2012/10/28
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(11)20年前の今日、何をしていたか1992年10月27日「貴花田宮沢りえ婚約」
三倍速録画再生日記「Golden bough」
1992年十月二七日 火曜日(晴れ)「貴花田・りえ婚約の報を見て、ぶっとんだこと」
朝刊、第一面に「貴花田・宮沢りえ婚約へ」のみだし。「西武優勝」ぶっとぶ、大ワイドショウネタだ。
折もよし「ワイドショウは奥様バカ扱い」という投書への反論として、読者投稿欄に三十五歳・翻訳業という男性が、「ワイドショウこそ貴重な番組」という、これもかなりな意見を書いている。一日に四、五時間ワイドショウを見るそうだから、私なんかが、お茶碗洗いながら横目でテレビ見て「ワイドショウ評論家になれるかしら」なんて思ったのはおこがましいことであった。
夫は「しかし、一人前の仕事をしている男が『芸能ニュースを見て、ある一人の人間の生きざまを知らされ、これを自分の生き方との糧とします』なんて言っていいのかなぁ、ワイドショウ見るやつはバカ扱いされてる、といわれたら、そうだ、オレはバカだよって笑いながらワイドショウ見たらいいのに。」と言う。
私なんて「大衆はバカだと思って番組作っている人たちが制作したその番組を、真剣に見てやっている一般庶民はエライ!」って思ってみてるもんネ。
「大衆をちょっとモノ知りにしてやろう」なんて利口めかして番組作ると「ドキュメンタリーのヤラセ」になっちゃうわけで、バカな番組をバカにされながら見るのが、テレビの正しい視聴法であろう。
さあ、今日も一日ワイドショウ見なくちゃ。
それにしても、あのオッカサンが「メシのタネ」のりえを、あっさりヨメに出すものだろうか。りえママは、りえが裸になったから、名プロデューサーとしてエッセイも書けるわけで、女優はヌードになれるけど、裸で稼ぐ関取のおかみさんは裸になっちゃいけないんだから、今度は何を「売り」にしたらいいのだろうか。
愛娘をよりビッグにするためには、ふんどし姿やヌードで売ることを思いついたりえママのことだもの「大人の女」へのイメージチェンジのためには、貴花田との結婚、離婚、再び芸能界へ、くらいのシナリオは書いているのではないかと思ってしまう。
もっとも、松坂慶子親子がもめるのなんか、めしのタネだった娘を、あまりにも小物の売れないミュージシャンにとられてクヤしいというところからきているのだから、貴さまほどのビッグ・サラブレッドなら文句はない、とママも思ったのかもしれない。私も文句はない。(私が文句いっても仕方ないか)
それにしても、結婚式のお色直しは二人してふんどし姿というのはどうだろう。夫唱婦随のうるわしい衣裳。『仮面夫婦』なんかにはなりません、真実を見せあう赤裸々衣裳、はやるかもしれない。(貴様りえ様以外の裸なんか結婚式で見せられたらたまんないな)
今、日本で最も光輝く肉体を土俵の上で披露するプリンスと、日本で一番光輝く肉体を写真集に燦然とと記録したプリンセスが結婚するのである。めでたきこときわまりなし。
午後のワイドショウは、なんといっても「タイム3」の勝ち。6チャンネルスーパーワイドの蓮舫の小生意気な感じも好きで、いつもはリモコンかちゃかちゃザッピング、あちこち回しながら見るのだが、今回は、五月収録の東京湾クルージング「りえ若貴船上デート」が二人の恋に火をつけたとかで、二人仲良くカラオケを唄ったりの画面があるのだから、テレビ朝日などが「二人は三年前に某新聞の対談記事で知りあい、今年五月の他局テレビの対談番組で親しくなった。」などとマヌケな解説しているなか、フジは当の対談を放映しているのだから強い。
ワイドショウが竹下派抗争なんぞ目じゃなく、二人を追い回すのは当然として、宮沢総理も「祝電を打ちたい」とコメントしたそう。派閥は二つに割れるがよし。二人は一つにくっつくがよし。
貴さまのインタビュウは、たいへんによろしかった。土俵の上で見せる厳しい精かんな顔とも、りえちゃんとカラオケ唄ってハシャグ笑顔とも違う、りりしく、落ち着いた感じで、この顔なら、りえママの思惑がどうだろうと、この結婚はうまくいくのではないだろうかと思った。
だいたい、昨日今日の若貴ファンとは年期が違う。一九五六年公開の『土俵の鬼・若ノ花』を見たのは、だぶん、封切一年くらいたった後の、地方館で上映されたころだったと思うけど、(新作映画がわが町に回ってくるのは封ぎり後一年後、二年後のことだったから)あとはリアルタイムで「若ノ花全勝優勝」から「兄弟の縁を切って花田末弟入門」から「花田光司君少年相撲で優勝」からずっと、見続けている花田ファミリーフリーク。阿佐谷の成田東に住んでいたときは、二子山部屋のご近所だったのだ。(なんてことをイバッてみてもしょうがないが)
