶつけたところが少し痛い。老人は家の中で転ぶという言葉通りのことだった。打ち身で済んだが、気をつけよう。夜来の雨も上がり、陽がさしてきた。種を拾ってきて育てた杏の小木が紅葉しはじめた。季節が矢のような早さで過ぎていく。昨日買い求めたチューリップの球根を植え付け、今回で4度目になる例のパンを仕込んだ。作り方は妹に教わった通りにやっているが、妹が、このパンを使ったいろいろなレシピも載っている栗原はるみさんの料理本を、アマゾン経由でプレゼントしてくれるというので、楽しみにしている。

画像は、末の妹のメールから、「ザクロ」。庭でとれたものをジュースにしたとのこと。家が近ければもらえるのだが、残念だ。


ヘミングウェイ

2015-10-09 09:23:00 | 日記

October 9, 2015

パソコンを開き、書かなくても自分のブログも読み返したりする前に、必ず友人のブログを覗く。大変な読書家なので、本の話が多い。今回のブログもすごかった。「中世美術書の境界領域」という副題がある本について、沢山の写真をまじえて書かれている。かなり長いものだった。長年中世について学習されている成果が花開いている。これをバックボーンというのだろう。私はずいぶん本は読んできたつもりだが、勉強家ではないので、その時の気分で読んでいて、筋が通ったものがない。友人のブログを見ていつもそんな感想を抱く。結果、私がよりどころとしているのは、ディレッタントとして過ごしてきた日常だ。これはバックボーンとはいえないが、私が好ましいと思ってきたものがいくつかある。そのひとつがボクシングであり、またへミングウェイだ。

今、朝日新聞に連載されている、沢木耕太郎『春に散る』が面白い。中田春彌さんの挿絵も美しい。この小説を読むのを楽しみにして新聞を開く人は多いと思う。ボクサーが登場する。また、へミングウェイの短編『五万ドル』も出てくる。何となく先が読めるような感じもするが、それはこれからのお楽しみだ。今日は、『ヘミングウェイ短編集』(二)(新潮文庫)に載っている『五万ドル』を読み返した。古い本なので字が小さい。持ち歩いて何度も読んでいるのでボロボロだが、内容はすっかり忘れている。ついでにほかの短編も読んでみたが、やはり面白い。これは大久保康雄・訳なので、新しい人の訳で読んでみたい。書棚を覗いていたら、ヘミングウェイ未発表短編集、高見浩一・訳『何を見ても何かを思い出す』(新潮社)が目に付いたので、これを午後から読もう。相変わらず気まぐれな日常である。
 
すぐに話が横道に行ってしまうが、ボクシングに戻ろう。私はたいていの大きな試合は、テレビで見逃さないようにしている。選手が登場するときの姿や、周りの男や女たちの様子など、私には違和感を抱くものばかりだ。リングの上のボクサーの一対一の打ち合いだけが、私の関心事だ。とはいえ、ボクサー個人にはそれぞれの背景があるだろう。それは試合を見ただけではわからない。小説は、そういったものが語られているので面白い。なんだかまとまりのないブログになってしまった。
 
画像は、これから読むへミングウェイの作品。カバー写真の著作権に「Orion Press」とあったのが、懐かしい。20代の頃に勤めた、ほんの数ヵ月でつぶれてしまった出版社で、本に掲載する写真を借りに行ったことを思い出した。 
 
 

北海道産の

2015-10-08 18:19:12 | 日記

October 8, 2015

北海道から、ジャガイモと玉ねぎがたくさん届いた。毎年、友人が、ご自分のものと一緒に北海道に注文して、送ってくださる。ありがたいことだ。ジャガイモも玉ねぎも、常備しておきたい野菜だが、袋詰めしてあるのを買うとけっこう重い。いつも一つ二つといったように買ってくるので、肝心な時に手元になくてがっかりする。たくさんいただいたので、うれしい。さっそく、レシピどおりに、「マッシュポテト」を作ってみた。レシピにも書いたあったが、おいしくてどんどん食べられる。冷凍も出来ると書いてあったので、次回は、少したくさん作って冷凍袋に入れ保存してみよう。明日はカレーにしよう。

いよいよ冬に向かう季節に入ったようだ。毎朝欠かさない朝シャワー、湯を止めた後寒いと感じるようになった。寒くないですかと聞かれることもあるが、真冬でも、よほど寒くない限り暖房は使わない。そういえば昔、祖父が、健康のために冬でも乾布摩擦をしていたことを思い出した。私は今までに大きな風邪をひいたことがない。こういった習慣も、健康に役立っているのだろう。さて、今日も朝からパソコンに向かって点訳している。老後の暇つぶしと言ってはいけないが、点訳は、私にはそういった面もある。点訳の際に広辞苑が最後のよりどころにしているのは、どこの点訳の会でも同じだ。うろ覚えのまま点訳して、校正の際に、読み方や送り仮名について、広辞苑ではこうです、などと書かれて、最初は戸惑ったものだ。私の場合、狭い机の上に広辞苑を常時置いておけないので床に置いてあり、必要な時によっこらしょと持ち上げて使う。これが面倒だ。まして最近は拡大鏡も必要だ。ところが、インターネットの検索を使うと、広辞苑よりも詳しく、読み方も内容の説明もしてくれていることに気付いた。もちろん、私が大嫌いな電子辞書なんかよりずっといい。今私が携わっている英和辞典にしても、視覚障害者のための辞書類は、すべてテープに横書きで収められているとのことだ。紙の文化が消えるのは嫌だが、広辞苑のような重い辞書は早晩消えていくのではないかとも思う。

