豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年10月03日 10時48分32秒 | 日記
( Vol 2951 )  見て見ぬふりして寡黙になることから 見て しっかりと見て 言う ことが求められる 時代に変わる必要がある

見て見ぬふり は1970年の頃の 高度成長期時代に 「隣の人は何をする人ぞ」という言葉が言われた時代から始まる

あれから 71年 

1970年は 期待 希望があり 自助努力で叶う可能性があった

しかし 1990年になると 社会情勢は 低成長になり 自助努力では叶わなくなった

だからといって 共助も公助も 当てにはならない

希望を失った

その中での 「見て見ぬふりは」諦めの気分になり 寡黙になった

社会は 注意もせず わがまま がまかり通り 秩序は乱れ始めた

誰もが 自己規制という 律することをしなくなった


その代表例が 政治家である


いま 社会を秩序ある状態にするには 

「見て見ぬふり」ではなく 「見て 見ることによる言う」ということである

人は 自分を規制することは 苦手である


人は 他人から注意されて はじめて 自分を規制することができる ことから

気楽に 注意し合う 社会環境が 秩序ある社会をつくる上で 必要である


寡黙にならず 言う 

この状態にもっていくためには  警察官の親しまれる警察官から 注意する警察官に変化することが求められる


寡黙にならず 言うことは言う 注意するものは 注意する という ことが大事である

これは 政治に対しても 是々非々の論理で 言う姿勢を持つことである

「言う」ということが 世の中を良い方向に向かわせることができる


「見て見ぬふり」はやめよう


「見て見ることと 言うこと」をしよう


世の中 言うことで 社会は変わる 

良いことは 良い

悪いことは 悪い

注意することは 注意する

誉めるときは 誉める

誰でもが 誰に対しても 言うことである 注意をすることである
















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