H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

1月 そんな大事なことを何故忘れる!

2020-01-29 | 内科医のカレンダー

今後このカテゴリーで示す症例記録は,私の実際の経験(過去のある時期)に基づいていますが患者さんの個人情報が分からないように,一部変更を加えています。また記載した治療などは当時の医療であり,最新の正しい医療であることは保証しません。あくまでも思考過程を振り返る目的であることをご理解の上お読み下さい。(一般の方を読者の対象とは考えておりません)

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<自宅で意識がなく倒れていたとのことで救急搬送された70歳男性>

 

前日から強い寒波がきて朝から冷たいみぞれまじりの雨が降り続き,日中でも気温が5℃に届かないほど寒い週末の当直の日のこと。

PM 6:00 ○○救急より搬送の連絡が入った。

「70歳の男性が自宅の台所で倒れているのを家族が発見して救急要請があった。嘔吐のあとあり。患者はがん専門病院にかかりつけで喉頭癌で喉頭摘出をうけている,とのこと。」

 

PM 6:10
救急外来に入ると,患者がストレッチャーに乗せられた状態で横たわっている。

救急隊の話では「台所でテーブルの横の床に倒れており,嘔吐のあとがあった。到着したときに室内には暖房は入っておらず寒い状態であった」とのこと。診察をはじめると,閉眼していて呼名にはまったく反応せず。気管切開の部分にガーゼを当ててあった。もともと喉頭摘出と気管切開術のため発声はできない。四肢は非常に冷たくなっていた。電子体温計で最初は体温が測定できず。何とか測定できたときに34℃台であった。直腸で測定する体温計は手元になかった。血圧は90mmHg弱で,モニター上で心拍数60/分程度であった。

救急隊から簡単に話を聞いた後,付き添ってきた家族を呼び入れる。同居の娘さんが保険証をとりに自宅にもどってしまったとのことで,隣に住む親類の男性(患者の妻の弟)が救急室に入ってきた。普段の患者さんの様子を訊ねてみたが,ここ1年くらい会っていなかったため日頃の様子はよくわからないという。その日の昼に妻が旅行にでかけて自宅には患者が一人でいたらしい,ということまでは判明した。(やれやれ・・・)と思いつつ「何も分からないところから始めるしかないですね」と答えて診察を再開。

四肢末梢は非常に冷たい。皮膚ツルゴールは低下した状態。呼吸は規則的で肺野には明らかなcrackleは聴取しない。心音にも異常ない。腹部正中に手術痕があるが,これに関しては不詳。診察上は脱水はありそうだが徐脈である。心電図モニター上は低体温に特徴的なOsborn波は認めず。ナースが末梢からの静脈ラインをとるのに苦労していたため,とりあえず右大腿静脈から18Gエラスター針にて静脈路を確保し,同時に採血する。この時に下肢を伸展させようとすると,動かしてしまいナースに押さえてもらう。血液ガスも採取。うかつにもこのとき眼球の所見はしっかり確認していなかった。原因不明の意識障害なので一応CTはすぐに取ってしまうことにする。

 

PM 7:30
血液ガス pH 7.42, Pco2 45.9, Po2 136, HCO3- 29.4 (O2投与下)あまりめぼしい所見なし。
他の血液検査もこれといった所見なし。軽度の貧血くらい。

 

PM 8:20
胸部,腹部単純X線撮影,頭部CTを施行。脳萎縮以外には明らかな頭蓋内出血,クモ膜下出血などはなかった。

さて,自宅にもどっていた娘さんがやっと到着したため話が聞けた。ここでわかったこと。

患者の妻は今日の正午ころに旅行のため出かけている。娘さんは仕事に出かけたので,患者には朝会ったのが最後だった。午後5時50分頃帰宅したときに自宅の明かりはついておらず部屋が暗かった。台所の明かりをつけてみて,床に倒れている患者を発見した。意識はなく嘔吐したあとがあるため,すぐに救急車を要請した。喉頭癌の治療で手術をして声がでないが,普段は小さなボードを使って筆談でコミュニケーションはとれていた。大体臥床していることが多いが食事やトイレのため自分で動くことは可能で,当日の朝も娘さんが出勤する際に,2階から自分で下りてきていた。病院から処方されている薬を娘さんが持参したが,薬はほとんど飲んでいないと本人が言っていたらしい。

