私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

「日曜美術館」

2015-08-31 09:39:39 | 日記

August 31, 2015

秋の訪れは速い。8月最後の日、長く暑かった夏が急に去っていくようだ。田中徹二『不可能を可能に』(岩波新書)を読んだ。著者は、早稲田大学の建築科に入学した年に、網膜剥離により失明する。日本点字図書館での活動を中心に、視覚障害者のために尽力する。現在81歳になられるが、日本点字図書館理事長として、活動されている。

私は偶然点訳の世界に入ってまだ10年にも満たない。始めて知る世界で、30年40年と長く点訳に携わってきた方々の姿に接し、またこの世界がボランテイアで成り立っていることにも驚いた。点訳という一つの目的でくくってしまえば、様々な価値観の相違は眼をつぶれることなのだろうが、凡人の身、なかなか難しい。体得した技術を自分の出来る範囲の中で何かに役立てていければと思うようになれたのは、ここ2,3年のことだ。点字に触れなければ、本書を手に取ることもなかっただろうと思うと、細い糸ながら社会とつながっているのだという思いを抱いた。

本書の著者は、私たち晴眼の点訳者と同じに、パソコンの6つのキーを使って、しかも私はまだ体得していない漢字技術も駆使してこの本を書かれたという。本の表題にもある「点字の世界を駆け抜けた」著者の生涯は、本当に頭の下がる思いで読ませてもらった。ご本人の前向きな性格、能力だけでなく、ご両親の支えも大きいことを実感した。当然のことながら本書の中心に語られている日本点字図書館を中心とした活動以外にも、多くの視覚障害者、点訳に携わるボランテイアの方々の活動がある。この世界が、もう少し広い視野のもとに活動されていくことを、私は個人的に望んでいる。

まとまりのない文になってきたので、話を変えよう。昨日のNHKテレビ「日曜美術館」が良かった。番組開始40周年ということで、作曲家・武満徹氏をゲストに招いて幻想画家ルドンを取り上げた番組がアンコールされた。以前見たとしても記憶があやふやなので、今回新鮮な気持ちで見ることができた。武満氏がルドンの「眼をつぶる夫人」からのインスピレーションで作られたピアノ曲の一部も演奏されたが、現代音楽は食わず嫌いな私にとっても、心にしみるものだった。機会があったら全曲を聞いてみたい。ルドンの白黒の時代の作品と版画家駒井哲郎氏の作品との関係、聞こえないもののなかから作品を生み出すという武満徹の、見えないものから絵を描き出したルドンへの思い、そんなものを存分に味わえた時間だった。

画像は、妹のメールから、「女郎花とわれもこう」。秋です。


心に残る本

2015-08-27 18:58:24 | 日記

August 27, 2015

8月22日(土)
8月は、どこの点訳の会もお休みだ。しかし例会がないだけで、預かっているデータはある。いまは辞書1本にしたので締め切りがないのはありがたい。しかし、少し日を置くとどんどん集中力がうせてくるので、毎日何時間か、校正と点訳を手がけることにはしている。やっと一区切りがついたところで、図書館から借りてきている、マーセル・せロー、村上春樹・訳『極北』を読みはじめた。なかなか面白い本だと思いながら読んでいる。まだ途中ではあるが、村上春樹氏の「訳者あとがき」から得た知識を頼りに、少し著者について書こう。

村上氏は、著者の父親で高名な北欧の旅行作家であり小説家でもあるポール・セローと親交があり、この本を勧められたのだという。マーセル・せローは、1968年にウガンダの首都カンパラで生まれ、その後ケンブリッジ大学で英文学を学んだあと、イエール大学に留学し、国際関係の研究をした。テレビのドキュメンタリー番組のレポーターをしながら書いた小説『ペーパーチェイス』で、」2002年にサマセット・モーム賞を受賞している。チェルノブイリの立ち入り禁止区域に住み、 放射線に汚染された土地で野菜を育て暮らす 50歳の寡婦を取材したことから、『極北』の筋を思いついたのだという。

8月27日(木)
ここまで書いたところで、先を読みながら、映画を見たりして数日過ごした。やっと読了したので、続きを書いている。本書は「近未来小説」であり、現実の世界ではありえない設定ではあるが、窮極の人間の姿を様々な形で見せつけさせられる。主人公メイクピースが、温かい家族を次々失い、たった一人極北の地に残されながら、人間として生き続ける孤独な闘いは、若者社会の中に独り取り残された老人のようにも思えた。ハイテクも何もない世界で、過酷な自然と対峙し、精神力と生への希望が、最後まで人を生へと導いていく。地球は滅びなくても、文明の行きつく果ての中での人間の孤独、欲望、知恵・・・を目の当たりにした気持になった。分厚い本ではあるが、読んだ人たちは共感するのではないだろうか。私は、老人病棟のベッドに横たわり、この本を読んでいる自分を想像した。

