ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

映画「ノア 約束の舟」

2014-06-26 21:50:50 | カトリックの信仰
話題の映画「ノア 約束の舟」を観てきました。

映画評は余り見ていなかったのですが,
カトリック信者としては、ノアの方舟の話しは旧約聖書物語として有名だけれど,今,この時代になぜノアの話しを映画化しようと思ったのかを興味を持ちました。ラッセルクロウとかアンソニーホプキンズがでる映画というのも魅力の一つ。そして何を問いかけているのかなと行ってきました。

お金をかけたCG画像多様は,個人的には好きではないのですが、やっぱり神に選ばれたノアが応えて成し遂げるにはそりゃあ色々あっただろうなと思っていましたが・・・やっぱり・・・

この間の日曜日は聖体の主日でしたが「私の肉を食べ,血を飲む」ことが当時のユダヤ人にとっても、また現代の私たちでも「えっ!」という衝撃的なことであることを改めて思いました。肉と血を差し出して、それを飲むものが救われるという教えは本当に「何を言い出すのか!」と思った人もいるでしょう。その位、ショッキングなことを求めるのが神であって、永遠のいのちはそんな神からの恵み以外の何者でもない。イエスの差し出された肉と血、イエスの神への全き信頼の中で私たちが永遠の救いに招かれたのだと思うと本当に真摯に受け止めないといけないと思ったのでした。

話しを「ノア」に戻しましょう。聖体とノアの方舟は次元が違うかもしれないですが
旧約の神が望んだ新しい世界に作りなおうには、悪を犯し,争い,妬み、そしる人間と悪人のみならず普通に暮らしていた人もすべて見殺しにして、新しい世界を築く為に、種の保存の為にノアの家族が沢山の鳥、動物たちと方舟に乗る。その家族でさえも洪水が終われば死を求められている。
ノアは神に選ばれた者だから、神の望みを成し遂げることに残虐と思われることもしなければならない・・・そうかも知れない。
でも本当に神の望んでいることはそうなのか?
ノアが最後に感じたのは「愛と慈しみ」だった。それが神の望んだことだったのか。ノアは神に選ばれた者としては背いたことになるのだろうか。
「愛と慈しみ」に気づいたノアは、だからこそ神が選んだ人間の善の意思を持つ者だったのでしょうか。
分からないのですが粛正を重ねる旧約の怒りの神と最後まで愛と慈しみを持って人間に接する神とは同じ神なのだと思うのです。

人が知恵を持ち、科学も進化し,ロボット技術や染色体操作の医療技術などどんどん進歩しているし,色々な場面で神の成して下さっていること以上の領域に入っていくような、人間の方が紙縒り上かと錯覚しそうな時代にあって、この映画は予見しているのでしょうか。人間の傲慢さ,不遜さ、畏れを知らない意思が神の思いを超える時に、神は「ノアの方舟」のような価値観や世界を変えるような出来事を用意なさるのでしょうか。

見終わった後、あの、3月11日の後、この出来事を通して神は何を私たちに伝えたいのかを必死で祈り、悩んでいた時期のことをまた思い出しました。

ラッセル・クロウもアンソニー・ホプキンズも、ジェニファ・コネリーも子供たちもみんな俳優が良かったです。

それぞれの受け止め方があるのが映画や小説ですので、あくまでも私の見方です。そりゃそうですね。

今日の献立

2014-06-17 21:49:34 | 日々の出来事
               


今日の献立は午前も午後も「鮎の登り串」添えた谷中生姜の切り方が砧かツバメかの違いのみ。蓼の葉もみじん切りにして蓼酢に。

和食にチャレンジ:
鮎の塩焼き 鮎に登り串をうって、ウマを使ってガス火で焼きました。
新ジャガの粉ふき煮 新ジャガイモを柔らかくなるまでにて砂糖と醤油で仕上げていきます。
七夕素麺 そうめんの具にかに脚、とりささみ、椎茸、きゅうり、錦糸たまごを信玄弁当仕立てでおしゃれに。

               
和のおもてなし料理:
鮎の登り串 鮎の登り串を焼き、ツバメを添えて・・・ こげちゃいました。
白みる貝と春菊の胡麻酢和え 白みる貝は水管のところだけ使います。こりこりして甘いです。
          
青紫蘇ご飯 炊きあがったご飯に紫蘇のみじん切りをあわせて、小梅を装いました。紫蘇の香りが豊かです。
予定の献立以外に
頂いた水菜ときゅうりと午前の残りのかに脚、白みる貝の身?(いつも捨てていましたが生徒さんチャレンジして、柔らかい食感で食べたれる?!)でレモン汁と黒酢ドレッッシングのサラダ
寄せ玉子とスナップ豌豆、椎茸のすまし汁

今日も喜んで頂けて、感謝!

