私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014-03-29 14:49:15 | 日記
March 29, 2014

間違いなく桜の季節は訪れる。といっても春の天気は変わりやすい。来週にと予定していた映画『ドストエフスキーと愛に生きる』を見に、朝早く家を出た。実はちょっとしたアクシデントがあった。昨日図書館の社会人枠の部屋で自分の点訳したものを校正していたら携帯に電話が落ちてきた。自宅にかかった電話が携帯に知らせてくるように設定してある。便利だけれども、どこまでも鎖につながれているような感じは否めないが。近くの友人からだった。そろそろ校正に飽きてきたところだったので図書館を出て、折り返し電話をすると、何でもたくさんチョコレートをいただいたのでおすそわけして下さるとのこと、友人もお買い物があるというので、駅前のコーヒーショップで落ち合い、少しお話をして、チョコレートを3箱いただいてバスで帰った。バスの中でいただいたチョコレートをつまもうと思ったが、手持ちの袋に入れたつもりのはずなのに見当たらない。別の袋も探したがない。帰宅してすぐお店に電話すると、忘れものとしてとってあるということだった。床に置いた袋に入れるときに、間違えて外に落としてしまったらしい。せっかく持ってきてくださったものを粗雑に扱ってしまったことで、反省しきり、これも老いのせいにした。で、今日10:00から始まる映画の前にお店に寄ってコーヒーを注文し、チョコレートを渡してもらた。きれいな袋に入れてくださって、気持ちが和んだ。

さて映画のことを書こう。1週間、しかも1日2回しか上映しない映画なので、映画的にはどうかと思いつつ、題名に惹かれて見た。素晴らしかった。 ついぞ買ったことのない小冊子になっているパンフレットを買った。 その「Introduction」の最初に、「84歳のスヴェトラ―ナ・ガイヤーが織りなす深く静かな言語の世界と、紡がれる美しい言葉たち―。ドストエフスキー文学と共に歩んだ一人の女性の数奇な半生を迫ったドキュメンタリー。」とある。数々の世界のドキュメンタリー賞を受賞している。映画の構成は、孫やひ孫に囲まれながらも、料理を自ら作り、生活を気持ちよくする工夫をし、楽しみながら思いのままに暮らす主人公の日常が紹介される。その日常の中にドストエフスキーの翻訳(ドイツ語訳)という生活が折り込まれる。この場面もなかなか見ごたえがあリ、題名の由来ともなっているエピソードだ。これは見るものそれぞれで感慨が異なるだろう。私は「知の力」といったものを感じた。さらに故郷のウクライナの大学に講師として招かれ、孫娘と首都キエフへ向かう列車の中で、回想として彼女の半生が語られる。ウクライナで生まれたロシア人であるが、母親の勧めでドイツ語を学び、その言葉を頼りに戦中をナチスドイツの通訳として生き抜き、戦後は翻訳家として高い評価を得る。ドイツ語が話せることからゲシュタポに重宝がられ、また勉学の機会も与えられるが、ユダヤ人ではなくアーリア人であることを証する厳しい身体検査をされたといった言葉に、背筋が寒くなる場面もあった。民族の歴史と個人の歴史がさまざまに交錯する問題提起も、ドイツ映画だからこそであろう。ナチが行った人種差別の恐ろしさを目の当たりに感じさせるくれる映画でもあった。

ウクライナが最近新聞紙上に登場する。世界には、人類には、とことん紛争が付きまとうものなのだろうか、などといったことも考えさせられた。ほとんどがドイツ語なのだが、キエフに滞在している時など、ロシア語も混ざる。すっかり忘れていたと思ったロシア語が、ほぼ理解できたことには驚いた。日常会話で話される語彙は本当に少ないのだということも実感した。

