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グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

磐梯山ジオパーク、洞爺湖有珠山ジオパークの、ガイドさんと歩きました!

2014年02月18日 | 火山・ジオパーク
昨日の夜、磐梯山ジオパークと洞爺湖有珠山ジオパークから講師を呼んでの講座が開催されました。講師は、磐梯山エコツールズム協会会長の伊藤さんと洞爺ガイドセンター代表の小川さん。

お2人とも、雪国に暮らすアウトドアガイドです。
昨日の船到着後の2時間と、今日1日(船が出るまで)一緒に大島を歩きました。

有珠山は2000年に、磐梯山は明治時代に噴火した活火山で、大島よりも粘りのある溶岩を噴き出します。なので同じ火山でも見られるものは、ずいぶん違います。

「普段見られないものを見てもらおう」と考えました。
まずは赤い溶岩の丘へ。

小川さん、何を撮っているのでしょう?

こんな感じ?

いや、きっともっと素敵に撮っているに違いありません。(見たい…)
何しろ、とても素敵な写真を撮る方なのです。
(小川さんのHPのギャラリーはこちら。http://www.toya-guide.com/gallery/

巨大バームクーヘン。

初めて見る構え方!
どんな構図の写真なんでしょう~(気になる)

黒い砂浜。

昨日はかなりな引き潮で、砂浜に丸い石が出て来ていました。
石が太陽に照らされて輝いて見えました。(キレイでした~)

そして…
お2人を歓迎するかのような、面白い夕日。

まるで舌をだして笑っている人の顔みたいでした。

そして、今日。
総勢8名で山を目指しました。

道中、寄り道して椿鑑賞。

磐梯山も洞爺湖も大島よりずっと寒いので、常緑の椿を見てもらおうと思ったのです。
華やかに花がついている木もありましたが…

雪の重みで折れたと思われる木も、何本もありました。

“大雪”の影響は,ここでも…。

三原山もすっかり「雪の山」になっていました。

この間、雪だるまを作った時より、雪が厚かったです。

お2人は、雪かきをしていた町役場の方達のスコップを借りて“雪かき”のコツを伝授したり…


雪山(?)の登り方を伝授したりと、本領を発揮されていました!


せっかく遠くから来てもらったので、ジオパーク展にある三原山の写真の前で記念撮影。

なんだか寒そうなんですけど…(?)

一般のお客様に混ざって、バーチャルジオツアーも見ていただきました。
ケンボーダイビングの佐藤さんの語りに、みなさん聞き入っていました。

10数人のガイドでジオを語っているこの“山頂ジオパーク展”も、今年で4年目に入りました。

ガイドがそれぞれ、自分の持っているジオ素材(溶岩や映像など)を持ちよって、行くたびに少しずつ変わっているのがとても楽しいです。

今日は“ハート形のマグマ”を見つけました!

室内に溶けたマグマ!?
はたしてこのハート型の正体は?

これです。

一緒にいたジオ研のメンバーが「これを見て『ハートに見える』というお客様が多いので、敷物を作ってみたんです。」と教えてくれました。なんてナイスなアイデアでしょう!

こんな手作り感あふれる空間をみんなで作れるなんて、やっぱりジオパークって楽しいです。
誰かにやらされるのではなく、みんなの持ち寄りアイデアや"気持ち”が少しずつ、形をつくっていきます。

雪の三原山を下りた後は、島の南部へ。

みんなで語りながら楽しく歩きました。

伊藤さん、小川さん,ありがとうございました
今度は雪のない大島を、ぜひまた歩きにいらしてください~。

(講習の様子は近日中に報告します)

(カナ)







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鶯や~ぃ

2014年02月17日 | 今日の大島
寒い寒いと言って炬燵とお友達の私ですが、外に出ると意外に室内より暖かだったりして!
今日も太陽がぽかぽかしていて散歩日和

2月初めに鶯が鳴いたのを聞いたので鶯を捜して!(鳴き声だけで良いからね)

あ!良い香りが~




あ いけない鶯を!鶯と言えば  梅!

