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ニーハオ春庭中国日記「世界遺産孔子廟&母の日」

2011-09-22 10:40:00 | 日記
2007/05/05 土
ニーハオ春庭中国通信>イミテーションゴールデンウィーク

 日本の黄金週間、子供の日を中心にきらきらゴールド輝かせて楽しい日々をおすごしのことと思います。

 中国も5月1日から7日までは黄金週間。大学、官庁、大手会社などは1週間の休暇となります。
 しかし、学生たちに言わせると、「中国のゴールデンウィークは本物のゴールドじゃありません。にせもののゴールドです」
 これはどういうことかと言うと。

 中国で最大の休暇は旧暦新年の春節です。春節の次に連休となるのが5月1日から3日間のメーデー休暇。労働者のための休日です。
 このメーデー休暇を大型連休にするために、振り替え労働日が制定されています。

 5月4日金曜日を休日にするために、4月28日土曜日は出勤となり、大学も官庁も平日扱い。5月7日を休日にするために、4月29日日曜日も出勤。平日扱い。
 この土日二日間を平日として働くことによって、5月1日から7日まで連休となる、という連休からくりです。

 観光産業振興政策として、近年決められたとのことで、13年前には5月1日から3日までの3日間だけの休暇だったように記憶しています。

 連休前は、4月23日月曜日から4月30日月曜日まで8日間連続で出勤しました。1週間の連休が目の前に待っているとはいえ、8日間休みなく働くのはかなりきつかったです。休日出勤を続けて働き続ける日本の企業戦士の気持ちがわかりました。過労死寸前、くたくたでした。

 こうして、二日間の振り替え労働の結果、やってきた1週間の黄金週間。イミテーションゴールドであるにせよ、連休は連休です。

 中国は旅行ブーム。1週間の休みに、それぞれの計画をたてます。近場で保養の人、遠出をして豪華に旅行して回る人、体力やら懐具合やらを勘案して、さて出発。
 と、いきたいところですが、思い立って気ままに旅行する、というような日本で私がよくやる「気ままに行き当たりばったり旅行」が、中国ではできません。

 日本で私は、どこへ行くとも決めずに家を出て、とりあえず130円の切符を買ってターミナル駅まで行き、電車を乗り継いで行けるところまで行ってみる、という旅行をときどきしていました。

 中国では、それは不可能。電車の切符を手に入れるのはとても難しい。
 同僚の先生は、2度駅に足を運び、それぞれ1時間くらい並んで待ったあげく「ハルビン行き、没有メイヨー。(ありません)」で、買えませんでした。

 確実に切符を買うには、1,旅行社に手数料を支払って買う。2,駅にいるダフ屋と交渉して切符を手に入れる。という方法があります。2は、中国語で交渉できない私たちにはとても無理。

 西安行き夜行寝台車の切符を買った先生は「日本語が話せる係員がいる旅行社」に手配を頼みました。
 31時間電車に乗り続ける西安行き。4人同室コンパートメントの寝台車(軟臥)が片道700元。旅行社に払う手数料は40~50元。

 しかし、ハルビン行きは日本のグリーン車にあたる「軟座」でも40~50元程度ですから、40元の手数料を旅行社に払うのはちょっともったいない気もしてしまう。
 自分で切符を買う経験をしてみたいからと、同僚2人は駅で並んだのですが、結局あきらめて、勤務校の事務所に切符購入の手続きを頼みました。軟座は手に入らず、一般座席の硬座で30元。

 さて、私のイミテーションゴールデンは?
 さすがに中国では「行き当たりばったり旅」「ミステリーツアー」は、できません。
 市内の旅行社が募集している地元の人向けツアー旅行に参加です。往復6人一室寝台車(硬臥)、ホテル2泊。観光3日間の「割安ツアー」に申し込みました。

 では、中国国内ツアーのご報告は次回。


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2007年05月06日


ニーハオ春庭「世界遺産めぐりツアー、畑も野原も畑も野原も畑も、、、、」
2007/05/06 日
ニーハオ春庭中国通信>世界遺産めぐり国内ツアー、畑も野原も畑も野原も畑も、、、、

 台頭してきた中産階級にとって、家、車、パソコンなどひととおりの家財が手に入ったら、次は家族旅行。中国は旅行ブームがはじまったところ。海外豪華旅行から手近なツアーまで、旅行熱は高まる一方です。

 火車(中国語で、電車は火車。汽車は中国語では自動車のこと)の切符を個人で買うのはたいへんなので、ツアーも盛んです。
 5月メーデー休暇の旅行として、ふたつの世界遺産をたずねるツアーに参加しました。

 中国にはユネスコに認定された世界遺産が30あります。その中の北京の3カ所、万里の長城、故宮(紫禁城)、頤和園には、13年前出かけました。
 今回は、山東省(青島半島とその内側の地域)にある世界遺産の二カ所をめぐるツアーに参加です。

