H's monologue

動き始めた未来の地図は君の中にある

使命の道に怖れなく どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じた道を歩こう

種田山頭火の一草庵

2018-03-27 | 趣味趣味

 松山で道後温泉のあとに訪れたのが,ここ一草庵。俳人種田山頭火の終焉の地である。

 種田山頭火のことを初めて知ったのは中学3年の頃だった。当時大好きだった永六輔さんの本で紹介されているのを見て何だろうこれは?と思ったのが最初。自由律俳句では尾崎放哉と並び称されるが,酒呑みの乞食坊主として全国を放浪した姿と,大山澄太さんが書かれた『俳人山頭火の生涯』を読んでさらに好きになった。そうだ,その伝記は当時自宅のすぐ近くで通っていたお習字の先生に借りて読んだんだっけ。自分でも行乞記という日記や「草木塔」という句集も買って読んだ覚えがある。久しく忘れていた。松山に行くことになって,ふと「確か山頭火が最後を過ごしたのが松山だったっけ?」とウン十年ぶりに思い出して調べてわかったのである。

 早起きして最初に訪れた道後温泉本館の休憩所のオバちゃんの勧めに従い,路面電車で赤十字病院前まで行きそこから歩く。病院の前を過ぎて護国神社のところを左に曲がって小川の横の道をしばらく歩くと,手書きの案内と石碑が立っていた。再建されたという「一草庵」は想像したとおりこじんまりした建物だった。周りには梅などが植えてあり石碑もいくつか並んでいた。


外から写真を撮っていると,中から年配の男性がすぐに出てきて「どうぞどうぞ」と中に招き入れられた。4人のボランティアの方がおられて,勧められるままにお茶をいただき山頭火の位牌(これはレプリカだそうだが)に手を合わせる。この三畳間で「コロリ往生」したんだなあ・・としみじみ想いを馳せる。興味深いお話もいくつか伺うことができた。行乞をして全国を放浪した山頭火は,各地で多くの支援者がいたそうだが,日記にもよく出てきた木村緑平さんという方は今の金額にして二千万円位の援助をしたそうな。炭鉱で内科医として働いて経済的に余裕があったらしいとのことだが,それにしても何とも驚いた。


表の看板はレプリカだが,室内に飾ってあるこの看板は本物だそうです。


障子戸を開けると隣は竹林だった。山頭火がいた頃からある竹林だそうで,この景色を山頭火も眺めていたのかなあ・・などと思う。


自分以外には,県内から来たという年配の女性が二人来られただけで何とも静かなところであった。

コメント
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