お隣の梅はまだの様で


先日の雪の所為か もう少し先   待ち遠しいな


こんな道がおいでと呼んでいるようなので


え! でも通してくれないの? 構わずにに進んで行くと


大根畑に遭遇


水仙畑に遭遇 お花出しているのかな?


ペラ畑に遭遇  え!ペラってなあに? 


アスパラ。食べるアスパラの園芸品種です。カーネーションに添えると映える葉です


君子蘭の畑に遭遇 今は出荷されていないみたいです


椿トンネルにで出来ました  ほ!

上を見ると


本来の鶯は声も聞こえなかった しかし、春の良い太陽と香りと花達は暖かく迎えてくれました


でも、めじろには会えたのですよ

証拠は花びらの下側に花粉が散っています


河津桜にめじろが来ていましたが写真には撮れず 残念!(しま)
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4ヶ月(台風26号後)

2014年02月16日 | ツアー
今朝の早朝船で大島にもどり、ツアーに行って来ました。
災害後ちょうど4ヶ月の今日、川口市の消防団の方々が日帰りで大島を訪ねてくれました。

三原山は長靴なしでは歩けない状態なので、まず“火山がつくった大地”を間近に観察できる“温泉ホテルの駐車場”へ行ったのですが…

こんな状態でした!

雪に足を取られながらも、なんとか全員で観察終了。

昨日までの雨や雪や風が、全ての汚れを洗い流してくれたのでしょう。

山腹割れ目噴火の火口も、しっかり見えていました。

同じ位置から海の方を振り返ると…

南アルプスもクッキリ!

山頂口駐車場では…

駐在所のおまわりさんも雪かき奮闘中。
砲丸投げよろしく雪を投げる技に、みんな見とれていました。

山頂でジオパーク展を見たあと南部方面をまわり、砂の浜へ。
ここでも、三宅島、御蔵島まで奇麗に見渡せました!

2日前に親しんだ島が、ハッキリ見えて嬉しかったです。空にはほとんど雲がないのに三宅島の上だけチョコンと丸い雲が浮かんでいるのも、スペシャルな感じがしました。

波打ち際でお客さまが、かなり低い位置から動画を撮影。

どんな景色が映っていたのでしょう?

こんな感じ??


元町に戻ってから、大金沢の砂防ダムも見学しました。
ダムの土砂はキレイに取り除かれていましたが…

階段は鉄パイプが飛び出ていて、衝撃の大きさがうかがえます。

みんな、しばし呆然…。

目の前に土砂は無くても、“巨大な力”の存在を感じとれる風景でした。

さて最後に、崩れた現場を見に行きました。

崩れた斜面には雪が積り、今日もショベルカーが休み無く働いていました。

海を見下ろせる斜面には、新しい献花台。

どうやら4ヶ月目の今日、新しく置かれたようです。

飲み物を供えつつ、手をあわせに行きました。

献花台に、たくさんの水仙の花に混ざってキブシの枝が置かれているのをお客様が見つけました。もう春が始まるのですね。

今日ツアーに参加された消防団の皆さんは、昨年は三陸を視察されたそうです。

地域を守る役目を担う皆さんにとって、大島を見たことが何か少しでも役に立つことを、願って止みません。

(カナ)

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ミツユビカモメ

2014年02月15日 | 
この荒天でカモメ類が漁港に集まっていて、その中にミツユビカモメを見つけました。
私にとっては過去最高の近さです(15メートルくらい)
ウミネコやオオセグロカモメと比べると脚が短くてかわいいですね。
近い写真はこれ1枚です(すぐに飛んで行ってしまいました・・・涙)

しかし100メートルくらい離れた防波堤の上に2羽いました。

ほら!


