ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

ガングリオン 初体験

2011-05-30 23:00:01 | 日々の出来事
丁度ひと月に前になる。その日は父の墓参に行き、大震災の日に墓域の石段が壊れているところを点検中に転びそうになって左手を石についた。夕方、手首を折るとグリっと出っ張る固いものがあり(まさにウィキペディアの写真のような感じであったのだが)あまり痛みも感じないので違和感はあるものの忙しさに医者にはいかなかった。

今日、久しぶりに時間ができたのと近所にとっても空いている風に見える外科・整形外科医院を見つけ(前に行こうと思った所もごく自宅近くなのだがいつも2時間待ち、その日も診察時間に言ったけれど人があふれかえっていたので帰ってきてしまったぐらい評判はいいらしい医院があるのだが…)、思い切って見て貰ったら即「ガングリオン」ですね、と。

そういえば、このひと月そのグリグリに気がついて5日目に誰か(誰だか本当に忘れたので申し訳ない)にそれガングリオンじゃない?と言われたこと、2週間近く前にN医にばったり会い畑違いだけれどガングリオンだよと言われたこと思い出した。放っておいても問題ないと言っていたような気がする。ネットで見たら再発も多いので特別な処置をしなくてもいいと書いてあったような。

でも、このところ夕方から夜にかけて左手の手首より先がしびれるような感じがすることが多くなったので今日行ってみた。

迷うことなく今日の医者は抜きましょうと。
だってウェブには
*****「ガングリオン」*****
 強く打ったとか、捻挫した覚えが無いのに、関節近くに腫れができて、気になって御来院になる患者さんがいらっしゃいます
そういった場合、多いのは「ガングリオン」です。
ガングリオンは腫瘍ではありません。ガングリオンは痛みもなく、袋の中に水が溜まって腫れているだけで悪性のものではありません。
大きくなってくると見た目が気になるので手術で除去する場合もありますが、
あせって手術しなくても、多くの場合、自然消滅します。
ですので、あえて手術の必要はありません。*****って書いてあったのに~~。
どうしますかじゃなくて抜いて様子見ましょうって。

「腱の周りの粘液嚢胞にゼリー状の粘液を抜きます。針が細いとゼリーを吸わないのでとかなり太い針を使うので痛いです、麻酔はもう一回注射することになるでしょ、だからしないので我慢してね」って…確かに途中で「あの~痛いんですけれど」という位痛い時もあったけど「あ、痛い?ごめん」って。今日は水につけないようにとのこと。

さすがに帰ってきて、台所仕事などしていたらじんじんと疼く痛みはあったけれど、そしてポツンとあったバンドエイド下の血は少し広がったけれど今は落ち着いています。

運がよく、再発がないといいな。原因も良く分かっていないらしい。音楽やパソコンでよく手首を使うとか、ありますか?って…そんな手首を傷めるような使い方はしていないと思うのだけれど。それじゃぁ今まであの時に転んだからと思っていたのは全く関係ない?! 直ればそれでいいのですが。 お見苦しい写真ですが、今の手首です。

素敵な父さん

2011-05-28 22:32:32 | 日々の出来事
今朝、家から駅に向かう道を歩いていたら、後ろから男性の大きな声がする。この頃気をつけなければいかないようなことが起きるので少し足を速めた。
男性の声がだんだん近づいてきて、喚いているような感じもする。合間に子どもの声も聞こえるような気がしてつい振り向いたが男性の姿は見えるが、子供は見えない。

やっと聞き取れた。

父さん「~~立ち止まらないよ。もう少しで追いつくからコータがんばれ!~~」
コータ「むりだよ、とーさん、さきにいかないでよ。まってよ~」

少しカーブしているところを見計らって、つい何度も振り返りながら見たくなるやり取り。容赦なく歩き続ける父さんより2メートルくらい後ろに子供が見えた。一生懸命走っている。

少し先にある信号機が青になった。この距離だといつも走れば間に合って渡りきれるのだが(そして今朝は少し早く行きたかったのだけれど)でも走らずに歩いた。

父さん「そら、青になっちゃうよ」
コータ「まってよぉ。まってよぉ」

女親だったら、立ち止まってしまうか、あるいはイライラしながら先に歩くか、かな。
私が信号待ちしている歩道の横に父さんが来た。コータの様子を気にするでもなく後ろを見ない。つい私が後ろを覗いたら、コータはあとちょっとの所で休んでいる。青になる直前に走ってきて父さんとコータは手をつないだ。

父さん「間に合ったな」
コータはにこっと笑った。

一緒に信号を渡り終えた所でコータが雨で滑ってこけそうになった。父さんの太い腕がコータをふっと支えた。思わす『素敵なお父さんだね!』って声をかけちゃった。 コータが笑った。父さんにコータが一生懸命話しかける声を聞きながら先を急いだ。

