ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

携帯機種変騒動

2009-10-23 22:43:43 | 日々の出来事
 母が携帯を持ちたいと言い出したのは3年前だった。その数日前に、河川クレーンが送電線を切って、かなりの広範囲で停電が続いた事故があった。その時に、固定電話は使えなかったのに、義妹や甥が携帯で情報を入手しているのを見て、緊急時には携帯がある方がいいと枕元に置くことになった。

 以来、携帯は非常時用にずっと枕元にあり、不携帯が多い。

 その母がこの夏前から携帯を新しくしたいと言い出した。それは、大竹しのぶの携帯コマーシャルに刺激されてであった、らしい。「らしい」と書いたのは、あの女優さんの持っている携帯といわれても春から夏にかけてテレビのない生活だった私はどの携帯か分からなかったが、9月に入って一緒に家電量販店に行った時に、女優さんのコマーシャルの話題の簡単携帯ってどれかしら???と聞いて初めて分かった。防水で落としても大丈夫、声でメール入力ができると…でも、本当に母が使いこなせるかは甚だ疑問と思ったことと私が忙しかったので今日に至った。

 夏の明け方、静岡の地震の時に妹が母の携帯に心配の電話を入れた。でも母は出なかった。その理由は「今時に電話は変だ」と思ったそうな。その後夜中に電話が鳴った時は(たぶん間違え電話)電話を切ってしまってから、朝になって妹にあなた?とかけたらしい。何かあっても出てくれるのかしら?

 母の携帯は今月末が解約手数料のかからない月であった。先週くらいから携帯ショップに行ってリサーチしていた。本当は私が出先から電話を入れることが多いので同じ携帯会社にしてくれた方がありがたいが、私の携帯会社はその方面の機種開発では遅れているようだ。で、代理で携帯を買い換える、あるいは新規に買うにはどうしたらいいのか聞いてきてあった。

ショップ①:私の免許証と母の保険証だけでいい。
電話インフォメーション:やはり同じことを言われる。
今日午前中に行ったショップ②:
初めは保険証と公共料金の領収書がないと駄目だという。その携帯の領収書は持っていっていたが、だれも公共料金の領収書なんて言ってくれなかった。さらに交渉を重ねるうちに、本人の顔つきの証明書(運転免許証、パスポート、住民基本台帳など)がないと駄目という。ひとつ聞くたびにお嬢さんは間仕切りの奥に行ってお伺いを立ててきて、「申し訳ありませんが、決まりですので…」という。あげく、だったら今の機種を解約だけして帰るといえば、代理人の委任状が必要という。クレジットカード払いについても、埒があかない。今本人は自宅に居ないから(苦笑、母はすぐそばのデパートで買い物中ではあったのだが…)、委任状を取りに行っている時間はないといったら私の年初の要旨を持ってきた。書き上がったら、これで解約しますが、ポイントも消えます。何~~とそれまでの押し問答もかなりイライラするものであったので、伝えるべきことをちゃんと伝えなかったショップ①も今朝の電話も、そして今までのやり取りもおかしいし、そりゃぁそれだけ携帯にまつわる事件も多いので神経質になっているのだろうけれど、杓子定規も甚だしい!!。親子であって、信頼しているから保険証もあり、カードも預けているのに…まだそこにあって念書をちぎって、「やめます!!」といって帰ってきてしまった。

 が、現実には月末まで忙しくて私には時間がなかったので、帰ってきて午後に家の近くのショップ③に行った:勿論、保険証、領収書、委任状と私の免許証を持って。
委任状に不備があるという。パソコンのダウンロードができない環境だから、パンフレットに書いてあった事項を手書きしてきた。 機種代の分割払いの回数を委任事項に書いていない。携帯の番号の書いてある場所が云々という。え~~~、もう行ったり来たりは疲れたので、数字だから私が書き込みます、目をつぶっていて!と言って書き加えたら、そんなことされたら困ります。筆跡をスキャンしますからという。困る時は犯罪に使われるときでしょ。私は娘なのよ!!もう完全におばさんですから強い、強い。(もともと署名のところだけ母に書いてもらって他は私の字ですし~)上の人に「お伺い」してきて今回だけOKがでた。
結局、母が気に入った大竹忍さんの携帯は、機種が高いこと、水に濡れてしまうような状況で母は使わないだろうことやめた。テレビも携帯では見ない。ということで最低限の機能が付いている機種になった。そしてこれなら母がメールもできると言っていた音声入力メールは、音声を文字化するためにかなりの料金がかかるのでお勧めではないと言われてやめた。でもゲットできました。