集まっていたカモメ類はこんな感じ。

40分ほど見ているうちに雨はみるみる上がっていきました。


晴れ間が見えてきてナライも収まってきたので海岸線を走っているとウミネコやオオセグロカモメに混じってミツユビカモメが飛んでいるのを発見。
ミツユビカモメが岸近くを飛ぶことはあまりありません。











たくさんいました。


あ・・・ピントが対岸に。


富士山も雲間から顔を出しました。



今朝は他にも避難しているカモメたちを見つけました。



こんなところにも来るんですね。


最後は岡田(おかた)のあんこ灯台。
ナライ時化のときはこうなります。

ざっぱーーーん!

                            がんま
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「この島で生きるために・ジオパークと防災 IN三宅島」

2014年02月14日 | 火山・ジオパーク
昨日、三宅島で行われた表題のセミナーに参加しました。

三宅島と大島が互いに学びあい、観光や防災で協力しあえる関係をつくることを目的とした事業の一部で、大島からは三宅(環境省)、白井(観光協会)、安田(大島町)ネイチャーガイドの中林、粕谷、小川、西谷が参加しました。

行程は…
9時30分~12時30分 ジオパークセミナー
13時30分~15時30分 ジオツアー
15時30分~17時30分 協議会

このうち室内のセミナーと協議会の中の一部を報告します。
セミナー内容は以下の通りです。


三宅島観光協会長・浅沼氏の挨拶

大島は中央に三原山、三宅は雄山という活火山を持っており、そこに生活する人々も周回道路の回りに点在しているという共通点がある。なので防災という面では噴火にどう対処していくか、両島で考えておければ、と思う。両島でジオを売っていけば、もっと多くの人に来ていただけるのではないか?7月からは船も通うようになるので、互いに意見を交換して発展して行けたらと思う。

「ジオパークとは?」中川和之氏(日本ジオパーク委員会委員 時事通信解説委員)

この問いかけで始まった講演では「ジオパークとは?各地のジオパークの取り組み。ジオパークの魅力、審査のしくみ」について、各地の実例を挙げて説明がありました。

「国立公園とジオパーク」三宅里奈(環境省自然保護官)
 国立公園は規制だという話をよく聞くが、規制は国立公園の目的ではない。風景や生き物を守りながら、後世に残していくということ。保護と利用の二本柱で出来ている。伊豆諸島は39年に富士箱根国立公園に編入された。火山の雄大な風景、プレートテクトニクスのダイナミズムを感じられるところ。
 ジオパークは、ジオに親しんで、ジオに学んで、楽しむ。ちきゅうがなんなのかということを、実際に見る場所。よく見て、仕組みに気付いて、生態系や人間生活の関わりを考える。保全や利用は、そのため。環境省は、地域資源の保全活用のために、ジオパークと国立公園の連携を図っている。

「ガイドとして伝えていること」西谷
私が伝えたいことは、いつもこのブログで報告しているので今回は省略します。
 
「両島に暮らした経験から、三宅島のジオパーク推進に思うこと」中林利郎
平成の初め2年だけ、三宅高校農林科の教員として住んだ。三宅では、農業科の教員として、生徒と一緒に雄山に出かけたりしたことが思い出に残っている。大島は三宅島と似ている。生活や文化、風習も似ている。過去の研究も防災もトップクラス。気象庁の職員もいる、地震研や産総研が飛んでくるのも同じ。ガイドも何人もいる。大島も、三宅も、観光立島。自然災害も同じような条件。火山も津波も。自然災害と恩恵が背中合わせ。自然や文化、歴史、生活が、非常に似ている。流人の島の伝説、伝承も残されている。復興では先輩である三宅に学びたい。

質問「ジオパークの効果、苦労は?」に対する回答
効果
「急激にお客様が増えることはないが,ジワジワと効いてきていると感じる。」「地域としてのブランドを手に入れることになる。」「学校教育として大島の郷土愛を育てるのには、非常にやりやすい素材。島民に対しては、自分の住んでいるところを知り誇りに思うことで幸せに感じる。」
 
苦労
「大島は小さい行政機関なので、予算の確保や、マンパワーの確保が難しい。」「ジオパークを行おうという決心をされたときには、時間や行動が必要になるが、必ず、地域、島のためにつながると確信している。」「島内で啓発することが非常に難しいが、それを乗り越えないと。」