 文化遺産、古代「魯国」の首都にして、孔子のふるさと曲阜(チュイフー)の孔子廟、孔林、孔府訪問。そして自然遺産の泰山(タイシャン)登山。

 地元の人向けの割安ツアーなので、日本人ツアーが利用するような四つ星や五つ星ホテルとか、4人用コンパートメント寝台車、トイレつきの豪華ツアーバスなどはありません。
 6人一室の寝台車(硬臥)、星なしホテル、何の設備もないバス。
 寝台車は、個人で買うと往復550元。星なしホテルは一泊120元。二泊で240元。バス代を考えると確かに割安なのだろうと思います。

 現地、山東省3日間で、昼食1回。夕食2回がツアー代に含まれ、朝食2回はホテル代に含まれている。朝食1回と昼食2回は各自支払い。寝台列車の中での食事も自分持ち。

 それらを割り引いても、5日間の旅行に一人1400元(約2万円)、夫婦と子どもの3人で参加すれば6万円を支払い、そのほか食事などの出費が必要。一家で10万円くらいの支出。
 中国の生活物価感覚を考え、日本の物価感覚でいうと、ゴールデンウィークの旅行に家族3人で百万円くらいを使う感覚。割安ツアーとはいっても、そう簡単な出費ではなく、ツアーに同行した家族連れは、新興中産階級という感じの人々でした。

 私は日本では「電車に乗って窓外の景色を眺めているだけの旅」を楽しんできました。5時間でも6時間でも、窓の外を眺めているのが楽しい。移りゆく景色、山も野原も林も海も、それぞれの時間にそれぞれの表情を見せてくれます。
 しかし、しかし、中国大平原の電車の旅、6時間ながめていても、7時間ながめていても、窓の景色は変わらないのです。

 地平線まで、だだっと広い畑。畝がうねうねと続く。畑の中の道の両側には並木が植えられている。
 電車が南へ進むにつれて、畑が乾燥した茶色の地面から、麦やインゲンの豆が育っている畑に変わったけれど、基本的に景色は同じ。
 だあっと広い。それだけ。

 東北地方、北のほうは木が少ない。南に行くにつれて木が増えてくる。という違いはあるけれど、どこまでいっても「広い畑」が続いていました。たまに低い山のような丘のようなところを通りすぎる。ほとんど木がない裸の山。またすぐダア~ッと広い畑。
 3つの省を通りましたが、ずっと同じ景色でした。

 ♪汽車汽車シュッポシュッポシュッポシュポシュッポッポ。ぼくらを乗せてしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ。速いな速いなどこまでも。畑も野原もすぎていく。走れはしれはしれっ~、畑も野原もすぎていく、走れ走れ走れ~、畑も野原もすぎていく~、走れ走れ走れ~、畑も、、、、という具合で、エンドレスに畑と野原。

 平原をひたすら突っ走って、16時間後、5月2日朝、山東省の省都、済南に到着しました。移動距離は1360キロ。東京を出発したとすると、九州までくらいの距離になります。

 次回は、世界遺産「孔子廟」について。
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2007年05月07日


ニーハオ春庭「しのたまわく曲阜三孔」
207/05/07 
ニーハオ春庭中国通信>しのたまわく曲阜三孔

 私が高校生くらいまでは、漢文は必修科目でした。意味がわかってもわからなくても、暗唱したものです。
 子曰わく、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。
 朋あり、遠方より来たる、またたのしからずや。

 漢字を知る前、父や母から論語の一節を聞きかじっていた頃は、耳で聞いただけの「しのたまわく」を、長い間、「師の、玉沸く」だと思っていました。先生の玉が沸くって、どんな玉の沸騰だと思っていたんだか。

 中学高校の教科書で文字を見て、やっと「子 曰わく」を「し、のたまわく」と読むのだとわかりました。
 今は、「宣う(のたまう)」なんて荘重な敬語つかったりしないで、「し、いわく」って、教科書に書いてあるみたい。ただし、大学入試から漢文をはずすところが増えた結果、高校で漢文を習わない高校生が多くなり、「論語」を知らない若者が多数派。

 というわけで、ユネスコによって1994年に世界遺産に認定された、「孔子のふるさと、曲阜(チュイフー)」です。
 ユネスコ認定理由として、「中国悠久の歴史における、もっともすぐれた宗教芸術であり、建築物の代表である」という評価をうけ、文化遺産として世界に誇るべきものとして認められました。

 孔子を祭る「孔廟」、孔子の子孫が封建貴族として曲阜領有を行った行政府である「孔府」、2500年間続いた直系子孫累代の墓地となった「孔林」
 孔廟、孔府、孔林を「曲阜三孔」とまとめて、世界遺産になっています。

 曲阜は、古代「魯国」の首都でした。
 孔子は、紀元前551年ころ魯の国に生まれ、紀元前479年ころなくなった、中国,春秋時代の思想家。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)
 彼の思想は儒教として東アジア圏に広まり、仏教思想とともに大きな影響を残しました。

 孔子は、魯国で政治家として生きようとしたけれど、理想通りにはいかないことに失望し、理想的な政治を行える国を求めて弟子とともに14年間諸国を巡ったすえ、結局は故国の魯に戻りました。
 そののちは、生まれた土地、曲阜にたった3部屋のみの小さな家で質素に暮らしながら、弟子の教育や古典の整理に専念しました。

