ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

怖かったです

2010-03-20 18:05:09 | 日々の出来事
今でも胸がドキドキしています。
正装した親子4人が、電車の扉近くにいた私の前を通りすぎました。その前から、お兄ちゃんがお母さんと楽しそうに会話しているのを背に聞いていました。
アッと思ったときに、3歳位の女の子が視界から消えたのと泣き声が同時に起きて…〓 手を繋いでいたお父さんがプラットホームと電車の間に挟まったお子さんを引き上げました。フゥ~
引き上げたのだから、お父さんは立たせようとしましたが、お子さんは内股を痛そうにして大泣きしているのをみて、落ちたのは片脚だったのだと思いました。お父さんが手を繋いでいて良かった、両脚が落ちなくて良かった……本当に良かったです!きっと結婚式か何かのお祝いの席に向かうところだったでしょう。良かった!

改めて、非常の時に自分がどう動いたらいいのか、動き出した電車の中でドキドキしながら見回しました。

読書量は多い?少ない?

2010-03-09 23:12:26 | 日々の出来事
 気持ちに余裕のない時本は読めない。物理的に片付けなければいけない仕事があるとその準備で本は読めない。目の調子が悪いと本は読めない、特に左右の視力に差があって右目が極端な近視の私は疲れると目に来る。

 それでもこのひと月半、かなり読んだかもしれない。

☆対本宋訓(つしもとそうくん)著『禅僧が医師をめざす理由』春秋社
 学習センターの講座に講師として来て下さった方の著書。臨済宗の管長を辞してまで医師を目指したのは、僧としていのちと関わりながら、身体のことを知らないとと身と時間を削って医師を目指した道を書いてある。研修医のころの著であるが、私は吸い込まれるように読み切った。同じ本を母は「この人偉そうねぇ」といった。次の本がもう積んである。

☆清水眞砂子著 『幸せに驚く力』 かもがわ出版
 児童文学者、「ゲド戦記」の訳者、きっとあなたも気にいるわと友人に勧められた講演集。以前の日記にも書いたが生きることへのヒントがあちこちにあった。「人生に何を期待するのか」ではなく、「人生が自分に何を期待しているか」を考えるとか…。「児童文学というものを読んでみますと…一見不幸と見える中によく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいること、幸福がうごめいていることをちゃんと取り出して書いている」とか…。次の読みたい本を図書館で予約中。

☆天童荒太著  『静人日記』 文芸春秋社
 去年の直木賞『悼む人』の主人公坂築静人の目で、悼みの旅を収録している。またまた重いのだが、『悼む人』が衝撃的であった。でも読まずにはいられなかった。こういう私を見て、友人は「あなた、本当に天童荒太好きねぇ。そんなに面白い?」と言われた。面白いをどう捉えるかだけれど、『永遠の仔』も『家族狩り』も『包帯クラブ』も、もちろん『悼む人』も現代の抱える問題を重く深く捉えているので、すごく疲れを伴う。でも、一緒に考えたいと思う作品群だし、こういう作品を書く天童荒太をみていたいと思う。

☆有吉佐和子著 『連舞』 
 母のところに叔母から回ってきた文庫もの。母は久しぶりに小説を読んだ気がすると言った。たしかに「言葉が日本語」って変な表現だけれど、この頃忘れていた感じ、言葉、言葉遣いを読んだ気がした。『乱舞』も来ている。

☆五木寛之著  『親鸞』上下  講談社
 学習センターで『イエスの教えと親鸞』を企画し、講師交渉して浄土真宗の住職の講話を聞いた。その前に小説は読むまいと思っていた。そして、そのあとカトリック司祭の講話があった。司祭は五木寛之の『親鸞』を読めて本当に幸せだと言った。二つの講座を終了してから読んだ。小説としては面白い、それが私の感想。司祭が大感動していた程ではなかった…。信仰の目で見たら…一気に読み終えたばかりなのでもう少し時間をおいて、感想をまとめたい。

 こんなところだろうか。去年の夏前にコンタクトレンズをやめて眼鏡にした。左右バランスが悪い目のため、眼科医はコンタクトじゃないとダメでしょう、メガネだと肩がこるか見えないかだと。でも街の眼鏡店主は細かな調節で肩が凝らない眼鏡を作ってくれた。でも、このところその眼鏡が重く感じて、先月末から遠近両用ソフトコンタクトレンズをしている。遠方は見えにくくなっているのだが、手元は読書をするのに本当に楽になっている。乗り換えの多い通勤でまとまった読書はなかなかできないが、でも本を持って歩いている。