 ふぅ~~疲れました。ショップ③のお兄さん、はじめのショップ①で委任状の要旨をお渡ししていればこんなに大変じゃなかったですよねと言った。そう、やっと柔らかな話し方の人に会った気がした。ホッ。

 家に帰ってから、充電し、弟、義妹、妹、わたし、伯母の番号を入力して、かけ方を教え、メールの受信方法を教えて、写真入りで使い方の書いてあるパンフを手下に置いておくことにした。メール送信は入力がまだ慣れなくてちょっとまだ無理かな。メールを読んでくれればいいと思うことにした。

 でも、でも、何よりも枕元に置いておかないことを守ってくれるように頼んだ。そして緊急時のために夜は枕元に置いておいてほしいのだが…。迷惑電話や迷惑メールがなると困るかなぁ。どうなるやらこの顛末。

クライマックスシリーズ

2009-10-22 23:00:53 | 日々の出来事
 野球の試合を生で観に行くことなど、殆どなくなった。(これでも若いころはシーズン中は女の子一人でだって球場まで観戦に行っていたほどの野球好きだった)でも、根っこは好きなんです、今でも。

 今日のクライマックスはセリーグもパリーグもNHKBS1とBSハイビジョンで放送されていた。もちろん、私の本命はジャイアンツ、昨日大敗を喫していたから、今日は勝ってくれないと困る、と念じながら見ていました。かたやパリーグは個人的に好きな岩隈が投げているのが気になって、ジャイアンツが落ち着いてきたあたりから時々チャンネルを回してしまった。…どこがジャイアンツファンじゃぁ!!そりゃぁ、楽天が日本一になるなんて思っていないけれど、岩隈には勝ってもらいたかったなぁ。

 クライマックスシリーズに勝ち残らないと日本一になれない。この二日で外国人先発投手を使ってしまったから、あとは日本人で頑張ってくれれば残り少なくなっていく野球のシーズンをまだまだ楽しめる。だから、ジャイアンツ、がんばれ!!原さん、今年の〆まで冴えた采配をみせて頂戴、お願いだから。

 ちなみに海の向こうではヤンキーズに勝たせてあげたい、だって松井が大リーグに行ってからワールドカップで勝っていない、というかチャンスもなかった。運のいい人は渡米してすぐに優勝したチームにいた。たまたまじゃない!なんて思ったりする心の狭いファンで…

 上原のチェックはHPでかかさずしていますよ。来シーズン、頑張れるかなぁと気弱になりつつ応援だけは熱く送っているところです。

ps.インフルエンザワクチンその後は、熱が上がったりせずに普通に過ごしています、ご安心を。気分よく休むことにしましょう。

季節型インフルエンザワクチン 接種しました

2009-10-21 20:38:50 | 日々の出来事
 昨日、かかりつけ医に行ってインフルエンザワクチンのポスターを見て、早いけれどやってしまおうかなと思って受付に言いましたら、まだ朝一番の受付だったので「ワクチンは二人で一本だから、出来たら二人希望者がいるときの方がいいので~」ということで来週に予約を入れたのですが、診察中にもう一人希望者が現れて急遽昨日接種してきました。

 一日忙しいけれど運動するわけじゃないから、大丈夫かと思っていました。夜、やはり日中に摂取した親子と立ち話していたら、そのお嬢さんが腕をさすりながら「こんなに腫れている!」と言い、私も「しこりになって火照っているのよね」と同じく腫れを感じました。そのお母さんは「こういうの何ともないのよね、私」と。

 今日、何となく熱あるかなと思ってもはからずに仕事…帰って、さっき測って見ましたら、36.7度熱発ではないかもしれない、でも平熱が35度台が多い私にはちょっとあるかなという感じではあります。早起きしたし、ジャイアンツが負けているし、もう寝ようかな。初めが肝心だから…。

やっと、秋 松茸の土瓶蒸し

2009-10-20 22:11:54 | 料理
 今日はカルチャーセンターでの懐石料理。参加者の年代は30代から50代でしょうか。今まで主婦されていた方ですから、料理全くの素人ではないのに、ここで懐石料理との出会いをとても楽しみにして下さっているのが分かって、毎回こちらもやりがいがある。