 孔子は、社会には礼とよぶ秩序が必要であり、それには人を思いやる仁とよぶ心が大事だと説きました。孔子の思想を弟子がまとめた本が『論語』。「しの玉沸く」の本です。

 孔子が亡くなった2年のち、魯国の哀公が孔子旧居を廟としてまつったことから、孔廟が成立し、歴代の皇帝が手厚く子孫を遇しました。
 漢の皇帝、唐の皇帝、宋、明、清、王朝は変わっても、どの王朝にとっても、孔子の思想は広い中国を支配するに最適な思想として尊重され、孔子の子孫は歴代の皇帝から貴族として遇されました。

 孔子がたった3つの部屋で暮らしたのにくらべ、子孫は部屋数450という広大な屋敷をかまえ、広い土地を領有する「封建貴族」の地位を保ち続けました。
 王朝は何度も変わっているのに、孔子の家だけは変わらず、2500年の長きにわたって直系によって維持され続けたのです。

 現在も子孫は続いています。ただし、共産主義中国は、孔子を「封建思想の根元」としたために、77代当主は、蒋介石とともに、台湾へ渡りました。
 孔子の命日に行われる孔子祭りのときは子孫は曲阜に里帰りし、祭祀を執り行います。
 曲阜市、人口70万人のうち20万人は「孔」の氏を名乗り、世界に孔子の子孫は400万人いるそうです。

 孔家は、秦の始皇帝の焚書坑儒の思想によって迫害されました。子孫は、現在「魯壁」と呼ばれている壁の中に孔子の本を塗り込めて焚書に耐え、孔子思想を守りました。

 その次の迫害が「共産思想による孔子思想の否定」だったのですが、1980年代から風向きが変わり、現在では、「孔子学院」の設立が世界中で続くことからもわかるように、孔子の思想の再評価が高まり、「曲阜もうで」も、1994年の世界遺産認定以来、ますます盛んになっています。

http://www.china-cts.com/qufu.html

<曲阜 つづく>
16:57 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2007年05月08日


ニーハオ春庭「孔子の墓で温故知新」
2007/05/08 火
ニーハオ春庭中国通信>孔子の墓で温故知新

 私が山東省曲阜市を訪れた5月2日、孔子を祭る孔廟、門前黒山の人だかり。廟内、押すな押すなの人混みでした。

 みやげ物屋には、『論語』が山積み。
 孔子復権が1980年代からだということを考えると、現代の中国人よりも、高校で漢文暗唱を強いられた私のほうが、ずっと論語を知ってるんじゃないかと思います。「論語読みの論語知らず」までもいかない程度には読んだつもりだけど。

 えっと、「子(し)曰(のたま)わく、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以(もつ)て師と為(な)るべし」

 お、覚えているぞ。40年前に暗記したことがスラっとでてくる。さすがは「師の玉沸く」だ。

 「子、曰(のたま)わく、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」

 え~、それから、、、、、
 あ~、試験が終わったらほとんど忘れたんでした。

 孔子と孟子の中間の時代に活躍し、もっとも勢力が大きかったと言われる墨子、墨家の思想が、中国歴史上、長い間忘れ去られていたのに対して、孔子は忘れられるどころか、歴代皇帝によって、「中国を支配するのに一番つごうのいい思想」として手厚く保護されました。
 (5月7日、映画「墨攻」をテレビ放映でみたところなので、今は墨子びいきです。中国語のせりふに英語の字幕と中国語の字幕の両方がでる方式)

 孔子の儒学が儒教として中国思想のバックボーンとなったのは、人間の生き方を支えるにふさわしい思想であったことが中心であるとして、「支配者にとってつごうがいい思想」であったことはまぎれもないことでしょう。
 「親に孝より君に忠」「忠君愛国」など、君主支配への絶対服従を徹底するには、孔子の説く儒学の教えはもっとも適切なものでしたから。

 王朝は変われど、歴代の皇帝は孔子の子孫を「封建貴族」とし、高い地位と領地を与え続けました。

 封建領主としての役所が「孔府」。
 壮麗な中国様式の建築が立ち並んでいます。中国では、黄色い瓦や龍の文様は皇帝にのみ許されていたのですが、孔府には、龍の飾り、黄色い瓦が許可され、皇帝の故宮にも匹敵する建築物であることがわかります。
http://www.arachina.com/heritage/qufu/index.htm

 累代の直系子孫の墓域が「孔林」です。孔林は、紀元前500年から紀元後2007年まで、直系男子が相続し、第78代の直系子孫までが葬られています。
 200ヘクタールがすべてひとつの家族の墓域になっています。世界最大の家族墓、というのが、世界遺産認定のひとつの理由。(千代田の皇居の広さが115ヘクタールですから、その2倍くらいの広さ)