もっとも、若ノ花全勝優勝をリアルタイムで体験したというのは、実は真実ではない。若ノ花が最初に全勝同士で栃錦と千秋楽決戦を行なったとき、私はラジオにしがみついていた。仕切り直しが続き、刻一刻と時間が近づく。「若ノ花優勝!」のアナウンスを聞きたい、しかし、もし負けてしまったらどうしよう、そのショックに耐えられるだろうか、悲嘆のあまりどうにかなってしまうのではないか。ついに私は緊張に耐えられなくなり、「ちょっと自転車で一回りしてくる。もし勝ったら、帰ったとき教えて」といって家を出た。
帰ってから優勝の知らせを聞いたとき、激しく後悔した。若ノ花一世一代の花道、最初の全勝優勝の瞬間を聞きのがしてしまったのだ。どうして聞いていられなかったのか。本当のファンなら優勝を信じて、聞き続けたのではないか。自分の胸が苦しくて息ができないくらいになったからといって逃げてしまうなんて、当の若ノ花はもっと苦しい緊張に耐えていたのではないか、等々、どっと後悔が押し寄せた。
それ以来、貴ノ花なんかハラハラすることばかりだったけど、どんなに土俵際に追い詰められても、目をそらさず花田ファミリーウォッチングを続けてきたのだ。(と胸を張るほどのことでもないのだが)
ともあれ、貴さま御結婚めでたし、めでたし。これで二人の間にお世継が御誕生となれば、老後の楽しみが増えるというもの。どのような、輝く肉体の持ち主が生れることであろうか、私の「身体論」のページをあけて待つことにする。
~~~~~~~~~~
もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/27のつっこみ
いやはや20年の歳月は早い、早い。りえちゃんは、一回り大きな女優として花開き、母となって、離婚係争中。
貴乃花は、同い年りえを捨てて、9歳年上の河野惠子と結婚。現在貴乃花は弟子たちといっしょに部屋に住み、親方夫人は自宅に子ども達と住んでいるのだというけれど、夫婦仲はうまくいっているんでしょ。よく知らないけど。はなだママのおっかさんも若い恋人との艶聞でがんばっているし。
貴乃花部屋は一時の低迷から除々に上向き、角界改革をめざして理事となり、次の理事長をねらっている。たぶん、なるんじゃないか。
才能あるふたりが、破局を乗り越えて自分の道を歩いていて、ミーハーファンとしてもうれしい。
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(11)20年前の今日、何をしていたか1992年10月27日「貴花田宮沢りえ婚約」
三倍速録画再生日記「Golden bough」
1992年十月二七日 火曜日(晴れ)「貴花田・りえ婚約の報を見て、ぶっとんだこと」
朝刊、第一面に「貴花田・宮沢りえ婚約へ」のみだし。「西武優勝」ぶっとぶ、大ワイドショウネタだ。
折もよし「ワイドショウは奥様バカ扱い」という投書への反論として、読者投稿欄に三十五歳・翻訳業という男性が、「ワイドショウこそ貴重な番組」という、これもかなりな意見を書いている。一日に四、五時間ワイドショウを見るそうだから、私なんかが、お茶碗洗いながら横目でテレビ見て「ワイドショウ評論家になれるかしら」なんて思ったのはおこがましいことであった。
夫は「しかし、一人前の仕事をしている男が『芸能ニュースを見て、ある一人の人間の生きざまを知らされ、これを自分の生き方との糧とします』なんて言っていいのかなぁ、ワイドショウ見るやつはバカ扱いされてる、といわれたら、そうだ、オレはバカだよって笑いながらワイドショウ見たらいいのに。」と言う。
私なんて「大衆はバカだと思って番組作っている人たちが制作したその番組を、真剣に見てやっている一般庶民はエライ!」って思ってみてるもんネ。
「大衆をちょっとモノ知りにしてやろう」なんて利口めかして番組作ると「ドキュメンタリーのヤラセ」になっちゃうわけで、バカな番組をバカにされながら見るのが、テレビの正しい視聴法であろう。
さあ、今日も一日ワイドショウ見なくちゃ。
それにしても、あのオッカサンが「メシのタネ」のりえを、あっさりヨメに出すものだろうか。りえママは、りえが裸になったから、名プロデューサーとしてエッセイも書けるわけで、女優はヌードになれるけど、裸で稼ぐ関取のおかみさんは裸になっちゃいけないんだから、今度は何を「売り」にしたらいいのだろうか。
愛娘をよりビッグにするためには、ふんどし姿やヌードで売ることを思いついたりえママのことだもの「大人の女」へのイメージチェンジのためには、貴花田との結婚、離婚、再び芸能界へ、くらいのシナリオは書いているのではないかと思ってしまう。
もっとも、松坂慶子親子がもめるのなんか、めしのタネだった娘を、あまりにも小物の売れないミュージシャンにとられてクヤしいというところからきているのだから、貴さまほどのビッグ・サラブレッドなら文句はない、とママも思ったのかもしれない。私も文句はない。(私が文句いっても仕方ないか)
