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ニーハオ春庭中国日記「大連再々」

2011-07-29 08:16:00 | 日記
2009/08/31
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>大連再び (1)チェンジ!したい

 8月26日大連空港から帰国。
 大連空港の手荷物検査で、今度は電池とお粥缶がひっかかりました。水などのペットボトルは持ち込み禁止と知っていたのですが、お粥も?電池は六個入りのを2パックもっていたら、没収されました。なんで?係り官は「あなたの安全のために」とか日本語で言っていました。大連空港は日本人客が多いので、日本語を話せる人が受け付けにも安全検査のところにもいます。それにしても、毎回毎回、何かしら没収される。ちょっとは学びなさい、というところ。トホホ。

 帰りのフライト、大連空港は雨でしたが、日本海上空では晴れてきたので、窓側の席に移動。日本列島上空の飛行で、はじめて、空から富士山を見ました。これまで何度飛行機に乗っても、天気が悪かったり位置が富士山側の窓ではなかったりして、雲の上に頭を出す富士山を見たことがなかったのです。雲海の上に富士の姿が出ています。
 ♪頭を雲の上に出し~
 初めて見る雲上の富士、これは帰国したら何かいいことあるかな?と、思ったのですが、そう甘い富士山じゃない。

 前回7月に帰宅したあと、夫は「おかえり」でも「おつかれさん」でもなく、顔みるなり「会社の運転資金が不足。10万、ちょっとだけ貸しておいて」と、言いました。出稼ぎして家族の食い扶持をやっと稼いできたのに、それすらもはぎ取ろうとする。娘は「貸してって言っても、返してこないのだから、父にお金渡すのやめたら」と言うし、妹からは「夫を甘やかしすぎた」と、毎度非難囂々だけど、、、、。夫の「会社経営道楽」のために、私、今までどれだけ苦労してきたか、、、、、、。ギャンブル狂いやら女道楽よりマシと思ってきたのだけれど。

 いつも「忙しい」しか言わない夫。私が8月26日に帰国した夜、珍しく家族4人で外食することになりました。どこが珍しいかというと、「夫・娘・息子」の3人の外食と、「夫・姑・私・娘・息子」の5人の外食はあるのに、「夫・私・娘・息子」という4人での外出はめったにないので。

 近所の和食店で夕食をとり、さて、妻が出稼ぎした「10万、ちょっとだけ借りた」分を返すのかと思いきや「お金がないから、夕食代はそっちが支払って」という。帰国お疲れさん会の夕食は、働いて帰ってきた私のおごりになりました。
 こういう夫だっていうこと、1979年にケニアで出会って以来、わかっていたはずなのですが、、、、、トホホ。お粥の没収以上に、一生の不覚。ナイロビの町で出会ってから今年は30周年。娘は「こんな父といっしょになった母が不憫だ」と言うのです。

 まあ、無事に帰宅できたのですから、文句は言うまい。4回目、二週間の中国滞在、シンポジウムでの発表も大成功、長白山ツアーもシャンユエと遊んだのも楽しかったし。
 ショーモナイ夫がひっついている人生であっても、楽しく生きていられるのだから、よしとしましょう。、、、、。
 
 不憫な私、帰国してさっそく仕事。前期に中国へ行っていた間の授業を穴埋めしなければなりません。9月1日から、集中講義の第1陣。日本人学部生への日本語学の授業を2単位分、一日4コマ4日間続け、9月15日からは一日4コマ6日間、日本語教育学の講義4単位分を続けます。
 働き者やねぇ。そしてお金は残らない、、、、、、不憫です。
 政権担当の党は国民の意思で「チェンジ!」できるけれど、チェンジしようにもヒョータン社長のほか、私の夫に立候補する人がいなかったので、、、、チェンジしたいですが、、、、トホホ。不憫です。

