私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

一人暮らし

2013-12-12 09:42:59 | 日記
December 12, 2013

平田俊子『スバらしきバス』(幻戯書房)を読み終えた。偏った読書をしているので、新聞の紹介記事で目をつけなければ知らなかった作家だ。詩人、小説家、劇作家と紹介記事にある。日常の生活で利用するバス、あるいは衝動的に乗って終点まで行ってしまうバス、そんなバスに乗ってのエッセイ集だ。私も最近はバスを利用する。歩けば10分で帰れるのに、25分かけてバスに乗る。買い物の荷物が重くなったというだけではなく、家までの帰りの上り坂がきつくなってきた。1時間に2本しか出ないほど昼間の乗客が少ないので、2人がけの椅子をたいてい独り占めできる。荷物を隣に置いて、ゆっくりと窓外をみていると、毎度見慣れた景色でも飽きない。さらにバスの中でちょっとした事件(?)がおきたりすると、色々と連想が浮かんだりする。

以前会社勤めをしていたとき、駅までの間に誰かが間違えて降車ベルを押したりすると、間違いだとわかっていてもいつまでもドアを開けていじわるするような運転手さんがいた。1分でも早く駅に着きたいのにとみな思っていてもだれも口をきかない、バスの中にはいやな空気が立ち込める。しかしそれは何年も前のこと、今はほとんどの運転手さんが親切で、老人が座るまで発車を待ってくれる。そんな中でこんなことがあった。最近のバスは「バスが止まってから席をお立ちください」というアナウンスがしきりに流されれ。誰か中年の男性がバスが止まる前に降車しようとして席を立った、すると運転手が席に戻るようにと執拗に男性を叱責した。その人は席に戻ったが、降りる際に「これでいいんだろ!」と怒鳴って降りていった。ここで私の連想が始まる。こういったことってどこにでもあることだと思う。余裕のない感情を人にぶつけて不愉快な気分を作り、そのことへの反省がない。バスの運転手さんは疲れているのだろうが、人のちょっとした間違いを執拗に攻めてたてる、こういう人はあまり周りにいてほしくないと思う。

さて平田俊子さんの本に戻ろう。軽い文章だがやはり詩人だ、言葉の選び方が上手だと感心する。私もこういう文をブログに書けるといいなと思った。「あとがき」で書かれている数行の言葉が心に響いたので、次に引用させてもらう。この方の今の年齢は、59歳か60歳というところのようだ、たぶん私もその年齢の時、同じような気持ちだった。

 わたしは気ままな一人暮らしだ。といって満たされているわけではない。からっぽのこころを抱え、自分をごまかしながら一日一日やり過ごしている。バスに乗ったからといってからっぽが満たされるわけではない。誰もいなかった車内に人が集まり、賑わい、また減っていき、最後に誰もいなくなる。何て寂しく、同時に安らぐ光景だろう。からっぽだった場所が再びからっぽに戻るのを見たくて、 わたしは何度でもバスに乗るのかもしれない。(平田俊子『スバらしきバス』幻戯書房)

帰宅途中のバスの中から、見慣れた銀杏並木ではあるが、今が一番美しい。