2009/07/11
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(10)跳縄比賽(縄跳び大会)
先月末、6月29日月曜日、校内縄跳び大会が開催されました。2007年の綱引き大会では、私のクラスは0勝2敗で敗退しました。(負けたけれど、「残念賞パーティ」は盛大にやりました)
2009年の縄跳び大会では、ぜひ我がクラスが優勝してほしいと、学生たちの練習を見たり、教職員チーム対抗戦に出場すべく、自分でも縄跳びの練習をしました。
大縄の部は、チームは男女混合10人。二人が大縄を回し、8人が順々に縄に入って跳び、3分間に何回飛べたかを競います。短縄の部は、各クラス代表5名が、3分間に何回飛べたかを競います。
短縄跳びは、中国の「びっくり特技披露」の番組でも、ときどき出場者があるので、中国ではこの競技が盛んなのでしょう。
3分間に何回飛べるかが、大学入試の体力テストに出題されたこともあったそうです。せっかく学力試験に合格しても縄跳びの回数不足で入試に落ちたらしょうがないので、中国の高校生は縄跳びもしっかり練習しているとか。とにかく縄を回すスピードがものすごく、テレビのチャンピオンは3分間に300回近く跳んでいました。
我がクラスは「絶対に優勝したい」と、意気込み、縄跳び試合当日の10日くらい前から、連日猛練習が続けられました。日本の大縄跳びは、10人が同時に縄に入って何回飛べたかを競うのが多いですが、今回の縄跳び大会は、順々に縄に入るほう。
1位のクラスには300元、2位には200元、3位には100元の賞金が出るというので、どのクラスも昼休みや放課後に熱心に練習しました。
我がクラス「博士3班」の代表10人は、ものすごいスピードで回る大縄につぎつぎと入って行き、練習以上に順調に跳び続けました。しかし、3分間の後半では体力が落ち、何度か縄にひっかかりました。結果、3分間に268回跳んだ。しかし、我がクラスよりスピードがゆっくりだったために縄に引っかからずに順調に跳び続けた隣のクラス「博士2班」の280回に及ばず、3位でした。(2位は他コースのクラス)。
教職員の部では、日本人教師団、皆、日頃の運動不足にもかかわらずがんばって跳び、3分間に165回跳んで2位。1位は例年そうですが、事務職員チームでした。中国語先生チームや中国人日本語教師チームに勝ったので、2位でも大満足です。教職員の部2位の商品はシャンプーリンスセットでした。
個人の部、学生の部の優勝記録は、3分間に220回。私のクラスの学生は、170回台の記録で賞には入りませんでした。よく練習していてすごいスピードで縄を跳んでいたのですが、やはり「ひっかからないこと」が大事なようです。
私は個人短縄の部にエントリーしていなかったのですが、同僚の日本人教師が跳ぶというので、エントリー外の飛び入り参加。3分間に86回の記録。トホホ。3分のうち、後半の1分間は疲れて、何度も縄に引っかかったので、記録が伸びませんでした。同僚の20代男性バンブー先生は175回。若さには勝てません。
3分間縄を跳び続けるというのは、ものすごく疲れる運動だということがよくわかりました。縄跳びの縄がお手元にある方、ちょっと跳んでみて。3分間続けて跳んでみると、ボクサーがいかにも軽そうに縄跳びを練習に取り入れているのが、たいへんなことなのだとよくわかります。
ただ、言わせてもらえば。翌日、他の先生方はみな筋肉痛で、「足が痛い」と嘆いていたけれど、日頃ベリーダンスで足腰鍛えている私だけが、足が痛くならなかった。エヘン。
<つづく>
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2009年07月12日
ニーハオ春庭「縄跳び練習」
2009/07/12
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(11)作文「縄跳びの練習」
学生が、縄跳びについて書いた作文を紹介しましょう。「学習した文型を使って、文章を書いてみましょう」という宿題です。300字程度の短い作文の中に、既習の文型を折り込む。テーマは自由で、習った文型を使ってみることが目的です。長く書く学生もいるし、数行で終わる学生もいる。「中級日本語16課・練習と人生」という読解の課を学習したときの宿題だったので、「練習」をテーマにした学生が二人いました。
縄跳びは学生にとっても印象的なイベントだったようで、「~に限られる」「~できるだけ」「~というのは」「むしろ」「その上で」「べきだ」などの16課の既習文型や語句を上手に折り込んで文章をまとめていました。
日本語をアイウエオから習い始めて、まだ1年たっていないのですから、誤用はありますが、中国語では修士論文も書き上げてきた学生たちです。皆、既習文型や語句をうまく折り込んであると、感心しています。( )の中は添削前の誤用です。
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キョウレイリ「縄跳びの練習」
来週の月曜日は、大縄の試合がある。広報(広告)によると、団体試合のチームは10人に限られているそうだ。毎日の午後、私たちは練習している(する)。というのは、優秀賞を取りたいからだ(た)。訓練の中、ちょっとミスをしたくらいで、全員に(を)影響される。それから、スピードを上げると言うより、むしろミスを減らした方がいい。その上で(に)、相手の情報を集められれば(集められば)よい。学生は団体活動に(を)参加すべきだ(参加べきだ。)それは、貴重な体験になるだろう(珍しい体験だろう)。
ショウケン「縄跳び」
縄跳びはおもしろく、たいへんな(の)スポーツである。ちょっとしても疲れてしまう。わたしたちはクラスのために長い間練習した。きのう、晩ご飯が食べられなかった。というのは、疲れたからだ。しかし3クラスが勝つのを目標にもっと練習すべき(練習が要るべき)だ。(チームの参加者は)10人だけに限られているが(ために)、ほかの学生も(は)同様に練習したらいい。試合と言うより、むしろ、終了後のクラスパーティーのほうが楽しみに思われる。
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疲れすぎて、ご飯も食べられないほど練習した学生たち。本番では「鬼気迫る」というくらいのド迫力スピードで縄を回し、学生たちは必死に跳んでいました。あまりの真剣さに見ている方が涙が出てしまうくらい。
結果は、残念ながら優勝ではありませんでしたが、3位賞金の100元を元手に、大学近くのカラオケ店へクラス皆で繰り出しました。優勝300元を期待して予約したので、ちょっと予算不足。私が100元、ペアを組んでいる中国人日本語教師シャ先生が100元「3班はよくがんばったで賞」を拠出しました。
カラオケ店、最初は日本語の歌の出し方がわからず、とにかく日本語の歌なら何でもいいやと、出てきた『浪曲子守歌』とか『人生いろいろ』とか、日本では絶対にカラオケで選ばないという歌を歌ったあと、日本語曲の選び方がわかりました。『翼をください』とか『知床旅情』『北国の春』などの定番を数曲歌いました。使用してきた日本語教科書『実力日本語』に歌詞が紹介されている歌なので。
学生たちやシャ先生もノリノリでかわるがわるマイクを握りました。皆楽しそうに歌い、かつビールを飲み、6時からたちまち3時間たちました。私はシャ先生の車で宿舎まで送ってもらいましたが、学生たちは10時まで歌っていたそうです。
いつも私のクラスは、宿題をたっぷり出すので学生たちは毎晩フゥフゥいいながら宿題を仕上げるのですが、綱引き大会の日は、なぜか宿題がひとつもない日でしたから、夜遅くまで、学生たちは心ゆくまで熱唱したのでした。
ほんと、楽しい、縄跳び大会とカラオケパーティでした。
<つづく>
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2009年07月13日
ニーハオ春庭「総見授業参観」
2009/07/13
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(12)総見授業参観
縄跳び大会、優勝はできませんでしたが、私は、クラスの熱心な練習に対して、賞状を贈りました。賞状テンプレートを利用して、特別栄誉賞という賞状を作成し、クラスに掲示しました。
特別栄誉賞「あなた方は2009年縄跳び大会において日頃の成果を発揮され優秀な成績を収められました よってここにその栄誉をたたえこれを賞します 」
手作り賞状ですが、クラスの学生たちは喜んでくれました。
そして、「練習と人生」という読解教材の「シメのことば」として、学生たちに語りかけました。
「夕食が食べられなくなるほどの激しい練習を続けて、優勝できなかったら、その練習は無駄になったと言えますか。いいえ、これほどの激しい練習を、クラスが心をひとつにしてまとまって行えたということを、私は一生忘れないだろうと思います。このように集中して練習できる人たちは、これから先、博士論文を書くときも必ず集中できます。皆で練習した過程の思い出は、これからずっと心の中に宝物として残っていくでしょう。練習の成果は人生のなかに輝き続けると思います」
クラスの学生に話しかけながら、「おお、なんて教師っぽい人生訓を語っているんだろう、ワタシ」と、思ったのですが、ここで照れちゃいけません。たまには、このような教師っぽいことを語ってみるのもいいもんです。