画像は、「すみれ」。去年は1本だったのが今年はこんなに増えた。すみれが咲くといつもこの歌が思い浮かぶので、例年のことながら次に記す。

    春の野にすみれ摘みにとこしわれそ野をなつかしみ一夜寝にける   山部赤人

ミステリ

2014-03-24 20:53:06 | 日記
March 24, 2014

今政権になってから、いたるところで工事現場に出くわす、と誰かがいていた。たしかに年度替わりの道路整備ではない大工事が目立つ。こんな自転車操業をしていて、日本の国は持ちこたえて行くのだろうか、と思うのだが、一介の市民、まして老人にはなすすべはない。連休中に起こった工事火災による首都高の閉鎖も、これは国政ではなく東京都の管轄ではあるが、また老朽化した道路の整備も必要だろうから何とも言えないが、連休を見越して工事を延ばせなかったのだろうかと、またもや素人の苦言である。さて連休、彼岸である。友人が、仏壇のご両親に「おはぎ」を供えたと言っていたので、急いで近くの和菓子店に出かけた。母は晩年、小豆類が胸にもたれると言っていたのを思い出し、母には黒ゴマと黄な粉のおはぎを、自分には漉し餡のものも加えた。しかし食べてみたら、中身はどれも餡だったのでおかしかった。母の写真に供えたが、父の写真は飾ってない。母だからこそこういった私がついぞやらないことをしたい気分にさせられるのだ。子供のころを追想しながら、しばらく物思いにふけった。
  
毎日精を出して点訳したおかげで、4日の勉強会に間に合うかと心配だった点訳も、一応打つだけは完了した。80枚近くになった。視力が落ちているので、最後近くなって、ラテン文字の小文字だと思っていた「m」の文字が、ドイツ語の小文字だと分ったりして、見直す方が大変だ。まあ何はともあれ終わったので、ちらちらと読んでいたマーク・プライヤー『古書店主』(ハヤカワ文庫)を一気に読んだ。久しぶりに面白いミステリだった。外国のミステリ作家は、ジャーナリスト、弁護士、大学教授などの職業と兼務して作品を書いている人が多い。本書の著者も、地方検事補として活躍する傍ら執筆活動を続けているという。一生暮らしていけるだけの価値のある、つまり高値がつくものもある古書を軸に、麻薬の密売やナチに絡む話がパリを舞台に繰り広げられる。このミステリでは、パリが主人公といってもいいかもしれない。フランス映画でおなじみの、せ―ヌ河左岸、セーヌ川を航行する船がまぶたに浮かぶ。今回も船が役割を演じている。夜、ボン・ヌフからセーヌ川を行き来する観光船を眺めたらどんなに素敵なことだろう、などと思った。しかし、こういう本を読んでいると、フランス映画を沢山見てきて良かったと思う。なぜかパリの街を歩いている錯覚を抱くのだ。

画像は、ベランダ栽培の薔薇。やっとベランダの花々もつぼみを持ち始めた。一番に花開いたバラを撮った。


宅急便

2014-03-20 13:43:20 | 日記
March 20, 2014

中部地方に住む妹から、宅急便を午前着で送ったという連絡が入った。いつももらうばかりで、私からは何も送るものはないのだが、ちょうどいただきものの「ウニ」があり、私は食べないので、手作りのジャムと一緒に送ることにし、小さい小さい荷物を作り、宅急便を待ち、こちらの荷物を持っていってもらった。なんという便利な世の中なのだろうと、ありがたく思った。荷物を運んできてくれた青年にもそんなことを言いながらお願いした。

大きい宅急便は、玉手箱を開ける気分だ。日持ちのする食料品のほかに、以前もらって重宝した袋を、もしまだ店にあったら買ってほしいと頼んだら、同じものはもう生産していないとかで、少し大きめのものと、小さいものとふたつ送ってくれた。プレゼントしてくれるという。さらにこれから重宝できる軽い上着や、姪の嫁ぎ先の牧場でとれたばかりの菜の花までたくさん入っていた。今のうれしい気持ちを忘れずにいなければと、心に誓った。

今日はまた冬に逆戻りの寒い日だ。話が前後するが、今日の天気予報を踏まえて、昨日暖かいうちに、図書館に届いている本を取りに行った。予約していて待っても待っても届かない本が、今回のように4冊続けざまに届くことがある。一部は図書館に置いてもらえるということだったので、2冊だけ借りることにした。本は、マーク・プライヤー『古書店主』(ハヤカワ文庫)と大貫妙子『私の暮らしかた』(新潮社)だ。どちらも新聞の「読書」欄で紹介されていた本だ。いつもの農協の直売上で野菜を買い、丁度間にあったバスで帰宅した。大地震が取りざたされているので、文鳥と金魚のえさをストックしておこうと思っていたのに、今日も買いはぐってしまった。予防策というのは難しいものだ。