思い出した。何カ月も前にこの親子の可愛いやり取りを聞きながら歩をゆるめたことを。
コータは父さんの名前と母さんの名前がいえるようになったらしい。
コータ「とーさん、かあさんのなまえいえる?」
父さん「○×子!」
コータ「ちがうよ、まちがっているよ。○○子でしょ! とうさんしっているでしょ、かあさんはなんていうなまえ?」
父さん「○×子でしょ」 コータは大騒ぎ!!
コータ「ダメじゃないか父さん、○○子でしょ、まちがえちゃだめだよ」
父さん「そうかそうか、○○子だな」
コータ「つぎは、じぶんのなまえをいってください」
父さん「はい、コータです」 
コータ「キャハ~~ちがうよちがうよ。じぶんのなまえっていっているでしょ」
父さん「じぶんのなまえはコータでしょうが・・・」
楽しそうだったのですごく印象的な親子だった(どこかで誰かにも話したような気がする)。いいなぁ、男親と男の子って。

父さんとコータはとっても信じあっていて、仲良しなんだなぁと思う。母さんはまだお家にいるのかな。小さい赤ちゃんをみているのかな。父さんとコータは毎日一緒にお家を出るのだろうな。

《そういえば、いつもより早めに家を出る土曜日に会えるのかな・・・楽しみが増えた》

運休路線における定期券取り扱いのお知らせ

2011-05-25 23:21:37 | 日々の出来事
今日、久しぶりに都内のバスに乗ったらタイトルの張り紙がありました。東日本大震災の時に運休したバス路線を利用している定期券を持っているお客様に、発売代金を日割りして運休していた日数をかけた分を手数料なしで返金しますというお知らせでした。
へぇ~~、大震災の生活保障ってこういうところにもあるのかと思いましたね。地震津波でバスだけでなくて鉄道流されてしまった人、家も生活も流された人は定期券代返してほしいというよりも、もっと打ちのめされて何から手をつけたらいいのか分からない状況だっただろうけれど、もう3月のうちからこの張り紙はあったようです。
そりゃぁ、定期を持っていても運休していたら違う路線を使うか、タクシーを使うか、徒歩かとにかく使えなかったのだからその日数分はどうなるっていう利用者からの苦情はあっただろうなと想像できるのですが、文句を言う利用者の権利もあるだろうとは思うのですが、それでもどこかに違和感を感じるのは私だけ?

地震も津波も何回も経験してきて、誰かのせいにしないで立ちあがろうとしている人もいっぱいおられるのを知っています。

原発の放射能汚染、放射線量の問題は同じ未曽有の大地震とその後の津波によって設備があちこち壊れたのが第一原因でしょう。もともと原子力を安全に使いこなせると思っていた推進してきた原発推進政策(戦後の復興に必要と吹きこまれてしまったのでしょうか)、科学者(科学者としての良心も権利権力権威と結びつくとゆがむのでしょうか)と技術者(多分技術で抑え込めると思っていたのでしょうか)の大きな勘違いがあって・・・。被災以前も被災後にも人災の部分があるゆえに誰かに責任を持って行きたくなるのだろうけれど、人間って本当に進歩しない生き物だなぁとつくづく思うのです。誰だって今まで経験したことがないことが次々に起こったらパニックになります。でもその時こそ冷静に全体を見て、そして最悪の見通しを立ててそうならないように具体的にシラミつぶし(実際には私したことないですが)のように確実な対処をしていく役目の人が今回いなかったのでしょうか。まだ知らないことが一杯ありそうな気もしますが、誰かと誰かだけが悪いというだけじゃないと私は思っています。

前にも書いたような気がしますが、40数年前に原発を始めたときにもっと気付くべきだったし、かなり反原発派が活発だった時があってその時に反原発関係の本をたくさん読みました。そんなに安全なら、東京近辺に原発施設をつくればいいと本当に賛同しましたが運動そのものも、私(たち)の気持ちもいつの間にかしぼんでいてマヒしていたので人のことを責められないという感覚があの日以来あります。

東電も国策に乗った、関係者は乗せられたと思っているかもしれませんが一旦回り出した原発依存は簡単に崩せない構造を生んでいった・・・
政権政党にある民主党はやっぱり失うことを恐れずに、明らかにするべきでしたね。
自民党はもっと自分の与党時代のこともきちっと踏まえながら現実に立ち向かうべきでしたね。
って《べき論》は意味がないので、今すぐにしなくてはいけないことをして欲しい。 原因究明、原発事故の検証も勿論これからに生かすために大切なことだと思います(あの~今頃になって大震災直後のメルトダウンやら放射線量やら、東電の解析データがぞろぞろ出てきたりしているのは、IAEAの事故調査委員が来日する直前には出てないとまずかった??)、で同時に放射能を出し続けている原子炉とその周辺からの放射能汚染拡散を抑える作業を確実に進めて欲しいです!!

