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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 554 KKドラフト ①

2018年10月24日 | 1985 年 



貧すれば鈍すというべきか・・巨人が早大進学説を強く打ち出していた桑田真澄投手を強引に指名、桑田は巨人という強いブランドの前に遂に早大受験を断念した。巨人は桑田の親友・清原和博内野手が巨人を熱望したにもかかわらず指名せず、桑田盗りに出た。スカウティングの勝利と言えばそれまでだが若人の心を弄んだ責任は大きいと言わねばなるまい。いったい巨人の桑田ジャック、そして清原騙しとは何だったのだろうか真相を探る


初めから巨人を熱望していた桑田
桑田ジャックのクライマックスは11月23日夜の東京・品川にある日本鋼管「高輪クラブ」での三者会談だった。三者とは早大野球部監督・飯田 修氏、東京六大学野球連盟事務局長・長船騏郎氏、そして桑田本人。この三者会談に臨んだ桑田以外の二人は早大受験の最終打ち合わせ並びに大学入学後の生活についてを話し合う場だと思っていた。桑田の23日の上京に際して早稲田側に受験の断りを伝えに行くのでは、と一部報道がなされたが桑田本人が大阪空港で「僕を信用して下さい。ずっと早稲田に行く気持ちでしたから、1日や2日で変わったりしません」と明言したので憶測は消えた。ところがである、会談の席から抜け出てきた長船氏が「巨人は強いね。さすが盟主だよ」と溜め息まじりに呟いたのを聞いた報道陣は事の重大さを悟ることとなる。

桑田はPL学園野球部関係者や両親さえ交えない敵陣に単身乗り込み「巨人へ行きたい」と一貫して主張し続けたという。今回の騒動の中で桑田が最後に見せた男らしさ、潔さだった。しかし多くの記者は騙された感を拭いきれず会談後の会見で「早大に行くと言っておいてこれでは嘘をついていたということではないか」と詰め寄った。これに対して桑田は「早稲田に行きたいとは言ったが巨人に指名されたら行かないとは言っていない。僕は以前から巨人は清原君を指名するのではないか、と言い続けてました。嘘をついたと思われるのなら仕方ない」と言い切った。これは開き直りというよりも桑田本人の正直な気持ちであったろう。長船氏によれば桑田は「巨人に行きたいけど早稲田を受験するつもりで上京した」と話したそうだ。それが世話になったPL学園に対する最低限の義理と考えたようだった。


「狂喜・歓喜・乱舞」の正力オーナー
だが巨人に行きたい、けれど早稲田も受験するでは混乱が増すばかりであると判断した飯田監督と長船氏は諦めざるを得なかった。桑田が早大受験を取りやめると発表している頃、巨人軍の王監督はじめ首脳陣や正力オーナー、長谷川球団代表らが東京・紀尾井町のホテルニューオータニに集まっていた。何かを画策していたのではなく戸田一軍担当の長女・智子さんの結婚披露宴に出席する為だった。品川の三者会談と比べると何とも穏やかな雰囲気だった。意地悪な見方をすれば17歳の少年に全てを押し付けているかのようであり、どうか上手くやってくれ後は結果待ちというズルイ?やり方に見えてしまう。桑田が早大受験をやめたとの巨人にとって最高の結果を知らされた正力オーナーは「それが事実なら狂喜・歓喜・乱舞の気持ちです。王監督が描いていた投手王国再建に桑田君が加われば万々歳」と高笑い。

話を11月20日のドラフト会議当日に戻そう。巨人が桑田を指名した時、多くのスポーツ紙の記者は「やっぱり」と思ったそうだ。記者達は巨人と桑田サイドの " 密約 " を疑っていた。しかし確証を掴めない。逆に早大進学の方が確度は高かった。何しろ11月12日に早大・飯田監督がPL学園を訪れて桑田本人、父親・泰次さん、母親・敏恵さん、PL学園・中村監督、高木野球部長が同席のもとで早大受験の確約を得ていたのだ。天下の早稲田大学がイチ受験生にここまで配慮をした話は聞いたことがない。そのような状況下で『桑田巨人入り』と見出しを付ける勇気のあるスポーツ紙はなかっった。「やられた!」と地団駄を踏む記者がいる一方で、一人冷静に「お見事です。大したもんですな」とニヤリとしたのが西武・根本管理部長だった。西武は桑田の早大進学話にも関わっており桑田盗りレースでは巨人の先を行っていた。根本管理部長の言った「大したもん」とは遅れをとっていた巨人の巻き返しを指しての発言だった。

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