築地に行ってきました!

2014-06-15 22:35:11 | 日々の出来事
築地に行ってきました!


今月は時間もなかったので、買いたい物に直行、寄り道をしないで帰ってきたので実家から築地まで往復2時間の超特急で歩き回ってきました。築地市場内に行くとついついうろうろして、すごく重くなったバッグを肩に食い込ませて帰ることになるので、今回は調理器具店と場内で穴子と鯵だけを見たいと出かけました。

まず、場外でお持ち帰りができるお寿司屋さん。夏に入ったのでお持ち帰りのネタはとっても少なくて購買意欲がわく感じではなかったけれど、母の好物を最低限入れて注文してから買い物へ。

先月は土曜日に行ってその混雑に驚きましたが、平日はそんなに混んではいませんでした。

鯵もありましたが、鰯が目につきましたね。あちこちでぴんぴんのがありました。大きな魚は今日は見向きもせず鯵の新鮮な物を置いているお店をあちこち見て回り、やっぱりこれいいでしょうというのはお高い! よほど鰯にしようかと思いましたが母が好きなのは鯵ですから・・・。ようやく以前から寄っているお店で鯵を見つけ、ついつい隣に並ぶ赤貝が美味しそうだったので、いつもなら自分でやるけれど信頼できる人がやっていたので剥いてある赤貝を買って帰ることにしておまけしてもらってウキウキ。

野菜のお店に寄って早生野菜を求め、お茶受け用の和菓子を買って、台所器具屋さんに寄りましたが残念、売り切れ中。

最後に、築地で必ず寄るお豆専門のお店にもちゃんと行きました。波除神社の通りに面した小さい方の山本商店さん、豆の袋も小さいものから買えるのでいつもこちらへ行きます。お目当てはおじさんの笑顔。今日もどんな利子より多い割引で”蒸し黒豆”を買ってきました。いつもは黒豆納豆と煎り黒豆ですけれど・・・煮豆用の豆や身欠き胡麻、葛粉など乾物いつもここ買っています。

出来上がったお寿司を引き取って、大急ぎで帰宅。一休みしてから全部で大小11匹の鯵をおろして、タタキ用と南蛮漬け用に分けて振り塩して下準備終了。
夕食は、鯵のたたきと赤貝の刺身、ほうれん草のお浸し、鯵の骨煎餅、みょうがのむら雲汁。母はごはんを控えておかずは完食。骨煎餅もポリポリと、とっても喜んでくれました。弟宅では帰省していた姪がもうすぐカナダに戻るのでお刺身を差し入れ、鯵と赤貝はなかなか口に入らないでしょうから喜んでもらえたかな。

母が就寝してから、南蛮漬け用の鯵を唐揚げして冷ましておいて、荷造りして就寝。こちらは友人用なので翌日、渡す前に二度揚げして野菜とあわせて仕上げして差し上げました。こちらも喜んで頂けたので良かったです。

BS放送 とか 携帯電話 とか・・・

2014-06-12 20:14:33 | 日々の出来事
先週末の大雨の時にBS放送の画面が五月雨のようにポツポツと途切れることがありました。そして週明けBS放送は観られなくなりました。ご近所の電気屋さんが忙しい様子で、この数日は地デジだけで過ごしています。そんなにどうしてもBSがないとダメという生活必需品ではないのに、何となく気になっていたのでした。

今日、電気屋さんから電話をもらって自分でできる解決法を教えてもらったけれど、やっぱり繋がらない。それは説明書を見ながら試してみた事でした。そしてついさっき電気屋さんのご主人がきて、あちこちいじって結局、明朝アンテナとの屋根の接合部分から辿ってくれることになりました。
もう一台母の寝室にある方のテレビではBS放送を観られるので、久しぶりに今日の野球を母はベッドの上で観ています。

携帯電話も無かった時のことを思えば、どうしても無くてはならないものではないのだと思うのに、置き忘れたり、電池切れになったりするとなんだか落ち着かない気分になることがあります。そんな時に、自分の中の携帯への依存度が分かります。そういうときに電話のベルもメールも入ってこなかったりすると、妙に寂しかったりして…困ったものです。

