Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#297 コミッショナー

2013年11月20日 | 1983 年 



いわゆる「阪神コーチによる審判暴行事件」は1982年8月31日に起きた。まさしく「事件」で当該コーチ2名は傷害事件の参考人として事情聴取され、後に横浜地検により略式起訴され罰金刑を受けた。事件の概略は…

7回表阪神の先頭打者藤田平は三塁前に飛球を打ち上げ捕球態勢に入った大洋・石橋貢三塁手の後方のインフィールドエリアに打球が落ちた。バウンドした打球は本塁 ~ 三塁間のラインを越えてファールエリアに転がり出た。この打球を三塁塁審の鷲谷亘はファールボールと判定した。

この判定に対して阪神側は、まず三塁ベースコーチの河野旭輝が「打球がフェアゾーンで石橋のグラブに触れてからファールゾーンに出たからフェアの打球だ」と主張して抗議を始めた。鷲谷は打球が石橋のグラブに触れていないとしてファールボールと判定しているので本事件はルールの適用ではなく純然たる事実認定をめぐる抗議だった。阪神側はさらに一塁ベースコーチの島野育夫、ベンチを飛び出したコーチの柴田猛、さらには選手のほぼ全員が加わり三塁側フェンス付近で鷲谷を取り囲んだ。

島野と柴田は取り囲まれた鷲谷を抑えつけて殴る蹴るの暴行を加えた。さらに止めに入った岡田功球審ら他の審判員に対しても同様に殴る蹴るの暴行を加え岡田はグラウンドにうずくまった。島野と柴田には直ちに退場が宣告されたがその後もしばらく暴行を続けた。この試合の責任審判でもあった岡田は「暴力団のようなチームと試合できるか !」とプロテクターをたたきつけて怒り、審判団を引き揚げさせた。

阪神側は安藤統男監督が陳謝し中断時間10分程で岡田が「大変痛めつけられましたが柴田・島野両コーチを退場させて試合を再開します」と異例の表現で場内アナウンスし試合を再開することとなった。尚、審判団は没収試合も考えていたが観客への配慮から続行を決めたという。9月1日、セリーグ会長・鈴木龍二は世論の硬化と日本野球機構コミッショナー・下田武三の勧告もあって島野・柴田に「無期限出場停止」なる処分を下した。 【出典 Wikipedia より抜粋】



若手の自主トレが始まった1月14日の甲子園球場に懐かしい2人が姿を見せた。昨年の審判暴行事件で受けた「自宅謹慎3ヶ月」処分が明けて久々に公の場に現れた。しかし正式な身分はコーチではなく球団管理付き職員である「ビデオ係」であった。球場内のビデオルームで昨シーズン中に撮り溜めて置いたフィルムの整理・管理するのが主な仕事であるのでグラウンドに入る予定はなかった。しかし「久しぶりだからちょっとグラウンドを歩いてみるか?」と小津球団社長が2人を若手選手らの前に導いた事が騒動のきっかけとなった。

いわば小津社長の親心がアダとなった。「自宅謹慎3ヶ月」はあくまでも阪神球団が科したペナルティであってセ・リーグの「無期限出場停止」処分は未だに解かれておらず、これに下田コミッショナーは「オフの期間中に監督やコーチが選手に接触して指導する事は禁じられている。ましてや球団職員とはいえ出場停止処分中の人間が選手と接触するなんて論外」と不快感を表した。「直接コミッショナーから聞いた訳ではないので発言のニュアンスが今一つ分からないが、球場に出入りする事すらダメだとすると今後2人の処遇をどうすれば良いのか…」と球団職員も困惑する。

「自宅謹慎が解けたので球団は球団職員として職務を与えた。その職務がビデオ係で仕事場は球場内のビデオルームなのだから当然甲子園に行く事になり、そこで選手と顔を合わせるのは当たり前。それを『まかりならん』とされたらどうにもならない。今更、2人に野球以外の営業などの仕事をさせる訳にはいかないでしょ。その辺の事情を下田さんも考慮して欲しいね」とある阪神OBは語る。いずれにしても2人が球場に姿を見せた事で下田コミッショナーの心証を悪くしたのは間違いなく、コーチ復帰の時期が更に遠のいたのは確かである。



コミッショナーはこれくらい強権でなければダメですよね。下田さんは歴代コミッショナーの中で唯一と言っていい「物言う人物」でした。統一球問題で引責辞任した加藤コミッショナーの後任選びは迷走中。傀儡を続けたい一派と抵抗勢力の対立が原因のようですが、必ずしも抵抗勢力側が「正義」とは言えないようで。ナベツネ率いる一派も反対派も所詮は経営者側の視点でしかプロ野球を見おらず自分達に都合の良い人物を推している同じ穴のムジナじゃないですかね。
コメント
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