しかも、この「学生への教師らしい語りかけ」は、クラスの学生のほか、校内の日本語教育教官室の中国人教師、総見の授業参観の場で行ったのでした。
以前に文科省の役人たちが授業参観を行った際、私のクラスも覗いていったのですが、そのとき、参観者たちが私の授業を絶賛したというので、副校長から「校内若手日本語教師たちの勉強のために模範授業をやってほしい」と、頼まれました。
最初は、「模範となることなどしていないので、いやだ」と思ったのですが、下手な授業であっても自分と違うクラスの授業を見ることは教師にとってよい経験になるし、反面教師としても、役立つのです。そして何よりも私自身の授業向上のために、よい機会です。そこで、「ただ見て終わりにするのでなく、必ず批判点を見つけ出して、参観した教師からレポートを提出してもらう」ということを条件に引き受けることにしました。
授業参観をしたら、「とてもよい授業でした」「すばらしい授業実践でした」というようなほめ言葉を受けることが多い。この模範授業の前に、日本語教師団ダンチョー先生に参観していただいがことがあるし、クラスの担任ペアのシャ先生、2007年のときペアを組んだリグン先生、それから、隣のクラスの中国人先生であるベテランのトウ先生が「ぜひ、授業を見たい」とのご希望だったので、それぞれに見ていただきました。個人参観でしたし、「よい授業でした」という感想をいただいて終わってしまったのですが、「中国人日本語教師総見」となると、特別なイベントですから、やるからには、こちらも得をしないと。
ころんでもタダでは起きない春庭ですから、「総見授業参観」という特別なイベントをやるなら、「私の授業をもっとよくするために、批判してくれるのでなければ、参観して欲しくない」くらいのことは言いたい。
参観の感想文を必ず書いてもらうこと、授業へのほめ言葉を一言書いたら、必ず二つ以上は批判点を記すという約束で、引き受けました。
<つづく>
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2009年07月14日
ニーハオ春庭「授業参観つかみ」
2009/07/14
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(13)授業参観つかみ
7月2日、学生たちは、午後の参観なのに朝から緊張して総見授業参観の日を迎えました。私は「失敗するところだめなところを見てもらうことも必要」と思っているのであまり緊張しませんでしたが、普段の「だめすぎる」授業よりはマシにしたいとは思っていました。何より、普段、学生たちが授業を楽しんでいる雰囲気を感じ取ってもらいたいと、教案を準備をしました。
私立大学で私が講じている「日本語教授法」を受講している日本人大学生には、「最初のうちは、教師の説明や発問、予想される学生の発言をすべてシナリオ形式で書きなさい。3年、同じ教材でこのシナリオを作ったら、あとは、メモ程度の教案でも授業ができる。もちろん、新しい教材を扱うときには、また新しい教案を書くんですよ」と、教えています。
私は1988年から日本語教育に携わってきましたが、いまだに「今日の授業は十分な展開ができた」と、満足できた日は少ない。特に今年は、教室のコンピュータ利用で、パワーポイント表示を中心に授業を進めているため、パワーポイント作成に追われ、肝心の読解や文型応用が十分にできていません。
文科省授業参観の時は絶賛だった、という私の授業に、もし見るべきところがあるとしたら、それは全部、優秀な2009年の学生たちのおかげです。
日本語教授法受講の日本人学生たちに、一番先に強調して講じることのひとつが、「学生と教師の間に、信頼関係を結び、かつ親密な感情を育てること」、教育心理学でいう「ラポール作り」です。
これがなければ、どんな高度な授業技術を行使したところで、学生の頭に教えたことが入っていきません。先生の話を聞こう、先生がいっしょうけんめい教えてくれることを、いっしょうけんめい覚えよう、このような学生の気持ちがあってこそ、授業が生き生きとしてきます。
1994年も、2007年も、「日本の大学で博士号を取るために留学する学生たち」は、とてもよい学生たちでしたが、2009年、今回の「博士3班」(クラスニックネームは「謝謝3班」)も、全員よい人柄で、クラスメンバー同士の仲がいい。いつもドジばかりの私の授業ですが、学生たちの協力のおかげで、順調に進んできました。
ドジの一番は、忘れ物が多いことです。いつも講師室でぎりぎりまでパワーポイントスライドを作っていて、「あ、授業が始まっちゃう」と、あわててパソコンをオフにするので、きちんと確認すればいいものを、毎回「あ、漢字テスト持ってくるのを忘れた」とか「聴解のCDがない」と、慌てることになるのです。
「練習と人生」は、「中級日本語」の後半にあたり、若者が努力や練習を好まなくなった風潮に対して、練習を軽くみることを戒める小泉信三のエッセイです。
90分授業を、「文型復習」「読解」「会話練習」3つの学習項目で構成しました。
授業参観、最初は、ウォーミングアップ。教師が短いトークをしたり、学習者に質問したりして、前回習ったことを確認します。総見授業参観は特別なイベントですから、トークも特別なものを用意しました。
まず、学生に質問をして、今日、昨日、明日の日付の確認。学生は「今日は、しちがつふつかです」「明日は、しちがつみっかです」上手に答えられました。
初級のころは、日付をいうのも「よんがつさんにち」になったり「ここのか」を言うのに、「しがつ、じうにち」「違いますよ、ジゥは中国語の9でしょう」、「あ、きゅうにち?くにち?」「ここのか、です」となったりしていたのですが、皆、日付や、他の数字を言うのも上手になっています。
<つづく>
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2009年07月15日
ニーハオ春庭「授業参観Q&A」
2009/07/15
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(14)授業参観・Q&A
授業参観、最初の教師トーク。
ふつか、みっか、よっか、みな「日」の意味の「カ」ということばがつきますね。でも、ついたちだけ、「か」がつきません。なぜでしょうか。と、質問を振りました。この質問は、実は学生向けではなく、中国人日本語教師向けなのです。一般の日本人より日本語について、文法や語彙をよく知っている中国人教師たちなので、ここはひとつ、「さすが日本人日本語教師は、日本語ネイティブスピーカーだけある」というところを見せてから授業を始めようという作戦です。
「参観の先生方、いかがですか、学生に教えてやっていただけませんか」という私の挑発に、声がないことを確認して、おもむろに、旧暦の月の満ち欠けから「ついたち」とは、新月が立つこと、「月立ち」である、というトリビアを紹介。学生たちは「へぇ!」と、おもしろがってくれました。
本当は、語源を知っている先生もいたのに遠慮して声をあげなかっただけなのでしょうが、一応、授業の「つかみ」はこれでOK。「つかみ」というのは、芸能界用語で、漫才やコントの最初の部分で行われるギャグなどのこと。客の気持ちをまず演者の発話に引き込むことを言います。学生たちは「へぇ、ついたちって、そういう意味だったのか」と、納得のようす。教師はいいよね。毎年同じネタで、学生の「へぇ!」を見ることができる。
つかみの次は、Q&Aの活動。教師の質問に学生が答えて、聞き取りができるかどうか、既習文型項目が定着しているかどうか、の確認をするのですが、参観用にちょっとアレンジしました。学生は後ろの参観者の方を向いて、プロジェクタースクリーンに映っている質問が見えないようにする。参観者の先生に、学生なまえカードを1枚ずつ引いてもらって、スクリーンの質問を読み上げたあと、学生の名前を呼んで答えさせる。
参観の先生が「毎日の授業が終わったあと、暇なときどんなことをしていますか」と質問。初っぱな、名前カードは、班長(クラス委員長)のキンセイさんにあたりました。キンセイさは、「スポーツをしたり、専門の勉強をしています」と、答えました。
お、うまく、「~たり~たり」の文型が使えたぞ。と安心していたら、参観者から「あなたの専門は何ですか」と、予想外の質問。キンセイさん「私の専門は、どもくこうがくです」。どもく、じゃない、どぼくこうがく、って、何度も発音を直してきたのに、緊張しているせいか、土木工学が、どもくこうがくになっちゃった。私が、「キンセイさんの修士の専門は土木工学で、博士の研究テーマはナノテクノロジーでしたよね。どぼくこうがく、キンセイさん、もう一度言ってください」「ドボクコウガク」「はい、よく言えました」と、フォローしてカバー。
「仮に宝くじがあたって、1千万あったら、何をしますか」の質問、「仮に~たら」の文型が聞き取れて理解できているかチェックするための質問です。文科省視察団の授業参観のとき、「日本はアジアのニシにあります」と答えてクラスの爆笑をとったゴタンさんにあたりました。「りょこうします」とか「家を建てたいです」って答えればいいんだよ、とゴタンさんに念力を送りましたが、通じなかった。
ゴタンさんの答え「いちまん、いちまん、、、えぇ、私の専門は医学です。医学の専門書は高いから、専門の本を買いたいです」と答えました。私が「うん、1千万円あったら、一冊1万円の専門書でも千冊買えるね」と、フォロー。参観者には、ゴタンさんが「1千万円」の聞き取りを間違えて、「1万円」と思って答えたことには気づかれなかったでしょうか。それともみえみえでバレてた?