それにしても、結婚式のお色直しは二人してふんどし姿というのはどうだろう。夫唱婦随のうるわしい衣裳。『仮面夫婦』なんかにはなりません、真実を見せあう赤裸々衣裳、はやるかもしれない。(貴様りえ様以外の裸なんか結婚式で見せられたらたまんないな)
今、日本で最も光輝く肉体を土俵の上で披露するプリンスと、日本で一番光輝く肉体を写真集に燦然とと記録したプリンセスが結婚するのである。めでたきこときわまりなし。
午後のワイドショウは、なんといっても「タイム3」の勝ち。6チャンネルスーパーワイドの蓮舫の小生意気な感じも好きで、いつもはリモコンかちゃかちゃザッピング、あちこち回しながら見るのだが、今回は、五月収録の東京湾クルージング「りえ若貴船上デート」が二人の恋に火をつけたとかで、二人仲良くカラオケを唄ったりの画面があるのだから、テレビ朝日などが「二人は三年前に某新聞の対談記事で知りあい、今年五月の他局テレビの対談番組で親しくなった。」などとマヌケな解説しているなか、フジは当の対談を放映しているのだから強い。
ワイドショウが竹下派抗争なんぞ目じゃなく、二人を追い回すのは当然として、宮沢総理も「祝電を打ちたい」とコメントしたそう。派閥は二つに割れるがよし。二人は一つにくっつくがよし。
貴さまのインタビュウは、たいへんによろしかった。土俵の上で見せる厳しい精かんな顔とも、りえちゃんとカラオケ唄ってハシャグ笑顔とも違う、りりしく、落ち着いた感じで、この顔なら、りえママの思惑がどうだろうと、この結婚はうまくいくのではないだろうかと思った。
だいたい、昨日今日の若貴ファンとは年期が違う。一九五六年公開の『土俵の鬼・若ノ花』を見たのは、だぶん、封切一年くらいたった後の、地方館で上映されたころだったと思うけど、(新作映画がわが町に回ってくるのは封ぎり後一年後、二年後のことだったから)あとはリアルタイムで「若ノ花全勝優勝」から「兄弟の縁を切って花田末弟入門」から「花田光司君少年相撲で優勝」からずっと、見続けている花田ファミリーフリーク。阿佐谷の成田東に住んでいたときは、二子山部屋のご近所だったのだ。(なんてことをイバッてみてもしょうがないが)
もっとも、若ノ花全勝優勝をリアルタイムで体験したというのは、実は真実ではない。若ノ花が最初に全勝同士で栃錦と千秋楽決戦を行なったとき、私はラジオにしがみついていた。仕切り直しが続き、刻一刻と時間が近づく。「若ノ花優勝!」のアナウンスを聞きたい、しかし、もし負けてしまったらどうしよう、そのショックに耐えられるだろうか、悲嘆のあまりどうにかなってしまうのではないか。ついに私は緊張に耐えられなくなり、「ちょっと自転車で一回りしてくる。もし勝ったら、帰ったとき教えて」といって家を出た。
帰ってから優勝の知らせを聞いたとき、激しく後悔した。若ノ花一世一代の花道、最初の全勝優勝の瞬間を聞きのがしてしまったのだ。どうして聞いていられなかったのか。本当のファンなら優勝を信じて、聞き続けたのではないか。自分の胸が苦しくて息ができないくらいになったからといって逃げてしまうなんて、当の若ノ花はもっと苦しい緊張に耐えていたのではないか、等々、どっと後悔が押し寄せた。
それ以来、貴ノ花なんかハラハラすることばかりだったけど、どんなに土俵際に追い詰められても、目をそらさず花田ファミリーウォッチングを続けてきたのだ。(と胸を張るほどのことでもないのだが)
ともあれ、貴さま御結婚めでたし、めでたし。これで二人の間にお世継が御誕生となれば、老後の楽しみが増えるというもの。どのような、輝く肉体の持ち主が生れることであろうか、私の「身体論」のページをあけて待つことにする。
~~~~~~~~~~
もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/10/27のつっこみ
いやはや20年の歳月は早い、早い。りえちゃんは、一回り大きな女優として花開き、母となって、離婚係争中。
貴乃花は、同い年りえを捨てて、9歳年上の河野惠子と結婚。現在貴乃花は弟子たちといっしょに部屋に住み、親方夫人は自宅に子ども達と住んでいるのだというけれど、夫婦仲はうまくいっているんでしょ。よく知らないけど。はなだママのおっかさんも若い恋人との艶聞でがんばっているし。
貴乃花部屋は一時の低迷から除々に上向き、角界改革をめざして理事となり、次の理事長をねらっている。たぶん、なるんじゃないか。
才能あるふたりが、破局を乗り越えて自分の道を歩いていて、ミーハーファンとしてもうれしい。
くちこは、まっすぐが好きなのでね。
で、二世を拝見したかったな。
どうゆう風に、DNAが転倒混和されたか・・・
残念!
