ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

我が家の野菜たち

2006-04-27 14:45:57 | 日々の出来事
 去年の遅くなってしまった秋、庭の小さなスペースにほうれん草と春菊の種を植えました。ほうれん草は、冬を越して、更に甘くなるのでこの時期でも大丈夫といわれましたが、春菊は色々な方に猛遅い、こんな時期じゃ収穫できないといわれました。

 確かに、春菊は間引きというよりスプラウトといいましょうか、本当に小さくても確かに春菊という味がするので、大きくならないのならせめてと可愛い本葉が出てきたものを汁に散らしたりしていただきました。そして、昨年は早めの大雪、続く寒波・・・当然収穫は出来ずに春を迎えました。

 殆ど全滅だった春菊の株でしたが、十数本生きていました。この間初収穫、で最後の収穫をしました。隣りにほうれん草は何回か柔らかいものをお浸しや胡麻和えで頂き、やはりこれ以上伸びないということで最後の収穫です。どちらも柔らかく美味しい味です。一人で堪能しています。野菜はいいです、全部だっても食べられますから。

 そして、この間、次の夏野菜の為に知り合いが来て土の準備をしてくれました。感謝感謝!この夏は何が食べられるか、苗を見ています。

いいことがなくても

2006-04-25 11:35:15 | カトリックの信仰
 一般的には、気持ち良く朝起きることが出来た、今日いい出会いがあった、仕事が上手くいった、物事のタイミングが良かった、人に褒められた、認められた、云々云々、無事に一日が終わりました、感謝して眠りにつく。そうであれば神に感謝、逆に上手くいっているときは自分の手柄、神のことをすっかり忘れているか。

 でもキリスト教的にいえば、効率とか成果によっていい悪いが問われるのではなく、日々の一日を振り返り、心にほんの一粒の愛を持っていたかいなかったか、自分のためではなく、人のことを思いやる気持ちを持っていたかいなかったか。の積み重ねがその人の人生の豊かさにつながると信じている。

 だから、今朝おきてから、肩はこっているし、背中に痛みはあるし、頭もすっきりしないけれど、でもそのお陰で単純作業である苦手な片付け物が出来たし・・・。よしとしよう。

お花見

2006-04-24 18:36:32 | 日々の出来事
 3月も下旬頃、東京の桜が綺麗だという情報が入った頃、お花見に行きたくて行きたくてうずうずしていました。でも、ちょっと疲れ気味だった体が、「何が何でもどうしても!」という気にさせてくれなくて、結局上京できたのは花びらが少し残ってチラチラと舞っている時期になってしまっていました。

 長野は、先週開花したものの肌寒い日が続いて、ちょっと高台はまだ花はおっています。そして、昨日の晩、友人と桜並木の下を歩きました。

 ちょうちんがあって、花見小屋があって、屋台が出ている桜の名所を車で通り抜けました。そこは本当に賑やかで、若者達も多勢、お酒を飲んでいる人も多勢、歩いている人も多勢でした。確かに赤提灯にライトアップされた桜はピンクが濃く見え華やかでした。でも、その先の「桜坂」はちょうちんもなく、人通りも殆どなく、静かで凛としていてとても落ち着いた風情でした。長野県の南信地区に有名な「高遠城址公園のコヒガンザクラ」があります。毎年沢山の観光客が来て、朝一番にいっても人が大勢いるという名所です。新聞やニュースでも出るので、一度はいってみたいのですが、何万本の種類の違う桜が一面に咲いている写真はとってもきれいです。でも、足を伸ばす気になれないのは人人人…という話を聞いてしまうからでしょう。

 昨日は友達三人で、ゆっくり歩いて四方山話をして、気持ちがリラックスしました。帰りに鰻やさんによって、お腹も満腹して家路につきました。

 最後の桜…もう少ししたら満開になるところへ、行きたいなと密かに思っています。連休には桃も綺麗になるでしょう、楽しみです。

筍の香り

2006-04-21 17:37:36 | 料理
 春の味覚、筍の国産物が出回って久しいのですが、値段が高かったり、食べる人が少なかったり、自分が留守したりで今年はまだ買っていませんでした。今日スーパーで、かなり大きくなった筍(鹿児島産)を見ていたら、横に並んだおばあさんが「わぁ~、安くなった、安くなった。」と手にとって、私「でも大きすぎません?」とつい口にしたら、「いいんだよ、ゆでる手間は同じだし、大好きだから。こうなると一番デカイの欲しくなるね。」と選んでいました。つられて、手ごろな大きさを買ってきました。

 早速ぬかでゆで始めています。ウン、やっぱり春の香りです。あまり大きくて硬いところばかりでは心配だったので、手ごろな大きさにしましたが、短時間で柔らかくなったということは新鮮だったということですよね。明日は若竹煮にしましょうか。筍の木の芽和えもいいですね。そして定番「筍ご飯」。楽しみ楽しみ…(*^_^*)

 春先から「ケキョ、ケキョ‥」と鳴いていた鶯が、先日から「ホー、ホケキョ。ホーホケキョ‥」と鳴けるようになり、今日は青空一杯に誇るように響き渡る声で鳴いていました。なかなか姿を見せないのですが、雀よりちょっと大きめの鶯君、そこにいるのはバレバレだよ、っていう感じでした。

聴くこと

2006-04-20 19:51:48 | カトリックの信仰
 『話し上手は聞き上手』とよく言われます。人の話を上手に聞ける人は、相手が気持ちよく話すことができるので、会話が弾むのでしょうね。すぐに人の話を取ってしまって、自分の世界に引っ張り込んでしまったり、あげ足をとって不快感を抱かせたりは言語道断、聞き上手ではないということでしょうね。

 今日も和気藹々のお茶の時間、場を盛り上げて楽しい彼女ですが、次から次へと話題が繰り広げられて、一瞬の隙を上手く捉えられないと「ちっとも口を出すことが出来ない!」とクレームがでます。「そうそう、それが私の悪い癖!」といっていましたが、結局クレームをつけた人は口を開くことなくお開きになってしまいました。

 今日届いた、カトリック新聞に『イエスの耳となって、一生懸命話を聞く』という言葉があって、私はどっちかというと人の話をじっくり聞くタイプだと思っていましたが、そんな風に『イエスの耳となって』人の話を聞いたことはなかったなと思いました。その人の思いに心を寄せていようと心がけているつもりです。だから、苦手な人でもその人の思いを大切にしたいと思うようにしています。なかなかスムースに心を沿わせることは出来ませんが、でもいつの間にか壁が低くなっているような関わりになることは時々あります。

 『聴く』は、十四の心で聞くことだと聞いたことがあります。十四の心ってどういうことか、実はあまり深く考えたことはないのですが、人の話は一通りの受け取り方ではないほどその人の沢山の思いを含んでいるということでしょうか。どこかに『十四の教え』みたいな考えるヒントがあるでしょうか。

 神様から良いものを一人一人が頂いて、だから人間一人一人がいとおしくて、そんな人間だからとっても大切で、関わりをおそれないでいたいと思っている私ですが、今日『聞くこと』を考えていて、ちょっといい時を過ごせたかな。

やっと春

2006-04-19 22:47:32 | 日々の出来事
 気楽に思ったことを綴っても、きっとちっとも面白くないと思う。でも、書かずにいられないことを書いていこうかなと、ブログに挑戦する事にしました。

 家のしだれ桜が綺麗に咲く春になりました。庭は今チューリップ、ヒヤシンス、杏、連翹、馬酔木、ムスカリ、小さなスミレ群が綺麗に咲き乱れています。遅い春の始まりです。私は春生まれですから、季節は春が好きかな。