ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

根曲がりだけ

2011-06-27 00:35:23 | 料理
長野に来てから知った志賀高原(だけではないとは思うのだけれど雪深い山の奥深く)で採れる、根元が這うように曲がっている細い竹の子の出回り方が、いつもより遅いらしい。

この根曲がりだけ、とってすぐは筍もそうだが、えぐみがなくて柔らかくて美味しい。普通に地元の八百屋さん(スーパーにもある)の店先のを使ったり、採って日が経っている物はさばの水煮缶と合わせたみそ汁とか、卵とじ、てんぷらなどにして食する。ただし、新しくないと穂先とほんの数センチ下までが柔らかい、その先は節毎に包丁を当てて、すっと切れる部分だけが食べられる。

数年前に山に入って採ってきて頂いた時には、皮付きのまま焼いて味噌をつける食べ方を教えてもらった時には大感激。とっても甘くて頂いた数本はあっという間になくなった。

そして、今年は根曲がりだけを取りに行くという友人ができた。先月、採れたては美味しいのよね、という話しをしていたら、今月山に入った翌日に届けてくれた。発泡スチロールの箱に一杯、10キロ近くもあっただろうか。その火のうちに火を入れること!といわれて、数本は焼いて、大急ぎで皮をむいて茹でたもの、、皮付きで蒸したものと分けて処理。勿論、食べきれないと思ったので竹の子大好きな友人にもお福分けした。

娘のところに処理済を少し落とし、母とも丁度あったさば煮とあわせてみそ汁にして食べた。今年は堪能できました。

孫の洗礼 + 聖霊の大嵐?!のハプニング

2011-06-26 00:21:13 | 料理
明日はT司の2才の誕生日。その前に洗礼(上の子たちはF子は9ヶ月、S平は1歳でそれぞれ洗礼を受けた)をと今日を迎えた。意図的に遅らせたのではなかったと思うが、T司が生まれてからの子育てはくぐってみなければ分からない、毎日が一生懸命な日々であったに違いない。

30分ぐらい前から打ち合わせがあり(私は1時間だけ抜けられない仕事があって遅れたが)、その間T司は自由に丁度たくさんの電車の行きかうのを見られる玄関先と部屋の中を行き来していてご機嫌の様子だった。赤ちゃんの洗礼は、ビクッとするもののそんなに大騒ぎになったことはないのだけれど、ちょろちょろ動く2才児の洗礼式はどうなるのかなと思っていた。この調子なら大丈夫、と洗礼台帳も書き入れていよいよ洗礼式のために聖堂に移動。

玄関先で遊びだした子供たちが聖堂に入るのに少し時間がかかったが、4月から近隣の教会と掛け持ちとなってこの教会に慣れていなくて道具の準備に時間がかかっていた司祭、両親、代父である私の弟、と双方の祖母、みんな揃った。

祭壇の前にT司は引っ張られて、いや~と叫び、お母さんに抱きかかえられて大泣き、どうなるかと思ったが司式のN師が洗礼の問答をしていよいよ水をかける段になったら、T司はすごく神妙になり(後で聞いたら、娘が今日はおでこにお水をかけるからね、と話していたらしいので、思い出したのかもしれないと)、その後の白衣をかける段には興味津々、火のついたろうそくをしっかりと自分で持って役目を果たして誇らしげ!と無事に洗礼式は終わった。T司の霊名はペトロ。
ちなみにF子の霊名は生まれてすぐにNICUに入院して退院した日にちなみフランチェスカ、S平の霊名は誕生日の聖人の洗礼者ヨハネ。

祭壇の前で皆で写真を撮り終わったところで
N師「さ、次はお父さん」
K平「じゃあ」
N師「霊名は?」
K平「ヨゼフで」
N師 じゃ、と「今度は大人の準備」支度
・・・・????!!!!・・・・冗談じゃないんだ、と分かったのは司祭も代父も、そしてK平も並び、本当に洗礼式が始まってしまってから。

