ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

家政婦のミタ・・・

2011-11-30 22:59:07 | 日々の出来事
この番組が始まってから、毎週この水曜の晩のミタさんに会いたくて過ごしていた、といってもいい位はまりました。「家政婦は見た」を意識したタイトルで変なの!と思ったのですが、松島菜々子ファンとしては久しぶりの主役ドラマです!!。外せるわけがありません。

初めこそ「何? これ?」と思いましたが、番組が終わる頃はもう次が楽しみで仕方が無くなりました。長谷川博巳さんも惣那汐里ちゃん(千姫だったんですね)も知らなかったですが、毎回毎回ミタさんと阿須田ファミリーに引き込まれてきました。

私の生活パターンの中では水曜日の夜はかなり疲れのたまっている時なのですが、これは欠かせませんでした、ね。この頃面白いドラマがなくて、ワンシーズンに一本なにかあれば嬉しいかなという感じでしたが、今シーズンは大ヒット!!!! 

「南極大陸」は話題で下が最初から見る気もなく・・・なんだか視聴率の発表を新聞紙面で見るたびに可哀そうになっている感じですね。この間の日曜日は犬が主役だったような気がしました(ついみちゃいました)、視聴率対策には子役と動物だそうですが、何で芦田愛菜ちゃんを頼らないとならないのでしょうね。

話は元に戻して、「家政婦のミタ」は今夜もドキドキのしっぱなしでした。来週やっと時間延長、でもまだ最終回ではなさそうなのでホッとしました。まだまだ見ていたいミタさん。

松島菜々子さんのデビューはNHK朝ドラの「ひまわり」でした。まだ若くて、あのほっぺたがどことなく似ていたのでしょう。恐れ多くも女優さんに似ているなんて言われたのは初めてでしたが、何人かの知人に「毎朝テレビ見ているからね」と冗談に言われるほど似ていると言われました。 (笑)自慢する気でも無かったのですがやっぱりちょっと嬉しくて姑にその話をしましたら「そうねぇ、あの人綺麗じゃないものね。普通の人だからね」と言われて苦笑しましたっけ。そうか、普通のお嬢さんというところが似ているのかと納得したり。でも、以来、松島菜々子さんは大好きな女優さんだしドンドン有名になって輝いていたのが嬉しかったものです。反町隆と竹内豊、唐沢敏明、江口洋介…そんな俳優世代がブレークしていた頃ですね。フフフ・・・私も若かった頃です。 ちなみに朝ドラの卒業生では竹内結子さんと並べられる時がありますが、やっぱり私の中では菜々子さんですね。いや、どっちもいいのですけれど…。ちなみに山口智子さんも好きでしたが勿体ないけれど潔い彼女のあり方もいいな。 だいぶ若い世代では石原さとみ、上野樹理、宮崎あおい、上戸彩たち世代もいい女優さんになってますね。

という訳で水曜日の夜は大満足で休めます。 今日で11月は終わりです。

走れ~~ と言いたいですが、スローライフを心がけたい12月ではあります。あくまで希望ですが。

あと数日で11月も終わりになってしまう (T_T)/~

2011-11-27 23:44:58 | 日々の出来事
あ~あ、あっという間に日々は過ぎてしまう。

幼馴染のKさんとは10月のクラス会であいました。その時には何もおっしゃっていなかったのに、『11月3日に一人息子が亡くなりました。5ヶ月の孫をお嫁さんと一緒に育てます。今は大丈夫です。』と添え書きの着いた喪中欠礼はがきが届きました。絶句です。話をしたかったのですが、住所は分かるのに電話番号が分からずお悔やみの手紙を書きました。

この数年、ずっと近くにいたO師の妹さんが交通事故で急逝されました。O師にとってご自慢の妹さん、姪っ子さん(中学3年生です)、甥っ子さん(小学校6年生です)のことも写真を見せていただいたこと数回で可愛がっていらしたのに・・・。何より急なことでお母様はどんな思いでいらっしゃるだろうと事故の一方を教えていただいてから信徒の仲間でずっとずっと祈っていましたが、神様のそばに呼ばれてしまいました。