 孔子と彼の息子の孔鯉、孫の孔子思の墓は、円墳です。
 雑草がポショポショと生えている丸い塚の前に石碑が建つ、質素なものです。

 孔府の建物が壮麗なので、お墓ももっと大々的に作り直されているのかと思ったら、案外こじんまりしているので、ああ、お墓だけは、3つの部屋だけで質素に生涯をすごした孔子にふさわしいままに保たれているんだなと、なんだかほっとしました。

 200ヘクタールの広い林の中、木々が静かに立つあいまあいまに、子孫の墓がひとり一つの石碑を建てて点在しています。
 「へぇ~、74代目だってよ。最近の人だな」などと思いながら林の中を散歩したのですが、実は私の歩いたほうと反対側が「明時代の墓」が並んでいる名所でした。

 私はガイドの中国語がわからず、せっかくの名所へいかずにしまったのでした。
 まあ、2500年の歴史のなかでは、明代も現代もたいした違いはないと思うことにしましょう。

 温故知新。ふるきをたずねて新しきを知る。
 現代の墓をたずねて、2500年前をしのぶ。
 うん、たいした違いは、、、、あるかな。
 
http://www.sdta.jp/jp/htdocs/5/b/b.html

<つづく>
06:53 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2007年05月09日


ニーハオ春庭「我、十有五にして学に志し、五十にして惑いっぱなし」
207/05/09 水 
ニーハオ春庭中国通信>我、十有五にして学に志し、五十にして惑いっぱなし

 孔家は、系譜がはっきりわかる家柄としては、2500年つづく、世界最古の家柄だといえます。
 古けりゃエライっていうのなら、この世でいちばんエライのは、ピテカントロプスエレクトス。てなもんですが、2500年の間守り続け、伝え続けてきた学問、思想を研究するのは、価値あることです。

 文化大革命時に、各地の中国封建領主の屋敷などの破壊が続き、失われてしまった貴重な文書も少なくありません。
 歴史的な研究対象として、この孔府に残された文書、建築などを調べていくことは、たいへん重要です。

 早稲田大学は、2007年4月、日本で11番目の「孔子学院」を設立し、孔子思想や孔府文化遺産の研究を、北京大学との共同研究として進めていくことを発表しました。
 これから、ますます「東アジア思想のバックボーン」の研究が盛んになっていくことでしょう。

 孔府の中、たくさんの建物があるので、3回くらい、迷子になりかかりました。
 ツアーの添乗員、陳小梅(チンシャオメイ)さんは、ハンドマイクでチャッチャッと中国語で説明すると、客の反応おかまいなしに、ずんずんと先へ進みます。

 私は、中国語の説明を聞いてもまったくわからないので、パンフレットの漢字をたどって、なんとか、これがどんな建物なのかだけでも知ろうとするのですが、そんなことをしていると、たちまち置いてきぼりです。

 わかってもわからなくても、小梅さんハンドマイクでノタマワク「あとは自由見学。15時にここに集合。遅れると、夕ご飯なしだよー」

 自由時間に篆刻(てんこく)の店へ。
 この人もその人も孔子の子孫のひとりって店で、石のはんこに名前を刻んでもらいました。娘と息子のフルネーム。おみやげです。

 石はんこが彫りあがるまでの時間を利用して、孔林門前一周の馬車に乗ってみました。
 観光客相手の馬車。5分もしないで、ぐるっと一回り。これだけで、15元。
 ちょっと高いんじゃないのぉ!15元あったら、ランチ一食分だよ、と、馬に文句を言ってみても、馬の耳に念仏、あ、馬の耳に論語か。

 「し、のたまわく。我十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知り。六十にして耳従う。七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず(のりをこえず)」

 春庭いわく、五十すぎても惑いっぱなし。また、よろしからずや。
 でも、今回、惑いっぱなしでも迷子にはならず、無事夕ご飯を食べることができました。

<曲阜おわり 次回は泰山>
06:37 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2007年05月11日


ニーハオ春庭「世界遺産、霊峰泰山登山」
2007/05/11 金
ニーハオ春庭中国通信>世界遺産、霊峰泰山登山

 電車で16時間1360キロを移動しても大平原が広がり、見渡す限りの畑の風景が続いた遼寧省、河北省、山東省。

 このような大平原が広がっている土地であるからこそ、高くそびえる山はいっそう神秘的、霊的な存在として屹立します。

 泰山(タイシャン・たいさん)は、山東省泰安市にある標高1545mの山です。
 石と岩でできている山の光景は自然遺産、宗教施設としての建築群は文化遺産として、ユネスコ世界遺産の「複合遺産」に指定されています。

 中国チベット高原からチョモランマ(エベレスト)山の方向を見上げれば7000m8000m級が連なっていますから、それに比べれば標高はそれほどではないように思えます。
 しかし、ほぼ海抜0mの大平原の中に立つ1545mは、平原の人々の尊敬の念を集めるにふさわしい偉容を示しています。

 泰山は、道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつとして、崇敬の対象となってきました。
 南岳の衡山、西岳の華山、北岳の恒山、中岳の嵩山を合わせた「五岳」のなかで、東岳の泰山は、「天下第一の山」と呼ばれ、五岳筆頭の山とされています。