この日を毎日祈りながら待っておられたK平のお母さんと目を合わせて喜びの洗礼式、涙もあふれそうでした。神様の計らいはこんな風に働くのですね。それにしてもN神父様の一言が背中を押してくださったのだと、本当に感謝です。伏線はありました。長女のF子の洗礼のときに一緒に受けようかなぁといっていたこと。それがいつの間にか長男としては姉や弟の為にまだ受洗はできないと理屈をこね(そういうのへ理屈というのよ、K平君)て、今回は娘には子供と一緒に受けちゃおうかなとは言っていたようだけれど、式前にT司の洗礼台帳を作っている時にN師が「お父さんの霊名は?」と聞いた時に彼は「未受洗です」と答えていた。あの時に「お父さんも受ける?」と聞かれてもすっと受け入れたかというと分からない。でも機は熟していたのだと思う。
子供の洗礼、神様の計らいと、N師の絶妙なタイミング…、ビックリだったけれどみんな嬉しかったのでバンザ~イ。自分でもビックリ、K平の洗礼式がこんなに嬉しいということに。

N師も式後、『これは聖霊が働いてくれたと思う。ふっと言葉がでたんだよね。洗礼を受ける家族の為に勉強をしていない家族が付き添ってくることがあるけれど、時々「一緒に受ける?」と聞くことがある。でもそういうと大抵はイエイエと手を振って断る。今日はK平はすぐに霊名も決めてあった風だったし、そのときだったのだろうね。・・・彼は勢いで洗礼受けちゃったけれど、今頃しまった~と思ってないかな? それにしても忘れられない洗礼式になるねぇ』と言われた。

本当!私たちにとっても忘れられない喜び多い一日になりました。すでに家族、友人に分かち合いメールを送信した。

帰ってきたメールは「そんなことがあるんですねぇ」「びっくり」・・・「おめでとう」ですが、正直にそんな展開だった。が、「Y子ちゃん一家への神様の愛ですね」と『聖霊に寄らなければ誰も「イエスは主である」とはいえないのです』と書いてくれた二つのメールは味わい深く私の心にス~ッと流れ込んできました。皆さん、私の興奮にお付き合いしてくださってありがとう。

K平のお母様S子さん、本当におめでとうございます。心からお喜びを申し上げます。

24日 S平の4歳の誕生日、25日 T司とK平の洗礼式、36日 T司の2才の誕生日…娘の家のお祝い膳は明日の晩だそうだ。

週3回のパート

2011-06-23 23:45:49 | 日々の出来事
私、向うひと月の間に週三回のお仕事のうち、確実に決まっているのは7回お休みします。ハイ、勿論私事です。

とっても真面目な方々が仲間なので、私事で休みますとおっしゃる方はその仕事場では私ともうお一人のみ。皆さんは出勤日以外に私事を合わせておられます。偉いと思います。でも、私、初期ではありましたががんを患った折り、手術ご退院の運びの時、重篤であった同室の同病のがん友だちに「ストレスをためるな」「自分を大事にしろ」「一生懸命やる気質を変えろ」「気を使う性格を変えろ」「もう帰ってこないように(再発のこと)」と口々に言われました。なかなか変えられることではないのですが、こういう時に都合よく思い出すことにしております。

で、忙しくない、人に多くの迷惑をかける時期ではないことを確認の上ではありますが、私事を優先させることにしております。

今月のカルチャー

2011-06-21 23:54:48 | 料理
今日はカルチャーの懐石料理教室の日。
入門クラス:米茄子のとりあんかけ
      冬瓜の吉野葛汁
本科クラス:あわびの磯焼き
      モズクの三杯酢
      あわびのワタの醤油煮

米茄子のとりあんかけは大好評。初めてのことをするようなワクワクして調理していらっしゃる姿を見ること、とっても美味しいといいながら召し上がっているのを見ること、とっても励みになります。冬瓜も青く綺麗にできていました。