その間に仕事先で大船渡の山浦玄嗣さんを講師に迎えてお話を伺いました。4月半ばに講師依頼交渉をさせていただいてから、数回電話のやり取りをしているので初対面なのに旧知のような感じでした、もう震災の話は飽きあき、とおっしゃりながら『立ち上り日本人の祈り』と言うテーマの中で気仙衆は明るくて陽気なのと、ユーモアを交えながらでも的確に震災の時の悲惨な状況と山浦さんの信仰告白になる気仙語訳聖書と今回発売された『ガリラヤのイェシュー』の話をしてくださいました。

毎日毎日「いのち」を考えることになりました。

カトリックでは11月は死者の月として、特に死者のために祈る月間ではあります。そして、カトリックの典礼暦ではこの11月は暦の最後の期間で『その時』がいつ来るか分からないからと危機感を持つように促す福音書が読まれます。『その時』は死ぬ時のことかもしれないし、生まれるときのことかもしれないし、大震災や大事故などかもしれない。人の知恵ではどうにもならないことに備える行き方をしているかと問われます。

そう、これから年末までの間に孫が二人増えます。でもいつ生まれるかは分からない。やっぱり神のみ知る『その時』です。

真面目に考え、考えていくと苦しくなります。祈っても祈っても辛くなります。綺麗な空を見ても綺麗な紅葉を見ても、心に響くことばに出会っても・・・心が揺れている感覚があります。だから、その日、その時を大切にしてできることだけ、誠実にこなそうと思っています。先のことを思い煩うのもやめようと思っていますが。

土曜日にあった講座のタイトルには『辛さに寄り添う現場から』『現代社会の心に寄り添えるか』と両方とも『寄り添う』がキーワードでした。簡単に寄り添うことなどできないけれど、4,5ヶ月前に相談を一杯聞いていたNさんは来月から半日の非常勤に復帰できることになりました。喜びのニュースと共に今彼女の抱える悩みもまた私が聞いてあげることで少し軽くなったならいいけど・・・ということもありましたっけ。

今日いただいた手紙は、私のことを気遣ってくださるものでした。昔から知っている年長の友人。すでに80歳を越えておられるのだけれど、昔は賞状書きをしていらした方ですしすごい読書家ですから、今でも難しい字と内容で脱帽です。

ほんの数行ずつでは書ききれないし、まだ重たいものを頭のどこかに抱えてこれが胸に落ちてこないように時をつけながらすごしているところです。

それでも、毎日を何とかすごすことができて、笑うこともあって、ちょっと食欲落ちたかなぁとは思うけれど美味しいものにはちゃんと手が出て、だからやっぱり、共にいてくださっている神様に感謝して休むことにします。


教室のことなど

2011-11-04 23:17:27 | 料理
今日もお仕事はなし。
料理教室のために作業。

献立は5年でワンクールになるように立てている。だが5年続けて下さる生徒さんが何人いるか…未知の世界。いや、自宅で料理教室をしていた時には気がついたらあっという間に5年過ぎていた生徒さんもいた。お稽古事は教える側と同じワクワク感が共有できると続く。が、残念ながら日本料理はかなり手間がかかり、材料も時にはちょっと高め。こんな時代だから、食べることに気持ちを注いで欲しいけれど、こんな状況だからお稽古事は家計費の中で削られる可能性は大きい。ご家族に高齢者や病身の方を抱えている方は止む無く続けられなくなったり、なので残念ながら増減や入れ替わりが大きい。仕方ない。去る者は追わず、来る者は拒まず誠心誠意を尽くす。

今、来ている生徒さんに、5年分の献立を教えていいものか…いつも迷う。今は教室にいらした時にその日の分かる。最初の一期だけ半年分伝えていたような気がする…、その方がいいのかなぁ。

今は入門科、本科、専修科と三クラス教えている。専修科の生徒さんは、私が教え出す前から10年以上も続けている方が多いので初めはとても緊張していた。最近やっと息があってきた。入門、本科の生徒さんたちは本当に楽しそうにされている方が多くて嬉しい。それぞれがお友達になって食べ歩きもしている方々もいるようで何より。家庭のご都合でその期を休まれても、また戻ってきてくださったりすると本当に嬉しいし、皆も喜んで受け入れている様子を見るのも嬉しい。