 漢の武帝が泰山を見て、「壮大、崇高、壮観、絶景、圧巻、降参!」と叫んだという伝説があるのもうなずける、五岳独尊、五岳の中でもっとも尊い山とされるのが泰山です。
 泰山の中には、武帝が建てたと伝えられる、無字碑という碑面が無地の碑文や、摩崖碑と呼ばれる玄宗皇帝が彫らせた封禅の碑文をはじめ、各時代の皇帝がたてた碑が数多く残されています。

 中国大平原に覇をもとめて疾駆した覇者たちにとって、覇権を得たのち、自らの権力を実感するために必要だったこと。「高いところから自分の権力の及ぶ土地をながめ、山の神の力を身に帯びること」
 はじめて中国全土統一を成し遂げた秦の始皇帝も、紀元前219年、中国統一を成し遂げると泰山に詣でました。以来、清朝の皇帝まで、皇帝就任の儀礼が泰山で行われたのです。
 「泰山安んずれば、四海皆安泰」といわれ、古来から、歴代皇帝たちは、この泰山で皇帝就任の儀式「封禅の儀」を行ってきました

孔子も泰山に詣でました。
 「登泰山而小天下(高い泰山に登れば世界が小さく見えるの意)」という名句を残し、現在、泰山一天門前には「孔子登臨処」の記念碑があります。

 信仰の山として、泰山は、東嶽大帝(泰山府君)と碧霞元君(泰山娘娘)を祭っています。
 宋代からあと、出産にご利益がある碧霞元君の人気が上がりはじめ、麓の東嶽大帝より、山頂にある碧霞元君への参詣が盛んになりました。
 子孫繁栄を願うのは、現代の中国の人も同じこと。ご利益求めて善男善女、山頂をめざします。

 日本で「一生に一度は富士山に登ってみたい」と、言われるように、中国の人々は「一生に一度は泰山に登りたい」と願っているそうで、登山熱は高まる一方です。

 私が登った5月3日も、ラッシュアワーかと思うほど、ぎっしりと人があふれていました。
 さて、「登山」というと、どんな光景を思い浮かべますか。

 中国語と日本語、単語は同じでも意味が異なることば、たとえば、「手紙」は日本語では「文章を通信のために書いたもの」中国語では、「トイレットペーパー」。「汽車」は、日本語では「蒸気機関車を先頭にした列車」。中国語では「自動車」
 このように、はっきり意味がことなる単語なら、中国語と日本語は同じ漢字を使っていても、違うのだ、と認識できます。

 しかし「登山」は、日本語でも中国語でも「山に登ること」
 まったく同じことばだと思っていました。しかし、実際に中国の山に登ってみて、人々がイメージする「登山」がこれほど違うのだと、はじめてわかりました。 
 
http://www.arachina.com/heritage/taishan/index.htm

<つづく>
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2007年05月12日


ニーハオ春庭「泰山登山は階段登り」
2007/05/12 土
ニーハオ春庭中国通信>泰山登山は階段登り

 5月3日。薄曇りで、直射日光にさらされることもなく、登山には最適な天気。
7時朝食、8時に済南のホテルを出発。9時に泰安市着。
 麓の登山口、一天門から登ってみたかったのですが、山の中腹にある中天門行きのバス乗り場のほうへ連れて行かれました。ツアー客は自由がきかない。

 バスで中天門まで、山道を登っていきます。
 この山道、私には群馬や長野の山で見慣れた光景です。
 でも、6時間走っても7時間走ってもただ平原が続く土地からやってきた客には、「いろは坂」のようなくねくね曲がる山道を登っていくのは、ジェットコースターに乗っているような、非日常の光景に見えるのだろうと思います。

 バスを中天門で降りたあとは、ひたすら石段を登っていくことになります。
 同行のジョウさん(22歳の女子大生)が教えてくれたこと。
 「中国の山は、全部が石でできています。中国で登山というのは、この泰山と同じように、石の階段を登っていくことです」

 別ルートで、山頂までロープウェイが往復しています。
 上りは自分の足で行き、下りは疲れるだろうからロープウェイを利用する。こんな計画で登りはじめました。

 11時、階段登りスタート。山のほうに合わせた階段だから、人間工学を無視していて、急勾配が続いたり、一段一段の高さがちがっていたり、石段の幅が違っていたり、疲れることおびただしい。

 ふもとの登山口一天門から山頂まで、全6293段の階段があります。
 一天門から中天門までで半分終わり、中天門から頂上の南天門まで、残り3000段ほどになっているはずですが、登るにつれ足があがらなくなってきました。

 泰山山頂をめざす善男善女、私より白髪しわしわのおじいさんおばあさんもいるからとがんばって登り続けたのですが、おっと、しまった、この素朴な顔つきのじいちゃんばあちゃんたち、白髪だからと侮ってはいけない。農村のじいちゃんばあちゃんは、「ちょっとそこまで」と出かけて、10キロさき20キロ先まで歩くなんぞ朝飯前の人々だった。