質問「ジオパークになる前と後で案内するコースが変わったか?」に対する回答
 
「案内するところは、あまり変わっていない。だが楽しさは非常に深まった。人の暮らしもジオと密接に結びついているので、船が着く前の30分で町を歩いてガイドをするようにもなった。」など。

午後の協議会では、観光協会とアカコッコ館(自然ふれあい施設)から三宅島の説明がありました。
観光協会からの説明 
三宅島では有史以降15回の噴火、この100年、20年周期で噴火している。山腹割れ目噴火、海中噴火、玄武岩質溶岩の流出、スコリアの噴出が特徴。噴火のたびに新しい景色が出来ている。溶岩の大地は、森も焼きつくすが、徐々に緑が蘇る。野鳥、魚も多い。4年半の避難生活。

2008年からジオスポットの取り組み。島の中に25基の看板をガイドのみんなが歩いて、解説文にも携わって作った。13年4月から観光ガイドというプログラムを作り、ジャンルに応じたコースを8個作った。三宅小学校の総合学習では、ガイドがお手伝い。昨年は6年生がジオカルタを作成。25か所のジオスポットを含むカルタ。5・7・5の俳句のリズムで作られている。「海ドッカン、ひょこりでてきた ひょうたんやま」とか、楽しいものが多い。

観光協会として、ツアーのお客様にジオスポットを巡る商品を展開している。10月のモニターツアー、旅行商品を提供した。キャンセル待ちが出るほどの注目があった。ダイナミックな景観を歩くことはなかなかできない。3,4月にもウオーキングツアーを企画している。ランニング大会も企画している。

泥流と火山ガスの影響を受けている木々と鳥居。緑が新しく確実に胴ぶきという現象も起きている。人も自然も再生する。たくましさ、力強さ、それゆえの暖かさ。を紹介したい。」

アカコッコ館レンジャーからの説明
 現在の使命は、火山、野鳥、海の保全。自然環境の保全、野鳥や珊瑚の調査、アカコッコの増加プロジェクト、自然観察会などでバードウオッティング、海のイベント。2000年以前は鳥と海が多く、ジオの取り組みはほとんど無かった。2000年噴火で注目度がかなり高くなった。冬のお客さんを呼びたいとの考えからジオにとりくみはじめる。いまは看板もあり、自然ガイドの養成もしている。


村からの説明(一部観光協会からの説明も)
「村、アカコッコ館、観光協会の3者が協力して実行委員会でやってきたが、それを受けて、事業を見直して、協会のツアー商品、ガイドが独自にツアーとする商品になった。村では、そのためのジオスポット看板に加えて、ウオーキングルートの案内看板のハード整備もやっている。3者で知恵を出し合って事業を行い、足りないハード面は村でということで、一つの事業を3者で回している。日々勉強だと思うので、講習会や講座をやって、検定をやったりとかしている。更新の検定もやっている。三宅の自然や歴史を学んで広く伝えていこうというのが目的。受講する中で有償ガイドが生まれてきた。
新規講座は毎年か隔年ぐらいで実施。毎回10人ぐらい受けて、数人増える。現在5期生ぐらいになっている。

三宅島にこれだけ古くから,エコツアーが根付いていたのは、ジャックモイヤーさんの功績がかなり大きい。彼が「カンムリウミスズメを保護したように、三宅の自然をすべて保護していきたい。保護するだけでは何も生まれないので、それを保護しながらお金になること」を考えていた。

2008年からジオパークはみえていたが、ジオパークがゴールになるのはどうかということで、置いておこう。準じることはやっていこうとハード整備などはやって行った。申請の取り組み以外は全部やっていた。ゆくゆくは申請に行くかも知れないが、今の段階では、まだ地べたが出来てない。そこがゴールでない。今やっているソフト面の強化をして、住民に認知させていく段階で申請し、そこからスタートしていくという方向。