<つづく>
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2009年07月16日
ニーハオ春庭「授業参観・読解」
2009/07/16
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(15)授業参観・読解
参観の先生からの質問のつづき。
「今、一番大切なこと、大切なものは何ですか」の質問は、コウキさんに当たりました。私が「コウキさんにとって一番大切ことは、もちろん、隣のクラスにいる恋人でしょう」と、チャチャを入れても、コウキさんはまじめに「今、一番大切なことは日本語の勉強です。日本に留学するために、一生懸命日本語を勉強しています」と、答えました。まじめに答えた、というより、緊張のあまり私のチャチャなどまったく耳に入っていなかったのかもしれません。
Q&Aのあとは、ロールプレイ、会話役割練習です。
「日本で、国際交流パーティに参加し、初めてあった人と円滑に会話して交流を深める」という課題で、自己紹介や趣味、出身地など、互いに情報を交換して会話を盛り上げる、という状況を設定しての自由会話です。
参観の先生の役割は「国際交流に興味を持ってパーティに参加した日本人」、学生の役割は「初めて日本の国際交流パーティに参加した留学生」
参観の先生が名前カードをよび、その学生と会話してもらいます。先生10人ほどに協力してもらって、5分ほど教室は「国際交流パーティ会場」になりました。
最後に2ペアにロールプレイを発表してもらって、会話役割練習はおわり。
会話役割練習の次は、メインの読解授業です。先生方は、私がどのように授業スライドを作っているのか、ということが知りたくて参観しているので、まずはスライド紹介として、「練習と人生」のパワーポイントスライドを使って、音読の復習。スライドに1枚に本文を一文ずつ書き入れ、読解を助ける写真を入れてあります。
小泉信三のエッセイ『練習と人生』の最初の部分に、空を飛ぶことへのあこがれが、飛行機の発明に至ったこと、飛行機ができても、操縦の訓練を受けて練習を積まなければ空を一人では飛べないことや宇宙飛行士の訓練について書かれています。
教科書付属スライド教材として既存のレオナルド・ダ・ビンチの「空飛ぶ機械の設計図」やライト兄弟の飛行機の写真に加えて、私は、備前屋・浮田幸吉を紹介しました。幸吉は、江戸時代に大凧をつけて空を飛んだ人物です。1849年のジョージ・ケイリーのグライダーによる有人滑空実験よりも60年以上早かったけれど、ほめられるどころか、「世間を騒がせた罪」で岡山藩主から罰を受けてしまった。
新しいことをしたり、発明したりするためには、世間から理解されずに非難を受けたりすることもあるけれど、人間のあくなき探求心が科学を進展させてきたのだ、と、教師らしい解説を加え、飯嶋和一の著作『始祖鳥記』を紹介して、前回の授業を終えています。
「文型や読解の授業のみで、日本の歴史や文化紹介の時間が設定されていないときでも、できる限り文型授業の合間に日本の文化を紹介する時間を数分でもよいからとる」というのが、私の現在の授業テーマです。
学生たちが、「備前屋幸吉」の名前を覚えることが目的ではなく、飛行機を発明したのはライト兄弟だとされているけれど、大昔から空を飛びたいと願った人はおり、夢の実現のために努力した人は大勢いること、幸吉のように罰を受けてさえ、空を飛ぶ夢を追いかけた人もいた、ということを理解してほしかった。
<つづく>
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2009年07月17日
ニーハオ春庭「授業参観・スライド画像利用の読解授業」
2009/07/17
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(16)授業参観・スライド画像利用の読解授業
小泉信三のエッセイ、練習によって恐怖を克服する例として、「10メートルの台からの高飛び込み」をあげています。
私は中国高飛び込みで最も有名な郭晶晶(グオ・チンチン)の飛び込み写真を数枚紹介したあと、数年前の深夜番組「Qさま」のチキンレースの写真を見せました。10メートルの台にいきなり連れてこられた芸人が、最後に意を決してプールに飛び込むまで、何分間怖がったか、その過程を撮影しておもしろがる、という番組でした。我が家はこのチキンレースが大好きで、娘と息子が見ていました。何度かゴールデンアワーで特集を組んだときに私も見ていました。
こんなところで、お笑いテレビ番組が役立つとは思ってもみませんでしたが、教師の袋は何でも袋。何でも知って何でも放り込んでおく袋、授業で大いに役立ちます。
本当は、ユーチューブで録画投稿されている「怖がる過程」を見せたかったのですが、中国では3月にユーチューブがネットで閲覧禁止措置になって以来、未だに回復していません。グーグルが閲覧禁止になったときは、すぐに問題のページを削除したらしく、ほどなく閲覧できるようになったのですが、ユーチューブは回復しません。
でも、ネットから数枚の「10メートルの高飛び込み台の上に立って怖がっている」写真を拾うことができました。3階か4階くらいの高さの台と下のプールが写っている写真だけでも、学生には高飛び込み台の高さが視覚的に理解でき、「飛び込みは高さ10メートルの所から行うものである。初めてこの台に立った者はだれでも、恐れずにはいられないだろう。」と書いてある小泉信三の文を実感することができました。
読解について、考え方がふたつあります。文字で書かれた文章をできる限り文字のままに読み込ませ、想像によって理解させていく、と言う方法。もう一つは、画像やグラフなどを補助手段として、学生の理解を助けていくものを提出する、と言う方法。画像映像ですべて示してしまったら、想像の余地がなくなる、という意見もあります。
しかし、現在の私は、「日本の歴史や文化」などの紹介を兼ねて、画像で示したほうが理解が早いというものについては、できる限り画像で紹介する、という方針をとっています。日本人の衣服を紹介する読解では、「十二単」を紹介しました。結婚式のっとき着用される十二単の写真を見せたり、『源氏物語絵巻』『紫式部日記絵巻』などの写真を見せて、日本の文化を紹介するのです。
「十二単って、どんな衣装だと思いますか」と質問して想像させたあと、文字や言葉であれこれ説明するより、画像で理解させる、というやり方なので、「文字によって想像させて理解させる」という教育方針の方には反対されるかもしれません。もちろん文によって理解する、ということをおろそかにしてはいませんが、私の方針は、画像によって理解できることは絵柄で示してよい、というものです。
「いろり」「ランプ」「日本家屋」「和室」「和食」などは、どんどん映像を使って紹介してきました。また、「明治時代の高等教育の普及率は低かった」ということを理解させるためには、あれこれ数字で説明するより、進学率のグラフを示す、日本の食品自給率を理解させるために、食品の輸入率をグラフで示す。写真やグラフを効果的に利用することは、「文字による理解」を確実にするために、決して無駄にはならないと思っています。
<つづく>
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2009年07月18日
ニーハオ春庭「授業参観・短文作り」
2009/07/18
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(16)授業参観・短文作り
学生たちも、私のパワーポイントスライド紹介を楽しみにしていたし、授業参観の先生たちにも、どのような観点でスライドを準備していくか、ということの参考にはなったと思います。
小泉信三が「恐れにひるまないということは、立派な人間の美徳である」と書いている文を理解させるのにあたって、「恐れにひるむ」とはどんなことか、百万言費やしても言葉だけで理解させるのは難しい。
10メートルの飛び込み台の高さを実感できる写真を見せて、「台から飛び降りなさいと言われたら、恐ろしいですね。あなたは恐れにひるみますか、ひるまないですか」と発問して考えさせる。郭晶晶の美しい飛び込みフォームの写真を見せて、「彼女は10メートルの高さでも、恐れにひるまない。練習を続けてきた人は、どんな困難にあっても、恐れにひるまない。最終試験は難しそうですね。心配ですか。恐れにひるんでいますか」と質問し、「日本語の練習をつづけていけば、どんな難しい試験でも、恐れにひるむことはないですよ」と、言えば、学生は「おそれにひるむ」ことがどんなことか理解する。
「怯む」という日本語の訳語として「害怕」があてられることがあるけれど、「怯む」のニュアンスは、「害怕」とは異なる。中国語の「害怕」は、「恐れる」の訳語としては適切ですが、「恐れにひるむ」というニュアンスとは違っています。中国語でぴったりの訳語がなく、言い表すことが難しい。日本語で「こわいと感じ、何かをしようという気持ちが弱くなること」と、直接法で説明しても、その怖さを学生に実感させることは難しい。「LL教室は4階にありますね。そこから下に飛び降りると想像してください。下にはプールがあって、水がありますから、飛び降りても死ぬことはありません。はい、飛び込みましょう。どうですか、やはり、恐いですね。恐さにひるんでしまいます」
小泉信三は、練習こそが人間の肉体的精神的能力を高めるものであり、忍耐と努力を要する「練習」は、民族の将来のために必要だと結論しています。
自分の将来のため、ひいては祖国の将来のために今必死で日本語学習の練習を続け、忍耐と努力を忘れていない学生たちにとって、この小泉信三の「練習と努力」も、心に残る文章であったと思います。
前半の12課までの読解学習を終えた時点でのアンケート調査で、「一番印象に残った文章」をたずねたところ、学生たちの一番人気は「野口英世」の伝記でした。
私は、野口シカの英世にあてた手紙が大好きなので、教科書には載っていないシカの手紙を紹介し、「皆さんのお母さんも、きっとシカと同じように、我が子がいっしょうけんめい研究を続けることを願い、博士号をとることを願っていることでしょう」と言うと、深くうなずいていました。だから、野口英世の伝記、身にしみて心に残ったのだと思います。
参観授業は、読解Q&A、文章内容についての質疑応答をしたあと、文型復習。学生が既習文型をつかって、文を創出できるかどうか、文を作らせました。
「~のみならず」「~傾向がある」「~というものは、~ものだ」「~せずにはいられない「~はずがない」「~と同時に」などのフレーズを使って、短い文を作らせてみる。
口頭で耳で理解させるべきだという批判がでるのを承知で、私は学生が口頭発表した文をワープロでパワーポイントスライドに書きこんでいきました。