私は誰かのせいにするのではなくて、まともなことを口にできるちょっぴりの勇気と自分ができうることを考え続けていくしかなく、今現在の健康被害と10年、20年後の健康被害が最小限になるように、お腹のそこでは時々キリキリ痛む不安を感じながらなるべく冷静に情報に接しようと思います。過度の不安を煽るようなこともいけないけれど、安易に安心できる状況でもないことも受け止めなければいけない。何しろ洗えば落ちる、良ければ浴びないという代物ではない、相手は手ごわい放射能、放射線ですから。

話を元に戻して今日のテーマは、復旧じゃなくて新たに復興する支援と賠償問題とお金はいくらあっても足りないようです。心身ともに痛みを伴うかもしれないけれど息の長い物心の支援が必要なのだともう一度肝に銘じたいです。自分自身の心の動きも、日本の経済力も見通せないです、情けない。

実は私の誕生日でした(18日)

2011-05-19 00:07:34 | 日々の出来事
実は私の誕生日です。誕生日を喜ぶ年でもないですが、朝からお祝いメールが来るとやっぱりそういう繋がりに囲まれていることが嬉しいです。
特に家族からのメールは実際に涙が出る訳ではないのに、胸が熱くなります。皆が元気で、それぞれが「生きていること」「そこに在ること》が嬉しいです。

そして、こんな時代だからもっといのちを大切にしてほしいのに、人一倍生かされている「いのち」が軽んじられることには怒りとか憤りというより哀しみとはらわたがきゅっと縮まる感覚が湧くのです。

この数年、そしてとくにこの数カ月大震災で被災しているいのちの危機、生活の危機に直面しておられることに心を痛めているのと同時進行で、個人的な友人の辛く悲しい思いを受け止めつつ何とか生きて欲しい、立ち直ってほしい思っています。そうはいっても冷たいようだけれど人の生命力は、人がどうすることもできない領域だと思うので、自分の今できることは使える時間と寄り添う気持ちを彼女のために精一杯使うことかなと思いながら過ごしています。

誕生日の節目だけれど、傍が何と言おうとやっぱり自分が納得できる関わりを大切に、人の生きる力を信じていたいです。


GW後半

2011-05-13 23:24:04 | 大切な人 家族・友人
 次女の連れ合いが「お母さんも一緒にお泊まりに」と言ってくれたとの誘いで、彼らにとって子どもができてから初めてのお泊まりに参加した。
 秩父ミューズパークの中にある森のコテージがお泊まり先。何回かネットで検索。ミューズパークの中にあるようでいて、森のコテージは別の経営??分かりにくいと言えば分かりにくいけれど、広い敷地でのびのびとできそうな雰囲気で楽しみに天気予報とにらめっこ。一日目は暑いくらいの晴れ、朝は涼しいものの程よい二泊三日間を過ごした。

 まず西武池袋線のレッドアロー号で約40分、近場移動が多い子どもたちのための車中グッズがなくてちょっと飽きた所で到着。まずは駅前で腹ごしらえ。名物の秩父そばのお店に入ったら、手打ちのつるつる麺、胡桃ダレで頂いた味は大当たりでとても美味しかった。サイドメニューの味噌おでん(手作りこんにゃくに味噌)もまた美味しそうでした(子供たちが全部食べてしまったので大人は我慢)山菜天ぷらも美味でした。

 秩父駅からかなりの人出で列をなしながら坂を上って、子どもたちあっちふらふら、こっちふらふらしながら目指せ羊山公園の芝桜。その直前の羊牧場でお腹ぺこぺこらしい羊に近くの草を探してのえさやりは子どもたちに大受けで30分以上遊んだかしら。私も一杯草取りしました。ほんの少し行けば芝桜の里なのだけれど中々そこまでたどり着かない。こののんびり感が今回の小旅行の特徴です。
駅を出発してから2時間近く、やっと芝桜の里につきました。テレビのニュースで何回か見て板と同じ景色!! 色々な色の芝桜が丘ののり面一杯に綺麗でした。とにかく広い羊山公園のほんの一区画。武甲山をバックにカメラスポットには人人人の行列もできていました。
かなり暑い日差しの中、帰り道でかき氷を頬張りながら一休みしてから駅まで戻り、バスを待つこと1時間近く―こののんびり加減がまたいい―、コテージについてテラスでバーベキュー、そして別棟の温泉につかり心地よい眠りへ。
 
 二日目、コテージの周りで遊んだり、ミューズパークのほんの一部を遊具で遊んだり、プラプラ散歩したり、大きな展望滑り台で遊んだり、そして午後はまた秩父駅に出て駅の秩父仲見世でこんにゃく玉、蕎麦など食べながら連休で丁度やっていたお腹にドンドンと響く秩父夜祭の和太鼓の演奏を聴いて楽しんだ。お祭り好きな私は子どもから大人までの太鼓衆にも感激したが、本番の夜祭に来てみたい気分満々、とっても嬉しいショーでした。
 その後娘の知り合いのやっている奄美カフェへ。時代は昭和の中頃にタイムスリップしたようなレトロなお店に奄美の空気がゆったり流れるところでまったりくつろぐこと2時間近く。子供の時間は子どものペースで、大人に時間も大人のペースでのんび~りした一日。
昨日のバーベキューの材料の残り1/3に持ち込み焼きそばや肉に野菜でまたまた満腹な夕食に温泉。また心地よい眠りに早々とつきました。子どもとほとんど同じ就寝時間!