画像は、妹からプレゼントされた布の袋。点訳の資料を持ち歩くのに、風袋が軽いのでこれからは大いに助かる。

パソコン持参で

2014-03-18 20:20:04 | 日記
March 18, 2014

点字を打つためには、点字用のソフトを使うのだが、それもいくつかある。今日は、私が点訳する時に使っているものではないが、インストールしてある点訳ソフトのひとつで、パソコン持ち込みの講習会が、飯田橋であった。いつもの友人が申し込んでくださったのだが、朝から1日がかりだった。何しろノートパソコンとはいえ、相当な重さはある。それをカートに入れて運んだ。そのこと自体は大したことではないが、駅などの階段で転ばないようにと、足元だけは気をつけた。

私がパソコンを始めたのは2000年で、今のは2台目だ。しかしほとんど自己学習で、パソコンに付き添って教えてもらったことはない。今回は、点訳ソフトの講習だけではなく、パソコンのベテランの方も来てくださっているということで、思い切ってパソコン持参で参加した。これは正解だった。特に図を書くときに使うソフトについての説明が分りやすく、また10人ぐらいの人数だったので、とことん質問することもできた。点字に携わって以来、何かざっくばらんに質問できる雰囲気がなく、あまり良い感情を抱いてこなかったが、この会の方々はとても丁寧で、どんな初歩的な質問にも答えてくださって、1日という長い時間を楽しく過ごすことが出来た。友人の存在も大きかった。物忘れなど、少し落ち込むこともあったここ数日だったが、まだまだ頑張れると、意を強くした。できるだけストレスを感じないような方向で点訳に携わっていければいいなと思う。

画像は、「すもも」。実生で育てた木が、今年は枝先に3ヵ所花を咲かせた。この木が満開になる時はいつ来るだろうか。

点訳の会の例会

2014-03-13 16:54:53 | 日記
March 13, 2014

3月11日(火)
午後から理数点訳の会の例会に出席。少し大変になってきたので、新しい点訳は引き受けず、宿題を送付して次の例会に添削していただいたものを受け取る、というシステムだけでの参加にしようかと思っていた。しかしけっきょく、以前やったことのあるものと同じ系列のもので、理数関係の専門書を引き受けることになった。この会では、沢山ある点訳依頼の中から自由に希望者が点訳を引き受ける。前回は英文だったが、今回のはドイツ語を英文に訳したものなので、ドイツ語が混ざっているという。内容が全くわからなくても、ある程度の訓練をうけさえすれば点訳できるというのが、私が点訳に惹かれるところだ。もちろん最後の校正(普通はニ校目)は、物理や数学関係を大学で専攻している方がついていて、チェックしてくださる。最初は何も分らないままに引き受けてきたが、 この会にはいって1年ほどたち、 要領が飲み込めてきた。 前回この系列の 『Galois  Theory』の最後の校正をお願いしたときに、このことに気付き、内容が分らないものは引き受けないほうがいいのではないかと思いもしたが、そんなことをいっていたのでは何人点訳者がいても間に合わないと分り、質問を受け付ける勉強会で、 できるだけ疑問点をクリアするように心がけることにした。 で、 今回のものは、『Algebraic Number Theory』という本、550余ページのものを32人で分担して点訳する。急いで荒点訳して、4月4日の勉強会に備えよう。

3月13日(木)
近くの友人宅に、知り合い4人で集まった。この頃こういった女子会みたいなものは欠席することにしているのだが、断わり切れず参加した。招待してくださった方が聞いたら感じが悪いいい方だが、今週は東京まで出かける用事が多く、少し疲れている。いつものようにサンドイッチを作って持参することにした。ところが出がけに突然くしゃみが止まらなくなり、切らしてしまっていた風邪薬を買って、バスで伺うことにした。バスを降りて、もちろんよく知っている道ではあるがここ何年も通っていない道を歩いて行くと、当然友人の家があると思っていた場所が見当たらない。見慣れた街並みであるのにみつからない。急いで携帯で友人宅に電話をかけてみたものの、住宅街で、目印になるものがない。結局自分で探していると、いつも通っている道に出たので、やっとほっとしたが、大丈夫かな。いよいよ来たかなと思ってみたり、いやこれは特別なことだと思ってみたり、少し心配している。