私の携帯iphoneなので、PC環境にない時についいじってネットを確認したくなります。携帯だけだったら電話とメールなので必要な時にかけて、必要な時に受けていたのに、いつでもネット検索ができてしまうので、時間があるとのぞいてしまうことがあります。これも如何なものかと反省することが多いです。この2,3日PCがネット環境にない時に、文書を作る仕事がはかどりました。でも本当はPCも使わないで、面白い本とか興味あること、手先仕事に夢中になっている方が目も頭も疲れないような気がします。眠りも深いし…気が付いているのにやめられない禁断症状!何とかしないといけないかも…です。

母の誕生祝いの集い

2014-06-11 23:06:17 | 大切な人 家族・友人


実家の母の誕生日を前倒しで祝いました。父方も母方も、どちらの祖父母も世代を超えて家族が集まるのが当たり前の中で育ちました。だから機会があるたびに集まることが多い家族です。

だんだん若い孫世代がそれぞれの都合があって日程を調整することが困難になってきたことと、集まる家族が孫世代+それぞれの配偶者から曾孫世代も増えるとそれはそれは賑やか過ぎて、歳を重ねた母には疲れることが多くなったので、出席できる人のみ(最低催行人数は母と子供世代)でお茶か食事をすることになっています。

今回は大人9人子供(乳児を入れて)4人の13人、居間のテーブルを延ばして何とかひとテーブルで収まる人数でした。ちなみに出られなかったのは大人11人子供9人の20人でしたから、全員が集まる機会があれば39人になります。すごい!!

ここ数年、母の誕生日はお外ご飯でした。今回は新生児を卒業したばかりのひ孫がいたので、お寿司の出前と少しずつお料理を持ち寄っての夕食でした。母の誕生日は孫からの花束がお決まりです
。以前は花束を贈られてカメラを向けられると花で顔を隠したりしていた母は、今回ちゃんと笑顔を向けていました。かわいいのです、これが! アップできないのが残念 ・・; (ほほえみ)

母の元気度:
自分では「歳だから~」と何かにつけて言いますが、(人に言われるのは嫌がるので内緒ですが90代です)物忘れと繰り返しの話が多くなったことと、耳が遠くなったこと以外は元気なのは本当に嬉しいことです。私が実家にいる時には一緒に食事をとるので「食欲がない」と言いながらもちゃんとそれなりに頂いていますが、私がいないと食べる量は本当に少なくなっているようです。でもお茶の時の和菓子は欠かさない(笑)ので、決して心配するほどの「食欲がない」訳ではないようです。
散歩も数年前に比べて同じ道を歩いても、疲れやすくなったと言いますが、杖もつかずに一人で散歩できます。この頃一緒に歩くというとちょっと嬉しそうな顔をするようになりました(笑)

毎日決まった時間に起きて、洗濯機をまわし、雨戸をあけ、朝食を取り、洗濯物を2階に干しに行き、朝のお決まりのテレビを見た後は家計簿をつけて、読書をして午前中を過ごします。天気模様がちょうどいい日には、午前中に近所をぐるっとお散歩しています。昼食後、少しの時間ベッドに横になり(たまにぐっすりお昼寝をし)、お茶をしながらテレビをちょっと見て、庭に下りて水をやったり花をいじって、夕食まで本を読んだり、テレビを見たり。お風呂上りにはちょっとした体操を30年近く毎晩続けているのは私のできない生活習慣の一つです。こんなルーティンで毎日過ごしていることがすごい! 
私には自分が母と同じ年に、同じように元気でいられる自信は全くありません。とりあえずこれから何年かを生き抜く体力をつけておきたいな、とこの頃それだけを願っています。

年末にはもう一人ひ孫が生まれます。母が元気なうちに40人が集まる、そんな機会が来るといいなと心から思います。

聖霊降臨の主日

2014-06-08 17:05:37 | カトリックの信仰
カトリック教会では、今日の主日ミサの中で「聖霊降臨」のお祝いをします。
十字架上で死に、三日目に復活したイエスが弟子に約束した神からの霊「聖霊」が、イエスの復活から40日目(日曜日を除いて数えますから、昔は木曜日に祝いました。今は大勢の信徒の与れる日曜の主日に祝っています)に弟子たちに分かる形で現れたという日を記念しています。
師と仰いでいたイエスが捉えられ、受難を経て十字架上で殺された事実は弟子たちを打ちのめし、喪失感と同じように捕まる恐怖もあったでしょう、この日までひっそりと仲間と食べ物も分かち合い祈りながら暮らしていたとされます。
でも、この40日目に弟子たちは聖霊を受けて、大勢の人々を前にイエスから教えられたことを話し、大勢の人々はその場で神を信じ多くの人が洗礼を受けたと言います。聖霊の大きな恵みを感謝し、福音の宣教が始まった記念の日です。弟子たちはこの先に待ち受ける受難の覚悟もしながらイエスの伝えてくれた福音を広めていきました。