中川氏から
「時間を掛けるやり方はある。大島を通じて情報収集を。連合大会、全国大会に顔を出し、情報を集めてはどうか?」というアドバイスがありました。


三宅島は自然もガイドも面白いです。なにより火山(災害も含めて)とともに生きている人々がいて、前を向いて進んでいるところが…。三宅島がジオパークを目指す、目指さないに関わらず、また訪ねたいと思いました。


ところで実は三宅島からの帰り、悪天候で船が出なくて大島に帰れずにいます。
大島には大雨が降っているようで、心配です。

どうか何事もありませんように…。

(カナ)

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多地域で伝える

2014年02月13日 | 火山・ジオパーク
2月10日(月)に「魅力ある観光地の再建に向けて」というジオパークフォーラムが開かれました。参加者数は30数名。私も「災害後のガイドとお客様」というテーマで15分ほど話しをしました。

今日は、1991年雲仙普賢岳の火砕流災害の復興の中心にいた杉本伸一氏(島原半島ジオパーク、雲仙岳災害記念館)の講演を中心に、報告したいと思います。(内容については、コーディネーターとして参加されていた時事通信の中川和之氏のメモを、参考にさせてもらいました。)

雲仙の災害と、被災後の状況
災害前までの雲仙は、避暑、新婚旅行、修学旅行などの目的で、何もしなくても観光客が来た時代があった。

その後、噴火。44人がなくなり、2500棟が被災した。火砕流が起きてからは観光客がまったく来なくなり、農水産物、商工関係、すべてがダメージを受けた。

災害前後の観光客は半島全体で半減。人口も大幅に減った。
噴火は5年続いて、大変な状況になった。
修学旅行は11万5千人が4千人に減り、今も当時の2割ぐらいにしか戻っていない。

復興
自治体が立てていた計画に、地域の人たちも一緒に計画を立てた。キャッチフレーズは「前よりもっとすてきな町に、前よりもっと豊かな町に」その中で、災害記念館(がまだすドーム)を02年7月にオープンした。目的は災害の教訓を後世に伝えることと、支援に感謝の気持ちを表すこと。「がまだす」は「がんばる」の方言。

土石流で埋まった家屋(3棟は大きなドームをかぶせて)、火砕流で焼けた校舎、壊れた消防団の車などをそのまま保存した。これは地域の住民たちが、保存しようというところから始まった。

災害当初はボランティアが土砂をとって、次の土石流でまた積るということを繰り返したが、ここまで埋まると人力では出来ない。地域の人から「ここを買い上げてもらい住宅の再建をしたい」という要望がでた。一部分は、道の駅で雇用創出をする。外れたところは、保存公園にする。

買い上げてくれと言った人も保存公園にするとなると、人の目にさらすのはイヤだと反対する人も出た。被災者の人と行政がいろいろ話し合いをしながら「土石流がどんなものかを全国の人に見てもらって、防災につなげる施設だ」と言うことで最終的には納得をしてもらった。

小学校も砂防指定地の中、ダムで取り壊すことになっていたが、地域の人がどうしても残して欲しいと言うことで最終的には保存することになった。災害遺構という本物に触れる、どんなシアターも本物には勝てない。

“かさ上げ”から町づくりへ
土石流で何もなくなったところを6mかさ上げして、まったく新しい町を作った。
かさ上げ事業の地域の復興リーダーたちが砂防事業後、「まちづくりの推進協議会」を立ち上げた。

ジオパークへ
 火山の恵み、災害の防備、噴火の歴史などをキーポイントにフィールドミュージアムという野外博物館作りに取り組んだ。住民ワークショップで、コース作りや、ボランティアガイドの養成講座、火山学習クラブなどの活動を続けてきた。

 その中で、2007年に島原で火山都市国際会議を開いた。人口5万の都市で、この国際会議をやるのは、大変だった。東京や大阪、長崎のようなことは出来ない。島原でしか出来ないような国際会議にしよう。地域も職員も総動員。参加者が600人、係わった人が述べで5700人、幼稚園児からお年寄りまで、いろんな人にお手伝いをいただいた。
 