3月14日(金)
『医学大辞典』点訳の会の例会。私は最初のファイルはもう校正の方に回して、今三校まで進んでいる。2ファイル目も打ち終わって見直したりしているところだが、本当に5年以内に終わるのかどうか。たとえ辞書でもせいぜい1年以内に終えるような規模で始めないと、完成するか中止かになりかねない。私はこの世界を覗いたばかりなので、何とも言えない。ただ時間や経費を使って始めているものが中途半端で終わってもらいたくはない。いつもの友人と小田急デパートの上階にあるレストラン街の中華料理店「翠園」でランチを食べた。値段も手ごろでおいしかった。この友人とは年齢も近いので、何をいただいてもおいしいという感想を言いあえてうれしい。屈託のないお話をして別れた。

帰りの電車で、だらだらと読んでいた村松真理子『ダンテ『神曲』』を読み終えた。14世紀にダンテによって記された叙事詩『神曲』は、ダンテが、古代の詩人や天使たちと対話しながら、地獄、煉獄、天国といった詩の世界をめぐるという壮大な物語である。父がこの本にも引用されているブレイクの画集を持っていて、幼少のころからわが家の宝のようにいわれてきた。そんなことから、ダンテとかべアトリーチェの名前は耳にしていたが、しっかり読んだ記憶はない。この本も解説書ではあるが、新書ながら、ブレイク、ドレ、アングル等の絵が挿入されていて分りやすく、また、この書が西欧の言語学、文学の礎となっていることも分った。先日のブログで触れた『平治物語』や『保元物語』などの日本の古典を読んでみたいと思った私の気持ちにも通じるように思えたので、本書の著者の言葉を、少し長くなるが、次に引用させてもらう。

 ただし、難しくてわからなくてつまらないだけなら、誰も読まなくなってしまう。コードを使って読み解こうと、そのコードをさがす気持にさせられる魅力があるからこそ、ふっと私たちの人生の経験にテクストのことばが共振する瞬間があるからこそ、私たちは古くから読み続けられているテクストを、何百年もたっていることばを、あらためてとりだし、ひもとき、読みふけることだってできるのだ。それが『神曲』も含めて、「古典」と呼ばれるものと私たちとの関係だろう。
 ほかの人に聞かせてやりたくなる人がいて、ほかの人に見せたいから書き写す人がいて、コードの謎解きをほかの人に伝えたくなる人たちがいて、ほかのことばにしてひろく読んでもらいたくなる人がいて、「古典」は継承され、「翻訳」され、読み継がれる。自分の感想を伝えたくなる人がいるから、自分のことばで言いなおしたくなる人がいるから、様々な作品に書きかえられ、語りなおされて行くのだろう。そしてそれが、絵画であったり、文学的な引用であったりもする。(村松真理子『謎と暗号で読み解く ダンテ『神曲』』角川書店)

画像は、『ダンテ『神曲』』に挿入されている、地獄篇の中の物語を描いたブレイクの作品。

貴族の世から武士の世への転換期に

2014-03-09 21:17:26 | 日記
March 9, 2014

どうも花粉症にかかってしまったようだ。ここ1週間ほど目がしばついて、また風邪をひいているわけではないのに朝鼻水が出たりしている。パソコンのせいかとも思ったが、今までに相当酷使しても、パソコンで目に何か支障がおこったことはない。たまたま友人の花粉症で困っているという言葉に、これは間違いなく花粉症だと分った。薬を処方してもらったり、外出することもままならないという友人と比べればまだまだ軽いが、厄介なものを背負わされたなと、少しがっかりしている。

市販の目薬をさしながら、河合敦『後白河法皇』(幻冬舎新書)を読み終えた。電車の中で読むために買った新書本だったが、少し読み始めて面白かったので、一気に読んだ。どうも日本の歴史上の人物を扱った本は信じ難く、あまり読んだことがないままでこの歳まで来た。NHKの大河ドラマも見ない。私の食わず嫌いである。本書は、後白河法王として、長きにわたって院政をしき、古代から中世への転換期に君臨した後白河法皇をめぐるこの時代の人間模様を扱った本である。人間模様といっても、つまりは今でいう政治の世界の中のことである。要として後白河法皇は存在してはいるが、政治を動かしているのは、周りにいる人物たちだ。誰が天皇になるか、誰が実権を握るか、誰を味方にするか。貴族と武士の権謀術数が渦めく世の話である。この時代を解明する手立てとしては、『保元物語』と『平治物語』のほかに、「日記」が残されている。日記といっても、現代のようにプライベイとなものではなく、貴族の家の宝として大切に保管され、後世に伝えられてきているものだそうだ。そのほかに、『平家物語』、『愚管抄』、『梁塵秘抄』が、この時代を語る書として登場している。私の知識は高校の日本史で学んだ程度にすぎないが、歴史研究家がよりどころとするこういった書物は、実際に読んでみると面白いだろうと、今回この本を読んで思った。