<つづく>


2009/09/01
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>大連再び(2)大連観光塔

 帰国は、大連発成田行きの飛行機でした。8月25日、同僚のリグン先生に車で宿舎から空港へ送ってもらい、中国国内便で大連へ。

 手荷物検査でひっかかり、ハサミが没収されました。ああ、いつもの失敗。大連に着いたとき、すぐ使えるように、ハサミと栓抜きを手荷物のほうに入れておいた。ハサミは開けにくい中国の袋入りの食べ物を開封するために必要。日本のように、袋に切り口がついていないので、ハサミがないととても開けにくい。歯で切って開けるはめになる。栓抜きは、まあ、栓を抜くために必要です。結局、栓を抜く必要のある飲み物は飲まなかったのですが。

 大連では、友人ハンさんの教え子が迎えてくれました。ハン先生は、一人娘のシンシンちゃんのダンス・コンテストが一泊二日で行われるため、見送りができないからと、教え子を紹介してくれたのです。教え子の田くんは、1988年生まれで、私の息子と同い年。ハンさんが教鞭をとる軟件学院(ソフトウエア学部)学生で、9月から三年生です。

 ソフトウエア学部では、一年生は日本語、二年生は英語を学びます。彼は一年生のときハン先生から日本語を習いました。今は英語学習をしているので、一年間ならった日本語を忘れかけているから、日本人と日本語を話すチャンスは自分にとってとてもありがたいと、ボランティアを引き受けてくれたのでした。

 彼の所属するソフトウエア学部は、全国の大学の中でも難関学部のひとつで、中国各地から優秀な学生が入学してきています。大連出身者で「大連にある重点大学の難関学部」に入学している人は数少ないので、田くんに「日本人ご案内」の役があたりました。
 「私は、情報の授業やプログラミングの成績はよかったですが、日本語の成績は悪かった」と、言いながらも忘れた言葉をいっしょうけんめい辞書をひきひき案内してくれました。

 ホテルに荷物を置いたあと、市内の高台にある観光塔へ登りました。高いところから市街を眺めるのが好きだと私が話していたので、ハンさんが、田さんにガイドを申しつけていたのです。田さんは「大連で生まれて大連で育って、今も大連に家があるのですが、観光塔に登ったことはありませんでした」と話していました。「観光客は登るけれど、東京人はあまり登らない東京タワー」みたいなもんでしょう。入場券はひとり50元。

 大連市の中心部にある労働公園の南側の小高い山の頂上に塔が建っています。元はテレビ塔だったのですが、今は新しいテレビ塔が建ったので、こちらは観光用になっています。登って、ぐるりと一周して市街を眺め、1元コインを入れて望遠鏡を眺めるともうすることもないので、30分もしないで、「さあ、降りましょう」となる。観光塔は、塔のてっぺんは東京タワーより高いですが、展望室は288m。
 展望室の土産物やでシルク製品を売っていたので、ネクタイをひとつ買いました。ハンさんから「学生は日本語の勉強のために案内するのだから、ボランティア」と言われていたので、お礼を現金であげる代わりに、ネクタイを買い、「お父さんへのおみやげ」ということにしました。

 塔の前から、労働公園へ降りるリフトに乗りました。一人40元。リフトで降りるほか、ロング滑り台もありました。
 タワーの写真を紹介している「看看大連」
http://www.kankandl.net/dwkanm-tv.htm
 
 労働公園をぶらぶら散歩。田さんは、子供の頃、この労働公園内の遊園地で遊ぶのが楽しみだったと話していました。
 中山広場の近くにある中山園沌品店というレストランで中華料理の夕ご飯。アワビのスープがおいしかった。二人で3菜1湯(おかず3品とスープ1品)を注文しました。

 中華料理の問題点は、どれも大皿で料理が出てくること。二人だとあまりたくさんの種類が食べられません。ちょっと量が多かったのでケチな私は高い料理を残すのにしのびず、残った分は打包(ダーパオ・テイクアウト)しました。田さんに「失礼でなかったら、家に持って帰って」と、頼むと、田さんもいやがらずにプラスチックボックスを持ってかえってくれました。

<つづく>
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2009年09月02日


ニーハオ春庭「田さんのお宅」
2009/09/02
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>大連再訪 (3)田さんのお宅
 