画像は、「シュウメイギク(秋明菊、秀明菊)」。団地の庭で撮った。この花の周囲は、もう冬の風情だ。


心のひだ

2015-10-05 11:30:57 | 日記

October 5, 2015

2日前に、3ヵ月毎に眼科に予約してある定期検診に出かけた。眼科医から、特に以前と変わったところはないが、右目が現在のような状態になったことは、左目にも当てはまるので、異変があったらすぐに連絡するようにと言われた。それでは盲目に近くなってしまうではないかと思ったが、眼科には、目にいろいろな症状がある人が訪れている。個人の問題は個人の胸のうちにと思い、次の予約日を決めて帰宅した。もしそのようなことになったら大変ではあるが、それは仕方のないことだ。何とか日常の生活は出来るとしても、本が読めなくなることを思うと悲しい。しかし、今は朗読されたものもあるのだから、新しい楽しみを見出せばよいと、気を取りなおした。先のことをあれこれ悩む前に、今できることを楽しもう。

有吉佐和子『紀ノ川』(新潮文庫)を読んでいる。簡単に読めると思ったが、意外に読みでがある。林芙美子、山崎豊子、有吉佐和子と、今の若い人には古典ともいえるような作品を読み続けている。長年翻訳小説を読んできたものにとっては、かえって新鮮である。そして学ばせてもらうことが多い。私はシンプルな生活を送ってきたので、作家が描く人間の心の襞に驚いている。もちろんたいていの作品は若い頃1度は目を通しているが、その頃は物語として読んでいて、今のような読み方はしていない。めんどくさいなと感じた人間関係、でもそれから逃れることは出来ない、人はそれぞれ、めんどくさい人間関係を背負う責任を負いながら生きていっているのだと気づく。私はそういった責任を逃れてきたにすぎないのではないかと思ったりもする。

画像は、「シクラメン」。花屋にこの花を見かける季節になった。これは昨年買った小さな鉢のものが一回り大きく育って開花したもの。


山崎豊子

2015-10-01 18:08:55 | 日記

October 1, 2015

友人と、日本橋高島屋で開催されている、「山崎豊子展」を見てきた。チケットは友人が用意してくださった。なかなか見ごたえのある展覧会だった。改めてこの作家のすごさを垣間見た思いだった。読書会では、中国残留孤児の問題を扱った『大地の子』と、今年になって、生家である「小倉山本」をモデルに大阪船場の商家を扱った処女作『暖簾』を読んだ。私個人としては、『白い巨塔』と『不毛地帯』を読んだ記憶がある。しかし、代表作を紹介している記事を丁寧に読ませてもらい、自作の原稿などに触れると、どの作品もぜひ読んでみたいと思った。特に『ぼんち』と『花のれん』の解説が興味深かった。「その社会性の強いテーマや複雑に絡み合う人間模様は、徹底した取材から生まれた。」という言葉を、この展覧会のパンフレットから引用させてもらおう。また、山崎豊子が貫いた反戦思想は、今の日本の政治情勢に警鐘を鳴らすものだろう。

いつものように友人宅にお邪魔させていただいて、パスタをご馳走になった。やはりお手作りのものはおいしいですね。手早くて気が利いたランチ、友人の「もてなし上手」を見ならいたいと思う。帰宅したら、別の友人から電話がかかっていたのが分ったので、こちらからかけ直すと、高島屋の「山崎豊子展」を見、『大地の子』の取材状況を扱った本を読んで、あまりに感動したので、ぜひこのことを私に話ししたいと思い電話されたとのこと。もちろん彼女は、私が今日この展覧会に出かけたことは知らない。あまりの偶然に驚いた。そのあと開いた朝日新聞の夕刊で、女優の黒木瞳さんが、ご自分が体験された不思議な繋がりについて書かれているのが目に付いた。「なんなんですかね?こういうことって。その人を考えていたら、その人から急に連絡があったり、連絡してみると、私のことをちょうど考えていたと言われたり。・・・」(朝日新聞、2015年10月1日) 私は、今日の出来事とこの記事の偶然の一致にも、今驚いている。

画像は、友人のメールから、「中秋の名月」。この写真を撮るのは大変だったでしょう、素敵です。