本書の著者は、高校教師として教壇に立ちながら数多くの著作を刊行、と紹介されている。なるほどと思った。生徒に説く先生の優しい語り口が感じられた。人物が込み入っていてややこしい時代を、分りやすく解説している。また、史実を伝えるだけでなく、読み物としても面白かった。暗愚帝王と呼ばれながら、この時代に66歳まで生き、何度も院政を復活させた後白河法皇は、たしかに読みものの登場人物として絵になる存在だろう。次に、本書の最後で後白河法王について著者が記している個所を引用させてもらう。
 
 だが、時代は古代から中世へと移り変わる激動期に突入ししていた。保元・平治の乱をへて「武士の世」となり、平清盛、木曽義仲、源頼朝といった武士たちが次々と後白河の前に立ちはだかった。そうしたなか、何度も武士たちに幽閉され、命の危機に直面した。しかしながら、不思議にもこの人は、己の権威を保ち続けたのである。
 よく考えてみれば、貴族たちに馬鹿にされ、武士たちに愚弄され続けた後白河の院政だったが、そんな彼を最も支持していたのは、都の庶民だったのではないか。そうした支持があったればこそ、この人は不死鳥のように何度もよみがえったのであろう。(河合敦『後白河法皇』幻冬舎新書)

画像は、正倉院の文様をあしらったハンカチ。以前友人からお土産にいただいたもの。ブログの内容とは関係ないが、使わせてもらった。

テレビ(BS)

2014-03-06 08:41:56 | 日記
March 6, 2014

昨夜は、 9:00~ 「ザ・プロファイラ―」(BSプレミアム) と10:00~ 「巨匠たちの輝き」(BS-TBS) という2本のテレビ番組を続けてみた。 「プロファイラー」は、「なぜ山に登るのか」 と問われて 「そこに山があるから (Because it's there)」という有名な言葉を残している(マロリーの言葉だいう証左はない)、エベレストに人類初登頂を挑んだイギリスの登山家ジョージ・マロリーについての話だ。若い頃には夢の実現に果敢に挑んだマロリーが、第1次大戦で部下を2人戦死させてしまったことと、第2次エベレスト登頂の際に酸素ボンベを山頂近くまで運びあげてくれたポーターを雪崩で7人失ったことからくる自責の念などをへて、ただ山に挑むだけではなく、人間として成長していく姿を伝えていた。結局、エベレスト初登頂を願うイギリス国家の野望を背負い、またポーターへの配慮から少ない酸素ボンベで3回目に挑んだ登頂で、山頂近くで37歳の生涯を終えている。誰もがすでに良く知っている話ではあろうが、私にはとても興味深いものだった。ノン・フィクションではあるが、映画の一場面をみているような迫力があった。

「巨匠たち…」は、歌人・詩人、石川啄木と中原中也を「かなしみ」というフレーズを使って取り上げていた。啄木は中学生の時から親しみ、今でもたまに歌集を開いたりするほど好きな歌人だ。中原中也は、教科書程度の知識しかない。しかしこの日の解説で少し分った。どうも中也は男性の心の内部を謳った詩人のようだ。私が共感を感じなかったのは当然だろう。それはそれとして、2人の天才が短い生涯(啄木26歳、中也30歳)の中で苦悩しながら、またその苦悩ゆえに作品を残すことが出来た姿を、作家の高橋源一郎氏がよく解説していた。これもよい番組だった。下に2人の作品を引用させてもらおう。

晴天だけれども北風が冷たい日だ。帽子をかぶりマスクをし、3月なのにダウンのコートを着て駅前まで出かけた。図書館に本を返す用事もあったが、駅構内にあるコーヒー販売店「KALDI」がコーヒーは半額、そのほかの製品は10%offという新聞の挟み広告が入っていたので、ここにも行きたかった。セールは日曜日までで、今日は初日なのにものすごい人の群れ、4ヵ所あるレジが長蛇の列だった。いつもは安売りの大袋で間に合わせているが、たまにここのコーヒーをいただくと、やはりおいしい。半額ということなので、モーニングを400グラム買った。さらにイギリスとフランス製のビスケットとクッキー、ビン入りの黒コショウ、ニチレイのレストラン用レトルトビーフカレー5パックを買った。こんなにたくさん買っても2000円でお釣りがきた。帰りのバスの中で、「10%off」と「1割引き」とでは、どちらの方が購買者には安いと響くだろうか、などとつまらないことを考えた。