 大連中山広場での夕食後、ネットカフェを探してメールチェックをしようと思いましたが、ふと気づいた。中国のネットカフェでは、日本語ソフトを備えていないかもしれない。「日本語が使えるネットカフェがありますか」と、田さんにたずねると、「さあ、私はいつも自分のパソコンを使うので、ネットカフェの事情を知りません。パソコンが必要なら、私の家へ行って、うちのパソコンでメールしたらどうですか。私のは日本語が使えます」というので、お言葉に甘えることにしました。

 大連を案内してくれた田さんの家は、大連空港の北方住宅街にあり、両親と一人っ子の家族です。市内といっても、彼の在学するソフトウエア学部は、郊外の開発区にあるので、家から通学しているのではなく、授業のある平日は寮生活。週末や夏休みには実家に戻っているということです。
 両親共働きのお宅にいきなり押し掛けたら迷惑をかけるだろうと思ったのですが、彼はお父さんに電話をして、許可をもらってくれました。

 雨が降り出したため、中山広場をぶらぶらする、という夕食後の予定はキャンセルして田さんの家へ。途中で果物を買っておみやげにしました。
 田さんの家は団地の3階。お父さんの書斎、田さんの部屋、両親の寝室のほか、DKは日本式に言うと20畳くらい。急におじゃましたのに、すっきり片づいています。ご両親は飲み物や果物で歓迎してくれました。

 パソコンで「予定通り帰国」というメールをしたあと、田さんの通訳でしばらくお話をしました。お父さんのお仕事は、ドイツとの合弁会社での電車車両開発で、最新の車両を作っているのだということでした。
 中国では、同僚のリグン先生のお宅と旧友のハン先生のお宅を訪問したことがありますが、なかなか中国のふつうの人の暮らしをかいま見ることはないので、田さんのお宅を訪問できて、よかったです。

 ふつうの人と言っても、「中国新興中産階級の暮らし」という点ではリグン先生やハン先生と同じ条件です。中国13億人の暮らしの中では上層部に属する人々でしょうから、これだけで「中国のふつうの人の暮らし」といえません。
 6月に訪問した集安市郊外朝鮮族自治区の村の金希紅さんのおうちは、6畳くらいの広さの一間だけでした。でも温かい歓待の気持ちは同じ。都市の中産階級も、地方の農村の暮らしも、私には貴重な中国を知る機会となりました。
 個人のお宅を訪問できたということが、観光旅行ではできない中国を知る旅になって、私にとってはどんな名所旧跡を巡るより印象深い思い出です。

 田さんは、2008年6月にプログラミングのコンテストに初出場したのをはじめ、2009年11月にもプログラミングコンテストに参加すると言っていました。大学卒業後は大学院にすすむ希望を持っており、できれば日本へも留学してみたい、というので、日本に来たら今度は私が東京を案内します、留学中にご両親が来日したら、ご両親も案内しますよ、と約束して田さんの家から空港二階にあるホテルへ行きました。

 ホテルの部屋はちょっと古かったけれど、空港二階というのが、翌朝8:40のフライトのためには便利。
 朝、ふたたび田さんが来てくれて、チェックアウトなどの世話をしてくれました。保証金としてホテルに預けていた60元が戻されたので、タクシー代として彼に渡し、旅客ゲートへ。またまた機内持ち込み荷物検査ですったもんだやってから帰途の空へ。
 日本上空、変化はあるのか、チェンジチェンジのまっただ中に着陸しました。

 帰国して最初にしたことは、住まい(公団団地9階)の風呂場チェンジ。古くなった浴室の床の隙間から階下に水漏れしたというので、改修工事が行われました。経年変化のための改修なので、費用は公団の負担です。公団の同じ部屋に25年も住んでいるのですから、あちこちが痛み、ダメになっています。工事が終わり、床と壁が新しくチェンジ!これで水漏れも気にせずさっぱりと汚れを落とすことができます。