1週間の会議が終わり、すごくフレンドリーな会議だったという評価を受けた。住民、地域が、久しぶりに燃えた。「次、何するんですか?」とみんなが言う。

そこにあったのがジオパークだった。災害で官民が一緒になって復興に取り組んだ。研究者、行政、市民、ボランティアが連携して国際会議を成功させた。さらにそれを生かしてやっていこうというのがジオパークだった。

他地域との連携
2000年に三宅と有珠で噴火があった時、自分たちの教訓を伝えるために、被災地にでかけた。私もその一員で避難所を回って話をしてきた。それがきっかけで被災3地域で、火山市民ネットを立ち上げた。中越の地震、東北の震災、霧島の噴火などのたびに、NPOメンバーが出かけていって、地元と協調していろんなことに当たっている。ジオパークのメンバーもそういう人たちが入っている。

被災前、私は雲仙とはまったく種類が違う大島の火山に魅力を感じていた。割れ目噴火のところも歩いて、地球を感じるところだという印象だった。今回の災害後にも3回大島に来た。自然はいい面だけではなく災害ももたらす。雲仙は火砕流の怖さを知らないでああいう目に遭った。大島では予想できない雨で、多くの人が亡くなった。これをどう生かすかが、ここの役目だろうと思う。

“復興ツーリズム“という言葉があるが、伝えたいのは、災害という物事もあるが、実は“思い”。被災地だからこそ、伝えられることがある。忘れられないことがあるはず。忘れたくない人がいるはず。

私は根底には、そういう思いでジオパークやガイドをしている。

杉本さんには質問にも答えていただきました。
質問・災害遺構を残すときに地元の人の話で進んだと言うが、そのきっかけは何だったのか?
何か心のよりどころが欲しいという思いがあったのではないか。そこに生活していたという“何か”を残したいという思いがあって、地域の人の声が出てきたのだろう。

質問・予想外があり得る中で、6mのかさ上げで皆さんは安心して住めているのか?
新たに作った川の堤防と同じ高さに合わせただけ。

次の災害で、安全かどうかは言えない。


去年の6月に、図上訓練をした。どういう危険性があるのか。大雨が来たら両方川にはさまれているので、取り残される。だから、予想されたときは安全なところに逃げようという意見が大方をしめた。

最後に、杉本さんの言葉で、最も印象に残ったものは…
「災害は年月が経つと忘れられてしまい、その地域だけで伝えていくのは難しい。他の地域とも協力しながら、みんなで伝えていくことが必要だと思うようになった。」という言葉でした。

確かに災害が次々に起こる日本だから、他地域の災害から学ぶことで記憶を新しくして、伝えていくことができるのかもしれません。

この言葉が様々なご自分の体験から語られていることを、スゴイと思いました。

(カナ)





  
 


 
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アリスイとカモメ類

2014年02月12日 | 
この冬はアリスイも少ないです。
例年なら晩秋にアチコチで聴こえた鳴き声もまったくでした。
一昨日の朝、割と近くで見ることが出来たので写真に撮りました。




地味~な鳥ですが目を凝らして見るとびっくりするくらい綺麗なんです。
こんなステキな模様の羽毛、どうやって手に入れたんでしょう。


じっとしていたらちょっと近くに飛んできました。
・・・枝被りですが(汗)
このあとモズに追い払われてしまいました。
そうそう、アリスイとモズの鳴き声はよく似ているんですよ。
鳴く時期も同じだし、みなさんが今までモズだと思っていたのがアリスイかもしれません。
今年の秋はよーく神経を集中して聴いてみてください。


カモメ類は今朝です。

ナライ(北東風)が相当強く吹く中、実に悠々と飛んでいました。
カモメ類、としたのはセグロカモメとオオセグロカモメがほとんどで、その他に私には識別できないナニカの幼鳥が混じっているかもしれないからです。
以前も書きましたけど『カモメ』という鳥はひとつの種類としているのでウミネコやオオセグロカモメを指して「あれはカモメだ」というのは間違っています。



