私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

最後のブログ

2019-12-20 17:43:46 | 日記

December 20, 2019

今日が最後のブログになった。たしか2005年の4月に始めたと記憶しているので、足掛け15年ほど続けたことになる。60歳代の後半から80歳に入った今、うれしかったこと、つらかったことなど、様々な体験があった。よくここまで一人で歩んでこれたという思いもあるが、家族、友人の支えがあってこその今だとしみじみ思う。予期せぬことの最たるものは、老いるということだ。もちろん頭脳も衰えてきていることは確かだが、それ以上に身体の劣化は駆け足でやってきた。悲しいことだ。

今私の生活の中心は、盲人のための点訳のボランティアだ。いろんなグループに属し、様々なものの点訳を経験した。現在は、英和辞典の点訳を、7、8人の方と携わっている。外国語の点訳は、その言葉ができないと駄目なように思われているが、全く関係がない。1文字1文字を記号と考えて点字に直していくので、忍耐と、校正を通じてのちょっとしたコミュニケーション力があればいい。私が始めたころから、パソコンを使った点訳が普及した。それも運がよかったと思っている。あと何年出来るかわからないが、できるところまで続けていくつもりだ。

もうひとつ、20歳代に参加した読書会がある。この会は、無理をしないから続いてきたといえるだろう。レポーターになった人が本を選び、各人が読んで、皆で話し合う。自分ではとても手にしないような本がテーマ本になり読む。私にとっては、これが一番の醍醐味だ。皆さん、子育てや介護など、生きていくうえで直面するすべてを経験されたいる。そういう点では、独り身の私は肩身が狭いが、人が生きていくということは、どういった形であれ簡単なものではない。私は、経済的な面での苦労を背負いながら、何とか生きてきた。本を読むことで支えられたことも多々あったと思う。だいぶこころもとなくなってきたが、健康に留意して、この会がまだまだ続いていくことを願っている。

来年も書き続けたい思いと、いろいろな点で限界が来ているという思いが交差しながら、今日で私のブログを終わりにすることにした。つたないブログを覗いてくださった方々に感謝したい。

 


転倒

2019-12-15 08:29:00 | 日記

December 15、2019

老人にとって、転ぶことは命取りになる。気を付けていたのだが、駅前に行く途中の公園の中で、雨で湿った落葉に足を取られて転倒した。頚椎をひねったらしい。いつものように医者には行かず、様子を見ることにした。おとといのことなので、すでに2日経っているが、痛みはとれない。このブログ打つことができるのだから、時薬が治してくれるだろう。それにしても、眼鏡の紛失や転倒と、マイナスなことが続く。とりあえず、近くのメガネスーパーで、遠目の眼鏡を調達しよう。

今年も残りわずかになった。19日が今年最後の点訳の例会日なので、持参する自分の点訳したファイルを見直そう。いつまでたってもたくさんのミスはなくならなくて、校正が戻ってくるとがっかりする。私は点訳を初めて10年余、30年も40年も続けているこの会のメンバー―の方々と肩を並べることは、しょせん無理なことだ。まあ自分のできる範囲で協力していこう。画像は、駅前に行く途中の公園で。ここで転んだ。


年の瀬に

2019-12-11 10:13:57 | 日記

          

  

December 11, 2019

1年経つのが速い。今年を振り返ってみて、さて自分は今年何をしてきたのだろうかと考えても、これといったことは思い浮かばない。ふと100歳まで生きた母のことが、頭をよぎる。母は、最後の年月を何を考えて過ごしていたのだろうかと、今頃になって、何か悲しい思いと一緒に思い出したりしている。ここまで書いて、近くの友人から電話が入り、「赤福」をいただいたので食べに来ない、というお誘いをいただいた。「赤福」、三重県伊勢の名産で、今はどこでも手に入るが、津にいる母のお兄さんが我が家を訪れたときに、おみやげに持って来てくれたのを思い出す。伊勢から東京に嫁いだ母について触れた文を書いているときに、不思議な縁だ。おいしいお茶と「赤福」をいただき、用事がてら駅前に立ち寄ってから帰宅した。