学生がクラスメートの言った文を耳で聞いて理解することも大事ですが、文字で再確認することも決して無駄ではないと、私は思っているので、板書のかわりにワープロ筆記しています。字を書くのが嫌いな私、授業でワープロが使えるようになって、ほんとに助かります。
<つづく>
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2009年07月19日
ニーハオ春庭「授業参観・誉める教授法」
2009/07/19
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(17)授業参観・誉める教授法
授業参観後半終わり近くでは、「練習した人たちと練習しなかった人たち」というテーマで、縄跳び大会のビデオを2~3分見ました。
練習を重ねたチームとは、我がクラス3班。すごいスピードで縄を回し、上手に跳んでいます。練習をしていなかった人たちとは、日本人教師チーム。ダンチョー先生は何度か縄にひっかかりました。
予想外のビデオ視聴に学生も喜んで見ていました。
参観後の「授業を批判する」というミーティングでは、「先生は、会話授業や短文発表のとき、学生がアクセントや発音を間違えても訂正しなかった」という批判点がでました。「学生発言の発音などをその場で訂正させる」という意見に対して、私の考えも述べました。
実際の会話では、意味が通じれば、「雨」と「飴」のアクセントの違いは問題にならない。「飴が降ってきた」と言っても、だれも空からキャンディが降ってきたとは思わないからです。「病院に行く」「美容院に行く」は、聞き取りを間違えると会話が通じなくなるので、注意するけれど、実際の会話では、京都大学や大阪大学に留学する人たちに標準語の「春」「秋」「夏」「冬」のアクセントを厳しく修正させたところで、関西では標準語とまったく逆のアクセントになっているのです。標準語のアクセントをきちんと覚える必要があるのは、日本語教育能力試験にアクセント問題が出題される日本語教師志望者であって、留学生ではない。
だから、初級の時代に「日本語には高低アクセントで意味を区別する語もある」ということさえ理解していれば、よい。たとえば食卓で「すみません、橋をとってください」と発言したとき、誤解を受けることはない。聞いた人は「橋」ではなく、「箸」をとって渡してくれるだろう。日本で実際に生活していく中で、「箸」と「橋」の意味が異なり、文脈によっては意味が通じなくなることを実感すれば自然と矯正されます。『中級日本語』は語彙項目と文型項目が膨大であり、短時間に詰め込まなければ2級試験に合格できないので、発音矯正を今の時点で細かくやる余裕はない、という「その場で発音修正しない理由」を述べました。
中級会話授業では、こまかい発音訂正は、メモをしておいて、会話が終わったあとすればよいと思う。その場その場でいちいち訂正していては、会話の流れが滞り、学生の「発言したい」という意欲をそぐことになりかねない、と私は考えています。
参観者には私と違う方針の方もいらっしゃるとは思いますが、私は私の方針を述べました。
発音指導観の違いは、リピート練習が主体で、初級日本語指導において発音指導を徹底している中国人の先生と、後半の応用練習が中心で「とにかく積極的に自分から話させること」を目標にしている日本人教師の違いであるかもしれません。
普段の授業でも、学生は漢字書きとりで全問正解だったり、ディクテーションで全問正解のとき、「よくできました」と私が書き込むと、とてもうれしがるのです。書き入れを忘れると「先生、わたしのテストに、よくできました、がありません。わたしは、悪くできました、ですか」と、冗談を言ったりします。私は「教育の要」は「ほめること」であると思っています。間違ったところを厳しく指導するより、良かった点をほめていけば、そのうち自然と間違ったところも矯正される場合が多い。
「教師の仕事とは、よい点を誉めること。前にはできなかったことができるようになったことを共に喜ぶこと」これが私の「日本語教授法」のコツ。
<つづく>
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2009年07月20日
ニーハオ春庭「授業参観のごほうび」
2009/07/20
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(18)授業参観のごほうび
授業参観は、学生たちにとってやはり緊張するものです。私としては、できる限り学生が何らかの発言したらほめてやり、発言の訂正などは、参観の場で行うのではなく、のちほど自分たちの授業の中で行えばいい、と考えました。参観者の前で「間違っている」と、なおされるより、「よい、文が作れました」とほめられたほうが、ただでさえ緊張している学生にとって、負担が少ないからです。
他のクラスでは、1度も誰からも授業参観がなかったクラスが2クラス。文科省が10分ほど覗いていったクラスが2クラス。私のクラスだけが、文科省視察団の参観のほか、日本人教師団ダンチョー先生の参観、中国人日本語教師の授業参観が2度、中国人日本語教師の総見参観1度、他の大学の先生たち4人の参観、都合6回も授業参観を行いました。
授業参観のまえに、うまく答えられるよう「予行練習」をさせる先生もいますが、私は普段のままで、間違ったら間違ってでいいや、と言う考え。縄跳びの「特別栄誉賞」の授与を参観の場で行うというのもサプライズ企画で、学生たちは知らされていなかったので、手作り賞状をもらって、とても喜んでいました。
だだし、「賞状の受け取り方」というのは、前に「卒業式」の話題でふれたことがありました。「練習と人生」読解のなかで、日本では卒業式の練習を何度も繰り返し、予行練習を行って式が滞りなく進むようにお辞儀の練習や賞状受け取り方の練習をする、と話し、日本と中国の違いについての話題が出ました。学生たち、中国ではそのような賞状受け取りの練習はしない、と言うので、賞状はこういう具合にもらうのだよ、と、実演して見せたのです。
私からの賞状授与では、班長のキンセイさんが上手に受け取りをして、拍手喝采でした。
総見授業参観が、なごやかに終了できたのも、学生たちが緊張しながらもいっしょうけんめい答えていたおかげ。私から学生にごほうびをあげることにしました。
ごほうびは「浴衣姿の写真」のプレゼント。
学内の他コースの先生が保有している浴衣を借りて、クラスの学生たちに着付けをしてやり、浴衣姿の写真撮影大会をやる、というクラスイベントを開催したのです。
私は、娘の浴衣着付けをしたとき文庫帯の結び方を練習したのですが、忘れているので、もういちどネットの「帯結び」のサイトを開いて復習。だいたい思い出しました。
着物は、女物の単衣の着物が3枚、黄八丈や花柄です。浴衣は女物が4枚、男物が1枚だけ。これは、和服を着たがるのは、女子学生が多いので、女物のほうが多く集められてきたからでしょう。
実は、「浴衣で写真撮影」は、生け花教室の次の「日本文化体験教室」として、5クラス共通のイベントとして予定されていたのですが、諸般の都合により、5クラス全体ではしないことになってしまいました。
だから、私のクラスだけ浴衣を着て写真をとったら、他のクラスから不平が出るところでした。
でも、「参観授業を何度もしたごほうび」ということにすれば、他のクラスは参観授業を実施していませんから、あきらめてもらえます。
クラスの学生には、「他のクラスが、3班だけ浴衣着付けをしてもらって、ずるい」と言い出したら、「3班は授業参観をしたから、そのごほうびなのだ、と説明しておきなさい」と、言い含めておきました。
<つづく>
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2009年07月21日
ニーハオ春庭「浴衣姿の撮影大会」
2009/07/21
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(19)浴衣姿の撮影大会
我がクラスは、女性が9人、男性8人。男性は、女物を流用したり、男物浴衣を交代で着ることにして、浴衣着付け教室を行いました。浴衣の枚数が足りないので、3回に分けて実施。
第1回目は、男性3人、女性5人が参加。私が文庫帯をふたりの女性に結び、あとは、付け帯です。一番人気は付け帯のお太鼓帯でしたが、じゃんけんで勝った人から好きな着物を選び、負けた人から帯と下駄草履を好きな順に選ぶと言う方法で、まずそれぞれの着物と帯を選びました。
第1回目のときは、私がひとりで文庫帯を結んだので男性にまで手が回らず、男物浴衣は自分で帯を締めさせたところ、心配したとおりに胸高に締めて、「ツンツルテンに胸高帯」で、見事に「天才バカボン」になっていました。
2回目3回目は、「帯はズボンのベルトの下に締めること」を徹底して、なんとか見られる姿になりました。
1回目、ひとりで着付けをしたら、大変でした。それで、他学校の先生から授業参観希望を伝えられたとき、授業参観の一環として「学生と会話しながら、浴衣の着付けを手伝う」ことを条件に参観希望に応じることにしました。2回目は、短時間に着付けが終了し、たっぷり写真をとることができました。参観の先生方ともいっしょに写真をとり、よい記念になりました。
浴衣は、本当は裸の上に直接着るのだ、湯上がりの衣装だった、という解説は事前にしてありましたが、1回ごとにクリーニングに出す予算がないので、Tシャツの上に羽織ることにしました。
浴衣はまだしも、ウール黄八丈などは、Tシャツの上に着ると、7月の気温で、かなり暑い。しかも、日頃なれない帯をぎゅっと締めた女子学生は「毎日着るならたいへんだ」と言いましたが、互いに写真を取り合って、「きれいね」「日本女性みたい」とほめ合って、大喜びでした。
男性組も、腕組みをしてポーズとるやら、恋人同士が並んでラブラブ写真を撮るやら、楽しそう。
他のクラスからのぞきに着た学生もいっしょに撮影していました。他クラスの女性陣はちょっとうらやましそうです。
3回目は、「女物でも写真にとってしまえば、男物の浴衣とたいした違いはない」ということで、残った男性たちの和服撮影大会。実際、男物の浴衣も、平均身長180センチの我がクラスの男性陣にはツンツルテンです。女物でも、着流しにすれば、膝の少し下くらいの長さには達する。ゆきが短いので、袖は肘が出るけれど、写真は、膝から上だけを撮影すれば、ツンツルテンはごまかせる。
<つづく>
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2009年07月22日
ニーハオ「浴衣姿の感想」
2009/07/22
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(20)浴衣姿の感想