 私、歩くことは嫌いじゃないけれど、階段は大嫌い。2階へ行くにもエスカレーターエレベーターを利用したくなる私には、石段登山はちょっと無謀でした。

 周囲の人たち、もくもくと階段を登っていきます。じゃれながら登る若い二人連れ、にぎやかに食べながら話しながら上っていく家族連れ。

 息子が親孝行として泰山登山に老母を連れてきたとおぼしき二人連れ。息子の指示で老母がポーズを取り、息子は一生懸命シャッターを押している。
 母親は、こうして有名な泰山に登れて土産話ができたこと以上に、息子が電車代やらカメラ代やら払える余裕ができて、親孝行してくれることがうれしいのでしょう。しわしわの顔いっぱいの笑顔。

 天をいただく山頂まで、階段が果てしなく続いています。
 中国の「登山」とは、はてもなくきりもなく、ひたすら階段を登り続けることだった。
 日本の「登山」を思い描いて、山道を登るつもりだった私、「登山」のイメージがまったく異なることを知りました。

http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards332.html

<つづく>
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2007年05月14日


ニーハオ春庭「東京タワーに10回のぼって泰山登山」
2007/05/14 月
ニーハオ春庭中国通信>東京タワーに10回のぼって泰山登山

 休み休み登っていきましたが、山頂まであと1時間という対松亭まできました。
 小休憩のあと、ジョウさんが、「あと山頂まで1時間くらいでつきます。山頂の南天門からロープウェイで降りることができます。
 でも、ロープウェイは、今日はとても混んでいて、1時間くらい待つかもしれない。そうすると集合時間の15時に間に合わなくなります。登るのも1時間。さっきの中天門まで下って戻るのも1時間」と、いいます。

 中天門から1時間半、階段を登り続けて、12時半になっています。
 せっかく来たのだから、山頂をめざしたい。でも、間に合わなくなったら、同行ツアー客に迷惑をかけてしまうことになる。さて、どうしよう。
 足もあがらなくなってきたし、あきらめるか。
 山頂まであと千段の階段。

 私は、若い頃、土日ごとに群馬県長野県の山に登って休日をすごした、「山女」でしたから、1545mの山を登るということにそれほど心配はしていませんでした。
 でも、それは、日本のように土でできている山の、斜面にそってくねくねとつづく山道や、尾根伝いの登山道を登ることを想像してのことでした。

 ほとんどが火山の噴火によって成立し、土が堆積している日本の山と、全山が石でできている中国平原の中の山。山の質が違っていました。

 「中国の登山とは、石の階段をひたすら上っていくこと」だということ、一歩一歩ふみしめながら登っていきました。

http://www.chn-consulate-fukuoka.or.jp/jpn/zgbk/sjwhyc/t64523.htm

 ふもとから山頂までひたすら石の階段、階段、、坂道、また階段、、、、、。6293段の階段。
 6293段を登るのに、およそ6~7時間。
 
 ちなみに、東京タワー(333m)の展望台223mまでを階段で登ると約600段。15分くらいで展望台まで上れるそうです。しかし、東京タワーを10回のぼっても、泰山山頂には届かない。
 また、階段の幅や高さがそろっていて、登りやすく設計されている東京タワーの階段と、高さも幅もばらばらな山の石段を登るのでは、疲れ方がちがいます。

 しかも、登りもくだりもびっしりラッシュアワーなみに人が混みあって登り、だれかがこけたら、ドミノ倒しがおきそうな様相。

 私が登り始めた中天門からだと、2000段くらいは登ったことになるのですが、あと1000段は、とても足が持ちそうにありませんでした。膝がガクガク。

 人が1時間ほどで登るという千段の階段を、2時間くらいかけて、ゆっくり休み休み登っていけば、山頂までいけるでしょう。

 しかし、この人出から予想すると、下りロープウェイに乗るのに、かなり長い列ができていて並ばなければならない。これを考えると、ゆっくりとは登っていられません。無理がきく年齢じゃありませんから、涙をのんであきらめることにしました。

<つづく>
21:14 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2007年05月15日


ニーハオ春庭「泰山登山修行中」
2007/05/15 火
ニーハオ春庭中国通信>泰山登山修行中バス待機2時間半も修行のひとつ

 山頂に立つことをあきらめて下っていくと、ツアー同行者の何人かとすれ違いました。予定通りに山頂を目指すというのです。
 「えっ、大丈夫なの?間に合わなくなるよ」
 「下りはロープウェイにするから、だいじょうぶ」

 そのロープウェイに乗るのに、このように混みこみの日は、東京ディズニーランドなみに60分待ち、90分待ちになるのではないかと予想して、集合時間に間に合わないからとあきらめることにしたのに、、、、、、
 彼らは悠々登っていきました。

 集合時間は15時。
 15時15分前、一番先に私とジョウさんが戻りました。他の客もバラバラと戻ってきました。全員がそろうまで、ツアーバスの中で待機。

 それから、、、、、。山頂をめざした人たちが戻るまで、延々2時間半、バスのなかで待たされたのです。
 15時の集合時間から、待つこと2時間半。17時半に、全員が戻りました。