今日はその献立5年分を整えていた。立てた献立が直前に材料が入らなくて変更になったものを5年分の献立表では直していなかったり、今2年半の折り返しで少し見直してみたりしていた。

自分が近茶流宗家に教えて頂いている献立は、おぅ!! 丁度20年目に入ったのだわぁ。お勤めしたての頃はじめて、結婚、子育てで長いお休みがあって、再開した。嫁ぎ先が長野になっても月に一回は上京していた。でも子供が生まれたらやっぱり大変でやめていた。子供たちがそれぞれに家を出る頃に、またはじめたが新幹線が通る前は特急で片道4時間余、その頃は一番下が家にいたので日帰りが多かった。新幹線が通った頃は子どもたち皆家を出ていたので実家に親孝行もできた。よく続いてなぁと思うけれど、本当に料理するの好きだと思う。

食べてくれる人が喜ぶ顔に手間を手間とも思わずに作らせてもらえている。今日みたいにゆっくり家に、毎日いられたら自宅でまたやりたいなぁ。 そして最大の願いは娘やお嫁さんにも伝えたい。

お墓参り

2011-11-03 22:32:58 | 日々の出来事
先週は父のお墓参りをした。正確には父方の墓参なので、曾祖父母、祖父母、叔母(分骨)、父に手を合わせた。都立霊園は古く、敷地がとても広いので墓所も沢山あって、お彼岸はそれはそれは混雑するのでいつもお墓参りは少しずらしていくのだが、今年は大幅に遅くなり先週やっとお参りできた。この春、大震災で隣りの墓所の松や紅葉の大きな木が倒れ、教会の石が壊れた。いつもなら落葉が多い時期なのに、さっぱり綺麗でしかも陽射しも多くて明るくなった感じがした。
祖母は女学校がカトリック校の2期か3期生だったこともあり、次男が病を得た時に家族で洗礼を受けたと聞いている。私の孫まで数えれば5代のカトリック信者ということになるのだが。という訳で、お墓参りをするときは皆でロザリオを唱える。小さかった頃、祖母を中心に叔父や叔母、従兄弟たちが皆集まって30人以上が皆で祈った。おばあちゃまのお祈りはとっても長くて、ロザリオ一環…大変でした。段々に簡略化して、ロザリオ一連になった。大勢集まるのが好きだった祖父母は、お彼岸の時期には教会でミサに与り、大移動してお墓参り、お昼をどこかで一緒にというのが習いだった。

今も実家でお正月に始まり、母の誕生日、母の日、敬老の日(父がいた時にはもっと頻繁に行事があったことになる)に皆に声をかけて集まるのはその頃から刷り込まれた習慣だ。昔より若い人のそれぞれの都合を尊重する所がイマドキかな。

今日は、母方の祖父母と伯父の眠る霊園に行った。母は毎年一回行く。私は3年ぶりかもしれない。母方もお正月と祖父の誕生日には皆が集まってお食事を一緒にした。小さかった時にその時にテーブルに並ぶ一本を3つか4つに切ったバナナはすごいご馳走だった。普段、ちょっと近寄りがたかった祖父がとてもにこやかな笑顔を見せていたのを思い出す。母は末っ子なので、祖母は母のことが心配だったのだろう。よく顔を出してくれた。

お墓参りは、小さかった頃から色々なことが走馬灯のように思い出される。そんな年齢になったのかなぁ。

屁理屈を言わないで!

2011-11-03 00:27:30 | 日々の出来事
昨日はかなりへこんだ。そんな言葉を言われたことは無かったかもしれない。
大抵のことには言い返すことなどしたことがない。
昨日は、黙っちゃダメだと思った。まだまくしたてている彼女に
今、なんて言いました? 屁理屈ってどういうことですか?と聞いた。
私には屁理屈に聞こえるわ、と答えていたように思う。
・・・・
私は、単純な提案をしただけでそのことに固執していた訳ではなかったから
彼女の最初から感情的な物言いに、あっけに取られていた、かもしれない。
でも、本当にご意見は無いの?という司会者の言葉に背中を押されて
こんなことも考えられるけれど・・という位の提案をしただけだったのに
件のコトバ!
この人この言葉の使い方分かっているのかなぁと最初に思った。
私がショックを受けるような意味じゃなかったりしてって次に思った。
この頃、自分の思い違いが多いんじゃないかと心配でもあったり
かなり我儘な自分がいるような不安感があったり・・・自信がない。

