H's monologue

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3月 25歳男性の腹痛

2020-03-23 | 内科医のカレンダー


<前日から腹痛を自覚した25歳男性>

生来健康な25歳の男性研修医。勤務する研修病院は忙しく月10回の当直勤務で慢性の睡眠不足でふらふらになりながら,その月何度目かの午後7時から翌朝までのER当直業務が始まった。当直入りの直前から何となく心窩部に不快感,鈍痛を感じていたが,当直時間帯に入ると例のごとくウォークインで来院する患者や救急搬送される患者の対応に追われていた。遅い夕食はいつも当直看護師と一緒に出前を頼むことにしていたが,何となくその日は食欲がなかった。いつもお気に入りの「梅巻きカツ弁当」を無理やり押し込んだものの,心窩部の鈍痛は逆に強くなってしまった。痛みを我慢しながら深夜の患者をこなし,合間の短い時間に診察室のベッドに横になって仮眠をとった。

明け方になり右下腹部に痛みが限局してきたことに気がついた。自分で診察室のベッドに横になって触診してみると,明らかにMcBurney点に圧痛がある。(ありゃ~こりゃアッペかなあ)と思いながら一緒に当直をした看護師に採血してもらい,検体を自分で検査室に持っていった。

「すみませ~ん。緊急検査お願いしま~す。アッペかもしれないんだ・・・僕の検体だけど」

「先生,白血球がいくつだったら手術になると思います?」

「そうだなあ,臨床経過はもろにアッペだとおもうけど,まあ12000とかだったらもう間違いないかなあ・・」

「先生,当たり!13000。じゃ手術ですね。」

「そうか~,じゃ外科の先生に相談するかな・・・」

 

「もしもし,あ,内科研修医のSです。一人ご相談したい患者がいるんですが・・・・。25歳の生来健康な男性で,昨日の夕方から心窩部の鈍痛があり,その後嘔気を自覚。今朝になって右下腹部に限局した圧痛がありリバウンドもあります。え~っと,直腸診はやってません。白血球は13000でした。アッペだと思いますが・・・」

「わかった診に行くから。患者さん今どこにいるの?」

「あの~今,当直室でこうして電話してます。」

 

何を隠そう,この典型的な急性虫垂炎は30ウン年前の私自身である。自分の見立ては外科の先生にもお墨付きをもらい急性虫垂炎の診断で外科に即日入院,その日の夕方にはめでたく緊急手術とあいなった。病棟から手術室に出室時には,自分のお気に入りの大滝詠一のカセットテープを「オペ中はこれをかけてね」と看護師に手渡して・・・。

手術前に両親に電話すると,心配した母親が「これからそっちに行こうか」という。

「外科部長の先生が執刀して下さるから大丈夫,大丈夫。別に来んでもええから。」

手術室から病棟にもどったその夜,外科ローテーション中の同期のA医師が帰宅する前に病室に寄ってくれた。

「お~いS,帰る前に導尿しといたろか。夜中に看護婦さん呼んで導尿してもらうのも,ちょっと嫌やろ。」

「そらそうやな~,ほな頼むわ。すまんなあ。」

 

その夜が一番きつかった。左側臥位でかけた腰椎麻酔のためか,麻酔の効果が残っている左下肢が自分の足ではないような感じでまったく動かない。さて夕方A先生に導尿してもらったものの,輸液をしているせいか夜中に尿意を催してきた。でもやっぱり看護師さんに導尿してもらうのは嫌だし,さりとて横になったままではどうしても尿器に排尿できそうにない。意を決してベッドの横に立ち上がって尿器に排泄することにしたが,それからが大変だった。痛みを我慢しつつやっとのことで立ち上がった瞬間であった。起立性低血圧のためだろう,血液がぞぞぞ~っと足元に流れる感じがすると同時に,ぐわ~っと周りがゆがむような変な感じとなり物凄い吐気が襲ってくる。必死の思いでコトを終えるとベッドに倒れ込んだのであった。

アッペみたいな小さな手術でこんなに大変な思いをするのに,もっと大きな開腹術をした患者さんは本当に大変なんだろうな,と実感として感じられた長い夜だった。医者は一度はこんな思いをしておいた方がよいと心底思った。術後はすこぶる順調で「身内」のせいか外科の先生達も他の患者さんほどには顔を出してくれない。術後3日目のこと。個室のドアを少し開けて,外科の先生達が廊下から顔を半分だけのぞき込んで一言。