 遅れた人たち、悪びれもせず戻ってきて、待っていた他の客に何のことばもなく、山頂登頂を果たした満足そうな顔で座席におさまりました。

 自分たちがツアーの当初の目的である泰山山頂をめざしたのは、当然のことである。予定通り山頂をめざしただけのことであり、下りのロープウェイが混んでいて待たされたのは、自分たちのせいではない。
 混んでいて待たされたのが自分たちの責任ではない以上、何の落ち度もなく、「すみません」などと言う必要はない、これが中国式の考え方。

 中国語で「対不起トイブチー」というのは、辞書には「Excuse me」「すみません」となっていますが、日本語の「すみません」と意味が異なります。
 「全面的に私が悪いことを認め、弁償もいたします」という意味になるので、やたらに使ってはいけない、と教えられてはいたのですが、、、、

 利害関係が発生していないとき、たとえば肩先がちょっと触れた、というような時は「対不起」と言ってもよいが、利害関係が発生しそうなときは、決して「対不起」と言ってはいけない。
 人混みで隣の人の靴を踏んづけて「対不起」と言ったら、靴磨き代と足の治療代を請求された、とか、、、、

 こんなとき、ひとこと「遅れてすみません」と言える日本式謝罪文化との違いを実感しました。
 添乗員の説明もいっさいなかった。

 バスの中で待っている間、ちょこっと昼寝もしたし、中国日本の「謝罪」意識の違いもわかったし。
 待たされたことに他の客は文句を言っていないのに、ツアー中たったひとりの日本人が文句言ったら角も立つだろうと、立った腹を寝かせました。なんといっても、中国語で文句言えないし、、、、。

 「待たされた他の客は、ほんとに腹を立てていないのか」と聞いたら、ジョウさんは「中国では、1時間2時間待つことは、よくあることだけど、今回のことでは、みんなこっそり文句を言っています」とのことでしたけどね。

 子孫繁栄、子宝安産にご利益があるという山頂の碧霞元君にお参りできなかったのは残念でしたが、一応、「世界遺産の山、泰山に登った」ということにしておきたいと思います。

 ツアーの客たち、集合時間に遅れた人に表だって文句もいわないようにして、皆なごやかに仲良くすごすようしていました。適度な距離を保ちつつ、旅行の間は「つかのまの仲間」として、いっしょにトランプしたり、おやつを分け合ったり。

 ツアー参加者の中で、最年長(おそらく)の私は、最年少の5歳くらいの坊やと仲良しになり、「じゃんけん」をして遊びました。坊やは「勝った!負けた!」と楽しそうでした。

 2時間半の待ち時間には参ったけれど、無念無想で待つのも、禅だか儒教だか道教だかの修行のひとつと思えば、全体としては楽しい旅になった「山東省世界遺産ツアー」でした。

<山東省世界遺産の旅おわり>



2007/05/17 木
ニーハオ春庭中国通信>中国語のセンセイ

 私は「日本の大学院博士課程で研究する中国の大学教師たち」の日本語教育を担当しています。
 このコースは、大学とは別組織で、中国教育部(日本の文部科学省にあたる)直属の組織です。いわば、文部科学省研修所みたいな部署。

 ですから、日頃は、大学の学部で日本語を学んでいる学生との交流はほとんどありません。
 唯一交流があるのは、学部日本語学科の学生のうち、6名を募集して、3月から中国で暮らす私たち日本人教師同僚6名が、ひとりひとり「中国語家庭教師」をお願いしていることです。

 今回は、日本語学専攻の大学院生ひとり、10月から大学院への進学がきまっている4年生ひとり、あと4人は学部3年生が決まりました。

 中国語を教えてもらう、ということで家庭教師代をお支払いしているのですが、実は、日本語学科学生にとっては、貴重な「日本語ネイティブの大人と話をする機会」ができることでもあります。

 私の場合、週1回90分という中国語練習の時間のうち、半分くらいは「日本語のおしゃべり」になっており、日本の古典文学について教えたり、日本の歴史や文化について話したり。

 他の先生方も「日本語文法の問題を解説してあげたら、今日は家庭教師代いりませんって学生が言うのだけど、まあ、そういうわけにもいかず、約束の金額は支払いました」なんて様子で、中国語と日本語の交換教授みたいになっています。

 中国の家庭教師。大学生が中学生や小学生の勉強をみてあげるときは、1時間10~15元(150~200円)程度の謝金です。
 私たちは、その3倍の1時間30元をお支払いすることにしています。

 大学新卒の初任給が1ヶ月1000~2000元(1万5千円~3万円)くらい。一日8時間の労働で月20日働くと、時給換算にすれば6~15元くらいのものですから、大学生のアルバイトとしては、1時間30元は高給になります。

 私は、中国物価に合わせて家庭教師代を支払うべきであり、学生のうちに標準より高い水準のお金を手に入れることは彼らのためにならない、と主張しましたが、日本の物価感覚で生活しようとする他の先生たちの「いやあ、1時間30元(450円)なんて、安いですよねぇ」という意見に押し切られました。
 なんだか私一人が「ケチ」という印象を残しただけで、「統一価格」に応じることになりました。