 浴室改修の次にした衆議院選挙では、歴史的大チェンジがありました。1955年からの体制はあちこちが痛み、ぼろぼろでしたから、ちょっとの改修工事では繕えないでしょうが、みんなで工事に参加すれば、なんとか修理もできてたまった汚れも落とすことができるでしょう。
 これから私たちの生活はどのようにチェンジしていくのでしょうか。よりよい未来に向かって歩きだし、よりよい未来が遠い頂上に思えても登り続けていきたいです。
 次回は「長白山」に登ったお話。

<おわり>
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2009年09月03日


ニーハオ春庭「」中国十大山岳・長白山」
2009/09/03
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>長白山ツアー (1)中国十大山岳・長白山

 中国と北朝鮮との国境にそびえる長白山(チャンバイシャン)、標高2,744mの火山で、北朝鮮側の呼称では白頭山です。褶曲山岳が多い中国では珍しい火山で、巨大な玄武岩質の山です。頂上には大きなカルデラ湖「天池」が満々と水をたたえています。周囲を一周すると14km、一番深いところは384mという天池を14の峰が取り囲んでいます。いつも湖には霧が降りていて、3回天池にきたけれど、3回とも天池がみられなかったという運のない人もいます。

 火山であるため、温泉もあり、国をあげて観光開発中ですが、天池のまん中が国境となっているため、入山にはいろいろな制限があります。中国と北朝鮮の国境となっている鴨緑江や豆満江は、長白山を水源としています。
 1994年の赴任のときも2007年のときも、この長白山へ行くチャンスに恵まれなかったし、2009年7月に同僚の20代の先生が参加した学生向けのツアーは、一泊二日の強行軍だったので、年寄りの体力ではついていけないだろうと判断して参加しなかった。今回こそは是非と思って、国際日本語シンポジウム参加者のために企画されていた長白山ツアーに申し込みました。二泊三日のゆっくりコースで、行きに一日、帰りに一日を要し、山歩きは中の一日です。  

 8月17日、宿泊していた5つ星ホテルを7時半に出発。(学校側が用意し、シンポジウム発表者は無料で宿泊できたので、貧乏な私、中国で初めて5つ星に宿泊した)
 行きの一日は、500km以上の道のりを延々とバスに乗り続けました。東京からの感覚でいうと、区内のホテルを出発してバスで八甲田山に着いた、というところでしょうか。夕方5時半に長白山の山中にある虎林山荘に到着。ここは3つ星ホテルです。

 翌日7時半出発。あいにくと土砂降り。山の天気は変わりやすいから、山頂では晴れる信じてバスで登山口入り口までいきました。レインコートを用意していったのですが、持っていった登山用レインコートは、リュックサックをしょって着た場合、私のおなかだと、ボタンがはまらないことが判明。息子が中学校の登山で買ったけど一度も使うチャンスがなかったというレインコートを試着して「うん、着られるから、借りるね」と言ったときは、そうだ、リュックサックは背負っていなかった。しかたがないから、20元だしてビニールレインコートとビニールのレインパンツを買いました。これって、市内のスーパーだとセットで10元なんだけどね。

 登山口で、政府観光局が経営している登山バスに乗り換えます。この登山バスと天地の見える頂上へ向かうジープの乗車券は入山券をかねていて、180元です。北朝鮮との国境問題があるので、自由に山中を歩くことは禁止されていて、決められたコースを歩くことになっています。2009年7月に長白山に植物採集のために入り、決められたコースをはずれてしまった大学生は、行方不明となったままです。国境を踏み越えてしまい、山中で拉致されたのではないか、という噂です。

 最初の目的地は長白瀑布見学。天池の北側から発する川が落差70mの滝となって流れ落ちています。ただし、滝壺へは危険防止のため近づくことができず、下流から記念写真を撮って終わり。雨の中、レインコートとフードで、誰がだれだかよくわからない写真を撮りましたが、滝が写っていたのでよしとしましょう。

<つづく>
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2009年09月04日


ニーハオ春庭「長白山はジープで」
2009/09/04
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>長白山ツアー (2)長白山登山はジープで