画像は、取り上げた本。図書館の本ではあるが、こういうハードカバーは、きれいなので助かる。


映画「雪の轍」

2015-08-26 08:41:19 | 日記

August 26, 2015

カンヌ国際映画祭パルム・ドール大賞受賞作品のトルコ映画、「雪に轍」を見た。まずはパンフから簡単なあらすじを。「カッパドキアで洞窟ホテルのオーナーとして裕福に暮らす元舞台俳優のアイドゥイン。しかし、若く美しい妻との関係はうまくいかず、離婚して出戻ってきた妹ともぎくしゃくしている。さらには家を貸していた一家からは家賃を滞納された揚句におもわぬ恨み買ってしまう。何もかもがうまくいかないまま、やがて季節は冬になり、降りしきる雪がホテルを覆い尽くす。客もいなくなり、閉じ込められた彼らは、互いに鬱屈した心の内をさらけ出していく。しかし会話を重ねるたびに、すれ違がっていく彼らの心。・・・」とある。チェーホフの著作を元にしているそうだが、なるほどとうなずける。兄と妹、夫と妻、金持ちと貧乏人、それぞれが感情をむき出しにしていく不毛な会話、善悪という結論はないが、すべてが人が生きる上での真実を語っている 。だれもがこの会話の中に、自己の一部を見出すだろう。

この映画では、会話劇の中で紡がれるストーリーの中で、登場人物が見せる姿に、映像ならではの細かい演出が随所にみられた。私は、慈善事業によりどころを見出す若い妻が、金持ちの夫から事業に寄せられた寄付金を、家を貸している一家の父親の所に無断で届けたときに、その父親が、大金を燃え盛る暖炉の火の中に投じた後に見せた目に光る涙が印象に残った。お金では解決できない人間の尊厳をこの場面は映し出しているのだと、心に響いた。これは私の勝手な解釈であって、外国映画でいつも魅了される主演夫婦を演じる2人の彫りの深い美しい姿、またこの二人の愛の行くへが主題だろうとは思うが。3時間16分の長時間映画だったが、雪の中に浮かび上がるカッパドキアの美しい風景、劇中曲・シューベルトのピアノソナタ第20番の旋律も、鑑賞後の余韻を誘ってくれた。

画像は、友人のメールから。五色沼で撮られたとのこと。夏の都会の紫陽花とは違った風情が美しい。


戦後の思想

2015-08-23 14:59:12 | 日記

August 23, 2015

日曜日、朝日新聞の「読書」欄をみる。最初の「ニュースの本棚」で、社会学者の大澤真幸氏が書いている記事を読み、鶴見俊輔氏の訃報に接したときに私が感じたもやもやしたものが活字になって解説されているように思えて、興味深かった。大澤氏は戦後の思想家として、丸山真男、吉本隆明、鶴見俊輔、石牟礼道子、1970年以降としては、廣松渉、真木悠介らをあげて、戦後70年の思想を回顧し、今日の社会の現状を考える時、「敗戦の傷を、蓄積してきた思想の力で乗り越えられないとしたら、日本の70年間はなんだったのか」と問うている。私は自分の家の小さな窓から外を覗いて、安保法案や原発再起動など、最近の右傾化する政治の動向に、あれこれと心を悩ますだけであるが、大澤氏の問いは、戦後のさまざまな平和運動に携わってきた人々が感じるところではないだろうか。

いろいろとややこしいことを考える能力もエネルギーも無くなりつつあるが、大澤氏が、この文で取り上げている吉本隆明『高村光太郎』(講談社文芸文庫)を、図書館に予約して、久しぶりに読んでみよう。今日は午前中、先月から服用しはじめた目のサプリメント「ロートV5」を買いに、駅前のいつも利用している薬局に出かけた。2日ほど飲まなかったら、気のせいか目の調子がよくない。ついでに有隣堂に立ち寄ると、田中徹二『不可能を可能に』(岩波新書)が目についたので、買った。帯に「この本はパソコンの6つのキーで書きました。10代末で光を失い、その後、日本点字図書館へ たくさんの人とともに、日々あたらしいことに挑戦!」とある。私も点訳で毎日使っている「パソコンノ6つのキー」、あらためて、視覚障害者の方々にとってのパソコンの恩恵を考えた。私が今携わっている『英和辞典』の点訳、集中力が切れたりしてなかなか進まないが、この辞典の完成を待ち望んでいる人々のためにも、晴眼者の私としては、少々の目の不自由を訴えてはいられないという気持になった。明日から集中してパソコンに向かおう。また、本書を早く読みたい。
 