帰路についてすぐに検索してしまった。
トップにあったはてなキーワード:
論理的だとは第三者には思われないような論理によって構成されている理屈。
理屈のための理屈。
当人は一見正道の理論に基づく意見を言っているように思っているが、実際には破綻部分が多く、大多数の人間には賛同されないような理屈(論理)である場合が多い。
目上若しくは同等の人間が、出された意見(特に挑戦的なもの)に対して適切な反対意見を出せない時に、却下するのに使用される事がある。「屁理屈」のレッテルを貼られた理屈が実際に破綻を来しているかはかように怪しいものであるから、思考停止の口実として「屁理屈」というレッテルを持ち出すことは厳に慎みたいものである。
こんなのもありました:「自分を正当化させるための、意地の悪い言い訳」

自分に都合のいいように解釈すれば、私は屁理屈なんか言っていなかったと思う。
同じ場にいた他の人はやっぱり屁理屈ととったのだろうか。誰かに聞いてみたい気もした。
こんな言われ方ってあると思う?って手当たり次第友達の顔を浮かべながら、聞いてみたくなった。
でもやめた、その時は。(・・・情けないけれど結局、日付が変わる頃に娘とのチャットで少しこぼしていた) 

言った相手に怒りは無かったけれど、がっかりしていた。そう、がっかりした。そういう人なんだとレッテルを貼って、以降そういう風に見てしまいそうな気がしていた、それも違うかな?と思いつつ。

夜、電話がかかってきた。
S「あの後、すごく気持ちが重くなっちゃった。まとめ役はできないと思った。貴女の真意を組むことができなくて、どういうことだったのかYさんに聞いたの。そうしたら~~。貴女の気持ちになって考えることは全然なかった。皆にいい子になろうとして、結局中途半端になって何やっているんだろうと思った。こんなミーティングは止めた方がいいかな?云々云々」とずっと彼女は話していた。少なくとも初めの15分間位は、一言も口を挟む余地は無いほどに。
私「まとめ役もおりなくていいし、提案を取り下げたのも私は納得しているのだからそんなことは気にしなくてもいいし、悪いと思わなくてもいい」と言い、ミーティングについても「少人数でもかなり個性的なメンツで、連絡ノートがきちんと機能しているかというとはなはだ疑わしい現実からすると月に一回のミーティングで表情や口調もみながら確認し合うことは大切な機会だから止めない方がいい。もしもその月に全く議題がないということがあったら、間隔をあければいい」と言った。

彼女が落ち着いて、いつものように会話になってきた時に、「実は今まで話してきたことは私にとってはこうでなければいけないということではないので気にしなくていいけれど、これから話すことはSさんの気持ちを軽くするか、さらに重くするか分からないけれど、私はあの時に《屁理屈を言わないで!》と言われたことが今日、一番嫌な気持ちになった。だから珍しく言い返したのは覚えている?」
S「あれはわたしにとっては屁理屈だった。だって私はやるかやらないかシンプルだけれど、貴女は言葉で説明しようとする。例えば美しいものを見て私なら《美しい》だけだけれど、きっと貴女なら繊細だから(こういう時にそういう?)その前に形容詞をつけるでしょう。そういう違いがあると思う。私は短気だから結論を早く出したいし、気が短くてもう早く結論を出したかっただけといい、全然気付かなかったので言ってくれて良かった~~」って。

もっと吠えても通じないかな。私がどれだけ傷ついたかって(イエ、そんなに傷は深くなかったかも、ですが)言葉の使い方はそれぞれの解釈があったりして、受け取る側がそういう使い方で傷つくと思ったら、それは人に向けないわねぇ。 彼女はそういう気づきはしていないだろうな、と思った。やっぱりこちらが用心深くなってしまうかも。

今朝、司会をしていたYさんが冷静な目で見ていたことを話してくれた。娘とメル友もこのブログ読んで心配してくれる友達もいる。それだけで、もういい。

十字架のイエス様の足元で・・・

2011-11-01 23:06:53 | カトリックの信仰
もう、11月になりました。 ブログに書きたい思いは都度ありましたがなかなかアップしないまま半月がたってしまいました。でも忘れないでいようと思うことをポツポツ書くことにします。