そうかそうか、確かに蓮舫は、この時期よく分かんないポジションに居たんだよね、、、とか思い出しながら楽しく読みました。
東京国際映画祭の取材を終え、いま帰還したところです。
六本木はそれでなくとも外国人多めですが、いろんな言語が飛び交っていて、それだけで飽きなかったです。
※ミリキタニ、亡くなりましたね。
合掌。
うちなんぞ、夫の顔と性格を受け継いでしまった悲劇の娘が毎日遺伝の法則をなげいております。
ミリキタニ92歳の死。最晩年は平和で穏やかな日常だったろうと、映画の力を思いながら、冥福を祈ることにします。
はる節を一気読み。おもろい、おもろい!
芸能人もアスリートも一般ピープルも、人それぞれ。まさしく『♪人生いろいろ』!
私も一般ピープルの片隅に生きて『いろいろあり過ぎた20年』だったな~。
ホンマ、しんどかった~。
はるさん、私のブログに9/23日付けでコメントをありがとう。
私、再々のブログ休止をしていたのですが、久方にログインして
はるさんからのコメントを発見しました。
遅くなりましたがレスをしました!
今となれば、娘が小学生、息子が保育園児だったこのころが、なつかしく思えます。
ちよさんの20年も波瀾万丈でしたね。あと10年経って、今のこの苦しさも思い出になればいいね。いつかきっと。
今日は、例年季節の変わり目の咳が出て2週間になりますが、まだ強く咳き込み、咳をするたびに脇腹の骨が一本一本痛みます。ねんねんこの咳がひどくなる気がする。医者で最初にもらったツムラ麦門湯という漢方の咳止めが私の体質に合わなかったのか、飲んでも飲んでもますます咳がひどくなり、西洋薬の強い咳止めに変えてもらいました。今日も咳き込みながら、なんとか授業してきました。働かねば、家賃も払えず。やむを得ず。
今年も咳が続いているのね。辛いでしょう。講義中に咳きついて咽るでしょうに、本当に難儀だわね。大事に至らないようにしていてね。
実は私も、チョコの看護の頃から、腸の具合を悪くし、気管支炎になり、食べられない、寝られないが、二ヵ月半以上続きました。医者には診てもらわずに、玄米がゆだけを食べて自宅でひたすら療養し、やっと軽井沢へ行く気が起こるぐらいに回復したところです。白内障の進行を自覚しながら、ヒヤヒヤ暮らしています。
私は在宅の身で外で仕事をしていないので、気をつけていさえすれば、体調不良は常のことでもあって、より不調か不調かに対処していれば済むけれど、はるさんは、私のようにはいかないので、本当に大変だと思います。気も休まらないのではないですか?
秋たけなわで、芸術美術、散策、食事に、はる式楽しむ法で、心を遊ばせられるといいのだけど。。。少しは出来ていますか?
はるさん、お子さんたちの幼時期を懐かしめるようになって良かったわね。今も苦労は絶えなくても、懐かしく思い出して心が和むのは、神様の贈り物かもしれないわね。
私も、このところ、やたらと娘の幼児期の思い出を懐かしく思うようになりました。先々の事は考えから外して、楽しい自分でいようと思うようにもなりました。頑張るだけ頑張るけど、事々、思うようには行かないならないことはもう既に学習済み。成るようにしか成らないと、腹を据えました。
今日は、これからBBが来訪します。彼女もあちらこちらに弱さが出て、毎日でも来訪したいようですが、以前のようには体が動かないようで、今日は二ヵ月ぶりにやってきます。
ではでは。
私の強みは、どんな状態でも、食べることはできるってところ。だからやせない悩みはつきないけれど、食べようとすると食べられる。たぶん食欲がなくなったときは最期。
白内障も気をつけてね。体力突き私大ではあるけれど、早めの治療がよいみたい。
がまんは禁物。
子ども達の小さい頃の思い出、今となってはたからものです。