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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 784 暗雲中日

2023年03月22日 | 1977 年 



遂に爆発したドラゴンズ応援団。小山・与那嶺ラインはどう対処すべきか

未曾有の消えた応援団
ナゴヤ球場といえば広島市民球場と並んで地元一色の応援風景が有名なグラウンドである。一塁側から外野席にかけてそれぞれの私設応援団が場所を占め、数多くの応援旗が打ち振られる。そしてカネと太鼓の鳴り物で試合の初めから終わりまで勇ましい応援が続くのがいつもの風景だ。そのナゴヤ球場がウソのように静まりかえった。名物の応援団が姿を消してしまったのである。東京から単身乗り込んだ東京中日会の小高仙次さんだけが笛で「ピッ・ピッ・ピ~」と音頭を取っていただけ。小高さんは「チームが苦しい時こそ応援しなきゃ」と応援団同士の仲間割れを覚悟で奮闘したが虚無感は否めなかった。

対照的に三塁側スタンドではカープ応援団がここぞとばかりに派手な応援を繰り広げたので一塁側スタンドの寂しさが際立った。「ここは一体どこのホームグラウンドなんだ」「30年以上中日を応援してきたけど、こんな惨めな気持ちになったのは初めて」「球団フロント陣はこの状態をただ見ているだけ。情けない」など心ある中日ファンは怒りをぶちまけた。外野席の中段には『ガッツを見せろドラゴンズ』『ファンの皆様にお詫び・ドラゴンズ応援団休養中』の横断幕が。この異例ともいえる応援団の一時休養は6月末までの期限つきであったが、一体なにがこうした事態を招いてしまったのか。

6月19日、後楽園球場での対巨人9回戦の大敗後、在名の私設3応援団が会合を開き応援自粛を決め各マスコミに通知し、名古屋市内の中日球団事務所を訪れて宣言文を手渡した。その宣言文とは(原文ママ)


昭和49年年度の栄えあるペナントを奪取したわが愛すべき中日ドラゴンズに対し、われわれ応援団一同は、さらなる竜の躍進を願って、これまで熱い努力を続けてきました。しかるに昨年、今年と見守る中で、当のドラゴンズの試合内容に、応援団として、また一ファンとしても、満足しかねる点が多々見られます。これが本来の「実力」にそぐう結果であるならばともかく、われわれは必ずしも、そのように理解してはおりません。ここにわれわれは、監督、選手はもちろんのこと、すべての球団関係者に対する奮起を期待し、かつまた、われわれのこれまでの応援の反省と責任をとり、一時休養を宣言致します。 

   昭和52年6月23日  中日ドラゴンズ応援団  中日会・朝市応援団・中日狂団・浜松愛好会・関西中日会・大阪昇竜会


休養すべきは誰なのか?
応援団の話を聞いても宣言文に示された抽象的な内容を一歩も出ず、どことなく奥歯にモノが挟まった感じがする。それはこの宣言文の背後にもうここまで来たら何らかのアクションを起こすのが当然ではないか、つまり監督休養があって然るべきとの真意が隠されていると見るのが正しいのだろう。随分と手の込んだ手法だが応援団もチームを応援するという組織の立場から与那嶺監督退陣要求を出すのをためらったのではないか。それならというわけで自分たちが応援をやめることで腰の重い球団フロントや親会社の中日新聞社がこのまま傍観できないように仕向けたのではないか。

それだけ地元の中日ファンから与那嶺監督やそれを支持しようとする現体制が見放されている証拠だとも言えそうだ。在名各社のドラゴンズ担当記者たちの間では「遂に来るべきところまで事態が進展したという感じがする。ここまで外堀が埋められるとあとはその時期がいつか、監督交代だけで済むのか、フロント陣にもメスが入るのかが次の焦点だ」という声が強まった。こうなると何も手をつけないという選択肢はない。このまま放置すれば中日新聞社自体に火の粉が降りかかる事態も考えなければならなくなった。


親会社の英断へ火付け役
今のところ中日の選手たちは表立った反応は見せていないが内心は相当なショックを受けたに違いない。高木選手は「長いこと中日のユニフォームを着ているが、名古屋で応援団がいないなんて初めての経験。選手はただ頑張るしかないですね」と表情を曇らす。応援の後押しがない状況で対広島12回戦に先発したがKOされ降板した星野投手は「勝とうと力いっぱい投げたがダメだった。応援団の方に力いっぱい旗を振って喜んでもらうには、皆さんが納得できる試合をするしかない。選手は必死にやっている。キッカケさえ掴めば…頑張るしかない」と唇を噛んだ。

渦中の与那嶺監督は「ボクの進退がウワサにあがっているのは知っている。でもそれは球団が決めることで、ボクは最後までギブアップしないよ」とのこと。その与那嶺監督を絶対的に支持している小山球団社長は現在のところこの問題については一切ノーコメントを貫いている。ということは小山・与那嶺ラインはこの状況下でも依然として崩れていないと見てよさそうだ。しかし応援団の中止宣言という事態から親会社の中日新聞もこのまま放置しておくのは許されないと考えているのは確かだ。応援団の一時休養は中日球団に決断を迫る為の火付け役となったのは間違いない。


生え抜きで固い結束を…
中日ファンの間では早くも次の監督を巡って様々な名前が浮上している。候補に挙がるのは服部二軍監督、牧野茂氏、近藤貞夫氏だがファンの願いは生え抜き監督による復活劇を期待する声が強い。昭和44年に水原茂氏が監督に就任するまで中日は大物OBが監督を務めるのが通常だった。水原、与那嶺と外部からの招聘が続いたが昭和49年のセ・リーグ優勝を成し遂げたことで中日出身でなくとも波静かだったが、昨年や今年のような不振が続くとやはり " 生え抜き監督 " でという意見が出始める。

「ここまでチームが落ち込んだからにはもう『他人』には任せておけない。再建はゼニ・カネの損得を離れた中日OBたちの手で時間をかけてチームを根本から作り直さなければダメなんだ」と中日OB元投手は語気を強める。毎年シーズンオフにはOB総会が開催され、昨年も多くのOBが出席した。とある古参OBは「あの盛大な総会での顔ぶれを見たら人材はゴロゴロしているはずですよ。いつまでもドラゴンズを他人の手に任せておくのは残念ですね」とこちらも生え抜き監督誕生を切望した。


# 769 身内の造反 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

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