話題の映画「ノア 約束の舟」を観てきました。
映画評は余り見ていなかったのですが,
カトリック信者としては、ノアの方舟の話しは旧約聖書物語として有名だけれど,今,この時代になぜノアの話しを映画化しようと思ったのかを興味を持ちました。ラッセルクロウとかアンソニーホプキンズがでる映画というのも魅力の一つ。そして何を問いかけているのかなと行ってきました。
お金をかけたCG画像多様は,個人的には好きではないのですが、やっぱり神に選ばれたノアが応えて成し遂げるにはそりゃあ色々あっただろうなと思っていましたが・・・やっぱり・・・
この間の日曜日は聖体の主日でしたが「私の肉を食べ,血を飲む」ことが当時のユダヤ人にとっても、また現代の私たちでも「えっ!」という衝撃的なことであることを改めて思いました。肉と血を差し出して、それを飲むものが救われるという教えは本当に「何を言い出すのか!」と思った人もいるでしょう。その位、ショッキングなことを求めるのが神であって、永遠のいのちはそんな神からの恵み以外の何者でもない。イエスの差し出された肉と血、イエスの神への全き信頼の中で私たちが永遠の救いに招かれたのだと思うと本当に真摯に受け止めないといけないと思ったのでした。
話しを「ノア」に戻しましょう。聖体とノアの方舟は次元が違うかもしれないですが
旧約の神が望んだ新しい世界に作りなおうには、悪を犯し,争い,妬み、そしる人間と悪人のみならず普通に暮らしていた人もすべて見殺しにして、新しい世界を築く為に、種の保存の為にノアの家族が沢山の鳥、動物たちと方舟に乗る。その家族でさえも洪水が終われば死を求められている。
ノアは神に選ばれた者だから、神の望みを成し遂げることに残虐と思われることもしなければならない・・・そうかも知れない。
でも本当に神の望んでいることはそうなのか?
ノアが最後に感じたのは「愛と慈しみ」だった。それが神の望んだことだったのか。ノアは神に選ばれた者としては背いたことになるのだろうか。
「愛と慈しみ」に気づいたノアは、だからこそ神が選んだ人間の善の意思を持つ者だったのでしょうか。
分からないのですが粛正を重ねる旧約の怒りの神と最後まで愛と慈しみを持って人間に接する神とは同じ神なのだと思うのです。
人が知恵を持ち、科学も進化し,ロボット技術や染色体操作の医療技術などどんどん進歩しているし,色々な場面で神の成して下さっていること以上の領域に入っていくような、人間の方が紙縒り上かと錯覚しそうな時代にあって、この映画は予見しているのでしょうか。人間の傲慢さ,不遜さ、畏れを知らない意思が神の思いを超える時に、神は「ノアの方舟」のような価値観や世界を変えるような出来事を用意なさるのでしょうか。
見終わった後、あの、3月11日の後、この出来事を通して神は何を私たちに伝えたいのかを必死で祈り、悩んでいた時期のことをまた思い出しました。
ラッセル・クロウもアンソニー・ホプキンズも、ジェニファ・コネリーも子供たちもみんな俳優が良かったです。
それぞれの受け止め方があるのが映画や小説ですので、あくまでも私の見方です。そりゃそうですね。
映画評は余り見ていなかったのですが,
カトリック信者としては、ノアの方舟の話しは旧約聖書物語として有名だけれど,今,この時代になぜノアの話しを映画化しようと思ったのかを興味を持ちました。ラッセルクロウとかアンソニーホプキンズがでる映画というのも魅力の一つ。そして何を問いかけているのかなと行ってきました。
お金をかけたCG画像多様は,個人的には好きではないのですが、やっぱり神に選ばれたノアが応えて成し遂げるにはそりゃあ色々あっただろうなと思っていましたが・・・やっぱり・・・
この間の日曜日は聖体の主日でしたが「私の肉を食べ,血を飲む」ことが当時のユダヤ人にとっても、また現代の私たちでも「えっ!」という衝撃的なことであることを改めて思いました。肉と血を差し出して、それを飲むものが救われるという教えは本当に「何を言い出すのか!」と思った人もいるでしょう。その位、ショッキングなことを求めるのが神であって、永遠のいのちはそんな神からの恵み以外の何者でもない。イエスの差し出された肉と血、イエスの神への全き信頼の中で私たちが永遠の救いに招かれたのだと思うと本当に真摯に受け止めないといけないと思ったのでした。
話しを「ノア」に戻しましょう。聖体とノアの方舟は次元が違うかもしれないですが
旧約の神が望んだ新しい世界に作りなおうには、悪を犯し,争い,妬み、そしる人間と悪人のみならず普通に暮らしていた人もすべて見殺しにして、新しい世界を築く為に、種の保存の為にノアの家族が沢山の鳥、動物たちと方舟に乗る。その家族でさえも洪水が終われば死を求められている。
ノアは神に選ばれた者だから、神の望みを成し遂げることに残虐と思われることもしなければならない・・・そうかも知れない。
でも本当に神の望んでいることはそうなのか?
ノアが最後に感じたのは「愛と慈しみ」だった。それが神の望んだことだったのか。ノアは神に選ばれた者としては背いたことになるのだろうか。
「愛と慈しみ」に気づいたノアは、だからこそ神が選んだ人間の善の意思を持つ者だったのでしょうか。
分からないのですが粛正を重ねる旧約の怒りの神と最後まで愛と慈しみを持って人間に接する神とは同じ神なのだと思うのです。
人が知恵を持ち、科学も進化し,ロボット技術や染色体操作の医療技術などどんどん進歩しているし,色々な場面で神の成して下さっていること以上の領域に入っていくような、人間の方が紙縒り上かと錯覚しそうな時代にあって、この映画は予見しているのでしょうか。人間の傲慢さ,不遜さ、畏れを知らない意思が神の思いを超える時に、神は「ノアの方舟」のような価値観や世界を変えるような出来事を用意なさるのでしょうか。
見終わった後、あの、3月11日の後、この出来事を通して神は何を私たちに伝えたいのかを必死で祈り、悩んでいた時期のことをまた思い出しました。
ラッセル・クロウもアンソニー・ホプキンズも、ジェニファ・コネリーも子供たちもみんな俳優が良かったです。
それぞれの受け止め方があるのが映画や小説ですので、あくまでも私の見方です。そりゃそうですね。