ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

TVドラマ『遺恨あり』 観ました

2011-02-27 00:14:08 | 日々の出来事
 藤原達也主演、小澤征悦、北大路欣也、吉岡秀隆…そりゃぁ、観ない訳いかないしょ!

 結論。観て良かった。藤原達也も北大路欣也も、幕末から維新、そしてその後、とっても気になる時代のドラマだったので面白く見た。吉岡君はいつも吉岡君。嫌いじゃないけれど、声も癒し系だけれど…でもそう思うとやっぱり藤原達也はうまい役者さんだなぁと思う。16歳ぐらいで、惹きつける魅力を持った子でどういう風に大人になっていくかとても楽しみな役者さんだったけれど、やっぱりこれからもいい意味で期待を裏切って大きくなって欲しい。恵まれた作品、演出、監督、先輩俳優さん…彼の持つ不思議な存在感が今回もいい具合に生かされていた気がする。といって、私そんなにファンというほどでもないのだけれど、確実に気になる俳優さんの一人ではある。

弓削瓢柑

2011-02-21 22:32:24 | 料理
上田にあるみすず飴や無添加の季節のジャムで有名な飯島商店に先日寄った。
そのときに珍しいみかんと出合った。弓削瓢柑(ゆげひょうかん)という。
私は、弓削と言う名前、珍しいなぁと思っただけだったし、ひょうたん型でもないのに瓢って面白いなと思っただけだった。母はすぐに昔の女帝の近くに居た人弓削僧正って言わなかった?といった。そして、今日歴史に詳しい二人の友人も二回天皇になって人(名前がそのときに出てこなかったが)、孝謙天皇(称徳天皇)らしい。

生まれは台湾。昭和の初期に日本にはいってきたらしい。瀬戸田(広島県)産で実はグレープフルーツに煮てさっぱりしていて、皮には苦味がある。今では生産量も少なく稀少なみかんだそうだ。

飯島商店の三宝柑ゼリーというのもとても美味しい。それを買ってレジも終わったところで弓削瓢柑が並んでいるのが目に入り、飾ってあるのかと思ったら一個90円とあってもう目が離せない。結局三宝柑ゼリーは返して、弓削瓢柑を5個かって帰った。
一個は母と妹と生で食べた。ウン、予想通りの味。

で、あと4個ほぼ1キロの弓削瓢柑はマーマレードにすることにした。皮五個分、身は4個分、砂糖は半量。皮を煮こぼし、水にさらし、にこぼし、さらしと4回繰り返して苦味がちょっと残るぐらいまでになってから煮た。さっぱりした淡白なマーマレードが出来上がった。多分、飯島商店さんの甘い、甘い味とは全く違うだろうな。飯島商店のジャム、とっても美味しいのだけれど私には(家の家族にも)甘くて最後まで食べきるのに苦労する(でも食べちゃうけれどね)

そんなに沢山ではないけれどビンに5個、そして小さなポリ容器に8個できた分は今日会った友人たちに配った。今日尋ねた義母に1ビン。1ビンはパンにつけてむしゃむしゃと、そしてヨーグルトにたっぷりと使ってあと少しになってしまった。残りはゆっくりと行き先を考えよう。



久しぶりの更新したら

2011-02-21 00:07:13 | 日々の出来事

びっくりしました。ずい分のご無沙汰でした。

その間に、遊びに行った次女宅ではインフルエンザ?(彼女のうちでは子供が三人いるのだけれどインフルエンザワクチンも打っていないし、もしもかかってもタミフルは拒否するという婿殿の方針で) という訳でインフルエンザかどうか分からないけれど、子供たち三人と娘が続けて高熱を出して、それぞれが一日半高熱で大変な思いをした一週間があった。・・・HELPがでてもいけないくらい忙しい日々だった私だが、そんな騒動が収まってから、天晴れ、三児の母よ、大変だけれどがんばったねと彼女のブログで知った。

私は、カルチャー教室を一日に2つ抱えてヘトヘトになった。月の1/3が過ぎると東京と長野の仕事、その間に自分の為のお稽古事が入って休みのない日が半月続く。この間がけっこうきつい。今月のカルチャー三回はイレギュラーではあるけれど、もしかすると4月からも。ペース配分を考えないと自滅しそう。

それでも、やりたいことをできる幸せは感じているので、これはこれでできるうちはがんばろうと思うけれど・・・

明日も今月三回目のカルチャー教室です。私の大好きなサヨリ(細魚)づくしです(*^_^*)


傷がないのに出血ってあるの?