画像は、買ってきたばかりの本。夏は花の写真が少ないので。
 

芥川賞受賞作品

2015-08-17 17:42:01 | 日記

August 19, 2015

芥川賞受賞作を、「文藝春秋」9月特別号で読んだ。又吉直樹 『火花』と、羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』だ。選評や受賞者インタビューも、眼を通した。せっかく買い求めた雑誌なので、すみからすみまで読んでみた。受賞作品をこうしてすぐに目を通したのは、私には珍しいことだ。この2作を続けて読んだ感想は、それぞれの著者の今後の作品に期待したいというところだろうか。たまたまなのか何なのか分らないが、2作とも、描いている世界は違っても、人と人との関係をテーマにしているところが面白かった。なるほど、小説の世界は、日常の世界の延長であり、現代は、相手の中に自己を投影することで成り立っている部分が多いのだろう。それを小説家がどう描くか、つまり文学性の高さによって、作品の良しあしが出来上がるのだろう。しかし、受賞作というものはまだ未熟なものだ。読書の醍醐味は、日常性を超えたものを作品から読みとれることにあると思っているので、この2作品には、そういったものを感じることは出来なかった。

と書いている私そのものは、まったくの文学音痴であり、200万部も売り上げたという作品や、何回も芥川賞候補になっている著者の作品をしたり顔に語る資格はない。批判のないブログで勝手なことを書いているということでお許し願いたい。とはいえ、長年海外の文学作品に親しんできたものにとっては、芥川賞が日本の小説家の登竜門であることが不思議な気もする。たとえ日常の範囲の中に題材を求めるにしても、もう少し視野の広い、というか透明感のある作品を、読者は求めているのではないだろうか。ちょうど図書館に届いている、村上春樹・訳の『極北』と、以前読んでまた読みたくなった『リスボンへの夜行列車』を取りに行ってこよう。

今日は午前中、高校野球の準決勝、「仙台育英」対「早稲田実業」の試合をテレビ観戦した。メディアで騒がれているのに反して、仙台育英が、早稲田実業に1点も与えず大差で勝った。私は最初から東北勢を応援していたのでうれしかったが、何か実際の実力とは関係のない力学が働く。心の問題かもしれない。ブログを書きながら観戦しているもう一試合の、「東海大相模」対「関東第1」、こちらも初盤に東海大相模が大量点を取っている。この試合が終わったら図書館に行こう。蝉しぐれが秋の到来を感じさせてくれる。

画像は、「百日紅」。図書館の庭で撮った。


料理上手

2015-08-14 09:31:06 | 日記

August 13, 2015

昨日訪れた友人宅でご馳走になったランチのおいしかったこと、いつも思うのだが、彼女は料理がうまい。私も料理は好きだが、あまり上手ではない。家族の食事を長年支えてきた人との違いもあるだろう。そんなわけで、その日いただいたガスパチョをさっそく自分でも作ってみることにした。すぐ作るという私の言葉に、いくつか必要な材料を用意してくださった。これはスペインの夏の冷たいスープで、野菜がたくさん食べられるのがうれしい。前日に材料を一晩冷やしておき、翌日ミキサーにかける。なかなか友人宅でいただいたようには出来なかったが、それでもまあまあの出来だった。簡単なので、今年の猛暑、あと何回か作ってみるつもりだ。この日のメインはパエリアで、これもとてもおいしかった。もうひとつ夏野菜の煮物がよかった。私も煮物はよく作るが、どうも汁が濁って、あっさりした仕上がりにならない。これもコツを教えてもらって早速作った。まずだしで十分煮込んでから味をつける、その時しょうゆをあまり入れないほうがいいようだ。これも、一晩冷蔵庫で冷やして食べるとおいしい。生きている間は、食は最後まで付きまとう。これからもわが料理を改良しながら、残る日々を過ごしていきたい。