 先月から土瓶蒸しをしたくて、国産松茸を探していたが、今年は雨が少なくて大凶作。とうとう松茸山の季節限定の食事どころが閉店してしまったそうな。何回も八百屋さんに聞くも、「10万積まれても無い!」とそっけない。土瓶蒸しで無ければならないわけではないが、今の時期しかできない。という訳で今日はカナダ産の小ぶりの松茸を使うことにした。香りが余り立たなかったけれど、でもちゃんとだしをとって、松茸にえび、とり胸肉、銀杏、みつばにすだち、材料がそろって器から頂くと「美味し~い」(*^_^*)と言う声が上がった。

 後は春菊の胡麻和え、こんにゃくの辛煮、里芋ごはんという献立。

 きっと、どこでも出会う素材だったので「こんなものを習うのが懐石?」と思う人もいるだろうけれど、むき胡麻を色よく煎って、すり鉢で脂が出るまで当たるとこんなにこくがあるのだと分かっていただける。この頃スーパーではむき胡麻は愚か、洗い胡麻も消えて煎り胡麻、すり胡麻ばかり。すり胡麻は簡単に和え物ができるかもしれないけれど香りもなく、舌触りもざらついてわたしは好きではない。煎り胡麻は封を開けたてはいいのだが、もう一度煎りなおして使う。胡麻を煎っていると香りが立って豊かな気分になる。もっともっと当たると胡麻がねっとりと練り胡麻状になって胡麻豆腐づくりもできる。来年は献立の中に入れることができるだろうか。

 こんにゃくを小ぶりの千切りこんにゃくにして、照りよく色よく香りよく仕上げた。から煎りしてから、調味料の入れ方、煎り煮していく順番などきちっと覚えると応用が利いて次へのステップアップに繋がる。お正月のお節の片隅にきっと小さな手綱こんにゃくが美味しく納まるかな。

 八百屋さんもびっくり、里芋のご飯は先月の別のクラスと同じに献立の中に入れた。栗ごはん、サツマイモご飯と一緒に秋のご飯ものの定番に加えていただきたい。

 自分は一口味見をして、家族にも味わってもらうと容器にいれて変えられる姿はやはり料理は食べてくれる人が居てこそと思う。今晩の夕食はいつもより話が弾んでいれば、わたしの役目も充分果たせたと嬉しい。

友のために祈る

2009-10-19 21:49:13 | カトリックの信仰
 今日訃報のニュースが入った。42歳、葬儀はごくごく身内の家族だけで極秘に…と伺うだけで、複雑の事情を察することができるという現実が悲しい。ただただ悲しく涙する。

 若い頃、20年以上前に中高生担当で教会学校を一緒にしていた。一番下のお子さんがもう中学生になるぐらいだから40代後半かと思っていたけれど、享年を伺ってなおびっくり。静かに、じっくり、でもどこか不器用に中高生と関わっていたけれど、若かったのだなぁ。落ち着いていたので大人だと思っていたけれど、実はあの頃彼は20代も初めだったんだ。その後、消防士になる決心をしてから揺るがなかった。「自分が選んだ道だから」と控えめに、でもきちんと職務のことを話してくれた事があった。結婚し、三人のお子さんができて、仕事も不規則なこともあり、なかなか会えなくなった。

 穏やかな笑顔だけた浮かぶ。まだまだ生きたかっただろうにと思うと、本当に寂しく、今日は一日、永遠の安らぎが彼を憩わせてくれるようにと祈っていた。遺されたご家族は今は動転していらっしゃるだけかもしれないけれど、日ごとに辛い思いをなさるのではないかと思う。ご家族にも神様の祝福があるようにと祈る。

 カトリックの教えでは、自死は罪とされていたときもある。今でも良いこととは勧めない。神の与えてくださるいのちは重い。でも神のいのちだから、この世での生の先は神の御手にあるのだと思う。関わりのあった方の自死を間近に体験すると、いつも神はご自分の手元で「休ませてあげよう」と引き受けられたのではないかと思う。この10年間自死者数の統計発表がある時に、知人友人が入っている年が多くなっている。他人事ではないと思うのに、でも結局のど元をつっかえつっかえ過ぎて行くのをじっと見つめているだけ、のような気がする。その時々に、いろいろと思い巡らすのだけれど、あとは「神様お願い!そちらでゆっくりさせてあげて」とお任せしてしまう、のでいけないな~~~。