まず、中軽井沢での一泊黙想会でのこと。
中軽井沢にあるご聖体の宣教クララ会の修道院聖堂にある十字架のイエス像はとても大きい。高い天井の高い位置にあるので聖堂に入って仰ぐと威圧感があって苦手でした。ゆっくり祈るときは階段を登ったスペースがイエス様と相対する一番居心地のいい場所でした。
でも、今回修道院について初めて聖堂に行った時にスーッと十字架を足元から見上げる所に座ってしまいました。今まで威圧感のあったイエス様とも、階段を上がって真正面から見ていたイエス様とも違う十字架に架けられたイエス様がそこにおられました。
その足元で、あの時の十字架の下に佇んでいた母マリアやイエスにのみ信頼をおいた女たちのことを想いました。我が子や師と仰ぐイエスの苦しむさまを胸が張り裂ける思いで見つめ続けた女性たちの祈りと想いに、彼女たちの想いを自分のものとしてゆっくりと思い巡らせました。十字架上のイエス様は今までと全く違ったイエス様でした。苦しそうでいて、でも穏やかで、哀しみも清々しさも、すべてを受け入れるとこんなになるのかなぁと。 
私のそばにいつもいて下さるイエス様は、うっかりすると自分の思いの実現に四苦八苦していて祈りとは形ばかりになっている私を見て哀しい思いをしておられるのではないだろうか。 時には人の気持ちをズタズタに傷つけて、それでも反省するどころかさらに傷口を広げるような冷たい思いを持っている私を見て、どうして・・と苦しみもだえておられるのではないだろうか。
私は、母マリアのように、マグダラのマリアやほかの女たちのように佇むことができるだろうか、などと考える以前にイエスを苦しめ、悲しませている私はそこにいることさえ赦されるのだろうかと思いました。
今度は、私自身の心が震えて、悲しくて、怖くて・・・・こういう時にどんな祈りができようか、イエス様はどう祈ったら聞いて下さるのだろうかと思いました。

大震災から学んだ大きな糧は、「思いめぐらす祈り」ただひたすら心をイエス様に、神様に向ける祈りでした。

黙想の講話にも夕べの祈りにも、沢山の気づきを頂きました。
・記憶 自分の過去と現在をどう関連つけるか
・知性 み言葉と生活の繋がりに気付き、確認し、神の働きとの関連が分かる
・意思 何かに向かって心が動く 神から離れ、神へ近づき、願い、決意し、意欲を持つ
どれだけ、イエス様に直接思いを伝えているだろうか。素直に訴え、聞くことができるだろうか。
アッバ父よと神に向かって祈るとき、父なる神に立ち返り、神からの声を聞くとき、頼り切った時に自分の小さな悩み、思い煩いは消えると。・・・・《神への信頼》に尽きるなぁと思いました。

・観想 聖書の場面を持って思いめぐらす→イメージ化してみると心に響くこともある
私にはいつも自分の信仰の礎となっている大切な個所三つあります。マリアの受胎告知の時の「仰せのごとく」と神に信頼して受け入れた場面とゲッセマネのイエスの「できるならばこの盃を取り去ってください、でもみ旨のままに》という祈りの場面にいつも神のみ旨に信頼する手本があり、タレントのたとえ話に自分に与えられた賜物を生かす生き方をしたいと思ってきました。今回、マタイの6章にある「思い煩うな、必要なことは神がご存じなのだから」という場面が心に響いてきました。

十字架のイエス様の足元で、自分にできるかできないかではなく、(以前、友人に言われた祈りしかできないのではなく、祈ることができることが幸いという言葉も改めて思い起こして)ただひたすら神に信頼して祈り続けること、そしてその時々与えられることに向き合って生きることを想った。

神様もイエス様もきっと、できない時もある、怠っている時もある私の存在を私以上に知っておられるのだから、赦されるだろうかなどと心配せずに、受け容れて下さっている神に信頼していればいいと、そこまで感じたら、すっと心が軽くなりました。 できるだけ、人の思いに煩うことなくいつも心穏やかに過ごせたらいいのですが…。

そんなことを、あの修道院のイエス様の足元で黙想してきました。