この時点で娘さんから話を聞きながら診察していて,瞳孔は約2mmで正中固定で対光反射なく,Doll's eye現象がないのに気付いた。麻痺の状態を確認すると弛緩性四肢麻痺の状態である。(さっき採血の時に下肢を動かしたはずなのに)と驚く。原因はよくわからないが,脳幹部梗塞の可能性を考える必要があると思う。娘さんにもその可能性について言及しておく。脳神経外科の先生にコンサルトしてMRIも必要かなと思う。

「外来に発熱や腹痛・嘔吐を訴えるWalk inの患者が3人くらいたまっている」とナースから聞かされ,とりあえず加温した輸液(ソルラクト)DIVと電気毛布で加温しながら経過観察にする(というか,ずっと見ている余裕がなかった)。外来診察室にいくと当直の脳外の先生がいたので,患者のことを簡単にプレゼンする。そして診ていただくようにお願いして,たまった外来患者をこなす。

 

AM 0:00
救急病室に入院とする。意識レベル III-200と変らず。血圧低下なし。電気毛布使用するも体温34.7℃。尿量流出は良好。

脳神経外科当直医より「MRIではdiffusionを含めて異常ありません。脳幹部梗塞の可能性は考え難い。代謝性脳症を考えた方がよいのでは」とのコメントをもらう。

可能性は低そうだがWernicke脳症の可能性を考慮してビタミンB1を100mg静注しておく。

家族に再度,甲状腺機能亢進症や副腎不全などを頭に浮かべながら病歴聴取する。

「最近,寒がりになったりしていませんでしたか?脱毛は?」

「声が変わったり?(あ,喉頭摘出で声はでないのか・・・)」

代謝性脳症を考えるとすると・・・
 低血糖は否定した。甲状腺機能低下症は・・・病歴が十分とれない(甲状腺摘出していることをこの段階ではまだ忘れていた)。副腎不全も可能性はあるか・・。肝機能は問題なさそう。電解質異常はない。

この時点では薬物中毒の可能性や甲状腺摘出後であることにまだ思い至らなかった。

その後ナースステーションでカルテを書いている時に,娘さんが持ってきた薬を調べていたナースが入ってきて一言。

「先生,あの患者さん薬はほとんど飲んでいなかったみたいですよ。ただ変ですよ。ロヒプノールだけは全部なくなっているんです・・・」

娘さんが持参した薬を調べてみるとと2ヶ月前に処方された薬はロヒプノール(フルニトラゼパム)が14日分,それ以外は60日分処方されていた。ほとんどすべての薬は全く手付かずの状態であった。しかし,唯一ロヒプノールのシートのみ14日分すべての錠剤がシートからなくなっていた。薬物中毒の可能性がここで急浮上した。

また処方にチラージンSが含まれているのをみた瞬間,この患者は「喉頭癌の手術で甲状腺が摘出されている」のを思い出した。そこで,意識障害は薬物中毒+甲状腺薬の中断による甲状腺機能低下症,加えて暖房なしの環境で長時間倒れていたことによる寒冷暴露から低体温をきたしたのではないか?と思い至った。しかし嘔吐の原因は説明がつかない。

甲状腺ホルモンを投与するのにNGチューブを挿入する必要があるし,この時に洗浄してみようと考える。(ワシントンマニュアルでmyxedema comaのところを確認する)

 