2011-02-20 23:57:10 | 日々の出来事

今日、夕食の為に刺身の材料を買ってきた。いか・めばる・バイ貝の三種。今日はラクチンを決め込み売り場のお兄さんにいかもめばるも刺身一歩手前までさばいてもらい、バイ貝も綺麗に洗ってもらい塩もみを遺すのみまでしてもらってきた。めばるのアラも汐汁にするために持ち帰った。

イカのワタは塩をしてホイル焼き、ゲソはさっと煮して生姜しょうゆに漬け、身は裏表に包丁目を入れて食べよくうまみを出して、イカそうめんも作り・・・一品。 腸以外はウン、美味しい!

バイ貝は多目の塩でよ~く揉み、洗って削ぎ切りして・・・一品。歯ごたえと甘み、good!!

めばるも魚屋さん手抜きの残った骨をきちんととって、綺麗に刺身に造り、美味しかった。

さて、汐汁の為に頭を2つ割りにしようと出刃を入れたけれど、なかなか歯が立たない。そこで出刃の背に左手を添えて「バン!」と叩いた。 血が飛んだ、気がした。魚の頭にまだ血が付いていたかなと思った。アラを霜降りしようとお湯が沸いた鍋に移したときに、アレ?なに?この血?と左手を見たら血がべったりとついていた。歯じゃなかったけれど切れちゃったのかなとそっと流水で洗って、バンドエイドを張っておこうと水気を拭いてみたら傷口がない。血管の流れに沿って内出血の様子。そうか、内出血だったのか。さっきの血は魚の血か~~と納得させて調理を続けた。

確かに出刃の背の当たったとおりに痛みもあるしない出血していた。

数時間後の今、ぷつんと傷口がある。確かに、ピュッと血が飛んだ気がしたのはこの傷口から??? 丁度さっき電話を貰った友人にその話をしたら、「アル!アル! それは出血したのよ。傷口が見えなかっただけであったのよ。年末にちょっとした弾みでドアに打ちつけたH氏と同じ症状」だそうな。氏は骨にもひびが入ったようだが、かなりポタポタとなるほど血が出たそうな(友人は血で汚れた戸を2人がかりで拭いたそうな)、でも傷口は殆ど分からないくらいのものだったそうな。 だからプツンとある傷口から血がピュッとでたのはありだという。

初体験!! 余りしたくない体験でした! お気をつけあそばせ。

ちなみに他の献立は、里芋と蓮根の煮物、かき菜のお浸しでした。


お手紙書いて・・・

2011-02-03 00:00:54 | 大切な人 家族・友人

大好きなお姉ちゃんがお手紙を書く場面をよく見ている次男坊。

先日遊びに行った時に折り紙を持ってきて、ここに書いてほしいという。

「 ○○子さん(私のことをそう呼ぶ)  こどもだいすきでしょ

おとなだいすきでしょ  おとうさんだいすきでしょ

おかあさんだいすきでしょ  ほんもすきでしょ

○○子さん、おてがみだいすきでしょ  Sへいより  」

千代紙柄の上に書いてというので、三才のこの子の気持ちのこもった言葉が読めなくなりそう~と心配しながら一生懸命書いてあげた。

綺麗な封筒に入れてくれた。

大切なおてがみ。

私が彼の所に行って孫と遊ぶ、皆と笑い楽しくしている、本を読んでくれる。

そんなことを喜んでくれているS君の気持ちが伝わって嬉しかった。

また、行くからね。

F子ちゃん、熱下がりましたか? インフルエンザではないようで良かったですね。お大事に。


オーストラリアで④ フリーマントル旧刑務所

2011-02-01 14:49:37 | 日々の出来事

前回の更新から半月たってしまいました。勢いで更新していた時と今では新鮮な記憶が薄れているような気もしますが。

フリーマントルは1829年からイギリスの植民地として街づくりが始まったそうです。旧刑務所はイギリス本国からの流刑囚が収監されていた場所で1991年まで(つい最近ですね)囚人がいた所です。