本科クラスのあわびは大奮発、小ぶりながら一人一個ずつ甘みそ焼きでした。滅多にあわびを自分で調理しない方ばかりですから、大感激で今日は料亭に行ったようだと満足していらっしゃいました。生徒さんの中で畑をしておられるIさんが春菊、山葵菜、ラディッシュをもって来て下さったので、この献立+春菊のおひたしと山葵菜とラディッシュのサラダ、午前の残りの冬瓜を使い底へラディッシュの葉っぱを添えたすまし汁も増えました。賑やか賑やか。

そして、そして、
なんとやはり生徒さんの一人が昨日夕方から山にはいって根曲がり竹を採ってきてくれました。先月からそんな話はあったものの一掴み位かなぁと思っていたらなぁんと全部で10キロぐらいあったような気がします。とにかく今日中に火を入れて下さいとのことで、皮付きで蒸したり、皮をむいて食べられるところだけに火を通して始末しました。その間に口にも放り込んで根曲がり腹になるぐらい頂きました。ご馳走様でした、Sさん。

そして今日は母の誕生日でした。
おめでとう!! 90歳で元気なのは本当に嬉しいことです。

ホームページとブログ

2011-06-20 08:00:50 | 日々の出来事
ホームページもブログも専門的な知識がなくても、簡単に書き込むだけの物ができてホームページを作ったのは2002年だから9年半になる。今と同じく書きたいときだけ書く、はじめは本当に身内の人にだけ公開のページだった。
ちょっとずつ紹介されたり、積極的に信頼できるところにリンクお願いしたりで、そりゃ人気ページとは違うけれど家族間の安否確認みたいに、今こんなことしているんだとか、元気そうだなとか家族も読んでくれていた。

「時々読んでいるわよ」とか、「信仰のことは分からないけれど、H子ちゃんの考え方に刺激を受けるの」「癒されているわよ、優しい語り口が」といわれることもあってそれも励みになっていた。
それでも悪意のある書き込みや、思い込みで私の意図と違う受け取り方でホームページを読んでいない人へ伝わっていくこともあったりで、書くのが嫌になったこともあって休んだ時もあった。でも数ヶ月するとまた書きたいこと、伝えたいさもない日常の出来事を書くようになっていた。でも、でもよのん蟹もっと気が楽に書けるブログがでてきて、私が使っていたサーバーの提供してくれるサイトが提供をやめる事になって、ホームページは閉じてしまった。

その少し前からぽつぽつ始めていたけれどブログの使い方も今一分からず、ホームページと違うスタンスで書きたいなどと思うと本当にたま~に書いているだけだったが、上記事情に仕方なくブログにシフトした。

ブログもすでに(一番最初はもっと早いけれど)3年ぐらい経つかしら。ブログのアドレスは、HPの読者には積極的に知らせずに移行した。家族(親戚ではないです)と信頼できる友達3,4人にしが教えていない。HPの時より肩の力が抜けている。HPは直接ではなく、間にその人の受け取り方を加えて友人に伝わって、更にそんな~~という感想が届くとHP上で訂正も面倒だし、嫌気が差してきていたので確かに変な気を使わないで素直に書けるような気もする。

そんな中の日々のあれこれを日記風に書いているだけでも、この時、この時期にこんなことを考えていたのだという個人的な覚えの域をでていないのだから、やっぱり内々で読んでもらえばいいと思っている。でも制限をかけていないので公開されて、どういう経路を経るのか分からないが顔も分からない方が読んでくださることがあり、それなりに発信したい気持ちもないことはない。