 いつかまた会えるときに、神様のおそばの居心地を教えてね、先に逝ったのだから。そちらではきっと分かり合える交わりの中にいられるでしょう。

民主党さん ここが踏ん張りどき 第一ハードル

2009-10-17 08:12:09 | 日々の出来事
 民主党が衆議院総選挙で大勝利をして、政権を託された。でも、それは自民党の長期政権に飽き飽きして政治が、経済が、そして社会が変わる糸口になればいいと思ったからで、当初から財源は大丈夫なのか?というマニュフェストを全部実現してほしいと思っていたわけではないことを、分かっていますか?

 ここへきて国の予算を立てていくときに、いやぁ~~膨れ上がりましたねぇ。90兆円を超える予算って見当もつきませんが、無駄遣いをやめるにはちょっと多すぎやしませんか?って思います。ばら撒いていいというものではなくて、政権が交代して、じっくりと、そうじっくりと精査する間もない今、マニュフェストを全部、手をつけていったらパンクするのは当たり前でしょうが。緊急医療現場でトリアージするように、優先順位をつけて来年度はここまで、と4年間で実現していけばいいのでは?と思うのは公約違反ではないと思うのですが。

 それにしても、国家予算もっときっとスリムになるとは思いますよ、絶対に。毎年あっちの省庁、こっちの省庁の綱引き、予算の取り合いという作業があったのは知ってはいましたが、予算を削るという作業はきっと初めてのことでしょうね。お役所の方も、削っていかなければと思っている“査定大臣”もここぞ、チャレンジでしょう。まだ「概算」予算なのだから、あと2,3カ月かけて、落ち着くところに落ち着いたらいい。マスコミや元与党の面々はここぞとばかり突いていますが、今つつかず動ぜずに、お手並み拝見と太っ腹だったら大人なのに、と思うのは私だけ?

 どんどんと予算をふくらませ、赤字国債を発行して借金を増やしていったのは自民党さん、あなたたちの時代でしょうが。私たちの小さな家庭財政でも入るものが少なければ出るものを削って、節約して我慢して何とか過ごすのですから、財務大臣が言うように、税収入、財源に見合った国の在り方を模索しなければ成り立っていかないのは当然のこと、安易に赤字国債に走らないことを念じるばかり…と国債を買う余裕のある群れは、生活が逼迫していない群れであることを「国民目線」でよ~く考えてほしいものです。そうしたら、減りますよ。来年度まかなえる収入に見合った政策、国家事業を選んだら。

 書きなぐりですが、どこかに思いをぶつけたくて…

鯵の酢の物とエリンギとほうれん草の煮浸し

2009-10-16 00:03:33 | 料理
 実家に転がり込んで、仕事に出かけるので夕方は母の夕食時間ぎりぎりに帰ることが多い。母が食べたい物をみつくろって作る日があったり、私がほとんど買い物を済ませて下拵えをして出かける日と最後の一品を夕方みつくろって帰る日がある。

 今朝、お弁当に母の分は耳を落とし、私は耳付きサンドと二人分作った。かぼちゃサラダと茹で卵、ウィンナの三種。時々、お弁当のおかずも二人分作る。

 今朝は冷凍庫にずっと寝ていたエビを見つけたので海老フライの用意を母にしてもらった。ついでに野菜室も一杯だから、母は付け合わせを切ったり茹でたりしておいてくれた。だから、仕事から戻って、フライを揚げ、ついでに茄子を揚げて下し煮にして、付け合わせにホウレンソウとトマト、数日前に作っておいたパンダ豆煮、味噌汁を温めて、何だかとっても豊かな夕食になった。お腹いっぱい!!