孫達と一緒の行動が多かった今回の滞在中、初めて一人で歩いて行った場所です。家から徒歩30分ぐらい。確かに日差しはきつかったですが、日陰を選びながら歩くと途中の家並みや戦没者慰霊塔のある公園などを見ながら気持ちのいい散歩コースでした。フリーマントルで観る場所の一つですが、子ども連れで行く所でもないかと思い一人で行きました。

1991年に閉じるまで136年に約10000人近くの人が収容されていた建物は当時のまま、私たちガイドツアーが参加する時も出入り口、途中のブロックの移動の際など鍵を開け、鍵を締め(デモンストレーションでしょうが・・・)、日本語の音声ガイドを聞きながらガイドさんの身ぶり手ぶりの会話をかじりながら1時間半かけて見学しました。流刑者のほとんどは殺人罪だったといいますから、凶悪犯なのでしょう。まず、現地で切りだされる石灰質の石造りの建物づくりも囚人たちの労働で作られたようです。すべて独房の作りではじめはハンモックのような簡易設備で、小窓一つの、夜から朝までの排せつ用バケツがあてがわれただけの個室と強制労働のあるときは街づくりなどに駆り出され、そのほかの時には雨の日も酷暑の時も屋外にあるブリキ屋根の下のベンチで過ごしたとされる場所、大きな釜のある台所、特に暴れたりした時に入れられる監禁などを丁寧に説明を聞きながら回りました。

パースについてすぐに行った旧造幣局とは違って、犯罪者が収容されていた所でどんな思いで過ごしたのだろうか、とか脱走を企てた人の話を聞けばやはりつらい日々が続いたのだろうと思い、独房よりももっと厳しい夜も昼も分からない監禁室に入れられて精神が不安定になったり狂ったりした場所では(今なら収監される人の人権も考慮して、数時間しか許されていない罰)、苦しんだ人々のもがきや叫びが壁のひっかき傷や彫ってある絵や字から伝わってくるようで段々重たい気分になってきました。136年間、10000人近くの収容者のうち死刑処刑は41人だったという絞首台のある部屋ではとてもカメラを向ける気にはなりませんでした。ガイドさんの話で興味深かったのは、絞首台に立ちロープを首に掛けられて床が落ちて処刑になるのですが、そのロープの長さと床を落とすタイミングを死刑執行の看守の犯罪者への配慮の話でした。せめて犯罪者が苦しまずに死を迎えることができるように身長や体重に合わせてロープの長さなどを決める、その技術やタイミングを誤ると長く苦しむ姿を見る執行者も苦しい思いをすることになる、と。

イギリス国教会の聖堂があり、祭壇後ろには主の祈り、十戒が掲げられていましたが、十戒の中で「なんじ殺すなかれ」という個所は「なんじ殺人するなかれ」と書きかえられているとか。受刑者に悔悛を促すためとありました。植民地時代はイギリス国教会の実で良かったそうですが、のちにアイルランドからの流刑者を受け入れる時にカトリックの聖堂も作られたとか。毎晩神に向かう場で祈る習慣、監禁しつの一つは死刑処刑の直前に聴罪師と2~3時間過ごす部屋があったり・・・犯罪を犯した人が神に向かう機会があることに少しだけの救いの一筋が見えました。亡くなった犯罪者と執行者、刑を終えるまで過ごしていた犯罪者の方々のため、そしてその人たちに殺された人々や遺族のために祈りました。

屋外遊戯場所(ブリキ屋根もあるところ)にはバスケットボールができるスペースもとってありましたが、ある時に塀に絵を描くことが許された時に多くの人が描いたので刑務所内に絵画教室が開かれ、そんな機会に絵の才能が開花し出所してからプロの画家になった人も何人かいると、そんな人の絵も飾られていました。外の塀の絵は保存用に描かれたものではないために劣化してあと二枚を残すのみとなっていました。

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でてから子供たちと待ち合わせ、お昼はフリーマントルのカフェ通りで窯焼きピザを皆で食べて、ソフトクリームを食べ、満喫。

そんな日はお昼寝つき。