ブログのニックネームを「白ちゃん」にして、3月から日本語ブログ」を書いてきた我がクラスの男子学生の日記を紹介します。
彼はとても穏やかなやさしい性格で、他の女子学生のスピーチコメントにも「いつもやさしいエンテイさん、大好きです」と書かれていました。
女性にもてそうですが、親友レイトウさんの短作文によると「エンテイさんはチャイなので、女性と話そうとすると、すぐ真っ赤になってしまう」そうです。うん?チャイナので?中国人はすぐ真っ赤になるのか、と思いきや、「彼はシャイなので」と表現したかったのです。「~ようとすると」「~そうとすると」という文型の練習文としてレイトウさんが作った文でした。
レイトウさんとエンテイさんは、クラスのなかで、「まだ恋人がいない男性3人」のうちのふたりです。
ブログのなかでは、私のことを本名で呼ばず、春庭かHAL先生と書いておいてね、と話したので、彼のブログで、私は「春庭先生」で登場しています。
エンテイさんの日本語ブログ、誤用はありますが、私は「書き続けるうち必ず上手になるから、初期の間違った文を直さない方がいいですよ。そのうち、だんだん上手になったとき、最初はこのように間違えていた、ということがわかったほうがいいから」とアドバイスしました。
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7月8日
昨日、授業が終わった(あと)、春庭先生は六つの着物を持って来ました。着物の中で、五つのが女の着物、一つしか男の着物ではない。
着物は日本の伝統の服だ。現在、正月や成人式、結婚式など特別な時に着物を着る。私たちは初め(て)この着物を着る。
男の着物を(の)着方が簡単(だ)が、女のが複雑だ。春庭先生は優しいので、私たちを助けた。着物を着終わったとき、私たちのイメージが完全(に)変わった。また、私たちは先生と一緒に写真を撮った。この写真を見るのを楽しみにしている。
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着物を着たあとでは、鏡に映る自分のイメージが完全に変わって「日本人のよう」になったことを、かわるがわる写真を取り合って楽しんでいました。
私のブログコメント
「白ちゃんは背が高いので、着物のサイズが少し小さかったことはちょっと残念でしたが、白ちゃんの着物姿は、とてもカッコよく、男前でした。教室のコンピュータに着物の写真が入っています。USBを持ってきて、コピーしてください。」
<つづく>
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(10)跳縄比賽(縄跳び大会)
先月末、6月29日月曜日、校内縄跳び大会が開催されました。2007年の綱引き大会では、私のクラスは0勝2敗で敗退しました。(負けたけれど、「残念賞パーティ」は盛大にやりました)
2009年の縄跳び大会では、ぜひ我がクラスが優勝してほしいと、学生たちの練習を見たり、教職員チーム対抗戦に出場すべく、自分でも縄跳びの練習をしました。
大縄の部は、チームは男女混合10人。二人が大縄を回し、8人が順々に縄に入って跳び、3分間に何回飛べたかを競います。短縄の部は、各クラス代表5名が、3分間に何回飛べたかを競います。
短縄跳びは、中国の「びっくり特技披露」の番組でも、ときどき出場者があるので、中国ではこの競技が盛んなのでしょう。
3分間に何回飛べるかが、大学入試の体力テストに出題されたこともあったそうです。せっかく学力試験に合格しても縄跳びの回数不足で入試に落ちたらしょうがないので、中国の高校生は縄跳びもしっかり練習しているとか。とにかく縄を回すスピードがものすごく、テレビのチャンピオンは3分間に300回近く跳んでいました。
我がクラスは「絶対に優勝したい」と、意気込み、縄跳び試合当日の10日くらい前から、連日猛練習が続けられました。日本の大縄跳びは、10人が同時に縄に入って何回飛べたかを競うのが多いですが、今回の縄跳び大会は、順々に縄に入るほう。
1位のクラスには300元、2位には200元、3位には100元の賞金が出るというので、どのクラスも昼休みや放課後に熱心に練習しました。
我がクラス「博士3班」の代表10人は、ものすごいスピードで回る大縄につぎつぎと入って行き、練習以上に順調に跳び続けました。しかし、3分間の後半では体力が落ち、何度か縄にひっかかりました。結果、3分間に268回跳んだ。しかし、我がクラスよりスピードがゆっくりだったために縄に引っかからずに順調に跳び続けた隣のクラス「博士2班」の280回に及ばず、3位でした。(2位は他コースのクラス)。
教職員の部では、日本人教師団、皆、日頃の運動不足にもかかわらずがんばって跳び、3分間に165回跳んで2位。1位は例年そうですが、事務職員チームでした。中国語先生チームや中国人日本語教師チームに勝ったので、2位でも大満足です。教職員の部2位の商品はシャンプーリンスセットでした。
個人の部、学生の部の優勝記録は、3分間に220回。私のクラスの学生は、170回台の記録で賞には入りませんでした。よく練習していてすごいスピードで縄を跳んでいたのですが、やはり「ひっかからないこと」が大事なようです。
私は個人短縄の部にエントリーしていなかったのですが、同僚の日本人教師が跳ぶというので、エントリー外の飛び入り参加。3分間に86回の記録。トホホ。3分のうち、後半の1分間は疲れて、何度も縄に引っかかったので、記録が伸びませんでした。同僚の20代男性バンブー先生は175回。若さには勝てません。
3分間縄を跳び続けるというのは、ものすごく疲れる運動だということがよくわかりました。縄跳びの縄がお手元にある方、ちょっと跳んでみて。3分間続けて跳んでみると、ボクサーがいかにも軽そうに縄跳びを練習に取り入れているのが、たいへんなことなのだとよくわかります。
ただ、言わせてもらえば。翌日、他の先生方はみな筋肉痛で、「足が痛い」と嘆いていたけれど、日頃ベリーダンスで足腰鍛えている私だけが、足が痛くならなかった。エヘン。
<つづく>
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2009年07月12日
ニーハオ春庭「縄跳び練習」
2009/07/12
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(11)作文「縄跳びの練習」
学生が、縄跳びについて書いた作文を紹介しましょう。「学習した文型を使って、文章を書いてみましょう」という宿題です。300字程度の短い作文の中に、既習の文型を折り込む。テーマは自由で、習った文型を使ってみることが目的です。長く書く学生もいるし、数行で終わる学生もいる。「中級日本語16課・練習と人生」という読解の課を学習したときの宿題だったので、「練習」をテーマにした学生が二人いました。
縄跳びは学生にとっても印象的なイベントだったようで、「~に限られる」「~できるだけ」「~というのは」「むしろ」「その上で」「べきだ」などの16課の既習文型や語句を上手に折り込んで文章をまとめていました。
日本語をアイウエオから習い始めて、まだ1年たっていないのですから、誤用はありますが、中国語では修士論文も書き上げてきた学生たちです。皆、既習文型や語句をうまく折り込んであると、感心しています。( )の中は添削前の誤用です。
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キョウレイリ「縄跳びの練習」
来週の月曜日は、大縄の試合がある。広報(広告)によると、団体試合のチームは10人に限られているそうだ。毎日の午後、私たちは練習している(する)。というのは、優秀賞を取りたいからだ(た)。訓練の中、ちょっとミスをしたくらいで、全員に(を)影響される。それから、スピードを上げると言うより、むしろミスを減らした方がいい。その上で(に)、相手の情報を集められれば(集められば)よい。学生は団体活動に(を)参加すべきだ(参加べきだ。)それは、貴重な体験になるだろう(珍しい体験だろう)。
ショウケン「縄跳び」
縄跳びはおもしろく、たいへんな(の)スポーツである。ちょっとしても疲れてしまう。わたしたちはクラスのために長い間練習した。きのう、晩ご飯が食べられなかった。というのは、疲れたからだ。しかし3クラスが勝つのを目標にもっと練習すべき(練習が要るべき)だ。(チームの参加者は)10人だけに限られているが(ために)、ほかの学生も(は)同様に練習したらいい。試合と言うより、むしろ、終了後のクラスパーティーのほうが楽しみに思われる。
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疲れすぎて、ご飯も食べられないほど練習した学生たち。本番では「鬼気迫る」というくらいのド迫力スピードで縄を回し、学生たちは必死に跳んでいました。あまりの真剣さに見ている方が涙が出てしまうくらい。
結果は、残念ながら優勝ではありませんでしたが、3位賞金の100元を元手に、大学近くのカラオケ店へクラス皆で繰り出しました。優勝300元を期待して予約したので、ちょっと予算不足。私が100元、ペアを組んでいる中国人日本語教師シャ先生が100元「3班はよくがんばったで賞」を拠出しました。
カラオケ店、最初は日本語の歌の出し方がわからず、とにかく日本語の歌なら何でもいいやと、出てきた『浪曲子守歌』とか『人生いろいろ』とか、日本では絶対にカラオケで選ばないという歌を歌ったあと、日本語曲の選び方がわかりました。『翼をください』とか『知床旅情』『北国の春』などの定番を数曲歌いました。使用してきた日本語教科書『実力日本語』に歌詞が紹介されている歌なので。
学生たちやシャ先生もノリノリでかわるがわるマイクを握りました。皆楽しそうに歌い、かつビールを飲み、6時からたちまち3時間たちました。私はシャ先生の車で宿舎まで送ってもらいましたが、学生たちは10時まで歌っていたそうです。
いつも私のクラスは、宿題をたっぷり出すので学生たちは毎晩フゥフゥいいながら宿題を仕上げるのですが、綱引き大会の日は、なぜか宿題がひとつもない日でしたから、夜遅くまで、学生たちは心ゆくまで熱唱したのでした。
ほんと、楽しい、縄跳び大会とカラオケパーティでした。
<つづく>
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2009年07月13日
ニーハオ春庭「総見授業参観」
2009/07/13
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(12)総見授業参観
縄跳び大会、優勝はできませんでしたが、私は、クラスの熱心な練習に対して、賞状を贈りました。賞状テンプレートを利用して、特別栄誉賞という賞状を作成し、クラスに掲示しました。