今日は風があって、伝えられている気温よりは涼しく感じられる。図書館から借りたものの、なかなか読む気にならなかった本、ダ-グ・ソールスター、村上春樹・訳『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティ―ン』(中央公論新社)を読む。たぶん朝日新聞の書評を読んで興味を持ち図書館に予約したのだろうが、残念ながら全く記憶にない。さらに最寄りの図書館ではないところをクリックしてしまったらしく、別の図書館に回ってしまい、やっと手元についた本だ。やはり眼のことが気になっているので、ハードカバーの本は何となく敬遠してしまう。著者は、ノルウェイを代表する作家のひとりで、これは英文からの重訳だそうだ。訳者あとがきによると、村上氏は重訳は出来る限り避けたいのだそうだが、その気持ちを抑えても自分で翻訳をしたかったとのこと。訳も1級品だからということもあるだろう、最後まで飽きずに読み続けさせてくれた。

題名は、著者の「11冊目の小説、18冊目の著書」ということだそうだ。内容については触れないが、以前見た映画、「リスボンに誘われて」が頭に浮かんだ。異国の雰囲気がそうさせたのか。世界には様々な作品がある。たまたまこういう形で本書を読めたことはうれしい。ぼうっとしていると、たくさんのすばらしい、というか面白い作品を知らないままに終わりそうだ。同じく中央公論新社から出ている村上春樹訳の、マーセル・せロー『極北』、『恋しくて』、それに映画の原作、パスカル・メルシェ『リスボンへの夜行列車』(2回目)も、図書館に予約してみよう。読書の秋も近い。

画像は、話題にした本の表紙。写真の写りがまずいが、しゃれたデザインだと思う。


映画を見たり

2015-08-11 16:20:40 | 日記

August 11, 2015

朝から立ち働いて、「ガトーショコラ」と「レモンカード」を作った。明日訪問する予定になっている友人宅へ持っていくためのもの。出来栄えはあまり感心したものではなかった。チョコレートは焦げやすいので、レシピよりは温度を下げた方がいいかもしれない。そのあと、アルテリア・シネマで映画をみることにした。「アリスのままで」、本年度アカデミー賞受賞作品で、話題になっている映画だ。私との接点が乏しいように感じたので、どうしようかと迷ったが、話題作がこんなに早く見れるのも珍しいので、出かけた。12:10からの上映、11時半過ぎに会場に行くと、私が最後のひとりとのこと、私の後にも次々と人が来ていて、皆一様に驚き、落胆して帰られた。私は近くなので、別の日にしてもいいのだが、何となくこの1枚にこだわった。最前列になりますよ、という受付の女性の言葉にうなずいて、切符を受け取った。あらすじは、パンフから。「ニューヨーク、コロンビア大学の教授を務める50歳のアリスは、ある日、自身の異変に気づく。検査の結果は若年性アルツハイマー症。自分が自分でなくなる恐怖に直面した彼女が、心の平安を得るまでの葛藤を描く感動作。アリス役のジュリアン・ムーアはアカデミー主演女優賞に輝いた。」とある。

夫と子供3人、キャリア、何をとっても不足のない人物に降りかかった悲劇、話そのものは、認知症という点を除けば、一般性があるものではないが、だれにも予測できない人生という視点からとらえると、自分を含む人間へのやさしさ、尊厳のようなものについて考えさせるテーマを投げかけている映画だった。映画を見終わって駅に向かう2,3分の道のり、ご夫婦やお友達と見に来ていた人達が、見てきたばかりの映画について語っている言葉が、耳に入ってくる。「実際にはこんな風にはいかないわね。」 すべてのフィクションに共通する感想が聞けるのも楽しい。その通り、現実は映画のようには進まない。それでも、人間が自分に降りかかった運命を受け入れていく覚悟を教えられたように思う。 