             

今日は近所の教会ではなく、幼いころに両親に連れて行ってもらっていた田園調布教会に行ってきました。大きな教会で近くに自由が丘というおしゃれな街があるので、教会の帰りにそこにあるお菓子の美味しいお店に連れて行ってもらうのが楽しみだったところです。数年前に改装・改築したので昔の面影を残しつつ、信徒会館など充実しているようでした。

本当は来週半ばに母国に帰られる神父様にお目に掛りたかったのですが、朝一番のミサ司式をされた直後で見つからなくてお目に掛ることは叶わなかったです。主ミサは午前11時からのようですが、私の与ったミサは子供のためのミサ(午前9時)でした。子供のためミサでした。でも、続々と大人が来て、大きな聖堂はほぼ満席でした。私の母教会の二回り?見回り位大きい聖堂ですから、午前中に三回ミサがあって、都会の大きな教会が色々な活動ができるのも納得できるなと思いました。午後には東北支援チャリティーコンサートがあるとか。

子供のためのミサは、「ことものためのミサ」という典礼式文も子供用の本と歌集も子供用でした。なのに聖書朗読奉仕は大人、う~ん。司式は二人の神父様でお若い神父様が説教担当でした。
「教会ってなに? 教会は建物ではなくて私たちの心にあると日曜学校で聞いたことがあると思います。今日は教会の生まれた日です。ということは今日は私たちの誕生日でもあるんですね」とはじまり、今日の福音箇所に共通している「みんなが集まっているところ」に聖霊がはたらいて、イエス様のことを分かるようになると続けられて子供にも分かり易いお話でした。
その説教の後に、今年から始まったようですが月一回のカテケージスとおっしゃって主司式者の神父様が出ていらして話されました。1回目の前回はミサのはじまる前の心構えについて話されたようですが、「今日ミサの前に香部屋にいる時に聞こえてきたざわつきに前回のお話したことが伝わらなかったかなとちょっとがっかりしました。今日は教会でのドレスコードについて話そうと思います。教会にきっちりドレスコードはないですが、バチカンの直轄聖堂ではノースリーブに短パンでミサに与ろうとしたらNO!ですよ。私たちの修道会の大切なアシジの大聖堂はフランシスコ会にとって大切な教会ですが、バチカン直轄なんです。だからNO!なんですけれど、フランシスコ会は優しいから大きなストールが置いてあって肩にかけなさいとか腰に巻きなさいとかしてくれます。バチカン徒歩かのローマの大きな教会では近くにあるお土産屋さんで布を買いなさいと言いますよ((笑))日本ではそんなに厳しくはないですけれど、やはりミサに与るのにふさわしい服装かどうか、何を迎えるのかを思い直していただきたいと思います。侍者をやる子は一応靴は黒と決めていますが、急にその日に頼むこともあります。その時は仕方ありませんね。侍者服を着ている下はタンクトップに短パンでいいかというとやはりそうじゃないでしょうという決め事を先日の地社会でしました。大人の方もそんなことを考えてみて頂けたらと思います」
このカテケージス、いつもこんな感じなのかしら?と教会に初めて来る方や今さら聞けないこんなことに応えるにはいいな、と思いながら聞いていました。

聖霊は、イエスが伝えてくださった神のこと、神の思い、神の計らいの理解できないことを理解できるようにしてくださる霊であり、父である神と子であるイエスの交わりそのものが聖霊であり、そこへ私たちを招いてくださる霊であると言われます。弁護者であり、真理の霊であり、助け手である聖霊・・・

「私たちに必要なことをすべてご存じの神
 私たちと共にいてくださるイエス
 寄り頼むときに力強い存在である聖霊
 私たちの信じる三位一体の神さまはすべて余すところなく
 完全なんだなぁ」
ただただ、信頼のうちに祈ること、祈りきろうと思いました。応えはすべて神のうちにあり
神のみ旨には一杯の愛が詰まっている!ってとても嬉しいことだなぁと祈りながら
心の中でニマニマってなっていました。