さて帰宅して、眼鏡をかけていないことに気付いた。実は、白内障の手術をして以来、近くは眼鏡を使わずに見えるようになった。これは、眼鏡をはずしたりはめたりすることが多く、決していいことではない。うっかり、外した眼鏡を置き忘れることがあるのだ。今までは取りに戻ったり、席を立つときに注意されたりして、何とか無事に過ごしてきた。しかし今回は、友人宅にも、そのあと立ち寄った店にもない。2、3日ほどおいてみつからなければ、新しく作ればいいことだ。それでも変に胸騒ぎがする。この頃こういったことが多いからだ。老化現象であることは確かだが、認知症につながる老化でないことを願っている。次回から、新しい画像を用意できると思う。


 


モーツアルト

2019-12-04 17:48:24 | 日記

December  4, 2019

眠れぬままに聞いているラジオから、モーツアルトの曲がいやに多く流れると思っていたら、12月5日が命日のようだ。最近天才という言葉が、割合軽く語られているようで気になるが、この人はまさに天才という言葉の代表者だろう。ついでにベートーヴェンのピアノ曲のCDを聞いてみる。こちらのほうが、大衆受けするように思える。しかし、何といっても250年近く前の作曲家の作った曲が、今もこうして世界中で演奏され、人々の心に潤いを与えているのだと思うと、音楽の持つ素晴らしさを改めて感じる。モーツアルトのピアノ協奏曲だけを集めたCDを探してみよう。

駅前に買い物に出かけた帰りのバスの中から、青空に浮かぶ雲が見えた。初冬の雲というのだろうか。バスが進むにつれて後ろの遠ざかっていく雲に、つかの間の安らぎを覚えた。バスを降りてから住まいまでの道で、いつもブログの初めに載せている花の写真を撮りたいと思うのだが、冬はなかなか見当たらない。あまりぱっとしないが、ショッピの片隅にある花屋で買ったサクラソウを載せよう。この日本サクラソウ、西洋サクラソウと比べると、何か寂しげに見える。大切に育てて、群生とはいかないまでも、大きな平らの鉢にいっぱいになるように増やしていきたい。ひさしぶりに書き始めたブログ、あまり筆が進まない。今日はこのくらいにしよう。


ごぶさたしました。

2019-12-02 14:32:11 | 日記

December 2, 2019

久しぶりにブログを書いている。2か月以上更新しなかったことになる。特別な理由があったわけではない。ただ日が過ぎていったことのようだ。その間に、いつもブログを覗いてくださっている方々から、ご心配もいただいた。点訳も続けているし、読書会もある。ただなんとなく、生活上に違和感がある。今はやりの認知症という言葉が当てはまるのかどうかわからない。しかし、言葉では表現できないもどかしさがある。自分が頭で考えているように体がついていかない、ただなんとなく1日が過ぎていき、さて今日は何をしたのかと思うと、それすら思い出せない。

というわけで、どこかをさまよっていたが、やっと少し元の自分が戻ってきた。こうしてブログを書き始めている。当面の気がかりは、少し体重が増えたことだ。11月中旬に受けた健康診断の結果が、そろそろ来るはずだ。血液検査の結果だけが気になるが、どうだろうか。そういえば、次回読書会の本、ガブリエル カッツ『パリに見出されたピアニスト』(オークラ出版)が映画化されて、近くの映画館で上映されていたので、見に行ってきた。本の中に登場するピアノ曲が耳から聞けたのは収穫集だった。ピアノ曲は、人生の課題を与えてくれるような気がする。子供の時にピアノを習う環境にあったらよかったと思うこともあるが、それはさておき、安物のキーボードでやさしい曲を弾いて気晴らしをしている。最近最寄りの急行の止まる駅構内にピアノが置かれた。近くに音楽大学があることも関係があるかもしれない。昨日はおじさんとおぼしき人が弾いていた。いろいろとある世の中だが、ピアノは、だれにとっても心の支えになるだろう。

ブログを更新できないでいる私を励ましてくださった皆様に感謝します。画像は、ベランダの花。