 滝見物の次は、火山である長白山の周囲に点在するカルデラ湖めぐり。滑りやすい山道をゆっくり進みました。山道と言っても、中国の山道はすべて階段。階段登山は2007年に泰山に登ったときに経験済みでしたが、階段の上り下りはきつい。平地や坂道を歩くのは長時間でもがんばれる私ですが、苦手の階段はかなり疲れました。

 階段の途中できれいな景色があると写真を撮りたくなります。引率の先生からは「歩いている途中で立ち止まったり写真を撮ることはできません。危険ですから」と、再三注意を受けたのですが、ときどきこっそりシャッターを押しました。
 深い緑が重なる中に、神秘的な水色をたたえた湖が見えると、つい写真を撮りたくなってしまう。

 昼食は山中の朝鮮レストランへ。平壌館のように、北朝鮮のウエイトレスが食事の間に歌を歌うショウがついていました。アリランは朝鮮語「北国の春」「津軽海峡冬景色」などは日本語で歌ってくれました。日本人が半分中国人が半分の一行だったので、日本人向けサービスだったのでしょう。

 昼食後はお目当ての天池見物。果たして天池は見えるのか。雨はだいぶ小降りになり、ときどき日が差して、天気雨状態になります。
 山頂へは、ものすごいスピードでキキキキーッと車輪をきしらせてカーブを曲がって上っていくジープに乗ります。途中の下界を眺める景色はとても美しかったのですが、カーブで必死に車にしがみついていなければならず、写真どころではありませんでした。

 一番高い将軍峰は標高2744mですが、天池を眺める山頂は2700mくらい。そのうちのほとんどをジープで上ってしまうのです。登山客は残りの標高差数十mくらいを30分もかからずに上ってします。登山客というのに、サンダル履きの人もいて、最初は「中国人は登山をなめとんのか」と思っていましたが、なるほど、これなら日本の白山をサンダルで登る観光客と同じです。

 ちなみに、今回、私は新宿のスポーツ用品屋で、「自分へのご褒美」と思ってハイキングシューズを1万8千円で購入。これまで私の足に履いた一番高い靴で長白山へやってきた。うん、でもこれなら、サンダルでもよかったか。
 ジープで上る人のほか、歩いて上る人のための登山道を見かけましたが、ずっと階段。私は徒歩はご遠慮します。

 ジープが用意されているのは180元の入山料を確保する意味もあるでしょうが、観光客が勝手に山道を登らないための方策でしょう。13億人ジンミンどもをしっかりと管理してやるのが政府の方針ですから。自分たちで地図と磁石を広げて登山計画を練る、なんて自由はありません。

 昼ご飯を食べたレストランの北朝鮮ウエイトレスを見て、ツアー一行の中国人エライさんは、気の毒そうに「彼女たちには行動の自由がないのです。集団生活をして、常に監視されています」と説明していました。私から見ると、山に登るのもきっちり管理されているってのも、自由がないことのひとつだろうと思うのですが、岡目八目。きっと日本人の生活を外から見ている人は、「世間の思惑に常に気をつかって生活している日本人の人生は、自由がなくて気の毒」と、見えるのではないかと思います。世間の思惑など気にしないという人、ためしに、ご近所知り合いのお葬式に赤いパジャマを着て参列してください。他人の目にどう映るか、他人にどう評価されるかを常に気にしてい生きているのが日本人の人生です。

 「人生は重き荷を背負って山道を登るごとし」って徳川家康が言ったことばですが、長白山のところどころには「不登長白山終生遺憾。(長白山に登らないでいたら、一生残念に思い続けるだろう)」という小平の言が石碑になって建てられていました。彼は1983年に長白山に登り、それ以来、長白山は中国十大山岳に数えられ、観光開発が盛んになったのです。

<つづく>
06:47 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2009年09月05日


ニーハオ春庭「長白山天地」
2009/09/05
ニーハオ春庭クネンボ日記中国版>長白山ツアー (3)長白山天池

 天池が見えるはずの頂上に着くと、ものすごい風。尾根から吹き飛ばされそうになり、危険を感じた引率の若いテイロ先生は「すぐ下山しましょう」というのです。引率の先生には「一行を安全に誘導する」という責任がかかっているので、天池なんぞどうでもいいから安全に下山してほしいという気持ちだったのでしょうが、皆「一瞬でもいいから天池を見たい」と、強風のなか、霧の晴れ間を待っています。