7時半のミサ、9時のミサ(2人)、11時のミサはやはり2人でしょうか。主任司祭と10時から典礼の教えを担当しておられる神父さまかな、なんて思いながら、今日の司式者というボードにそれぞれ違うお名前を見つけて、司祭不足と言われ続けている地方との違いを感じながら帰途につきました。


神様の計らい ~叔父の帰天に思う~

2014-06-04 14:38:30 | カトリックの信仰
従妹のU-子は今、夫の海外赴任でアジアの西端にいます。叔父の容態変化ですぐに三人の子供のうちの真ん中の子を連れて帰国しました。そして、今週T国に残した長男の修学旅行のために土曜日の晩成田に移動し、早朝便でT国に戻り、修学旅行が終わったら残りの二人を連れてまた帰国する予定でした。成田に行く前に叔父は帰天しました。飛行機の中はもちろん、T国に行っていても悔いを残したかもしれない。そんなことが無いように叔父が娘への最後のプレゼントをしたのでしょうか。神様の計らいは私たちにはわかりません。

叔母はもともと高血圧体質で降圧剤を服用していました。でもこのひと月の出来事は血圧の調子を狂わせ、最高血圧が100で最低血圧が30という日が続くときもあり、乱高下が大きくて安定しない状態になりつつありました。なるべく休むようにと娘二人がやりくりしていましたが、叔母に何かあったら困ると叔父は優しい思いを尽くしたのでしょうか。神様の計らいは私たちにはわかりません。叔母は叔父が治らぬ病で苦しい思いをしているのなら、いつ召されてもいいと思っていたとすべてを神様に委ねていました。あっぱれ!です。

叔父には姪や甥が12人います。入院中を除いて11人がこの10日間位、叔父に会い、言葉を交わすことができました。皆に「また!」と言いながら、「また!」は天の国での再会のことだったのでしょうか。神様の計らいは分かりません。
でも、私たちはいつも温厚で、フットワーク軽く兄姉のいる時はもちろん、居なくなっても「どう?元気にしている?」と顔を出してくださっていた優しい笑顔のおじちゃまを忘れないでしょう。

おじちゃま:
「だる~い」とおっしゃっていた苦しみから解放されて、天国で今頃父とお酒を飲んでいますか? 空手の仲間、大学のガキ友達とわいわいと騒いでいらっしゃいますか? カトリックの葬儀は初めてとおっしゃるY-子ちゃんのご両親がこんなに温かくて、さわやかな気持ちになれた葬儀は初めてでしたとおっしゃっていましたよ。おじちゃまの仁徳が沢山の友人と後輩に伝わって、沢山の人を繋げました。お疲れ様でした。神様の許で変わらぬ笑顔でお過ごしください。


すべての人に時があり、すべ他の人の必要なことは何でもご存じの神様がなさることは、すべて意味のあることなのだと思います。アーメン

通夜&葬儀ミサ・告別式

2014-06-04 00:10:54 | カトリックの信仰
2014.5.31 15時半 叔父は帰天しました。

6.1通夜にて:覚え
今晩ここに集まった方々は亡くなられた○○さんといろいろな形で出会った方々だと思います。一番近いご遺族、長い親交のあった方、出会って間もない方、それぞれに第一に、○○さんの死を悼み、普通はご冥福を祈るというのでしょうけれど教会では永遠の安息を願うために集いました。第二にご遺族の方々に大きな慰めと励ましのために集まったのだと思います。別れは悲しく辛いものだと思いますが、ここで三番目のお願いをしたいと思います。
ここに集った方々は、それぞれ○○さんとの思い出をお持ちだと思います。楽しかったこと、切磋琢磨しあったこと、時にはケンカをした方もあるでしょう。今日はそんな出会いができたことを「感謝する気持ち」で過ごしていただきたいと思います。お一人お一人が○○さんと出会って得たことを感謝の内に過ごして欲しいと思います。
そしてもう一つ、カトリックの信仰の中で、亡くなったことを「帰天した」と言います。人はみな神から生まれ、神に帰るという教えですが、神の待つ天の国に帰ることを「帰天」と言います。ですから○○さんが神の元に一足先に帰ったことを喜んでほしいと思います。もちろん人間的には辛く、悲しい別れですが、この祭壇にあるこの太いろうそくは「復活のろうそく」といいます。十字架につけられて死んだイエスが不思議なことに復活して皆の前に現れ、永遠のいのちへ帰られたことを記念するろうそくです。いぇすが復活したので、私たちはみな天国でまたまみえることができると信じられるのです。○○さんとは天国でまた会えるということですから、この世の苦しみから解放されて神様のところ喜びを持って送り出していただきたい。

