ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

午後3時 42度!

2015-07-31 20:13:28 | 日々の出来事
今日はさすがに暑かった!

実家の2階、エアコンがない部屋の気温は午後3時に42度。
洗濯物を干しているベランダに出たら、足の裏が火傷しそうでした。

4時過ぎに40度。
5時半ごろに38度。
まだまだ気温は下がりません。

例年、夜寝る頃になると風を感じるので、エアコンを入れずにいたのですが、今年は我慢できずにエアコンで冷ましたから寝ることにしています。

今晩はどうしようかな~~。暑すぎです。

片目のみっちー!!

2015-07-31 08:41:34 | 日々の出来事
緑内障で右目の視野がだんだん見えにくくなっている母は、
なかなか受け入れることができないので、なお辛そうではありますが
左目はまだ視力があるので、それで十分じゃない?と傍は思っても
本人のいつも霞んだ状態は不快に違いなく・・・
それでも昨日から「片目のジョニー」じゃなくて
「片目のみっちー」に慣れないといけないのかなあと言い出しました。
こんな風に思えるのは何日続くかなと思いつつ、
少しずつ、受け入れようとはしているのでしょう、ね。

毎日、見えない見えないに次ぐ「だから早く逝きたい」という言葉に
うんざりして嫌になるのですが、元気でいる限り優しくありたいし
母の思うように「早く逝けますように」とは祈れないけれど
日々ができるだけ平穏のうちに過ごせますようにと祈っています。

プルーンジャムとプルーンコンポート

2015-07-27 10:56:52 | 料理
                  
 

熟れたプルーンとまだ早取りのプルーンを頂いたのでジャムとコンポートに仕上げました。
実は、昨日生のを一緒に友人と頂いたのですが、まずくはないけれど苦みがあったので、コンポートを提案しましたら、墓穴を掘りました。
結局、今日の午後にあるミーティングのお茶請けに作ってあげることになりました。

夜寝る時には、プルーンのタルトが食べたいなぁと思っていたのですが、
朝から暑いし、作るのが面倒になってきました。

家の中をプルーンの甘い香りが漂っています。ジャムだけは他から頂いたプルーンも合わせて作ったので頂いちゃいます。

孫がくるんだったらタルトも頑張って作るのに・・って、思う私がいます。


赤しそジュース 完成!

2015-07-27 08:56:41 | 料理
今年は明かしその出来が悪いと友人たちの間で言われていましたので、無くても済むものではあるので諦めていたら、去年も頂いた友人からメール「今年は10本しかならなくて、使うならもらって・・」と連絡をもらい、昨日受け取りました。

    


10本の紫蘇は、丈も葉っぱも小さかったのですが750gくらいありました。
①紫蘇の葉をむしって良~く水洗いしてざるにあげて水を切っておきます。
②3Lの水を沸騰させて、葉っぱを20分位中火で煮ました。
③葉っぱを適量ずつざるなどにあげて鍋の上でしっかり絞リ、葉っぱは捨てます。
④一回、紫蘇液を漉します。(これは後でもう一回やるのは省いても可)
⑤砂糖を700g弱、小分けにして鍋に入れて、時々かき回しながら10分位煮つめます。
⑥火を止めてレモンの絞り汁と酢を合わせて300cc入れてかき混ぜます。
⑦保存瓶の消毒をします。綺麗に洗ってあったものを、最後に焼酎または酢を少々入れてシャカシャカ振りました。
⑧あら熱が採れた色鮮やかなシソジュースをビンに詰めていきます。

今朝、朝食時に一杯いただきました。美味しくできました~~~~!!