 数日前は帰りに主菜を買ってくることになっていた。鯵の好きな母が喜びそうなお刺身用鯵が店頭にあったので求めてきた。帰って、さばいてちょっと酢〆して、美味しかった。母は家にあったエリンギとほうれん草を煮浸しにして、豆腐の味噌汁を作っておいてくれた。ちょっと嬉しい日。

 ゆっくりと一日家にいることは少ないけれど、母と一緒に過ごすこういう時を大切にしたいと思う。

原作が先か、映画が先か

2009-10-14 22:30:28 | 日々の出来事
 東野圭吾、今売れっ子作家なのは知っていた。ミーハーなのに、流行りものに飛びつくのを止めるときがある。それでもテレビドラマでは「ガリレオ…」シリーズで。で、この頃は寺尾聡主演の映画「さまよう刃」の公開広告を見て、う~ん、この配役で、「最愛の人が奪われた時、あなたはどうしますか」「正義とは何か。誰が犯人を裁くか」観たいなぁ…。でも衝撃の原作(2004年著)も気になって…。

 寺尾聡の映画は「博士の愛した数式」「半落ち」「阿弥陀堂だより」ドラマの記憶は「やさしい時間」観てました。…つい観たくなる気になる存在。

 やはり原作を優先した。しょっぱなからウェ!!となる展開で、書き出しはあまりいい気分ではなかったが、やっぱりのめりこんで読んでしまった。被害者の肉親だったら、犯人が少年だったら、子供を亡くしたら…いろいろと考えさせられた。今、仕事で「人が人を裁くとき」というテーマを扱っている。裁判員制度がはじまって、出来たら裁判員にはなりたくないという個人的な思いはあるにしても、でも「人をゆるせない!!」と思う状況は突然やってくるかもしれない、とそのことが恐怖だ。「誰が裁くのか。誰を守るのか」 ミステリーとしての結末は明らかになった、がテーマへの答えは出ていない。

 H市母子殺人事件でも被害者遺族の気持ちが痛く伝わるので、出来たら早く心穏やかな気持ちになって欲しいといつも祈っている。極刑をのみ望んでいた彼がある時に、「この事件を通じて、皆がいろいろなことを考えるきっかけになったら…」と話しているのを見て年月は人を変えていくのだなぁと思ったことがある。

 逆に少年A事件は犯罪を犯した少年のことを深く思った。今もそれは続いている。多分、どこかで社会生活を営んでいる、どう生きているのだろう。

 映画は配役を確かめて…劇場にはいかないだろう、きっと。自分の中で宿題にしていることを一杯思い出した。

Ps. 文庫本を帰宅時に電車の中で読んでいた。もうラスト近く。降りるはずの駅から気がついたら二つ先だった。折り返しに乗って、気がついたら降りるはずの駅の一つ先だった。もう一回折り返した。本は家に帰ってすぐに読み終えた。

義母入院

2009-10-11 23:44:11 | 大切な人 家族・友人
 長野に帰宅。夜になって寒いです、本当に。

 夕方長野へつき、そのまま病院へ。医者嫌い、病気知らずの義母が先週の金曜日に初めて入院して、そのことがショックだろうと思いながら病室へ行くと、点滴をしながら上手に移動もしてお元気でした。木曜夕方の痛みからの顛末、昨日今日のお見舞いの方々の話し、昨日の夜の痛みのこと、友人知人、親戚を上手にあやつり、というかあやつられ、どうも私の役目は母の家のこまごました物を探して持っていくことのようです。実は今わたし、今、車を点検に出していて移動があちこちになるとちょっと大変ではありますが、ま、今日、明日はお役に立とうかなと思っております。

 10数年前に亡くなった義父を足掛け5年間母と看取った時、5年前に父を看取った時のことを思い出すと今はもうお二人の様に看てあげる体力・気力が落ちているなぁと思います。頑張り過ぎないようにしないと、というのが正直なところです。できることをできる範囲でと思っています。

秋の夜長は読書 ミステリー好き??

2009-10-09 11:15:21 | 日々の出来事
 春先は、久しぶりの天童荒太「悼む人」にはまった。天童作品をミステリーと思ったことはあまりないのだが、でも彼のジャンルはミステリーらしい。私は現代の深層を深く見つめた社会派ではないかなと思っている。嫌いな人は嫌いだろうなとは思う。