   いのちなき砂のかなしさよ             
   さらさらと                  
   握れば指のあひだより落つ 

   
   何もかも行く末のこと見ゆるごとき 
   このかなしみは    
   拭いあえずも 
            石川啄木『一握の砂』より(『日本詩人全集8』新潮社)


       月夜の浜辺

   月夜の晩に、ボタンが一つ
   波打際に、落ちてゐた
   
   それを拾って、役立てようと
   僕は思つたわけでもないが
   なぜだかそれを捨てるに忍びず
   僕はそれを、袂に入れた。

   月夜の晩に、ボタンが一つ
   波打際に、落ちてゐた。

   それを拾つて、役立てようと
   僕は思つたわけでもないが
     月に向つてそれを抛れず
     波に向つてそれを抛れず
   僕はそれを、袂に入れた。

   月夜の晩に、拾つたボタンは
   指先に沁み、心に沁みた。 

   月夜の晩に、拾つたボタンは
   どうしてそれが、捨てられようか?
             中原中也(『日本詩人全集22』新潮社)

画像は、「ラナンキュラス」。紙のように薄い花びらが幾重にも重なって美しい。    

サウジアラビアの映画

2014-03-04 15:50:16 | 日記
March 4, 2014

図が77枚もある、私にとっては大きな点訳をやり終えて、今日は解放感がある。昨日は点字印刷機でデータをすり出すのに1日がかりだったので、すっかり疲れてしまい、最後に印刷された点字データをそろえているときは、何をやっていたのか、はっきり覚えていない。たまたま若い友人がこの点訳の世話係をしていたので、いろいろと助けてもらった。そろそろ自分の年齢を自覚しなくてはならない時かもしれない。そんなわけで今日は念願の映画を何か見ようと、「アルテリアシネマに出かけた。

「少女は自転車に乗って」というサウジアラビアの映画を見た。いつものように、パンフレットの解説を引用させてもらう。「10歳の少女ワジダは、男の子の友だちから借りた自転車では飽き足らず、自分のものが欲しくなる。少女の行動に制約だらけの国で、目標に向かってけなげに頑張る女の子の日常を活写した秀作。映画館が禁止されているサウジアラビアで誕生した女性監督の作品。」とある。ヴェネチア国際映画祭インターフィルム賞、ロッテルダム国際映画祭批評家連盟賞などを受賞、2014年アカデミー賞外国語映画賞サウジアラビア代表にも選出されたという。このあたりの国の民族の顔は彫りが深くて美しいが、この映画に登場する少女とその母親の美しいこと、この二人をみているだけでも映画のすばらしさを味わえる。自国以外の言葉を聞いていて何か耳触りな感じがすることがある。私は韓国語がそうだ。しかしアラビア語は全く違和感なくすっと耳に入ってきた。また当然ではあるが、画面に映し出される言葉も、英語が横に書かれてはいるが、すべてアラビア文字だ。この飾り文字のようなものがまた美しい。この文字を少し学んでみたいと思ったほどだ。イスラム圏の、私たちとは違った家族制度、女性への制約はあるものの、家族、特に母と子の情愛など、世界が共有できる物語を作っている。さわやかな思いが残る映画だった。

実は、昨夜はテレビで古いアカデミー賞受賞映画(主題歌部門)、「追憶」を観た。映画ついでに、この映画についても少し書こう。政治的な背景なども織り交ぜてはあるが、男女の出会いと別れ、愛憎が描かれていて、すでにテレビで2回ほどみている映画だが、やはり最後まで引き込まれてしまった。ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドが演じている。切ない主題歌の響きもあるが、最後に再開して別れていく2人のシーンは眼に焼きついた。男女というだけでなく、人間と人間のどうしようもない自我のぶつかり合いは、破局につながるとしても、そこで築かれたさまざまな事柄は、ずっと続いて人の心の中に残るのだということ、人生そのものを描いている映画だと私には思えた。

画像は、映画のパンフから。