   

今日の献立 向暑

2015-07-22 10:06:53 | 料理
週の初めに梅雨が明け、二日続けて晴天が続いています。夏はこれから本番になります。そんな時に酢がちょっと効いた料理が涼を呼びます。

                     
★魚素麺の冷やし鉢
魚のすり身を当たって、押し出してそうめん状に作ります。添えたのは水だこのお刺身。トマト(トマトジュースでも可)を吸い地(酸いから来ているうす口の酢の入っただし汁)で伸ばした汁を張りました。降り柚の香りも食欲が出ます。

★とりもも肉とかぼちゃの炊き合わせ (鴨肉が手に入らず・・・)
かぼちゃを直炊きして、味を含ませ、とりもも肉に治部煮と石川小芋を炊き合わせ叩きオクラを添えました。

★蛸のつめときゅうりの二杯酢
たこの吸盤と皮をゆがいて、きゅうりの薄うちを二杯酢で和えました。

外からの陽射しはとても強い日でしたが、エアコンのお陰で火を使っても何とか過ごせました。


今日の献立  炎暑

2015-07-21 20:05:15 | 料理
今日は気温36.5度だったとか。東京よりも名古屋よりも、京都より暑かったとか。

私は午前と午後のクラスの為に8時を回った所でもう家を出て、帰って来たのが5時ですから、一日中エアコンの中にいたのでそんな猛暑は感じなくて、もうそんなに暑くなくなっていました。

               

★野菜のかき揚げ 
人参とごぼうと玉葱と桜えびのかき揚げです。衣を一杯つければまとめ易くなるのですが、衣を軽めに少ないかと心配になるくらいに絡めると衣がお座布団みたいにならないで上手に揚がります。今は便利に天ぷら粉も売っていますが、小麦粉を冷水と卵黄で解いた中に入れて練らずに混ぜる勉強と、油切りをフライ鍋の熱い油の上で数秒動かさないで油を切ると上手に切れる勉強です。

★キャベツと紫蘇の博多漬け
キャベツと紫蘇を塩を少々ふりながら、バットに交互に重ねていって、重しをして適当な大きさに切って縦に盛りつけると博多織の模様に仕上がります。目先の変わった即席漬けです。

★山河豚の刺し身
こんにゃくを刺し身のようにそぎ切りをして盛りつけて行きます。ここで初めてふぐ刺しみたい!と気がついた生徒さんがいました。だから山ふぐなのです。芥子酢味噌でいただきます。

★じゅんさいの赤出し
八丁味噌の美味しいみそ汁の作り方は、じっくりコトコト火を入れることを学びました。庄内麩とじゅんさいが具材です。







細やかな手仕事!

2015-07-13 13:57:57 | 日々の出来事


友人がI市へボランティアに出かけました。あの2011年から年に一度、ある時は2度ずつボランティアに行っています。私は同じ頃、全く同じではないとしても3月以来それぞれの置かれた場で被災地へ、被災された方々と共に在りたいと祈り続けていました。私はK市へ、主に調理とベースに来て下さる方たちと共に手を動かし、おしゃべりに耳を傾けるボランティア活動をしています。

派遣された場は違い、それぞれの受け止めるものを分かち合いながら自分の知らない場での繋がりも大切に過ごしています。

そして、彼女は針仕事が好きです。そのカリスマを活かしながら耳を傾けて被災された方々と共にその時を過ごしています。今年はシャツ型ティッシュケースを携えて、楽しい笑顔と共に作り出す喜びを味わうことができたようです。

4年半たって、土地は整地されて、復興住宅が建ち始め、被災された方々は自宅から避難所、避難所から仮設、仮説から復興住宅や異なる仮設、または自宅を再建して何度か引越しを余儀なくされています。それは4年半前とは違う共同体や生活様式を何度となく再構築する過程でもあります。
もう4年、されど4年・・・

彼女の丁寧な手仕事に、被災地に、被災された方々と共に在りたいという暖かいぬくもりを感じます。いつもひとつ分けて頂きます。丁寧な針跡に想いを受け取って、今年はまだ伺っていないK市のボランティアベースのことを思っています。

悲しいの・・・

2015-07-11 21:24:45 | 大切な人 家族・友人
              
庭の金柑の枝落としをしたら、実の付いた小枝がありました。
この間、買った小さな花束の中にあったブルーベリーと一緒に醤油さしに活けたら母が「可愛いわねぇ!」と言ってくれました。少しホッコリしたならば嬉しいです。

午前中に、母が「悲しいの・・」と言いにきました。

どうしたの?? 本当に悲しそうだけど、どうしたの?