画像は、団地の庭で撮った。「タカサゴユリ」だと思う。


何もやりたくない症候群

2015-08-08 18:50:11 | 日記

August 8, 2015

ブログの更新がだいぶ遅れてしまった。時の経つのは速い。1週間が矢のように過ぎていく。ところが1日単位で考えてみると、なんだか時間があり余るようにあって、これを消化するのが大変だ。どうしてだろう。朝は早いので、午前中に時間がたくさんある。この頃床掃除に凝っている。私の家はすべてが床なので、実際にはほこりだらけでも、スリッパを履いていればあまり気にならない。というわけで、この住まいに越してきてから、床を磨くということにほとんど関心がなかった。先日近くのスーパーで床のつや出しというものを買ってきて磨きだしたらば、見違えるようになってきた。木の床材は、手を入れれば入れるほど効果が出るとか。借り物の住まいとはいえ、今のところ死ぬまでお世話になる場所なので、きれいなことにこしたことはない。やっと床に目をやる余裕ができてきたというところか。さて部屋の掃除を済ませ、朝のうちに必ず何か一品料理を作る。今日は、ジャーマンポテト風ポテトサラダを作った。マヨネーズをあまり使いたくないので、このレシピを選んでみた。出来上がったものは冷蔵庫に入れ、夜に食する。まだ7時前だ。ゆっくり新聞を読み、点訳に取り掛かる。分厚い英和辞書、やろうと思えばいくらでもある。しかし目のこともあり、またほかの皆さんとの校正の関係もあるので、1日3時間と決めている。今日は集中したので、お昼すぎまでパソコンに向かった。

さてまだ午後の時間がある。もちろん読みたい本、読まなければならない本、片づけなければならない引き出しの中、ヘッドホンを買ってからだいぶ楽しくなったキーボードの練習などなど、やることはたくさんあるのだが、行動に移せない。つまりやりたくないのだ。これは由々しき問題なのだが、ひとまず深く考えないことにして、最寄りの駅から出ているバスに乗って、「たまプラーザ」まで出かけた。バスに乗ること25分、老人割引が使えるので、片道110円だ。しかもここは同じ神奈川県でも、私の住む川崎市ではなく横浜市だ。買い物はしないと決めているので、有隣堂を一通り見て回り、東急百貨店の1階の吹き抜けにあるすばらしい一人掛けのソファーに座り、携帯してきた本を読む。家の中では読む気がしないのに、どういうわけか環境を変えるとどんどん読める。今日のバス旅行の目的はこれですか。

花屋さんの植物をみたり、洋服売り場を覗いたり、3時間近く過ごして、あらかじめ調べてあった帰りのバスで最寄りの駅まで戻り、ここからは、いつもは上り坂がきついのでバスに乗ってしまう道を歩いて帰宅する。これでだいぶ気分が晴れた。やっとテレビをみる気にもなった。ちょうど阪神 × DeNAが始まったので、これを見ながらこのブログを書いている。まあこんなことを毎日するわけにはいかないし、またそんなこともしてはいられないが、こんな日があってもいいだろう。今日は立秋、どんなに温暖化になっても、季節は巡っていく。明日あたりから猛暑が少し緩むとか、期待したい。

画像は、友人のメールから、「クレマチス」。珍しい品種のようです。


天才数学者

2015-08-02 10:54:43 | 日記

August 2, 2015

久しぶりに、ハードカバーの分厚い本を読んだ。先週の朝日新聞の日曜版、読書コーナーで紹介されていた本、シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』(新潮社)だ。2002年発刊なので、図書館に予約するとすぐ届いた。暑い中一生けん命読む価値があったかというと、いささか疑問だが、天才のみが持つすさまじさを読み取ることができた。本書は同名のハリウッド映画の原作である。

本書で語られるジョン・フォード・ナッシュは、天才数学者として華々しく学会にデビューする。その後30年以上にわたって統合失調症で苦しむが、奇跡的に寛解し、1994年ノーベル経済学賞を受賞する。著者は、ナッシュの数奇な人生を語ると同時に、数々の天才がうごめくアメリカの学者の世界について言及している。私にとって異質な世界ではあるが、その辺は読み物として面白かった。人間が生命を受けてからたどる苦悩は、形は違ってもすべての人に訪れるものだということも感じさせられた。お金、愛、名声、病気、・・・そして死が最後に来る。この本では、病気を病んでいたときに離婚した妻のアリシアが、離婚後も、闘病中のナッシュを支え、病気の回復の助けとなり、ノーベル賞の授賞後、2001年再婚し、穏かな老後を迎えるところで終わっている。しかし、そのあとに、彼らにもうひとつの悲劇が待っていた。ノーベル賞には数学賞がないので、ナッシュは経済学賞を受賞したのだが、今年(2015年)、数学のノーベル賞と言われる「アーベル賞」を受賞する。そしてその授賞式の帰路、タクシーが事故を起こし、二人は車から投げ出されて亡くなっている。ナッシュ86歳、アリシア82歳だった。

画像は、「芙蓉」。先日のウォーキングの際に、携帯で撮った。暑い夏に楚々と咲く、好きな花だ。