時々親戚の中からも、以前からHPを読んでいた友人からも続けていないの?どこかのサイトでやっていないの?と聞かれる。黙っているとあきらめる人が多いが、何となく「ウン、まぁ」みたいな返事をするとあちこち検索して「みつけたわよ!」とそっと読者になってくださる方もある。私が私であるということ、人は色々なしょうもないことを考えているんだなとか、へぇ、こんな発想をしている人もいるんだとか、ドジなことをしているなぁなどと大したものでもないけれどまた訪ねてくださる気になったら、たまにはどうぞ。

願わくは、ホッコリできる場だといいのですが。文才もないし、普通の生活をしているだけですが。

アジサイ

2011-06-19 23:21:03 | 日々の出来事
数日前の紫陽花のブログページ。
写真を増やしました。
まだまだ東京でも綺麗な紫陽花が見られそう。

長野にきたら、今日まだつぼみの紫陽花。今年はやっぱり遅いかな。
でも庭の雑草は元気!! お友達のご主人に無理をお願いして刈っていただいた。

植え木の枝払いは本職さんに頼まないといけないかな、今年は。

PCの完全スキャン 終了!!

2011-06-19 00:58:29 | 日々の出来事
昨日の午後7時半頃から始めた完全スキャン、延々と働いてくれてたった今終わりました。6時間たっぷりかかりました。
PCをおとさないで寝ようかと思っていたのですが、大丈夫そう。

さて、さて おやすみなさい。

先日久しぶりにプログの模様替えをしたのだけれど、そして優しい感じ、梅雨時でもあり気に入っていたのだけれど、文字も淡い色で読みにくいのではないかなとまたまた模様替えしてみました。
感想は個人的にお願いします。

隅田川の残りの橋

2011-06-19 00:47:56 | 日々の出来事
ここで、ネット検索は情けないなぁと思うのだけれど気になって寝られないかも。

自宅に帰ってPCを開いたら、ひと月ぶりに開けたらノートンがエライコッチャ。アップデート、なにやら修復の必要ありで今すぐ修復を選択。それも長くかかったけれど、完全スキャンを始めたら、延々と6時間。まだ裏でやっている!! さっきまでスキャンしている時に表でネットやったらまずいよなぁと思い我慢していたけれど、我慢できずにPC前に来てしまった。

勝鬨橋 ⇒ 佃大橋 ⇒ 中央大橋 ⇒ 相生橋 ⇒ 永代橋 ⇒ 隅田川大橋 ⇒ 清洲橋 ⇒ 新大橋 ⇒ 両国橋 ⇒(JR総武線) ⇒ 蔵前橋 ⇒ 厩橋 ⇒ 駒形橋 ⇒ 吾妻橋 そして その先の(東武線) 言問橋、桜橋、白髭橋

橋の形も様々、確か昔からあって付け替えて一番新しいのが永代橋だったかな。平らなのは新大橋かな? 乗船時に貰ったパンフレットに絵と名前が書いてあったのだけれど。次女が結婚当時住んでいたのが厩橋と駒形橋の間だったか、厩橋と蔵前橋の間だったか、チョコチョコ通ったものだったのに~~形を忘れている。風の強い日はそんなに長い距離じゃないのに歩くのに難儀したことは覚えている。

思えば3月と5月に結婚した娘たちの家に、良く行っていたなぁ。お邪魔だったかな。ふた月にいっぺんぐらいは行っていたかしら? つわりだ、出産だと上京するたびにどちらか、実家と三箇所を行くところが増えたとばかり喜んで尋ねて楽しんでいたような気がする。子供が生まれてからも、どのくらい大きくなったかなぁと今思えば月に一回というのは大甘なおばあちゃまです。娘たちも婿様方も嫌な顔しないで(我慢していたのかなぁ)ありがとう!!今更ですが。

今は…? 今も?! 会いたくなるものね。会わなくても電話の声聞きたくなるものね。(*^_^*) 成長していない私は益々マイペースという感じでしょうか(笑)
 