母は去年の秋から緑内障の自覚症状であるカスミ、見えにくい、痛くなるなど訴えるようになりました。左目は数年前の白内障の手術をしたときに緑内障を見つけて頂き、自覚症状が出る前からそのための目薬をずっと点眼していました。その総合病院で診てもらっていましたが、坂の上り下りがきつくなりもっと近くの眼科に眼圧管理のために通い始めました。
でも、余りにも不快感を訴えたので、総合病院に行って見ました。眼圧がすごく上がっていて先生もびっくりでした。
それで母のお薬手帳を見て、両眼点薬の処方になったのは去年の初めからのようでしたが、母にはそのことが伝わっていなくて(耳が遠くなったせいもあるか、思い込みのままに右目も必要なことを受け取れなかったか今となっては分かりません)
症状が出てから点眼を始めて様子を見ていましたが視野が悪くなっているようで、特に午後になり夕方になるとかすむ症状もひどくなるようでしたし、更に体質的にも角膜に傷つきやすいそうで痛みのある時も多くて、唯一の趣味であった読書もできなくなって精神的にも辛そうでした。

今春から、大学病院の緑内障専門の先生のところに行くようになりました。目薬も変えたり、増やしたりしながら眼圧は上がったり下がったり・・視野狭窄検査ではかなりの部分が見えにくくなっていることが分かり、2ヶ月前から手術も視野に入れて診て頂いています。

見えにくい不快感、見えなくなる恐れと同時に母は「早くお迎えが来ればいい」と繰り返す日々です。
先生方は疲れない程度に読書をしていいとおっしゃってくださるのですが、母は読むことを諦めてしまいました。
テレビも見なくなりました。何も音のしない部屋でチ~ンと座っているだけの時が増えました。
あれもできない、これもできない、お世話をかけて迷惑になっていると気持ちが前に向がないことが多くなりました。
食欲も落ちたので、私が居ない時には極端に食べないようなので、6月からは調理ヘルパーさんをお願いしています。

この二週間は梅雨らしい梅雨で鬱陶しい毎日でしたが、季節の変わり目、気圧の低い日、一日の中で母の場合は夕方に目はとても見え辛くなるようなので、普通の私でさえお日様が恋しい気分でしたので、母は気持ちはさぞ悪かったと思います。

だから、母がこぼす時に、出来ることを数えてみることにしました。

日常生活の起床してから洗濯機に洗濯物を放りこみ、朝食をとって一休みの後物干しをします。
雨降りではない曇天には近所を一回り15分の散歩は時々ついていくものの杖を使って(4月から自分で欲しいと言いました)一人でも行けます。私が居ない二週間近くは(この頃この期間が短くなりつつあります)ほぼ一人で身の回りのことを自分でしています!!すごいことだと思っています。
テレビ観戦で相撲のある時は関脇人が出てくる時間帯から観ます。ニュースと天気予報の時間もテレビをみます。
野球は日中のゲームはテレビで、夜はラジオで楽しんでいます。今日もお気に入りのジャイアンツの対象にいい笑顔でした!

それでも、それでも「哀しい!」と言いたい時、辛い時、不快な時ががあるのよね。

長生きをすることの辛さを目の当たりにして、自立しているゆえに嫌なのだろうなぁ、今の状況が。
と、分かったようなことを言っても本人が感じている哀しさは、本人にしか分からない辛さなのだろうと思うのです。
寿命がいつまでなんて誰にも分からないけれど、残りの日々を心穏やかに過ごせるように、一生懸命サポートしたいと思っています。父や母が私たちにしてくれたこと、まだまだ恩返しは出来ていないような気がしています。

辛いだろう、不快だろうと思う。それでももう少し元気なままでいて欲しい。

                
じめじめした梅雨空が続いたから、近所の散歩でお花を見つけて買い求めたのは数日前でした。