 三日目、婿殿とF子のリクエストでまたまた羊山公園の羊にえさをやりに行くことに。羊山公園のわんぱく広場で私と娘、そしてS平とT司は遊んで満喫。散策も楽しく駅まで降りてきてお昼。大人は初日のおそばの味が忘れられないのだけれど、子どもたちによって却下。またまた仲見世通りをプラプラと冷やかしたり、食べたり。仕上げはソフトクリーム。
仲見世で求めた和紙の折り紙で帰りのレッドアロー号はあっという間に池袋へ。その晩は娘の所に泊まって仕上げ。秩父から持ち帰った岩魚すしと秩父そばの夕食も美味しかった。
F子と積んだ花ガラでガーゼハンカチを染めて(色が薄くしか出なくて残念でしたが)二泊三日はとっても楽しかった。そしてゆっくりまったりゆったりと過ごせたので、とっても癒された毎日でした。

 また行きたい空間。ミューズパークもコテージの周りも、羊山公園もまだまだ制覇していないし、皆で一緒にまた行こうね。

「ザ・ライト エクソシストの真実」 観てきました 

2011-05-09 22:31:24 | カトリックの信仰
「面白かった…」と友人に勧められた瞬間「いやだ、私そういうオカルト系は好きじゃないし、なぜ昔のを今更の?」と言ってしまいましたがオカルトではなく新作で全然テーマが違うと言われて、つい乗ってしまい、かなり久しぶりに映画を観に行った。
フフ、初めての六本木ヒルズのシネコン、おしゃれな感じ。この GWの前半のひと時を一人で過ごす時間として行ってみることにした。基本的には映画は一人で行きたい人です、私。ネットで座席の予約をして、前々日で6割埋まっていた。当日は満席。

数年前にカトリックのカテキズムを養成講座を受けた時に「悪魔祓い」「祓魔師」は昔あったものではなく、今も存在する養成された司祭の役割のひとつだと知った。

映画は養成されていた神学生が、最後に神父になるかどうか揺らいでいた時に、指導司祭から彼のもつカリスマ性(適性といったらいいのだろうか)を指摘されて←このエピソードがじわ~んと良い、バチカンで行われるエクソシストの特別講座に派遣され、神学生と出会うエクソシストとして有名な老神父が軸となって、いくつかのエピソードが描かれている。もしかしたらこのブログを見てから映画を観る方もあると思うので余計な情報は伝えたくはないのだけれど、結論はみて良かったです。深みのあるまともないい映画でした。

《君は“罪”を信じるか》《私は悪魔の“しわざ”だと思いません》・・・

悪魔がいざなうから罪を犯すのだろうか。悪魔はどんな働きをするのだろうか。人間には意識的、あるいは無意識に自分の罪を心深く押し隠そうとする悪魔性があると思う。その本性と呵責のはざまに悪魔が働く、かもしれない。 自分の奥深くに押し殺していた罪に気付いた時に人は戸惑い困惑する。存在を否定したい悪魔に対して、自分の信じている神に対して揺らぐ。

アンソニー・ホプキンス、いやぁ《羊たちの沈黙》はすごい迫力で怖くて、一回観て懲りているはずなのにテレビの再放映も、ビデオに録ったものも何回か観ている。彼が個性的な先輩のエクソシストの司祭役。若い神学生はマイケル・コジャックという演劇の俳優さん。二人とも演劇俳優ということ??か、やはり上手でした。

精神病とは明らかに違う、悪魔に憑依された人から悪魔を追い出し、神に絶対的に信頼していくクライマックスは迫力満点。実際にあった話、ある話だそうです。ローマではルーカス神父が、アメリカではマイケル神父が現役でエクソシストとして活躍中とか。興味がある方はお勧めします。なぁ~る程、そう考えるか・・・と。

色々と考えさせられることもありました。パンフレット買わずに帰ってきてしまった~と思っています。細かいところ、数日すると忘れてしまうので。

本当にこのところ良く物事を忘れる。ちょっとやばいかも。
ちなみにザ・ライトのライト、気になり調べましたら the lightでもなく the rightでもなく the riteだそうです。