「どう?大丈夫?」

「あ,先生ありがとうございます。随分いいです。痛みもほとんどなくなってきましたし。まあ笑ったりした時だけ傷のところが痛みますけど。」

「まだ痛む?そうかあ。ま,恨むんだったらAを恨んでね。」

という言葉を残して隣の部屋に姿を消した。なんとその時,術者が外科部長ではなくて同期のA先生だったのを知った瞬間であった。ちなみに自分は彼の記念すべき1ダース目のアッペ症例であった。

「いやあ,プレップしてるときに術者のとこに立って消毒しとったんやけどな,その後も何にも言われへんし,あれ?あれ?俺がやってええんかなあって思ってたら。ホリゾン一筒注射しておまえが寝たところで,よし,やれって言われたんや。でも上の先生がちゃんと見てくれてて問題もなかったし,傷もすごくキレイやろ?女の子なみにマットレス縫合で丁寧に縫ってやったんやで。感謝せえよ。」とは,のちのA先生の話。

学生時代からの悪友であり研修同期でもあるA医師に腹を切られたわけで,後年の同窓会ではウケたことウケたこと。でも今でも本当にキレイな傷です。A先生,ほんとに感謝してます。

 

<What is the key message from this patient?>

急性腹症の古典的名著であるCopeの教科書には,急性虫垂炎の典型的な経過はほとんど必ずといってよいほど P-A-T-F-L の順番でおこる(March of events)と記載されている。

 1.Pain 腹痛,多くは心窩部痛。これは内臓痛であり局在ははっきりしない。
 2.Anorexia, Nausea & vomiting 食欲低下,嘔気&嘔吐
 3.Tenderness 圧痛。これは限局した腹膜炎の症状で通常は右下腹部に限局する体性痛である。
 4.Fever 発熱。通常は37℃台で38℃をこえることは少ない。もし38℃以上の場合は穿孔を考える。
 5.Leukocytosis 白血球増多

順番が非常に重要で,たとえば「痛みがあって,その後嘔気・嘔吐があった」のか,「吐いた後で痛くなった」のかが重要である。もし嘔吐のあとから腹痛がきたとするとそれは虫垂炎の可能性は低く,むしろ急性胃腸炎を考えた方がよいとされる。またJAMAのRational Clinical Examinationのシリーズの論文にも記載されているが(McGeeの教科書にも引用されている)嘔気・食欲低下は急性虫垂炎の患者の8割に見られる感度の高い症状である(SnNout)。このためご飯をばくばく食べてきたと患者が言えば,それは虫垂炎ではない可能性が高い。私自身の場合は典型的な時間的な経過で,右下腹部に限局した圧痛があり検査前確率は非常に高い。したがって白血球数が上昇していなくても,実は検査後確率はそれほど低くないはずである。

以上は典型例の経過だが,どんな場合にも例外があるのが医学の世界である。実際に個人的な経験では,救急外来を受診する前にがっつり夕食を食ってきたと言うごついラグビー部の大学生の虫垂炎を経験したことがあるし,突然の悪寒戦慄をともなう38℃の発熱が初発症状で,その後右側の腹痛で来院した中年男性がやはり手術所見は典型的な虫垂炎であったこともある。この患者さんのところには術後3回も訪れて症状を聞き直したが,発熱以前には何の症状はなかった。これらの症例はいずれも病歴だけでなく,検査所見も参考にアッペと診断したが,医学ではどんな場合にも例外があるということを学んだ。まさにAnything can happen in medicine. (Herb L. Fred, MD)である。

さらに言えば下痢が主訴の例もある。これは例えば,骨盤腔深く下がった位置にある虫垂炎では,直腸周囲に炎症が及んでtenesmusが起こり患者は「下痢」と表現することがある。同様に膀胱側に炎症が及べば頻尿が主訴となることもある。この場合,尿中白血球が陽性になることすらある。いずれもCopeの教科書にはちゃんと書かれていて,虫垂が解剖学的にどんな位置にあるのかが,病歴と診察所見から推測することができるという。

当院のMorning Reportでも,これまで何度も虫垂炎の症例が提示されている。「え〜っ?これがアッペだったの!?」というような経過の症例は多い。虫垂炎の経過は非常に多彩であるのが特徴とも言える。そんな中で,重要な手がかりとしては(カンファレンスへの選択バイアスはあるかもしれないが)「若い男性が夜中に救急外来に腹痛で受診した」場合は,どんな場合にも虫垂炎を鑑別診断から外さないというのは鉄則である。少なくとも事前確率を高めに見積もっておいて,症状はかなりバリエーションがあることも考慮すべきである。

Copeの虫垂炎の章は必読である。少なくとも腹痛を救急外来で診察する機会がある医師(すなわち医師ほぼ全員)は読むべきだと思う。

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