特別栄誉賞「あなた方は2009年縄跳び大会において日頃の成果を発揮され優秀な成績を収められました よってここにその栄誉をたたえこれを賞します 」
手作り賞状ですが、クラスの学生たちは喜んでくれました。
そして、「練習と人生」という読解教材の「シメのことば」として、学生たちに語りかけました。
「夕食が食べられなくなるほどの激しい練習を続けて、優勝できなかったら、その練習は無駄になったと言えますか。いいえ、これほどの激しい練習を、クラスが心をひとつにしてまとまって行えたということを、私は一生忘れないだろうと思います。このように集中して練習できる人たちは、これから先、博士論文を書くときも必ず集中できます。皆で練習した過程の思い出は、これからずっと心の中に宝物として残っていくでしょう。練習の成果は人生のなかに輝き続けると思います」
クラスの学生に話しかけながら、「おお、なんて教師っぽい人生訓を語っているんだろう、ワタシ」と、思ったのですが、ここで照れちゃいけません。たまには、このような教師っぽいことを語ってみるのもいいもんです。
しかも、この「学生への教師らしい語りかけ」は、クラスの学生のほか、校内の日本語教育教官室の中国人教師、総見の授業参観の場で行ったのでした。
以前に文科省の役人たちが授業参観を行った際、私のクラスも覗いていったのですが、そのとき、参観者たちが私の授業を絶賛したというので、副校長から「校内若手日本語教師たちの勉強のために模範授業をやってほしい」と、頼まれました。
最初は、「模範となることなどしていないので、いやだ」と思ったのですが、下手な授業であっても自分と違うクラスの授業を見ることは教師にとってよい経験になるし、反面教師としても、役立つのです。そして何よりも私自身の授業向上のために、よい機会です。そこで、「ただ見て終わりにするのでなく、必ず批判点を見つけ出して、参観した教師からレポートを提出してもらう」ということを条件に引き受けることにしました。
授業参観をしたら、「とてもよい授業でした」「すばらしい授業実践でした」というようなほめ言葉を受けることが多い。この模範授業の前に、日本語教師団ダンチョー先生に参観していただいがことがあるし、クラスの担任ペアのシャ先生、2007年のときペアを組んだリグン先生、それから、隣のクラスの中国人先生であるベテランのトウ先生が「ぜひ、授業を見たい」とのご希望だったので、それぞれに見ていただきました。個人参観でしたし、「よい授業でした」という感想をいただいて終わってしまったのですが、「中国人日本語教師総見」となると、特別なイベントですから、やるからには、こちらも得をしないと。
ころんでもタダでは起きない春庭ですから、「総見授業参観」という特別なイベントをやるなら、「私の授業をもっとよくするために、批判してくれるのでなければ、参観して欲しくない」くらいのことは言いたい。
参観の感想文を必ず書いてもらうこと、授業へのほめ言葉を一言書いたら、必ず二つ以上は批判点を記すという約束で、引き受けました。
<つづく>
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2009年07月14日
ニーハオ春庭「授業参観つかみ」
2009/07/14
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(13)授業参観つかみ
7月2日、学生たちは、午後の参観なのに朝から緊張して総見授業参観の日を迎えました。私は「失敗するところだめなところを見てもらうことも必要」と思っているのであまり緊張しませんでしたが、普段の「だめすぎる」授業よりはマシにしたいとは思っていました。何より、普段、学生たちが授業を楽しんでいる雰囲気を感じ取ってもらいたいと、教案を準備をしました。
私立大学で私が講じている「日本語教授法」を受講している日本人大学生には、「最初のうちは、教師の説明や発問、予想される学生の発言をすべてシナリオ形式で書きなさい。3年、同じ教材でこのシナリオを作ったら、あとは、メモ程度の教案でも授業ができる。もちろん、新しい教材を扱うときには、また新しい教案を書くんですよ」と、教えています。
私は1988年から日本語教育に携わってきましたが、いまだに「今日の授業は十分な展開ができた」と、満足できた日は少ない。特に今年は、教室のコンピュータ利用で、パワーポイント表示を中心に授業を進めているため、パワーポイント作成に追われ、肝心の読解や文型応用が十分にできていません。
文科省授業参観の時は絶賛だった、という私の授業に、もし見るべきところがあるとしたら、それは全部、優秀な2009年の学生たちのおかげです。
日本語教授法受講の日本人学生たちに、一番先に強調して講じることのひとつが、「学生と教師の間に、信頼関係を結び、かつ親密な感情を育てること」、教育心理学でいう「ラポール作り」です。
これがなければ、どんな高度な授業技術を行使したところで、学生の頭に教えたことが入っていきません。先生の話を聞こう、先生がいっしょうけんめい教えてくれることを、いっしょうけんめい覚えよう、このような学生の気持ちがあってこそ、授業が生き生きとしてきます。
1994年も、2007年も、「日本の大学で博士号を取るために留学する学生たち」は、とてもよい学生たちでしたが、2009年、今回の「博士3班」(クラスニックネームは「謝謝3班」)も、全員よい人柄で、クラスメンバー同士の仲がいい。いつもドジばかりの私の授業ですが、学生たちの協力のおかげで、順調に進んできました。
ドジの一番は、忘れ物が多いことです。いつも講師室でぎりぎりまでパワーポイントスライドを作っていて、「あ、授業が始まっちゃう」と、あわててパソコンをオフにするので、きちんと確認すればいいものを、毎回「あ、漢字テスト持ってくるのを忘れた」とか「聴解のCDがない」と、慌てることになるのです。
「練習と人生」は、「中級日本語」の後半にあたり、若者が努力や練習を好まなくなった風潮に対して、練習を軽くみることを戒める小泉信三のエッセイです。
90分授業を、「文型復習」「読解」「会話練習」3つの学習項目で構成しました。
授業参観、最初は、ウォーミングアップ。教師が短いトークをしたり、学習者に質問したりして、前回習ったことを確認します。総見授業参観は特別なイベントですから、トークも特別なものを用意しました。
まず、学生に質問をして、今日、昨日、明日の日付の確認。学生は「今日は、しちがつふつかです」「明日は、しちがつみっかです」上手に答えられました。
初級のころは、日付をいうのも「よんがつさんにち」になったり「ここのか」を言うのに、「しがつ、じうにち」「違いますよ、ジゥは中国語の9でしょう」、「あ、きゅうにち?くにち?」「ここのか、です」となったりしていたのですが、皆、日付や、他の数字を言うのも上手になっています。
<つづく>
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2009年07月15日
ニーハオ春庭「授業参観Q&A」
2009/07/15
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(14)授業参観・Q&A
授業参観、最初の教師トーク。
ふつか、みっか、よっか、みな「日」の意味の「カ」ということばがつきますね。でも、ついたちだけ、「か」がつきません。なぜでしょうか。と、質問を振りました。この質問は、実は学生向けではなく、中国人日本語教師向けなのです。一般の日本人より日本語について、文法や語彙をよく知っている中国人教師たちなので、ここはひとつ、「さすが日本人日本語教師は、日本語ネイティブスピーカーだけある」というところを見せてから授業を始めようという作戦です。
「参観の先生方、いかがですか、学生に教えてやっていただけませんか」という私の挑発に、声がないことを確認して、おもむろに、旧暦の月の満ち欠けから「ついたち」とは、新月が立つこと、「月立ち」である、というトリビアを紹介。学生たちは「へぇ!」と、おもしろがってくれました。
本当は、語源を知っている先生もいたのに遠慮して声をあげなかっただけなのでしょうが、一応、授業の「つかみ」はこれでOK。「つかみ」というのは、芸能界用語で、漫才やコントの最初の部分で行われるギャグなどのこと。客の気持ちをまず演者の発話に引き込むことを言います。学生たちは「へぇ、ついたちって、そういう意味だったのか」と、納得のようす。教師はいいよね。毎年同じネタで、学生の「へぇ!」を見ることができる。
つかみの次は、Q&Aの活動。教師の質問に学生が答えて、聞き取りができるかどうか、既習文型項目が定着しているかどうか、の確認をするのですが、参観用にちょっとアレンジしました。学生は後ろの参観者の方を向いて、プロジェクタースクリーンに映っている質問が見えないようにする。参観者の先生に、学生なまえカードを1枚ずつ引いてもらって、スクリーンの質問を読み上げたあと、学生の名前を呼んで答えさせる。
参観の先生が「毎日の授業が終わったあと、暇なときどんなことをしていますか」と質問。初っぱな、名前カードは、班長(クラス委員長)のキンセイさんにあたりました。キンセイさは、「スポーツをしたり、専門の勉強をしています」と、答えました。
お、うまく、「~たり~たり」の文型が使えたぞ。と安心していたら、参観者から「あなたの専門は何ですか」と、予想外の質問。キンセイさん「私の専門は、どもくこうがくです」。どもく、じゃない、どぼくこうがく、って、何度も発音を直してきたのに、緊張しているせいか、土木工学が、どもくこうがくになっちゃった。私が、「キンセイさんの修士の専門は土木工学で、博士の研究テーマはナノテクノロジーでしたよね。どぼくこうがく、キンセイさん、もう一度言ってください」「ドボクコウガク」「はい、よく言えました」と、フォローしてカバー。
「仮に宝くじがあたって、1千万あったら、何をしますか」の質問、「仮に~たら」の文型が聞き取れて理解できているかチェックするための質問です。文科省視察団の授業参観のとき、「日本はアジアのニシにあります」と答えてクラスの爆笑をとったゴタンさんにあたりました。「りょこうします」とか「家を建てたいです」って答えればいいんだよ、とゴタンさんに念力を送りましたが、通じなかった。
ゴタンさんの答え「いちまん、いちまん、、、えぇ、私の専門は医学です。医学の専門書は高いから、専門の本を買いたいです」と答えました。私が「うん、1千万円あったら、一冊1万円の専門書でも千冊買えるね」と、フォロー。参観者には、ゴタンさんが「1千万円」の聞き取りを間違えて、「1万円」と思って答えたことには気づかれなかったでしょうか。それともみえみえでバレてた?