 母は三人姉妹で90代二人の姉がいて、電話のやり取りや今も文庫本を回したりして仲がいい。だから、母の好みではなくても伯母の買った本が何冊もある。

 そんな束の中から夏以降に「告白」(湊かなえ著)と「向日葵の咲かない夏」(道尾周介著)を立て続けに読んだ。母はどっちも気持ち悪い本だと言っていた。(妹は「悼む人」も「告白」も「向日葵が~」もどれも読む気にならないと言っていた) 確かに殺人を扱って子供が出てきて、なんじゃこれは…と思いながら、私は一気に読んでしまった。でも私にとって天童荒太と決定的に違うのは、この二人の作家の作品を続けて読む気にはならないということ。作品の発するメッセージが分からないということ。本を読む時にいつも問題意識を持って読むわけではない。でも読みながら、読み終わって今自分の生きている時代を映している、あるいは自分に問いかけてくるものを受け止める作業は好き。作家がもつ問題意識に触れる、そのことが嫌ではない。天童氏の作品はいつも深く考えさせられる。でも彼は寡作だから「悼む人」のあとはいつになるやら…。きっと何年も構想を抱えて、身を削る実体験をしながら書いてくれるのだろうな。

 重たいテーマの後には、何にも考えずに読める本はありがたい。そういう時には軽いエッセイであったり、山本周五郎とか藤澤周平系の時代小説は気持ちが苛立たないでいい。

 小・中学校の頃、学校の図書カードをとにかく一杯にするために本を借りていた時がある。アガサクリスティーは片っ端から読んだ。何という作家だかすっかり忘れたのだけれどタイトルにいつも「○色~」がついていたシリーズも一気に読んでいた。ホームズのシリーズもかなり読んだかな。 あの頃読んだのはエミリーブロンテ姉妹の作品も、「若草物語」のシリーズも、「赤毛のアン」シリーズも女の子が読むような本は片っ端から読んでいった。学校にはカトリックの聖人伝や青少年向けの小説もいっぱい置いてあったので、信者だからシスター受けがいいかなと姑息な理由で読んだ記憶もある(受けは上がらなかったけれど、面白かったから、よしとしよう)。遠藤周作や曽野綾子さんたちカトリック作家の本も、キリスト教関係の本も手にする機会は多かった。

 学生時代から大人になっても、半徹しても一気に本を読めたということは好きなんですよね。最近は本を読んでいて徹夜なんてありえないけれど、でも中身の先が気になって気になって、早目に目が覚めて続きを読み、重たい本なのに出かけるバッグに忍ばせてバスの中で読んだり、電車の中で読んだりすることはまだある。

 必要に迫られて読むことになる本に結構引き込まれたりすると儲けもの、と思う。友人に勧められた「レディージョーカー」を機に高村薫にはまって、好きな作家のひとりになった。好きな俳優が出演する映画が気になるけれど、映画と小説どちらを大事にするかというと小説と思うので、まず本を読む。それでも観たいときには映画も観ることがある。「ハリーポッター」は本を読んで、映画を観た。映画を観てから、ポッター離れしてしまった。横山秀夫の本は「半落ち」が最初だった。映画はテレビでしか見なかったけれど、あの後ずいぶん彼の作品を読んだ。気になる存在。「大地の子」はちょうど病気で入院中にNHKで放映されていて、消灯時間を過ぎても本を読みふけった。山崎豊子さんの社会派の作品群も、長くて重たいけれど次々に挑戦したくなる。物書きになる人は松本清張然り、司馬遼太郎然り、新聞社に勤めていた人は多いのだろうか。物事への視点はそれぞれだからこそ、本はいつも読み切れないくらい出版されている。

 一昨年、青森に行くにあたり読んだのは太宰の「津軽」、久しぶりの太宰作品に他のも読んでみる気になった。今年は太宰年だったが、そうなると私の興味はほかに行く。あまのじゃくにすぎない。

 叔母からの本の中からおととい読み終わったのは「子供の世話にならないで死ぬ方法」(俵萌子著)ちょっと年上の友人から良く最期を誰に見てもらうつもりか決めておきなさいと言われる。誰にって子供に負担をかけたくないなということくらいしか考えていない私はまだ本気で考えていない。これからはこの手の本も読まなければいけないジャンルになるのだろうか(ってまだ他人事)。本を読むきっかけは、実にいろいろ。さて、時間をとって本屋を一回りしようかな。このときのムズムズ感って、皆さんありますか? どうもある人とない人がいるらしい、不思議なことの一つ。

 子供たちに読み聞かせた児童書、今、子供たちが孫に読み聞かせている児童書。孫と一緒に童心に帰れるのはとっても素敵な時間。孫へのプレゼントは圧倒的に本が多い。

・・・・・雑感はきりがないから、今日はこの辺でおしまい・・・・・