 今夜東京も雪が降ったようだ。長野も終日雪だったそうだ。春はまだ遠いのだろうか。

啓蟄も過ぎてしまった~~~

2010-03-09 09:03:07 | 日々の出来事
 春は近くなっているのに、今日は寒いです。お雛祭りも啓蟄も過ぎてしまった。

 何していたのだろうかと、老化防止のためにこの二週間近くを振り返ってみることにしよう。

・2月カルチャーの後、教会で「ヨハネをゆっくり読む」
 2章に入って、ゆっくり味わいながら、ヨハネの信仰を通してイエスの伝えたかったことを味わっていく。準備も気を入れているので、大変だけれどもすごく充実した時間。だから、火曜の晩はホッと気が抜ける晩になる。
さらに、月曜にはまたまた味噌作りに励んでしまったので、ツカレタ~。

・24日上京。やるべき仕事はあるものですね、やっぱり。そして仕事場に新しいデスクトップパソコンが納入された。ゆえに、古いパソコンのデーターを消去できるところを頑張って頑張って消す作業をした。

・25日…エクセル作業に終始。でもなんだか一日やっていたことは必要ではなかったことのよう…こういうのは徒労というのだろうか。

・27日…今のお仕事を手伝い始めて、初めて企画の中で自分で探し、自分で交渉した講師の講座があった。『イエスの教えと親鸞』というテーマ。

 カトリックでは去年パウロ年、今年司祭年とテーマを設けてそれぞれの趣旨に沿って祈りへ、信仰生活を豊かにする催が続いている。来年は親鸞誕生800年のお祝いを浄土真宗は控えている。イエスの教えと親鸞の教えが似ているという人も多い。ということで決まったテーマであった。キリスト教の精神に基づいた生涯学習の場を提供するとは言っても、カトリックあるいはキリスト教の立場から他宗教を見たり、日本の文化の中でのスピリチュアルな見方を学んだりしたものはあったようだが、もろに浄土真宗の住職を招いての講座となった。心配していたが講座そのものは、家に伝わる宗教が仏教、今まで葬儀などで触れていても直接お坊さんに狭義の話を聞くことができなかった方々からは好評であった。歎異抄や悪人正機説に至るまでの仏教の流れ、基本的な捉え方を学んでから、答えの出ない信仰の教えを話していただけた。この話、次週の講座と合わせて後日アップしたい。

・28日…今住んでいる区のイベントで『新井満が語る「ビュッフェと木を植えた男のジオノとの出会い」』という講演に行った。この話も後日書きたいので今日はここまで。

・1日…1月以来あっていない次女と孫たちと会いたくなりいった。1月終わり、RSウィルスでT司が肺炎になるかもしれないと連絡が入ったとき、私は長女宅でやはりアデノウィルスで肺炎かと入院していた孫のためにM市にいた。だからその時はママ友たちに助けてもらって乗り越えた。その後も行かずに過ぎていた。三人の孫たちはそれぞれに成長し、大歓迎してくれて、二泊三日の短い滞在は気持ちのいい楽しいエネルギーをもらって終わった。

・3日、4日…仕事。何をしたか分からないけれど、あるようでないのが仕事。去年の今頃、時々引き継ぎで訪れた職場、あのころ何も分からなかった。今も距離を置きながら、なるべく淡々と過ごそうと思っている。

・5日…久しぶりの快晴。母を誘って散歩と思ったが、結局歩いたのはわずか。おいしいお寿司を食べて満足、満足。

・6日…近所の教会の前の家に夏ミカンがなっている。1月からずっとなっている。いつジャムになってしまうのだろうと思いながら通り過ぎていた。今日、ミサの後、偶然出会った奥様に思い切って聞いてみた。「みかんが立派ですねぇ」と。そうしたら「ほとんど鳥が食べています」!!「え~?マーマレードはお作りにならないのですか?」と聞いてしまったら、雨の中手の届くところから3個のみかんをいただいた。帰ってからもちろん煮ましたよ、マーマレード小瓶に四本できました。

・7日…仕事場に新しいパソコン、先週デスクトップ、今日はノート。少しだけいってきました。

ふぅ~、ざっとこんな日々を過ごしていました。書き足らないこと、書けそうなことが思い出されたので、また順次アップしていきます。

それにしても、今日は寒いですね。