<つづく>
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2009年07月16日
ニーハオ春庭「授業参観・読解」
2009/07/16
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(15)授業参観・読解
参観の先生からの質問のつづき。
「今、一番大切なこと、大切なものは何ですか」の質問は、コウキさんに当たりました。私が「コウキさんにとって一番大切ことは、もちろん、隣のクラスにいる恋人でしょう」と、チャチャを入れても、コウキさんはまじめに「今、一番大切なことは日本語の勉強です。日本に留学するために、一生懸命日本語を勉強しています」と、答えました。まじめに答えた、というより、緊張のあまり私のチャチャなどまったく耳に入っていなかったのかもしれません。
Q&Aのあとは、ロールプレイ、会話役割練習です。
「日本で、国際交流パーティに参加し、初めてあった人と円滑に会話して交流を深める」という課題で、自己紹介や趣味、出身地など、互いに情報を交換して会話を盛り上げる、という状況を設定しての自由会話です。
参観の先生の役割は「国際交流に興味を持ってパーティに参加した日本人」、学生の役割は「初めて日本の国際交流パーティに参加した留学生」
参観の先生が名前カードをよび、その学生と会話してもらいます。先生10人ほどに協力してもらって、5分ほど教室は「国際交流パーティ会場」になりました。
最後に2ペアにロールプレイを発表してもらって、会話役割練習はおわり。
会話役割練習の次は、メインの読解授業です。先生方は、私がどのように授業スライドを作っているのか、ということが知りたくて参観しているので、まずはスライド紹介として、「練習と人生」のパワーポイントスライドを使って、音読の復習。スライドに1枚に本文を一文ずつ書き入れ、読解を助ける写真を入れてあります。
小泉信三のエッセイ『練習と人生』の最初の部分に、空を飛ぶことへのあこがれが、飛行機の発明に至ったこと、飛行機ができても、操縦の訓練を受けて練習を積まなければ空を一人では飛べないことや宇宙飛行士の訓練について書かれています。
教科書付属スライド教材として既存のレオナルド・ダ・ビンチの「空飛ぶ機械の設計図」やライト兄弟の飛行機の写真に加えて、私は、備前屋・浮田幸吉を紹介しました。幸吉は、江戸時代に大凧をつけて空を飛んだ人物です。1849年のジョージ・ケイリーのグライダーによる有人滑空実験よりも60年以上早かったけれど、ほめられるどころか、「世間を騒がせた罪」で岡山藩主から罰を受けてしまった。
新しいことをしたり、発明したりするためには、世間から理解されずに非難を受けたりすることもあるけれど、人間のあくなき探求心が科学を進展させてきたのだ、と、教師らしい解説を加え、飯嶋和一の著作『始祖鳥記』を紹介して、前回の授業を終えています。
「文型や読解の授業のみで、日本の歴史や文化紹介の時間が設定されていないときでも、できる限り文型授業の合間に日本の文化を紹介する時間を数分でもよいからとる」というのが、私の現在の授業テーマです。
学生たちが、「備前屋幸吉」の名前を覚えることが目的ではなく、飛行機を発明したのはライト兄弟だとされているけれど、大昔から空を飛びたいと願った人はおり、夢の実現のために努力した人は大勢いること、幸吉のように罰を受けてさえ、空を飛ぶ夢を追いかけた人もいた、ということを理解してほしかった。
<つづく>
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2009年07月17日
ニーハオ春庭「授業参観・スライド画像利用の読解授業」
2009/07/17
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(16)授業参観・スライド画像利用の読解授業
小泉信三のエッセイ、練習によって恐怖を克服する例として、「10メートルの台からの高飛び込み」をあげています。
私は中国高飛び込みで最も有名な郭晶晶(グオ・チンチン)の飛び込み写真を数枚紹介したあと、数年前の深夜番組「Qさま」のチキンレースの写真を見せました。10メートルの台にいきなり連れてこられた芸人が、最後に意を決してプールに飛び込むまで、何分間怖がったか、その過程を撮影しておもしろがる、という番組でした。我が家はこのチキンレースが大好きで、娘と息子が見ていました。何度かゴールデンアワーで特集を組んだときに私も見ていました。
こんなところで、お笑いテレビ番組が役立つとは思ってもみませんでしたが、教師の袋は何でも袋。何でも知って何でも放り込んでおく袋、授業で大いに役立ちます。
本当は、ユーチューブで録画投稿されている「怖がる過程」を見せたかったのですが、中国では3月にユーチューブがネットで閲覧禁止措置になって以来、未だに回復していません。グーグルが閲覧禁止になったときは、すぐに問題のページを削除したらしく、ほどなく閲覧できるようになったのですが、ユーチューブは回復しません。
でも、ネットから数枚の「10メートルの高飛び込み台の上に立って怖がっている」写真を拾うことができました。3階か4階くらいの高さの台と下のプールが写っている写真だけでも、学生には高飛び込み台の高さが視覚的に理解でき、「飛び込みは高さ10メートルの所から行うものである。初めてこの台に立った者はだれでも、恐れずにはいられないだろう。」と書いてある小泉信三の文を実感することができました。
読解について、考え方がふたつあります。文字で書かれた文章をできる限り文字のままに読み込ませ、想像によって理解させていく、と言う方法。もう一つは、画像やグラフなどを補助手段として、学生の理解を助けていくものを提出する、と言う方法。画像映像ですべて示してしまったら、想像の余地がなくなる、という意見もあります。
しかし、現在の私は、「日本の歴史や文化」などの紹介を兼ねて、画像で示したほうが理解が早いというものについては、できる限り画像で紹介する、という方針をとっています。日本人の衣服を紹介する読解では、「十二単」を紹介しました。結婚式のっとき着用される十二単の写真を見せたり、『源氏物語絵巻』『紫式部日記絵巻』などの写真を見せて、日本の文化を紹介するのです。
「十二単って、どんな衣装だと思いますか」と質問して想像させたあと、文字や言葉であれこれ説明するより、画像で理解させる、というやり方なので、「文字によって想像させて理解させる」という教育方針の方には反対されるかもしれません。もちろん文によって理解する、ということをおろそかにしてはいませんが、私の方針は、画像によって理解できることは絵柄で示してよい、というものです。
「いろり」「ランプ」「日本家屋」「和室」「和食」などは、どんどん映像を使って紹介してきました。また、「明治時代の高等教育の普及率は低かった」ということを理解させるためには、あれこれ数字で説明するより、進学率のグラフを示す、日本の食品自給率を理解させるために、食品の輸入率をグラフで示す。写真やグラフを効果的に利用することは、「文字による理解」を確実にするために、決して無駄にはならないと思っています。
<つづく>
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2009年07月18日
ニーハオ春庭「授業参観・短文作り」
2009/07/18
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(16)授業参観・短文作り
学生たちも、私のパワーポイントスライド紹介を楽しみにしていたし、授業参観の先生たちにも、どのような観点でスライドを準備していくか、ということの参考にはなったと思います。
小泉信三が「恐れにひるまないということは、立派な人間の美徳である」と書いている文を理解させるのにあたって、「恐れにひるむ」とはどんなことか、百万言費やしても言葉だけで理解させるのは難しい。
10メートルの飛び込み台の高さを実感できる写真を見せて、「台から飛び降りなさいと言われたら、恐ろしいですね。あなたは恐れにひるみますか、ひるまないですか」と発問して考えさせる。郭晶晶の美しい飛び込みフォームの写真を見せて、「彼女は10メートルの高さでも、恐れにひるまない。練習を続けてきた人は、どんな困難にあっても、恐れにひるまない。最終試験は難しそうですね。心配ですか。恐れにひるんでいますか」と質問し、「日本語の練習をつづけていけば、どんな難しい試験でも、恐れにひるむことはないですよ」と、言えば、学生は「おそれにひるむ」ことがどんなことか理解する。
「怯む」という日本語の訳語として「害怕」があてられることがあるけれど、「怯む」のニュアンスは、「害怕」とは異なる。中国語の「害怕」は、「恐れる」の訳語としては適切ですが、「恐れにひるむ」というニュアンスとは違っています。中国語でぴったりの訳語がなく、言い表すことが難しい。日本語で「こわいと感じ、何かをしようという気持ちが弱くなること」と、直接法で説明しても、その怖さを学生に実感させることは難しい。「LL教室は4階にありますね。そこから下に飛び降りると想像してください。下にはプールがあって、水がありますから、飛び降りても死ぬことはありません。はい、飛び込みましょう。どうですか、やはり、恐いですね。恐さにひるんでしまいます」
小泉信三は、練習こそが人間の肉体的精神的能力を高めるものであり、忍耐と努力を要する「練習」は、民族の将来のために必要だと結論しています。
自分の将来のため、ひいては祖国の将来のために今必死で日本語学習の練習を続け、忍耐と努力を忘れていない学生たちにとって、この小泉信三の「練習と努力」も、心に残る文章であったと思います。
前半の12課までの読解学習を終えた時点でのアンケート調査で、「一番印象に残った文章」をたずねたところ、学生たちの一番人気は「野口英世」の伝記でした。
私は、野口シカの英世にあてた手紙が大好きなので、教科書には載っていないシカの手紙を紹介し、「皆さんのお母さんも、きっとシカと同じように、我が子がいっしょうけんめい研究を続けることを願い、博士号をとることを願っていることでしょう」と言うと、深くうなずいていました。だから、野口英世の伝記、身にしみて心に残ったのだと思います。
参観授業は、読解Q&A、文章内容についての質疑応答をしたあと、文型復習。学生が既習文型をつかって、文を創出できるかどうか、文を作らせました。
「~のみならず」「~傾向がある」「~というものは、~ものだ」「~せずにはいられない「~はずがない」「~と同時に」などのフレーズを使って、短い文を作らせてみる。
口頭で耳で理解させるべきだという批判がでるのを承知で、私は学生が口頭発表した文をワープロでパワーポイントスライドに書きこんでいきました。
学生がクラスメートの言った文を耳で聞いて理解することも大事ですが、文字で再確認することも決して無駄ではないと、私は思っているので、板書のかわりにワープロ筆記しています。字を書くのが嫌いな私、授業でワープロが使えるようになって、ほんとに助かります。
<つづく>
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2009年07月19日
ニーハオ春庭「授業参観・誉める教授法」
2009/07/19
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(17)授業参観・誉める教授法
授業参観後半終わり近くでは、「練習した人たちと練習しなかった人たち」というテーマで、縄跳び大会のビデオを2~3分見ました。
練習を重ねたチームとは、我がクラス3班。すごいスピードで縄を回し、上手に跳んでいます。練習をしていなかった人たちとは、日本人教師チーム。ダンチョー先生は何度か縄にひっかかりました。
予想外のビデオ視聴に学生も喜んで見ていました。
参観後の「授業を批判する」というミーティングでは、「先生は、会話授業や短文発表のとき、学生がアクセントや発音を間違えても訂正しなかった」という批判点がでました。「学生発言の発音などをその場で訂正させる」という意見に対して、私の考えも述べました。