6.2葬儀ミサにて:覚え
私はこの教会に赴任したのが4月でした。ですから○○さんのことはここに集まった皆さんの方がよくご存じだと思います。○○さんは4月に入院されて、先週にとても悪い訳ではないけれどとご家族から連絡を頂いて、私は火曜日だったか病室に尋ねました。○○さんは生まれてすぐに東京の神田教会で洗礼を受けて生涯をカトリックの信仰に生きた方だと伺いました。神田教会は私の両親が結婚式を挙げた教会であったこと、共通の恩師である司祭をよく知っていたこと、私も○○さんも兄弟が同じ数いること、同じく五男なことなどをご家族と一緒にお話をしました。そして、カトリックで大切にしている「ご聖体」というものを欲しいとおっしゃったので、その時持っていなかったので今週お届けするお約束をしました。ところが、土曜日に急に容態が悪くなって亡くなったお知らせを頂き、驚きました。お約束を果たせなかったことを本当に申し訳なく思っています。
こんなことを言うと若いもんが生意気とも傲慢と思われるかもしれませんが、私は自分が死ぬとは思っていないようなところがあるのですが、でもまず目、耳、髪が後退してくるとか確実に年を取っているなと思います。そして誰もがいずれ死ぬのだということもわかります。その時は私が決めることではなくて神が決めるのだと信仰で分かっているつもりなのに、それでも○○さんとの約束を守れなかった。
私は勝手に、今週の訪問でも大丈夫だろうと思っていました。でも神様の計画は人間の思い以上のものであることを改めて思いました。いつ、何が起きるか分からない。だから今できることは先に送らないようにしたいと思います。
○○さんの永遠の安息を祈るとともに、ご遺族にも慰めがあるように、そして人の思いを超える神の計らいの中で○○さんと出会えたことに感謝しながらミサをすすめたいと思います。

叔父の所属教会に赴任した神父様が旧知の司祭であったことに驚いた金曜日のお見舞いの時から、土曜日の帰天の知らせ、通夜・葬儀ミサまで怒涛のような毎日でした。


父の10年目の命日でした そして叔父の命日になりました

2014-06-01 23:37:35 | 日々の出来事
  

昨日5月31日は父の命日でした。父は日曜日には誰よりも早く実家近くの修道院の聖堂に行き、お決まりの席に座っていました。逝ってからシスターが終日にも良く聖堂で祈っていたと伺いました。父のことを知っていたのかなと振り返ったものです。その同じ場所でミサをあげて頂きました。あの時も5月なのに暑い年でした。今年も暑い命日となりました。

その後、お墓参りに行きましたがお墓がこんなに暑いところだったこと、久しぶりに思い出しました。遮るものが無くて日差しが強くて、以前はみんなでロザリオ1連唱えていたのに、昨日は何とアヴェマリアの祈りを2回だけ・・・! ま、しょうがないかと父は苦笑いをしているでしょうか。

そして、夕方近く、一昨日金曜日に見舞いに行って「またね」とお別れした父と17歳違いの叔父の訃報が届きました。父の兄弟は7人、一人は戦争中に病気で亡くなりましたが30余年前に叔母が亡くなり、一人、一人・・父の後に3人亡くなり、叔父だけになっていました。父は89歳で亡くなりましたが弟妹は誰も父を越すことなく逝ってしまいました。叔父は82歳、両親が結婚したころ、おじはまだ15,6歳の紅顔の少年だったと母は懐かしく思い出して、寂しそうです。

叔父はいつも穏やかな笑顔で「にいさんは?」「M子ねぇさん元気?」と良く訪ねてきてくれました。手ぶらな時は無くて、果物だったり美味しいお菓子だったり、駄菓子だったり。ずっと空手をしていて、母校の監督もつい最近までやっていたそうです。容態が悪いと知らせがあったのは先々週末、あけて先週金曜日にやっとお見舞いに行けました。だるいとおっしゃって辛そうなのだけれど、さすっている方がいいと手をだしたり、足も・・・「疲れない?」と聞いたら「大丈夫」って答えられるほどでした。「また来てね」って、「いいの?」って聞いたら「うん、また」って。「じゃ、また来るからね」って言ったのに・・・。

同じ日が命日になるなんて、長男と末っ子、父はきっと叔父に「もう苦しまなくていいよ」って連れて行ったのかな、なんて思いました。都内は10年ぶりに5月末の夏日だったそうです。