右の2羽がオオセグロカモメ、左の1羽がセグロカモメ。



これはたぶんオオセグロカモメの幼鳥。



これはたぶんオオセグロカモメ。



これはたぶんセグロカモメ。



これはセグロカモメ。
背面が見えているので私にも識別できます。
みんな風上に飛んで行きます。





この冬はセグロカモメが多いです。



これはセグロカモメ幼鳥かなー。


最後はやけに白い個体。



ワシカモメか!?
とも思ったのですが・・・やっぱ違うみたい。
オオセグロカモメの第1回夏羽なのかなー?
ああー、もっと詳しくなりたいー。
実践あるのみです。

                              がんま
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大島ならではの雪だるま

2014年02月11日 | ツアー
昨日の馬車&ジオパークモニターツアーの最終日も、雪で馬車は出せませんでした。
で、前日と同様、乗馬を楽しんだ後にジオツアーに行ってきました。

昨日は、お客様が三原山を希望されたので、長靴をお貸しして歩くことにしました。
遊歩道はこんな景色…道路は全く見えません。

「これじゃあ馬車は無理ね」byお客様。

1986年溶岩流が、折り返し地点です。

低い場所は、みんな雪が埋めていました。

ところで昨日は、歩きはじめから楽しみにしていたことがあります。
それは…1777年の噴火で流れた黒い溶岩の丘の上に“雪だるま”を作ること!

足跡ひとつない真っ白な雪を、慎重に踏みしめながら丘に登りました。

時々膝ぐらいまで、ズブズブっと雪に沈んでしまうのですが、それがまた楽しいです。
そして…

ご覧ください、この眺め。

こんな場所で雪だるまを作れるなんて、最高の贅沢です!

5歳のT子ちゃんとご両親は、皆で協力してアッという間に雪だるまを完成!

三原山を背景に…素敵すぎます!

「こっちの角度からも写真撮ってください。」byお客様。

実は違う方向にも顔があるのです。

近くに「雪にくるまれた縄もよう」も見つけました!

なんとも素敵な芸術作品です。

「これ、すごく奇麗~!」お客様の声に振り向くと…

確かに。
真っ白な雪の上で、木の枝が絵のような風景を作っていました。

帰り道、丘の上に“雪だるま”がポツンと残っているのが気になって、みんな何度も振り返りました。

この写真で、丘の上の“雪だるま”が見えるでしょうか?
四角っぽい黒い岩の上に乗っています。

目や口は「ようがん」でできています!

これ、“大島ならでは”の雪だるまですよね!!

「まだ、こっち見てるよ~。」
「ほんとだ。」
「あ、まだ見てる」
「ありがとう~!」

ありがとう…その言葉が出てくる心情が良くわかりました。
それで、みんなで雪だるまが見えなくなるまで、何度もお礼を言いました。

馬車は出なかったけれど、とても楽しいジオツアーでした。


ところで、話しは全く変わりますが…
「土砂管理研究グループ火山・土石流チーム」のホームページをご存知でしょうか?
http://www.pwri.go.jp/team/volcano/jindex.htm

ここに「伊豆大島現地調査報告(第 3 報)」が載りました。
http://www.pwri.go.jp/team/volcano/izuooshima/izuooshima3.pdf
聞き取り調査の結果から「今回の豪雨による土砂被害は、概ね4段階」と考えられるようです。
結論だけではなく、それを導きだす過程も知ることができます。

大島の土砂災害を学びたい方は、ぜひご覧ください。

(カナ)

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ザックリと

2014年02月10日 | その他
ガイドする時に、大島の地図を時計にたとえます。


9時は一番大きな集落の元町
港と銀行・図書館 そして、商店や飲食店が一番有ります。

12時はもう1つの港が有る所

3時は大島公園で今はアンコの手踊りが見られます

5時 波浮の港
そして、時計の中心は火口でしょうか?