 しばらく風に耐えていましたが、30分ほど粘ったのちあきらめて降りかかったら、ワーッという歓声が聞こえました。一瞬霧が途切れ、天池の湖面が見えたのです。私もあわてて尾根に戻り、また霧の切れ間があるかと待ちました。
 二度ほど霧が途切れて、ほんの5秒ずつほどですが、きらきらと波が輝く湖面が見えました。写真を撮ろうとして、レインコートの中からカメラを出している間に、すぐ霧が閉じてしまう。たった5秒でも、見えたのと「天池が全然見えなかった」のでは、せっかく登ってきた気持ちに大きな違いがあります。皆で「見えたねぇ」「よかったあ」と声かけあってジープ乗り場の山小屋まで下山しました。

 山小屋の前で、引率責任者の副校長の国愛先生が太極拳をして体をほぐしていました。私も24式太極拳を2年前に国愛先生に教えていただいたのを思い出して、先生のまねっこをして、いっしょに動きました。
 国愛先生は下山して市内のホテルにもどってから、留守役のもう一人のチョウ副校長に「二人して長白山の山頂で太極拳をしたんだ」と、おもしろそうに話していました。

 天地見物のあとは、「地底森林」「谷底森林」の見学。深い谷底まで原生森林が広がっています。きっちりと木道がしつらえてある森の中を、木の階段、石の階段を上ったり降りたりしながら、「谷底森林」をながめ、「白河(バイフゥァ)」を見たりしました。白河は、私にはどうということもない、ふつうの山中の急流です。日本の河はたいていこのような白い川波をたてて流れ落ちていく。しかし、大陸をゆったりと流れていく大河が川だと思っている中国の人にとって、このような白い川波を沸き立たせながら流れる急流は珍しく思うのか、皆、さかんに写真を撮っていました。
  
 ツアー同行者は、日本の大学を定年退職した老名誉教授とか、昨年まで東京にある在日本中国大使館の一等書記官だった女性がお孫さんを連れて来ているとか、老人子供を含む一行なので、ゆったりペースで行動できました。一日で歩いたのは合計しても6時間ほどで、それほど疲れはありませんでしたが、夜、ひまなので、足裏マッサージを部屋に呼んで揉んでもらいました。どうやら見よう見まねの素人のおばさんだったようで、足裏の壺はぜんぜん理解してなかった。マッサージおたくの妹なら怒り出すところですが、私は「肩揉みもサービスでしてくれたし、ま、いいか」と45分で60元という「観光地値段」を払いました。

 帰りは一日かけて、朝7時半に虎林山荘を出て500キロを走り、午後3時半にホテル着。ツアーの一行は続けて5つ星ホテルに宿泊しますが、私は4ヶ月半住んでいた大学外国人宿舎に移動。今までとは別の部屋ですが、台所と、六畳間くらいの広さのバスルーム、15畳くらいの書斎、12畳くらいの寝室です。5つ星もいいけれど、古い宿舎のほうが広くて居心地がよい。こちらに一週間宿泊しました。
 宿舎の近くの盲人按摩は60分20元(300円)で足ツボマッサージができますので、帰宅した後、按摩屋に出かけてまた揉んでもらいました。こちらはツボをぐいぐいで、かなり効いた。

 天地も見えて、楽しかった長白山ツアー。小平の言う「不登長白山終生遺憾。長白山に登らないでいたら、一生残念に思い続けるだろう。」にはならず、一生の満足になって、よかったよかった。

 本日還暦記念日なり。暦が一巡してかえり見れば、「一生の満足」と言えるかどうか。まあまあ、可もなし不可もなし。たいした人生ではなかったものの、不幸といえば人生後半にショーモナイ夫がひっついてしまったことくらいで、、、、天池を5秒間眺めることができたってところが、人生の成果なのでしょう。

<ニーハオ春庭 おわり>
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