AM 1:40
NGチューブを挿入。この時顔をしかめる動作,払いのけるような上肢の動きあり。NGから吸引したところ淡黄白色の錠剤が半分融解したような内容物の混入がみられた。生理食塩液で洗浄を開始した。どうも薬剤を大量に服用したのは十分考えられそうである。さらに途中で「保温」に気付いて,加温した生理食塩液で総量2L洗浄した。洗浄中,BP70~80台,HR70台,SpO2 99-98%

 

AM 2:00
甲状腺の補充をはじめるのに副腎不全合併の可能性を一応考えて,ソルコーテフ 50mg iv,以後8時間毎にivするように指示。ベンゾジアゼピン系薬剤中毒の可能性を考慮してアネキセート0.5mg+生食10mlをゆっくり静注してみる。アネキセートが0.2mg入ったところで上肢を動かし始め,0.25mg位のところで開眼して呼びかけにうなづく。明らかにアネキセートが効いていると考えられる。つまり少なくともベンゾジアゼピン中毒があることは確認された。

 

AM 3:00
チラージンS 50μgをNGより注入。体温36.4℃。前腕の末梢静脈が見えるようになり,IVを右前腕から差し替え。

 

家族に薬物中毒と甲状腺機能低下症が原因として考えられることにつき説明した。患者が薬を過剰服用するような可能性がないか,もう一度詳細に聞いてみた。すると親類の男性の話では,

「妻は患者に対して,癌の治療に対して意志が足りない,と責めるような言い方になることがたびたびあって本人はストレスに感じているであろうと思う。」

また妻が頻繁に旅行に出かけてしまうことも患者にとってはストレス?であったらしい。前年の秋に妻が旅行に出かけた時にも倒れて,別の病院を緊急受診したことがあるという。この時は結果的には何も有意な所見はなかったらしい。2日前にかかりつけの病院を受診し,大丈夫ということで,当日昼に妻が旅行に出かけたということのようであった。

ベンゾジアゼピンの覚醒を待つこととチラージンSとソル・コーテフ 50mg q8hの投与で経過観察することとした。

 

AM 7:00
呼名に開眼,うなづき,質問に対して首を振って返答あり。薬を自分で大量に飲んだかどうかを質問したが返事ははっきりせず。血圧 96-100/60,HR 80 - 90台

AM 9:00
神経内科の先生が診察してくれたようで記録が残されていた。

「MRIを見てmultiple lacunar infarctがあるのでconvulsionの可能性は否定できず脳波検査は必要であろう」とカルテに記載されていた。なるほど。嘔吐の原因はまだ不明である。

 

入院後の経過
甲状腺機能検査では,TSH 27.12, freeT3 2.3, freeT4 1.10とTSH高値であった。病棟に上がってしばらくしてから,疥癬があることが判明して大騒ぎになったとのことである。

診断:#1 薬物中毒(フルニトラゼパム疑い),#2 甲状腺機能低下症(甲状腺全摘出術後),#3 偶発性低体温症

 

< What is the key message from this patient? >

Triggering error

喉頭摘出を受けていることから,甲状腺摘出→甲状腺薬を服用していない→甲状腺機能低下 というシナリオを思い浮かべることは可能であった。「患者のバックグラウンド」は常に忘れてはいけない。患者のpresenting symptomに必ず何らかの影響があるはずである。

最初から意識障害の「AIUEOTIPS」をきちんと一つ一つ検証していけば薬物中毒の可能性も思い至ったはず。それと原因不明の意識障害に対して「3種の神器+1」のアネキセートをもっと早く試みるべきであった。低血糖の除外も来院直後にやっていなかった。一人当直で忙しくても,いくら救外に患者がたまっていても,原則はまもらなければいけない。それが患者を,ひいては自分も助けることになる。

※原因不明の意識障害に対する3種の神器:ビタミンB1,ブドウ糖,ナロキソン

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追記>

ベンゾジアゼピン中毒の診断にアネキセート(フルマゼニル)の盲目的投与は,禁忌もあり現在では推奨されていないようです。

 

更に追記)乾癬ではなく,疥癬の書き間違いでした。

コメント
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