 日本語学科の学生たち「生の日本語」を話す機会があまりありません。キャンパス内には、中国語を学ぶために留学してきた日本人学生がいるので、若者同士の会話は日本人留学生とできます。しかし「日本の大人」と日常会話をする機会は、少ない。

 大学日本語学科には、日本人の先生もいますが、中国の学生は教師に対して「父母の恩にもまさる師の恩」的な接し方をしつけられているので、自分が教わっている日本人の教師とは、日本語学習の話はするけれど、「どこそこのラーメンがうまい」というような会話をすることはあまりありません。

 私たちにとっては、日本語を話せる人から中国語を個人教授してもらえる。日本語学科学生にとっては、「日本語を教えている日本人と、いろいろな話ができるチャンス」でもあります。

<つづく>

05:14 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2007年05月18日


ニーハオ春庭「母の日の香石竹」
2007/05/18
ニーハオ春庭中国通信>母の日の香石竹

 泰山登山に同行してもらった女子大生ジョウさん。日本語学科の3年生。私の「中国語家庭教師」です。
 中国式の「数え年」で22歳。満年齢では21歳、まだあどけなさが抜けない顔立ちの、かわいいお嬢さんです。

 私の宿舎のすぐ近くに両親の住む自宅があります。
 師範大学付属中学高校と進んできて、師範大学日本語学科に進学しました。
 外国語学部日本語学科は、本部キャンパスにあり、私が通勤する郊外の浄月キャンパスと別のところ。

 両親の家から大学まで歩いても20分くらいなのですから、日本なら自宅通学するところですが、勉学の時間確保のために、あえて大学内の寮に入っています。
「少しでも多く勉強の時間をふやしたい」というジョウさん、がんばりやさんです。

 寮の費用は、1年間で600元(9000円)、大学食堂での食費は一食5元(75円)。
 週末には自宅に帰りますが、親元にいるより、寮で友達と励まし合いながら勉強した方が能率がいいという、中国の学生。一生懸命勉学に励むようすがわかります。
 大学にはいってしまえば、勉強よりバイトや遊びの比重が増える日本の大学生に比べるとずいぶん違います。

 ジョウさんは、「本当は英語学科に進学したかったのだけれど、英語学科は一番人気で、私は成績が足りなかったから、第二希望の日本語学科になったんです」と正直に告白。

 東北地方は中国で一番日本語教育が盛んな地域で、日本語を学ぶ人が大勢いるため、日系企業へ就職するに際しても競争が激しくて、なかなか思い通りの就職はできない。
 日系企業に就職できたとき、日本語能力試験1級をとっている人といない人は、一ヶ月の給与が500元以上差がつくそうです。

 ジョウさんは、すでに去年日本語能力試験1級に合格しています。それで、最初の目標であった英語を学ぶために、土日には大学外のダブルスクールとして、英語学校へも通っている、といいます。

 はじめて会ったのは、市内に春の雪が降ったとき。女子学生というより高校生くらいに見えたので、え、これから中国語教えてもらうの大丈夫かな、と心配になったほどでした。
 1級に合格したといっても、中国の学生が往々にしてそうであるように、文法や語彙はしっかり学んでいるけれど、聴き取りと会話がまだ十分でない。

 私たち日本語教師は、初級中級の学習者と日本語で話すときは、学習レベルに合わせた語彙コントロール文型コントロールをして話します。学習者がまだ習っていないことは、言わないようにするのです。
 1級以上の上級、超上級になると、日本語母語話者と話すときとそれほど変わらない話し方にするのですが、ジョウさんは、最初、私の話し言葉を聞き取れないことがありました。

 これも、学習者がよく言うことですが、「話すときの日本語は、教科書の日本語とまったくちがいます」
 それでも、中国語話者の有利な点。筆談をすればたいていのことは通じる。
 筆談も交えながらの中国語練習がスタートしました。

 一ヶ月たって、お互いに気心もわかってきた今では、中国語練習と日本語おしゃべりが半々になっていますが、まあ、それでもいいのではないかと思っています。
 私の中国語はいっこうに上達しませんが、ジョウさんの日本語会話は、かなりよくなってきました。
 
 明日5月13日は母の日、という前日12日の夜、ジョウさんは香石竹(シャンシーツォー=カーネーション)の花束と、チーズケーキを宿舎にもってきてくれました。

 毎年母の日に作ってもらっていた、私の娘が手作りするチーズケーキ。世界で一番おいしいと思う、大好きな味です。
 けれど、今年は食べることができないので、ちょっと寂しい、と、何かのおしゃべりのついでに話したことを覚えていて、「味道85」というこのへんではちょっと高級なパン屋さんのチーズケーキを選んでくれたのです。

 「いつもいろいろ教えていただいているので、私の感謝の気持ちです」というメッセージもじょうずに言えました。
 お母さんへのプレゼントのついでだったかもしれないけれど、母の日に娘息子と離れて暮らす私を思いやって花束を届けてくれた気遣いを、とてもうれしく思いました。

 う~ん、これではますます、中国語会話練習より日本語会話練習が増えてしまうかも。
 
<おわり>



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