これを説明。
大体はお分りいただけましたか?(ザックリで)

でもこれは、私が運転している時に話す事が多いですね。詳しく説明する時は地図を使ったりしますが運転中は地図も出せずお客様の想像にお任せするばかりです。
上の地図は立体地図で平面地図より分かりやすくて、小学生さんには特に人気です。

でも、歩くと裏砂漠は地図のどの辺を歩いているか目立ったポイントが無いのでよく分からないのが難点(ここもザックリ)
ま!中心には三原山が。外側に行けば一周道路が…  ま、霧が出なければどこでも歩ける
霧が出たら?  勿論、裏砂漠には行きません(しま)
コメント (2)
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馬車(乗馬)モニターツアー報告

2014年02月09日 | ツアー
昨日から明日までの3日間で予定されていた「観光馬車付き・三原山ジオパークツアー」ですが、昨日は全便欠航で中止。今日は登山道の通行止め…ということで、急きょ馬車を乗馬に変更してツアーを行いました。

悪天候によるキャンセルも出て、本日の参加者は一組2名の女性たち。
船到着後すぐに、馬の所に向かいました。

馬小屋の横の運動場では既に、鞍をつけた馬が用意されていました。

交代で乗馬開始。

お2人は「とにかく椿を見たい。」というご希望でした。
それで…

「椿の下で“椿”(馬の名前です)に乗る」の図。

手にも椿の花を持って!

乗りこなしてますね~。
お2人の感想は「馬車より馬に身近に触れられて楽しかった」とのことでした。

さて乗馬の後は、ジオツアーに出発。
オレンジフィッシュの粕谷さんと一緒にガイドしました。

まずは、ブクブク泡立ったマグマが地上に飛び出たことでできた穴だらけの溶岩を見に…

溶岩を観察するうち「形状がチョコレートにも見えるよね」という話しになりました。

「本当だ。バレンタインのチョコに混ぜておいたら騙されるかも」byお客様。

(その作戦、楽しそうです!)

続いて噴火の歴史を語る地層大切断面へ。

雪が地層の下に白いラインを引いているのが、面白かったです。
(段になっている部分に雪が積もってます)

防風林として民家や畑の周囲に植えられた椿のトンネル。

昨日の暴風で花が道路にいっぱい落ちていました。

お客様の「椿の一輪挿しだわ。」という声に振り向くと…

おお~!
まさに一輪挿し!
 
開花順に縦に並んで咲いているものもありました!

花が開きながら空から降ってくるように見えて、とてもキレイでした!!

最後に立ち寄ったのは、黒い砂浜。
「本当に黒い!砂浜のラインが地平線みたい!」とお客様。

「なるほど、地平線かぁ…」
人の感性は本当に多様だなぁ…と毎度のことながら感心します。

ところで椿が大好きなお客様は、馬小屋のそばで拾った椿を、ずっと大事に持っていました。
そしてその椿を、そっと黒い砂の上に置きました。

お客様が撮りたい風景は、言葉にしなくても全員にすぐに伝わりました。

黒い砂と、赤い椿と、白い泡が作る、絵のような景色。

でも、なかなかタイミングがあいません。
椿を波にさらわれたくないし、でも泡と一緒に撮りたい!

皆でチャレンジしているうちに…

「あ~!!」
…一瞬の出来事でした。

いえ、椿は無事だったのです。
でも…

「か、粕谷さん~!」

…笑いをありがとうございます!
(ツアーの最後が多いに盛り上がったのは、言うまでもありません)

さて、お客様を宿に送った後、山の通行止めが解除になったので、明日のために見に行ってきました。

遊歩道は雪が積り、夜中に凍りそうです。
明日のジオツアーやいかに?

あ、ところで、明日の夜はこの馬車(乗馬?)&ジオツアーの報告もかねて、19時から開発総合センター1階大会議室で「魅力ある観光地の再建に向けて」というフォーラムが開かれます。

先日のブログで紹介した島原半島ジオパークの杉本伸一氏の講演の他に、私も「土砂災害後のガイドとお客様=遊覧馬車事業の運用報告をかねて」というお題で15分間話しをします。

お時間のある方は、ぜひご参加ください!

(カナ)










コメント (2)
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