実際の会話では、意味が通じれば、「雨」と「飴」のアクセントの違いは問題にならない。「飴が降ってきた」と言っても、だれも空からキャンディが降ってきたとは思わないからです。「病院に行く」「美容院に行く」は、聞き取りを間違えると会話が通じなくなるので、注意するけれど、実際の会話では、京都大学や大阪大学に留学する人たちに標準語の「春」「秋」「夏」「冬」のアクセントを厳しく修正させたところで、関西では標準語とまったく逆のアクセントになっているのです。標準語のアクセントをきちんと覚える必要があるのは、日本語教育能力試験にアクセント問題が出題される日本語教師志望者であって、留学生ではない。
だから、初級の時代に「日本語には高低アクセントで意味を区別する語もある」ということさえ理解していれば、よい。たとえば食卓で「すみません、橋をとってください」と発言したとき、誤解を受けることはない。聞いた人は「橋」ではなく、「箸」をとって渡してくれるだろう。日本で実際に生活していく中で、「箸」と「橋」の意味が異なり、文脈によっては意味が通じなくなることを実感すれば自然と矯正されます。『中級日本語』は語彙項目と文型項目が膨大であり、短時間に詰め込まなければ2級試験に合格できないので、発音矯正を今の時点で細かくやる余裕はない、という「その場で発音修正しない理由」を述べました。
中級会話授業では、こまかい発音訂正は、メモをしておいて、会話が終わったあとすればよいと思う。その場その場でいちいち訂正していては、会話の流れが滞り、学生の「発言したい」という意欲をそぐことになりかねない、と私は考えています。
参観者には私と違う方針の方もいらっしゃるとは思いますが、私は私の方針を述べました。
発音指導観の違いは、リピート練習が主体で、初級日本語指導において発音指導を徹底している中国人の先生と、後半の応用練習が中心で「とにかく積極的に自分から話させること」を目標にしている日本人教師の違いであるかもしれません。
普段の授業でも、学生は漢字書きとりで全問正解だったり、ディクテーションで全問正解のとき、「よくできました」と私が書き込むと、とてもうれしがるのです。書き入れを忘れると「先生、わたしのテストに、よくできました、がありません。わたしは、悪くできました、ですか」と、冗談を言ったりします。私は「教育の要」は「ほめること」であると思っています。間違ったところを厳しく指導するより、良かった点をほめていけば、そのうち自然と間違ったところも矯正される場合が多い。
「教師の仕事とは、よい点を誉めること。前にはできなかったことができるようになったことを共に喜ぶこと」これが私の「日本語教授法」のコツ。
<つづく>
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2009年07月20日
ニーハオ春庭「授業参観のごほうび」
2009/07/20
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(18)授業参観のごほうび
授業参観は、学生たちにとってやはり緊張するものです。私としては、できる限り学生が何らかの発言したらほめてやり、発言の訂正などは、参観の場で行うのではなく、のちほど自分たちの授業の中で行えばいい、と考えました。参観者の前で「間違っている」と、なおされるより、「よい、文が作れました」とほめられたほうが、ただでさえ緊張している学生にとって、負担が少ないからです。
他のクラスでは、1度も誰からも授業参観がなかったクラスが2クラス。文科省が10分ほど覗いていったクラスが2クラス。私のクラスだけが、文科省視察団の参観のほか、日本人教師団ダンチョー先生の参観、中国人日本語教師の授業参観が2度、中国人日本語教師の総見参観1度、他の大学の先生たち4人の参観、都合6回も授業参観を行いました。
授業参観のまえに、うまく答えられるよう「予行練習」をさせる先生もいますが、私は普段のままで、間違ったら間違ってでいいや、と言う考え。縄跳びの「特別栄誉賞」の授与を参観の場で行うというのもサプライズ企画で、学生たちは知らされていなかったので、手作り賞状をもらって、とても喜んでいました。
だだし、「賞状の受け取り方」というのは、前に「卒業式」の話題でふれたことがありました。「練習と人生」読解のなかで、日本では卒業式の練習を何度も繰り返し、予行練習を行って式が滞りなく進むようにお辞儀の練習や賞状受け取り方の練習をする、と話し、日本と中国の違いについての話題が出ました。学生たち、中国ではそのような賞状受け取りの練習はしない、と言うので、賞状はこういう具合にもらうのだよ、と、実演して見せたのです。
私からの賞状授与では、班長のキンセイさんが上手に受け取りをして、拍手喝采でした。
総見授業参観が、なごやかに終了できたのも、学生たちが緊張しながらもいっしょうけんめい答えていたおかげ。私から学生にごほうびをあげることにしました。
ごほうびは「浴衣姿の写真」のプレゼント。
学内の他コースの先生が保有している浴衣を借りて、クラスの学生たちに着付けをしてやり、浴衣姿の写真撮影大会をやる、というクラスイベントを開催したのです。
私は、娘の浴衣着付けをしたとき文庫帯の結び方を練習したのですが、忘れているので、もういちどネットの「帯結び」のサイトを開いて復習。だいたい思い出しました。
着物は、女物の単衣の着物が3枚、黄八丈や花柄です。浴衣は女物が4枚、男物が1枚だけ。これは、和服を着たがるのは、女子学生が多いので、女物のほうが多く集められてきたからでしょう。
実は、「浴衣で写真撮影」は、生け花教室の次の「日本文化体験教室」として、5クラス共通のイベントとして予定されていたのですが、諸般の都合により、5クラス全体ではしないことになってしまいました。
だから、私のクラスだけ浴衣を着て写真をとったら、他のクラスから不平が出るところでした。
でも、「参観授業を何度もしたごほうび」ということにすれば、他のクラスは参観授業を実施していませんから、あきらめてもらえます。
クラスの学生には、「他のクラスが、3班だけ浴衣着付けをしてもらって、ずるい」と言い出したら、「3班は授業参観をしたから、そのごほうびなのだ、と説明しておきなさい」と、言い含めておきました。
<つづく>
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2009年07月21日
ニーハオ春庭「浴衣姿の撮影大会」
2009/07/21
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(19)浴衣姿の撮影大会
我がクラスは、女性が9人、男性8人。男性は、女物を流用したり、男物浴衣を交代で着ることにして、浴衣着付け教室を行いました。浴衣の枚数が足りないので、3回に分けて実施。
第1回目は、男性3人、女性5人が参加。私が文庫帯をふたりの女性に結び、あとは、付け帯です。一番人気は付け帯のお太鼓帯でしたが、じゃんけんで勝った人から好きな着物を選び、負けた人から帯と下駄草履を好きな順に選ぶと言う方法で、まずそれぞれの着物と帯を選びました。
第1回目のときは、私がひとりで文庫帯を結んだので男性にまで手が回らず、男物浴衣は自分で帯を締めさせたところ、心配したとおりに胸高に締めて、「ツンツルテンに胸高帯」で、見事に「天才バカボン」になっていました。
2回目3回目は、「帯はズボンのベルトの下に締めること」を徹底して、なんとか見られる姿になりました。
1回目、ひとりで着付けをしたら、大変でした。それで、他学校の先生から授業参観希望を伝えられたとき、授業参観の一環として「学生と会話しながら、浴衣の着付けを手伝う」ことを条件に参観希望に応じることにしました。2回目は、短時間に着付けが終了し、たっぷり写真をとることができました。参観の先生方ともいっしょに写真をとり、よい記念になりました。
浴衣は、本当は裸の上に直接着るのだ、湯上がりの衣装だった、という解説は事前にしてありましたが、1回ごとにクリーニングに出す予算がないので、Tシャツの上に羽織ることにしました。
浴衣はまだしも、ウール黄八丈などは、Tシャツの上に着ると、7月の気温で、かなり暑い。しかも、日頃なれない帯をぎゅっと締めた女子学生は「毎日着るならたいへんだ」と言いましたが、互いに写真を取り合って、「きれいね」「日本女性みたい」とほめ合って、大喜びでした。
男性組も、腕組みをしてポーズとるやら、恋人同士が並んでラブラブ写真を撮るやら、楽しそう。
他のクラスからのぞきに着た学生もいっしょに撮影していました。他クラスの女性陣はちょっとうらやましそうです。
3回目は、「女物でも写真にとってしまえば、男物の浴衣とたいした違いはない」ということで、残った男性たちの和服撮影大会。実際、男物の浴衣も、平均身長180センチの我がクラスの男性陣にはツンツルテンです。女物でも、着流しにすれば、膝の少し下くらいの長さには達する。ゆきが短いので、袖は肘が出るけれど、写真は、膝から上だけを撮影すれば、ツンツルテンはごまかせる。
<つづく>
11:43 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2009年07月22日
ニーハオ「浴衣姿の感想」
2009/07/22
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教師日誌中国版>(20)浴衣姿の感想
ブログのニックネームを「白ちゃん」にして、3月から日本語ブログ」を書いてきた我がクラスの男子学生の日記を紹介します。
彼はとても穏やかなやさしい性格で、他の女子学生のスピーチコメントにも「いつもやさしいエンテイさん、大好きです」と書かれていました。
女性にもてそうですが、親友レイトウさんの短作文によると「エンテイさんはチャイなので、女性と話そうとすると、すぐ真っ赤になってしまう」そうです。うん?チャイナので?中国人はすぐ真っ赤になるのか、と思いきや、「彼はシャイなので」と表現したかったのです。「~ようとすると」「~そうとすると」という文型の練習文としてレイトウさんが作った文でした。
レイトウさんとエンテイさんは、クラスのなかで、「まだ恋人がいない男性3人」のうちのふたりです。
ブログのなかでは、私のことを本名で呼ばず、春庭かHAL先生と書いておいてね、と話したので、彼のブログで、私は「春庭先生」で登場しています。
エンテイさんの日本語ブログ、誤用はありますが、私は「書き続けるうち必ず上手になるから、初期の間違った文を直さない方がいいですよ。そのうち、だんだん上手になったとき、最初はこのように間違えていた、ということがわかったほうがいいから」とアドバイスしました。
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7月8日
昨日、授業が終わった(あと)、春庭先生は六つの着物を持って来ました。着物の中で、五つのが女の着物、一つしか男の着物ではない。
着物は日本の伝統の服だ。現在、正月や成人式、結婚式など特別な時に着物を着る。私たちは初め(て)この着物を着る。
男の着物を(の)着方が簡単(だ)が、女のが複雑だ。春庭先生は優しいので、私たちを助けた。着物を着終わったとき、私たちのイメージが完全(に)変わった。また、私たちは先生と一緒に写真を撮った。この写真を見るのを楽しみにしている。
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着物を着たあとでは、鏡に映る自分のイメージが完全に変わって「日本人のよう」になったことを、かわるがわる写真を取り合って楽しんでいました。
私のブログコメント
「白ちゃんは背が高いので、着物のサイズが少し小さかったことはちょっと残念でしたが、白ちゃんの着物姿は、とてもカッコよく、男前でした。教室のコンピュータに着物の写真が入っています。USBを持ってきて、コピーしてください。」
<つづく>