隅田川に架かる橋

2011-06-18 18:17:22 | 日々の出来事
昨日、寝る前に書いた水上バスでくぐっていった橋は全部で12だったと思う。

はて・・・? 勝鬨橋から吾妻橋までいくつ覚えているかな。
今、新幹線の中。

清洲橋、佃大橋、永代橋、日本橋、墨田大橋、蔵前橋、駒形橋、厩橋・・・あと二つ。この七つもはっきりは分からない。え~と、え~と。

気になるなぁ。平らな橋があったけれど・・・

オーストラリアからの友人

2011-06-18 00:11:31 | 日々の出来事
私たちがあったのは何年前かしら? 4年前よ。

そう、4年ぶりだったの・・・晩秋の長野教会の土曜日のミサに彼らが旅の途中で寄ったのは。

J&J夫妻は大の日本びいきのようでご主人は4回目、奥様は2回目だった。JR乗り放題の格安プランでホテルはいつも駅のそば、あった年は秋田、山形、新潟を回って最後に長野だったのだが、観光も駅の周りだけと聞いて、紅葉には遅かったのだが郊外の山に一緒に行った。とても喜んでくださって、クリスマスカードのやり取りが始まった。

今年の初め、私がオーストラリアに行っている時に北西部にある彼らのいるクイーンズランド地方で大洪水があってその安否を尋ねたカードに、今度は日本の大地震のお見舞いカードが帰ってきた。「私たち5月末から日本に行くからあえないかとあった」 そして到着した関西空港・大阪から最後の数日の東京にいる間の都合のいい時に会おうと電話が入った。

それから、さてどこに案内しようか色々と考えて仕事の段取りもつけて日取りと候補地を書いた手紙をホテルに送っておいた。丁度梅雨時、東京についた彼女から天気がどうなるか分からないから、当日の朝あってからどこに行くか決めましょうと。そりゃそうだ・・・私の提案はほとんど公園中心だったので。

さて、何だか薄曇りの雨が降らないといいなぁという今週の初め、ホテルでJ&Jにあった。何しろ一日英語で過ごさなくてはならないと思うとどうなることかと不安だったけれど、話は半分位しか通じていないかもしれないけれど、まずは東京に来てからどこへ行ったのか聞いてみた。

奥様だけ銀座へウィンドウショッピング、ご夫婦で渋谷へ行って若い人の多いのにびっくりした日、秋葉原も二人で行っていやぁ電気屋さんばかり、どうしてこんなに沢山人がいるの? そして見んな携帯片手に歩いていた!と思ったそうな。前の日は午後から日暮里に行って町を歩いたそうな。日暮里だんだんのことかな。それで今日はどこへ行きたい?と聞いたら池袋と言う。池袋に何か目的の所があるのかしらとちょっと意外だったので聞いてみたら、10年間に二人できた時に行ったことがあるだけで何もないので他の所でもいいと。

そこで前日に仕入れた新しい候補地として隅田川の水上バス+浅草(スカイツリー船から見るだけ)を提案。小さい船だけど乗る気はあるか?と聞いたらOK!ということで出発。

品川に滞在していたので日の出桟橋に移動。JRとゆりかもめを乗り継いで移動したのだけれど、ゆりかもめの乗り場にNew transitとあって何?ときかれても、事前勉強をしていかなかったので一苦労。ボランティアの方が券売機や改札のそばにおられたので聞いてみてもはっきりとした答えがなくて、ゴムのタイヤ(普通と一緒?)でレールじゃない所を走っている乗り物としか分からなかった。〈後からHPをみて、ようやくわかったので 知りたい方はこちらで。 〉
丁度10分後に浅草行きが出発とのこといいタイミング。船に乗り込んだら、お台場の方から「あれ!!中国のジャンク船みたいじゃない?!」とJ&Jは大興奮で朱塗りご座船安宅丸 帆があるように見えるし派手な姿でしたが…写真を撮ってました。勝鬨橋から吾妻橋の隅田川にかかる12この橋の下を45分位、怪しかった空に陽がさして程よくゆったり、この橋は跳ね橋だったとか、この橋が一番古いのだとか、昔はこの隅田川を境にダウンタウンがはっきり分かれていただの歴史の話も少しはしたり、こちらのビルのむこうがこの間いった銀座よとか、あそこにみえるのがSUMOUをする国技館だとか、あれが建設中のスカイツリー、足元の駅はすごく小さな駅だったのに見物客でいっぱいになってそこも綺麗になっているのよとか、出来上がると見物料は高いのとかとか・・・ふぅ~~大変だったけれどなんとか浅草到着。

丁度お昼時、お蕎麦屋さんに入ってゆっくり食べて、この頃には耳も度胸も英語に慣れてきて会話もチョット楽しくなってきた。ウン、その食事中に大震災の話になって、日本は島国だけれどいつからこういう形になったか知っているか?とか中国や韓国がルーツだとしたら、その時には大陸と繋がっていたのかとか、日本人のルーツと文化の話になって…私たち英語でこんな話しをしていると自分で感動ものでした、よ。

浅草の仲見世をプラプラしてJiは手焼きせんべいをお土産に買って、Jhは孫へのお土産を探してうろうろ(結局買わなかったけど)浅草寺と浅草神社まで。ここでまた神社とお寺の話し、お地蔵さんの赤いエプロンと帽子のなぜ~~冷や汗です。だってうまく説明はできないです、英語だからという問題でもない。知識がないことが問題。なんとか英語の説明のある札を利用して凌いだ。

町をぶらぶらして彼らの疑問:
若い女の子はどうしてかかとのないヒールのサンダルをパカパカ言わせて履いているのか? 
黒いスーツを着た若い子たちがキャリーカーを引きながら歩く集団に、なんだなんだ?と。多分新人さんのビジネス研修かな。
浅草の人力車のお兄さんの足元を見て「ninjya socks」か?
皆が携帯をもって人の顔を見ていないのが残念とか。
仲見世で中学生と思しき集団にあって周りが見えていない歩き方にどこも若い子は同じ?

のどが渇いても仲見世には座ってゆっくりできる所がなく、一筋裏に入ったコーヒー屋さんに入った。カフェオレとっても気にいっておかわりまでして、ママさんを喜ばせ、彼らも喜んで、こちらオーストラリアから見えているのと言ったらママさんの娘さんずいぶん前だけれどシドニーのオペラハウスで踊ったことがあると。それを告げたら僕の奥さんもオペラハウスにでたことがあると!! 奇遇にびっくりして…これも身ぶり手ぶりを交えて通訳、ふぅ~~。

そうそう、一筋裏にあった刃物屋さんに展示していあったスイスナイフ?サバイバルナイフの昔のなのでいかつい感じのもの、すごく年季が入っているものだと思うけれど朱書きで「遺物」とあって名前が書いてあったのでご先祖様が作られたのだろうけれどなんと値段が3,000,000,000円だったのです! 一、十、百・・・と数えちゃいますよね。非売品というくらいの価値だといいたいのでしょうけれど、値段つけないほうが品がありますよね。お嬢さんへお土産にのペティナイフを探していたのですが、お店の若主人、全然売る気なしのようでした。足を延ばせば河童橋道具街があったのですが、そろそろみなのどが渇いて着ていたのでやめました。

地下鉄でふた駅、上野に出て、品川に戻った駅で別れた。次にはオーストラリアで会おうって…おじょうさんのところにいくまえによってね、って。ケアンズとパースはどのくらいかかるの?と言ったら飛行機で5時間とか(ほんとう??)、だから寄れると。いつかなぁ・・と言っているうちに娘たち帰国するかもね。

10時から16時、とっても充実した一日を楽しく過ごせてよかったです。ちゃんと英語通じている、あなたのも私のもと言われました。